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良いこと悪いこと10話(最終回)「はじまり」のネタバレ&感想考察&伏線。真犯人逮捕後に始まった“本当の地獄”とキングの選択

良いこと悪いこと10話(最終回)「はじまり」のネタバレ&感想考察&伏線。真犯人逮捕後に始まった“本当の地獄”とキングの選択

良いこと悪いことの最終回は、真犯人が明らかになっても終わりませんでした。むしろ物語はそこから、本当の意味で“地獄”に足を踏み入れていきます。

宇都見の逮捕によって連続事件は解決した――はずでした

しかし週刊誌報道をきっかけに、キングとその家族は社会から「石を投げられる側」へと転落していきます。誰も直接手を汚していないのに、誰もが加害者になれる。その構造こそが、最終回で描かれた最大のテーマでした。

この最終回は、犯人を断罪して終わる物語ではありません。
「良いこと」と「悪いこと」を誰が、どこで、どう決めているのか。
そして過去に罪を犯した人間は、どんな形で生き続けるべきなのか。

ここから先は、最終回10話の結末をネタバレありで整理しながら、キング・園子・東雲・今國、それぞれが選んだ“答え”を丁寧に読み解いていきます。

目次

良いこと悪いこと10話(最終回)のあらすじ&ネタバレ

良いこと悪いこと10話のあらすじ&ネタバレ

第10話(最終回)「はじまり」は、宇都見啓の逮捕によって“連続事件が終わったはず”の地点から、さらにもう一段深い地獄へ踏み込んでいく回でした。
放送日は2025年12月20日。ここから先は、第10話の結末までをネタバレありで時系列整理していきます。

オープニング|宇都見逮捕のニュース、そして「日常に戻れない」空気が漂う

冒頭では、宇都見啓が逮捕されたというニュースが流れ、アポロ編集部でもその話題が回ります。
園子に向けられていた疑いについても謝罪の空気が生まれ、事件はいったん区切りがついた……ように見える。

一方でキング(高木将)は、妻の加奈と娘の花音とフードコートで食事をします。
加奈がこぼす「前は当たり前だったのに」という言葉が、静かに効いてくる入り方でした。

ここで最終回は、「事件が終われば元に戻れる」という期待を、早い段階で壊してきます。

さらにキングは、レトロスナック「イマクニ」を訪れ、今國に弱音を吐く。
「自分だけが生きてる意味がない」という感覚。
これは被害者側が抱える感情だと思われがちですが、加害の過去を持つ人間も同じように抱えうる。
最終回はそこを真正面から扱うための前振りになっていました。

中盤前半|週刊アポロの記事が火をつける。キングの家族に“二次加害”が降りかかる

ここから一気に、社会の矛先がキングへ向かいます。

東雲が「鷹里小連続殺人事件 動機の真相」という記事を作り、週刊誌に掲載される。
記事は「いじめの復讐」という動機を前面に押し出し、さらに“いじめのリーダー格”が塗装業に関わっている人物(A氏)だと示唆する内容でした。

加奈がその週刊誌を持って帰ってくる場面が、家庭崩壊の合図のように重い。
キングの家の壁には落書きがされ、花音も学校で避けられ、ノートに酷い言葉を書かれる。
仕事のキャンセルも相次ぎ、生活が音を立てて崩れていきます。

そしてキングは、落書きをしている若者の首を絞めそうになり、園子が止めに入る。
園子が語る「正しいことを自分で判断できない人がいる」という言葉は、このドラマが最後に描きたかった“群れの暴力”の核心でした。

ここで一度、最悪の未来――キングが暴力で取り返しのつかないことをしてしまう可能性――を見せ、園子が踏みとどまらせる構図になっています。

このあと園子は、紫苑も「自分のために強くなろうとした」と語り、キングに「早まった行動をしないで」と釘を刺す。
その直後、東雲から園子に「協力してほしいことがある」という連絡が入り、園子は編集部へ向かいます。

中盤後半|東雲がタクト学園へ。ピアノの前で“始めるよ”と告げた意味

不穏さを決定づけたのが、園子の電話に出ない東雲がタクト学園へ向かっている描写です。

学園のピアノに座った東雲が、「始めるよ」と呟く。
この瞬間、視聴者は一気に疑います。

東雲は、ただ記事を書いた記者ではない

紫苑の人生(タクト学園、ピアノ)と深くつながっている

「始める」は、続報以上の意味を持っている

ここで最終回の主軸が、「宇都見の逮捕」から「東雲と今國の真意」へ完全に移ったことが分かります。

編集部に現れた園子に対し、東雲は「人は相手のことをよく分からないまま、その場のノリで石を投げる」という話をし、続報を書く意思を示す。
正義の宣言にも聞こえる一方で、正義が暴走する入口にも見える。
園子がこの後、どちらを選ぶのか――緊張感が続きます。

クライマックス前|紫苑の「夢」が明かされる。今國と東雲は“被害者側”でもあった

物語は、今國の過去へ踏み込みます。

今國は「ずっといじめられていた」「殴られて入院したこともある」と語り、タクト学園で紫苑と出会ったことを明かします。

彼らは最初から強い夢を持っていたわけではない。
しかし紫苑は違った。
ビデオに映る紫苑が、ピアニストになる夢を語る。
夢を持つことで、自分が受けたいじめを言葉にでき、少しずつ乗り越えられたと、東雲と今國は振り返ります。

紫苑の
「ピアノは私の生きた証」
「あなたたちが頑張っていると思えたから頑張れた」
という言葉は、最終回の情緒の核でした。

今國は“みんなが笑い合える場所”を作る夢を持ち、東雲は記者になる。
彼らは紫苑に背中を押され、未来へ進んだ。

だからこそ、紫苑が失われた現実が許せない。
その怒りと悲しみの矛先が、キングたちへ向かう論理が、ここで完成します。

クライマックス|黒塗りアルバムの裏側と、拳銃で完成させようとした「復讐の脚本」

ここで事件の仕組みが、もう一段具体的に明かされます。

宇都見が校長になった大谷を脅し、DVDを持ち出し、卒業アルバムの顔写真を黒塗りしていく。
そして「この6人だ」と東雲・今國にも伝える。
宇都見が、DVDに映る紫苑の姿を見て涙する描写も挿入されます。

宇都見の怒りは、「夢を奪った人間が、夢を語っている」ことへの嫌悪でした。
さらに「いじめは人殺しと同じだ」と突きつけ、園子に協力を求める。

そして今國は、キングをスナックに誘い出し、銃を取り出す。
銃は「うっちゃん(宇都見)が置いていってくれた」と説明され、今國はその銃をキングに握らせます。

今國のプランは、最悪でありながら、異様に論理的です。

最後のターゲット(今國)を、いじめのリーダーだったキングが撃つ

「いじめっ子が殺人犯になる」形で事件を完成させる

その印象を足場に東雲が記事を書き続け、社会を動かす

だからキングは“犯罪者”になれ、“ヒーロー”になれと迫る

復讐と改革を同じ脚本に乗せた、最も危険な発想でした。

園子はここで止めに入ります。
「良いことと悪いことの選択を迫られている」
「自分の選択に責任を持たなければならない」
という言葉で、東雲たちの“正義の強要”を否定します。

キングは銃を構えながらも撃てず、泣き崩れる。
「自分は悪い子だった」
「蓋をして生きてきた」
「殺すことも、殺されることもできなかった」

最終回は、キングの贖罪を“死”ではなく、“生きて向き合い続ける苦しさ”に置き直しました。

ラストシーン|顔出しの告白動画、そして花音に現れた“ヒーロー”

終盤、園子はキングの取材に入ります。

園子は
「人は変わらない。でも、変わろうとしない限り変われない」
という趣旨で、キングの決意を支える。

そしてキングは、自分がいじめをしていた過去を認め、動画で語る。
「良いこと/悪いこと」の判断の難しさを言語化し、これからは考え、責任を持って選び、その結果と向き合い続けると宣言します。

ここがタイトルの回収であり、最終回が“事件の終わり”ではなく“始まり”を置いた理由です。

今國はスナックを畳み、キングの動画を見たあと、東雲とともに店を出ていく。
復讐に振り切れなかった彼らにも、前に進む余地を残した幕引きでした。

そして最後に、花音が体育倉庫に閉じ込められたとき、助けに来る“ヒーロー”の存在が示されます。
キングが子どもの頃に描いた「みんなを助けるヒーロー」の絵が、ここで初めて現在形の意味を持つ。

最終回のラストに、希望をほんの一滴だけ落とす。
それが「良いこと悪いこと」の終わり方でした。

第10話(最終回)「はじまり」は、宇都見啓の逮捕によって“連続事件が終わったはず”の地点から、さらにもう一段深い地獄へ踏み込んでいく回でした。

放送日は2025年12月20日。ここから先は、第10話の結末までをネタバレありで時系列整理していきます。

宇都見逮捕のニュース、そして「日常に戻れない」空気が漂う

冒頭では、宇都見啓が逮捕されたというニュースが流れ、アポロ編集部でもその話題が回ります。

園子に向けられていた疑いについても謝罪の空気が生まれ、事件はいったん区切りがついた……ように見える

一方でキング(高木将)は、妻の加奈と娘の花音とフードコートで食事をします。加奈がこぼす「前は当たり前だったのに」という言葉が、静かに効いてくる入り方でした。

ここで最終回は、「事件が終われば元に戻れる」という期待を、早い段階で壊してきます

さらにキングは、レトロスナック「イマクニ」を訪れ、今國に弱音を吐く。

「自分だけが生きてる意味がない」という感覚

これは被害者側が抱える感情だと思われがちですが、加害の過去を持つ人間も同じように抱えうる。最終回はそこを真正面から扱うための前振りになっていました。

週刊アポロの記事が火をつける。キングの家族に“二次加害”が降りかかる

ここから一気に、社会の矛先がキングへ向かいます

東雲が「鷹里小連続殺人事件 動機の真相」という記事を作り、週刊誌に掲載される

記事は「いじめの復讐」という動機を前面に押し出し、さらに“いじめのリーダー格”が塗装業に関わっている人物(A氏)だと示唆する内容でした。

加奈がその週刊誌を持って帰ってくる場面が、家庭崩壊の合図のように重い

キングの家の壁には落書きがされ、花音も学校で避けられ、ノートに酷い言葉を書かれる。
仕事のキャンセルも相次ぎ、生活が音を立てて崩れていきます。

東雲がタクト学園へ。ピアノの前で“始めるよ”と告げた意味

不穏さを決定づけたのが、園子の電話に出ない東雲がタクト学園へ向かっている描写です。

学園のピアノに座った東雲が、「始めるよ」と呟く。
この瞬間、視聴者は一気に疑います。

  • 東雲は、ただ記事を書いた記者ではない
  • 紫苑の人生(タクト学園、ピアノ)と深くつながっている
  • 「始める」は、続報以上の意味を持っている

ここで最終回の主軸が、「宇都見の逮捕」から「東雲との真意」へ完全に移ったことが分かります。

キングと園子が接触する…

そしてキングは、落書きをしている若者の首を絞めそうになり、園子が止めに入る。園子が語る「正しいことを自分で判断できない人がいる」という言葉は、このドラマが最後に描きたかった“群れの暴力”の核心でした

ここで一度、最悪の未来――キングが暴力で取り返しのつかないことをしてしまう可能性――を見せ、園子が踏みとどまらせる構図になっています。

このあと園子は、紫苑も「自分のために強くなろうとした」と語り、キングに「早まった行動をしないで」と釘を刺す。その直後、東雲から園子に「協力してほしいことがある」という連絡が入り、園子は編集部へ向かいます

編集部に現れた園子に対し、東雲は「人は相手のことをよく分からないまま、その場のノリで石を投げる」という話をし、続報を書く意思を示す。

正義の宣言にも聞こえる一方で、正義が暴走する入口にも見える。園子がこの後、どちらを選ぶのか――緊張感が続きます。


紫苑の「夢」が明かされる。今國と東雲は“被害者側”でもあった

園子からタクト学園の情報を得た高木。そこでタクト学園の「T」とイマクニのお店のコースターが「T」が一緒であることに気づき、イマクニへ行く

そしてイマクニが真犯人の一人とわかったキングは、一度イマクニに掴みかかり、揉める。

そして物語は、今國の過去へ踏み込みます。

今國は「ずっといじめられていた」「殴られて入院したこともある」と語り、タクト学園で紫苑と出会ったことを明かします。

彼らは最初から強い夢を持っていたわけではない。しかし紫苑は違った。

ビデオに映る紫苑が、ピアニストになる夢を語る。

夢を持つことで、自分が受けたいじめを言葉にでき、少しずつ乗り越えられたと、東雲と今國は振り返ります。

紫苑の
「ピアノは私の生きた証」
「あなたたちが頑張っていると思えたから頑張れた」
という言葉は、最終回の情緒の核でした。

今國は“みんなが笑い合える場所”を作る夢を持ち、東雲は記者になる。彼らは紫苑に背中を押され、未来へ進んだ。

だからこそ、紫苑が失われた現実が許せない。その怒りと悲しみの矛先が、キングたちへ向かう論理が、ここで完成します。

黒塗りアルバムの裏側と、拳銃で完成させようとした「復讐の脚本」

ここで事件の仕組みが、もう一段具体的に明かされます。

宇都見が校長になった大谷を脅し、DVDを持ち出し、卒業アルバムの顔写真を黒塗りしていく。そして「この6人だ」と東雲・今國にも伝える。

宇都見が、DVDに映る紫苑の姿を見て涙する描写も挿入されます

宇都見の怒りは、「夢を奪った人間が、夢を語っている」ことへの嫌悪でした

呼ばれた東雲はさらに「いじめは人殺しと同じだ」と突きつけ、園子に協力を求める。

そして今國は銃を取り出す

銃は「うっちゃん(宇都見)が置いていってくれた」と説明され、今國はその銃をキングに握らせます

今國のプランは、最悪でありながら、異様に論理的です。

  • 最後のターゲット(今國)を、いじめのリーダーだったキングが撃つ
  • 「いじめっ子が殺人犯になる」形で事件を完成させる
  • その印象を足場に東雲が記事を書き続け、社会を動かす
  • だからキングは“犯罪者”になれ、“ヒーロー”になれと迫る

復讐と改革を同じ脚本に乗せた、最も危険な発想でした。

園子はここで止めに入ります。
「良いことと悪いことの選択を迫られている」
「自分の選択に責任を持たなければならない」
という言葉で、東雲たちの“正義の強要”を否定します。

キングは銃を構えながらも撃てず、泣き崩れる。
「自分は悪い子だった」
「蓋をして生きてきた」
「殺すことも、殺されることもできなかった」

最終回は、キングの贖罪を“死”ではなく、“生きて向き合い続ける苦しさ”に置き直しました。

顔出しの告白動画、そして花音に現れた“ヒーロー”

終盤、園子はキングの取材に入ります。

園子は
「人は変わらない。でも、変わろうとしない限り変われない」
という趣旨で、キングの決意を支える。

そしてキングは、自分がいじめをしていた過去を認め、動画で語る。

「良いこと/悪いこと」の判断の難しさを言語化し、これからは考え、責任を持って選び、その結果と向き合い続けると宣言します。

ここがタイトルの回収であり、最終回が“事件の終わり”ではなく“始まり”を置いた理由です。

今國はスナックを畳み、キングの動画を見たあと、東雲とともに店を出ていく。復讐に振り切れなかった彼らにも、前に進む余地を残した幕引きでした

そして最後に、花音が体育倉庫に閉じ込められたとき、助けに来る“ヒーロー”の存在が示されます。
キングが子どもの頃に描いた「みんなを助けるヒーロー」の絵が、ここで初めて現在形の意味を持つ。

最終回のラストに、希望をほんの一滴だけ落とす。
それが「良いこと悪いこと」の終わり方でした。

良いこと悪いこと10話(最終回)の感想&考察

良いこと悪いこと10話(最終回)の感想&考察

ここからは僕の感想と考察です。

最終回は、真犯人を当ててスッキリするタイプのミステリーではなく、「事件が終わってから地獄が始まる」物語として着地しました

だからこそ賛否は分かれそうですが、僕はこの痛さ込みで“良いこと悪いこと”だったと思っています。

最終回の主役は“真犯人”じゃなく、「石を投げる側の正義」だった

宇都見が実行犯だった、で終われたはずなんです。

でも最終回が本当に踏み込んだのは、そのあとに残る「社会の暴力」でした。

週刊誌の記事によってキングが特定されるような空気が生まれ、落書き、仕事のキャンセル、娘へのいじめが連鎖していく。

これ、犯人が誰かよりずっと怖い。

誰も直接手を汚していないのに、誰もが簡単に加害者になれる。その構造そのものが、最終回の主役だったと思います。

東雲と今國は“被害者”で、“共犯者”で、“加害者になりかけた人”でもある

僕が一番しんどかったのは、東雲と今國の論理が、感情のレベルでは理解できてしまうところです。

紫苑が夢を語れたのは、地獄から這い上がった証で、その未来が奪われた。怒りが燃え上がるのは当然です。

でも、だからといって「キングに殺させる」脚本を描いた瞬間、彼らもまた“人の人生を道具にする側”へ踏み込んでしまった

最終回はそこを、園子の言葉で一刀両断しました。

正義を強要した時点で、それはもう善じゃない。

ここがこのドラマの、いちばんロジカルで逃げのない結論だったと思います。

キングの贖罪は「死」じゃなく「生き続ける責任」になった

今國が差し出したのは、“死ねば終わる贖罪”でした。

でもキングは撃てない。殺すことも、殺されることもできない。その情けなさが、むしろ現実的で、残酷でした。

だから最終回は、キングを「生きて向き合う」側に残します。顔出しで告白し、叩かれて、それでも家族を守り、変わろうとし続ける。

これはエンタメとしては地味です。
でも、いじめの問題って本来こっちなんですよね。派手に終われない。簡単に清算できない。

園子の結論は「許し」じゃなく「選択に責任を持つ」だったのが強い

園子はキングたちを許したわけではありません。

でも「変わろうとする人を悪い人だとは思えない」という立場に立った。

ここが“甘さ”ではなく、“責任”として描かれていたのが良かったです。

良いこと/悪いことは、誰かが決めてくれるものじゃない。
自分の選択が、誰かにとっての悪いことになる可能性もある。
だからこそ、選ぶのは自分で、背負うのも自分。

最終回の園子の言葉が、作品タイトルをいちばんきれいに回収していました。

未回収というより「余白」として残したポイント

最終回は、すべてを説明し切るタイプではありませんでした。
僕の中で“余白”として残ったのは、次の点です。

  • 東雲と今國は、結局どこまで事件に関与していたのか
  • 紫苑の死が、宇都見の人生をどこまで決定づけたのか
  • キングの告白が、社会の空気を本当に変えるのか(変わるとしても、どれほど時間がかかるのか)

この余白があるからこそ、「その後」を描くエピローグやスピンオフが効いてくるんだと思います。

Huluスピンオフで補完されそうなこと

公式でも、Huluでオリジナルストーリー(全2話)が案内されています。
ドラマ全10話の外側で、「終わりが始まった彼ら」の過去と未来を描く位置づけです。

最終回が“社会の問題”に深く踏み込んだぶん、スピンオフでは、

  • キング家がどう立て直していくのか
  • 園子が記事で何を出し、何を出さなかったのか
  • 東雲と今國が、どんな「始める」を選んだのか

このあたりが描かれると、最終回の後味はさらに変わってくるはずです。

ラストの“ヒーロー”が示したもの

最後に、花音を助ける“ヒーロー”が示されたのが、僕はとても良かった。

キングが子どものころに描いた「ヒーロー」が、ようやく現実の話になったからです。

いじめの過去は消えないし、贖罪にも終わりはない。
でも、次の世代に同じ地獄を渡さないために、今の大人ができることはある。

最終回が描いたのは、そこに尽きると思います。

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