前話で小山が襲われた衝撃が残る中、第4話では物語がさらに暗く、そして深く潜っていく。

かつてのいじめ加害者・羽立は、高木と園子の訪問を突き放しながらも、わずかに心の扉を開き始める。
“夢と手口”が反転し、替え歌の法則が再び作動する中で、物語の外側には“忘れられた一人”の影が忍び寄る。
ルールに支配された復讐劇が、ついに〈人間の記憶〉という核心へ踏み込んだ回だった。
良いこと悪いこと4話のあらすじ&ネタバレ

日本テレビ系・土曜ドラマ『良いこと悪いこと』第4話のサブタイトルは「黒」(11月1日放送)。
“卒業アルバムの黒塗り”と“22年前の替え歌”という二重のルールを、物語がいよいよ行動として具体化してきた回だ。
これまでに武田→桜井→笑美と連鎖していた不審死(あるいは襲撃)に続き、小山も標的となったことが判明。
そして次なる“5人目”として、“ちょんまげ”こと羽立太輔が浮上する。
ここから先は、公式情報と劇中描写を踏まえた第4話の要約である。
冒頭:3件の死と小山の襲撃——「替え歌の順番」という法則
導入で高木将(間宮祥太朗)と猿橋園子(新木優子)は、これまでの事件が“替え歌の順番”どおりに起きていると確信する。
武田→桜井→笑美と続き、次に襲われたのは高木の親友・小山隆弘(森本慎太郎)。この“見立て”により、彼らの焦りは“偶然”の範疇を超える。
結論はただ一つ——次は羽立。
この一点に物語が収束し、緊張の糸が一気に張り詰めていく。
学級委員長・小林紗季を頼る——住所が開く過去の扉
羽立を守るため、高木はかつての学級委員長・小林紗季(藤間爽子)に連絡を取る。
小林は、幼い頃に父を亡くし、昨年母も亡くした羽立が今は一人暮らしであると語る。
住所を教えられた高木・園子・小山の3人は、週末に羽立のもとへ向かう決断を下す。“守りに行く”というまっとうな行動は、同時に過去と向き合う試金石でもあった。
羽立の部屋——「友達なんかじゃない」の拒絶
オンボロのアパートに足を踏み入れた3人を迎えたのは、輪ゴムで髪を束ね、無精ひげを生やした羽立(森優作)。
室内は散らかり放題、カーテンも閉ざされたまま。彼は彼らを見るなり、「僕の番か」と呟く。
ニュースで事件を知り、次が自分だと悟っていたのだ。台所から包丁を取り出し、「ひと思いにやってくれ」と園子に突きつける。
そして「僕たちは、君をいじめていた」と言う高木に対し、羽立は静かに答える。
「友達なんかじゃない。」
この一言が第4話の核心であり、以降の“償い”の軸を大きく変える。
桜井幹太(カンタロー)が再び連れ去られ、ついに殺害へ――“最後までやり切る”犯行意思が露わに
第2話の火災で一命を取りとめ、回復に向かっていた桜井幹太(カンタロー)。
しかし第4話では、病院から忽然と姿を消したのち、無残な“最期”が描かれる。
放送後、視聴者の間では「カンタローの最期のシーンがトラウマ級」と語られるほどの衝撃を残した。
犯人が“見せしめ”として徹底していることが強く印象づけられ、生存からの再誘拐→殺害という冷酷な段取りは、偶発ではなく「途中で止めない、死に至るまで遂行する」という犯行哲学を明確に示した。
「守る」ことの手触り——届かない言葉とズレの痛み
高木と園子は必死に説得を試みるが、“守る/守られる”という関係は、当人の合意なしには成立しない。
羽立の自己否定は強く、「殺されても仕方ない」という諦めを漂わせる。高木の差し出す友情は、彼にとって“加害の延長線”に見えてしまうのだ。
ここで第4話は、「過去の解像度」というテーマを明確に掲げる。
加害と被害の記憶は非対称であり、片方の誠意がもう片方の再被害になることもある。
“良かれと思って”の行動が悪に転じる——タイトルのアイロニーがここで立ち上がる。
羽立が猿橋園子によって“少しだけ”心を開く
一方で中盤以降、園子が黒塗りの“夢の絵”に込めた意味——「ああはならない」という誓い——を語り、部屋の掃除という“所作”で関わることで、羽立の心に変化が訪れる。
やがて彼は土下座して加害を認め、「君をいじめないと、友達でいられないと思った」と、ようやく主体的な告白を絞り出す。
それは完全な和解ではないが、閉ざした扉がわずかに軋む瞬間だった。
園子の言葉は慰めではなく、自立を促す刺激として作用し、羽立の“生き直し”に必要な摩擦を与えた。
この“少しだけ開く”変化こそ、次話以降に描かれる羽立の選択や“守り方”の設計(=同意なき保護を避ける)へと繋がっていく。
週刊アポロ・松井健が“どの子”の等身大パネルを破壊――メディアの嫉妬と“炎上装置”が物語を撹乱
もう一つの衝撃は、週刊アポロの新人記者・松井健(秋谷郁甫)が、同僚であり広告塔でもある猿橋園子(どの子)の等身大パネルを破壊する場面だ。
職場内での露骨な敵意の発露であり、園子への個人的な嫉妬・反感を示すだけでなく、報道という“外の視線”が事件の演出と地続きである危うさをも象徴している。
犯行が“世間の目”を最大限に利用して進む構造である以上、メディア内部の歪みは無視できない撹乱要因だ。
ラストは“ボンバーマン”の記憶——キングと小山の遊びが呼び水になり、〈7人目〉の影が差す
最後に園子のおかげで、キング達と仲良くなることができた。
キング、小山、羽立の3人でIMAKUNIでボンバーマンを
終盤、小学校時代の“ボンバーマン”回想が差し込まれる。
画面はキングと小山のコントローラーさばきを軸に、“6人で遊ぶ記憶”を映し出すが、右手と膝だけが映る“もう一人”の存在が示唆される。
「仲良しは6人」だったという自分たちの記憶が、「実は7人いたのでは?」へと反転する、象徴的なラストである。
この演出が巧いのは、ゲーム=ルールの映像を、事件の“ルール(替え歌×夢)”と重ねている点だ。
次話で学校側の“記録”が手がかりになるという見立てを支える伏線として、このボンバーマンの回想が静かに効いてくる。
終盤①:ラストで仕掛けられた“もう一つの視線”
後半の回想には、“仲良しメンバー”の輪にもう一人の存在を示すショットが挿入される。
右手や膝だけが映る“不在の身体”。
さらに、廊下をスコップを引きずって歩く“女の影”も現れる。
断定は避けられているが、「忘れられた誰か」の存在を暗示するこの描写が、物語の外縁を広げた。事件の重心は“6人”の外側へと、静かにずれ始める。
終盤②:バーの常連・宇都見の正体——“しがない公務員”の裏側
クライマックスではもう一つの仕掛けが明かされる。
高木の行きつけのスナック「イマクニ」に出入りしていた常連・宇都見(木村昴)が、警視庁捜査一課の刑事だったことが判明。
第2話で「しがない公務員」と名乗った言葉が、皮肉にも真実だったという逆転構造。
ここから物語は“警察の視点”を正式に取り込み、素人の推理とプロの捜査が交錯する新フェーズへ突入する。
余韻と次回への布石——法則(替え歌)の強度
第4話の結末では、“替え歌の順番”が依然として強固な法則であることが再確認される。
犠牲者の選択ロジックは崩れておらず、5人目=羽立の“刺殺”を示唆する構成(彼の将来の夢が侍である点)が、次話への不穏な余韻を残す。
一方で、羽立の心にはわずかな“変化の芽”が置かれ、
ミステリーとしての推進力(法則)と、ヒューマンとしての奥行き(関係修復)が噛み合ったバランスの取れた回として幕を閉じた。
良いこと悪いこと4話の感想&考察

第4話は、“守るつもりが刺さってしまう言葉”の連鎖を、驚くほど冷静な筆致で描いた。
筆者が感じた見どころは三つ——(1)謝罪の非対称性、(2)視線の増殖、(3)法則の倫理だ。
ここからは感想&考察していきます。
謝罪の非対称性——加害と被害は同じ時間を生きていない
高木の「守りに来た」は、善意としては満点だが、羽立にとっては過去の延長線に見える。
加害の記憶は被害者の身体にだけ残り続け、加害者の“成長”や“反省”は、被害者にとって関係の更新ではなく再演になり得る。
羽立の「友達なんかじゃない」という言葉は、関係のリセット権が被害者にあるという宣言だ。ここを丁寧に描いたからこそ、第4話は“悲劇の勢い”に流されず、倫理的な緊張感を保ったまま進行している。
かんたろうが再度連れ去られて、殺された。――“死ぬまで実行される”という犯人の意思表示
桜井幹太(カンタロー)は第2話の火災で一命を取りとめたが、第4話で病院から再度連れ去られ、縛られた画像(動画)とともに“焼かれて殺害”されたことが示される。
園子の「これは死ぬまで終わらない」という言葉が、単なる比喩ではなく犯人の作法=完遂主義として提示された形だ。
放送後は「再び燃やされるとは…」という視聴者の動揺が広がり、犯人が“見せしめ”として徹底している印象を強く残した。
カンタローの“将来の夢=消防士”に対し、火という象徴で再度の襲撃→殺害が演出された点が重要である。
第1~3話を貫く「夢→手口」の対応関係(転落/スポットライト等)が、より残酷な形で補強され、夢が凶器に変わる構造が確定した。
このため、犯人はクラスメートたちの「夢の記録」や「学校保管物」にアクセスできる人物という条件が、いっそう現実味を帯びてくる。
さらに、病院からの再拉致という高難度の犯行が示されたことで、“6人の内側だけでは完結しない”可能性が濃厚となった。
動線や面会ルート、時間帯に詳しい内通者や協力者の存在が前提にある。
つまり、現場の選定・監視・移動を可能にする“外部の手”が働いているという構図だ。
視線の増殖——スコップの女と“忘れられた一人”が作る外側
これまで“6人の輪”で閉じていた物語に、映っていない誰かの気配が入った瞬間、世界は“閉じた系”ではなくなる。回想に挿入された“右手・膝だけの人物”、そしてスコップを引きずる女の影。
どちらも犯人断定の材料ではなく、“忘却の暴力”を象徴する像として配置されている。
視線が増えることで、解釈の責任も増える——視聴者が参加する余地を拡張する構造だ。
この“外側の視線”の導入によって、物語の密度は一段深まった。
法則の倫理——替え歌が持つ“物語の刃”
“替え歌どおり”というワン・ルールは、推理の燃料でありながら、同時に倫理の警鐘でもある。
ルールが強固であるほど、“守るべき相手”が先に可視化されてしまう。
第4話が巧みだったのは、羽立を「守る対象」として固定しなかった点だ。彼は守られたいのではなく、生き直したい。
ラストで芽生えた“微細な変化”は、完全な和解ではないが、人間の物語としての次章を保証する余韻になっている。
週刊アポロの松井健が、猿橋園子の等身大パネルを破壊。――メディア内部の“歪み”が、事件の炎上装置になる
週刊アポロ編集部で、新人記者・松井健が猿橋園子(どの子)の等身大パネルを一発で殴り倒す。
同僚・東雲の「彼氏でもできたんじゃない?」という軽い煽りの直後という職場文脈も含め、個人的な嫉妬と反感が可視化されたシーンだ。
園子が“広告塔”として扱われている構造の中で、松井の破壊行為は単なる感情の爆発ではなく、報道機関という場所で起こる倫理の崩壊を象徴している。
エレベーターホール前での破壊という“公開的”な場面が、その暴力性をさらに際立たせた。
等身大パネルは、“園子という商品=イメージ”の象徴だ。
その破壊は、記者としての倫理よりも承認欲求や嫉妬が勝った瞬間であり、報道の視線が事件の演出と地続きである危険性を示している。
報道は事実を伝えるはずの場でありながら、そこに個人の感情が混じることで“物語の加害者”にもなり得る。松井の一撃は、ニュースを扱う者が“事件そのものを増幅させる存在”になりうることを突きつけた。
松井自身は犯人像の中心からは遠いものの、「情報をどう出すか/出さないか」を握る立場にある。
内部からの悪意ある情報の切り出しや、意図的な報道の歪曲は、園子を“悪い子”として描き出す装置になり得る。
つまり、事件の外圧(世論形成)が園子を追い詰める構造に変化する。
報道の中で生まれる歪みが、物理的な犯行と同じく“攻撃”として機能していく点が本エピソードの要だ。
宇都見=刑事の告白——素人の考察×捜査の合理
宇都見が警視庁捜査一課の刑事であったという種明かしは、作品の構造を一段深めた。
これで現場には、加害/被害の当事者、報道を担う園子、そして警察(宇都見)の三つの視点が揃う。以降、事件は“感情”だけでは動かない。
証拠という合理が物語の地形を変え始め、“6人”という枠組みそのものが疑われる。
本当に6人だけなのか、それとも“6人に見えるように仕組まれている”のか。
この問いが視聴者の思考を占拠し、作品が一気に社会派サスペンスの深みに入った。
「忘れられた一人」仮説——犯人像の更新
“輪の外”にいたもう一人の存在——この仮説が、物語の新たな焦点となる。
もし犯人が園子個人への復讐ではなく、“輪そのもの”、あるいは“排除された記憶”に動機を持つなら、犯行の演出にも合理が通る。
報道と世論を操作し、“園子を巻き込む”ための計画である可能性が高い。
“誰が傷ついたのか”という問いが、ここで根本から再定義される。
タイトル「黒」の意味——隠蔽と選別の象徴
サブタイトル「黒」は、不吉の色ではなく“境界の色”として機能する。
黒塗りの卒業アルバム、心に残る“黒い空白”、そして刑事の登場による“黒(確定)”。
色彩設計が物語の段階を区切り、闇ではなく“輪郭線”を描き出している。
インクを流し込むことで隠れていた形が見える——まさに今、作品が“真実の輪郭”を取り戻す過程にある。
総括——“こうだからこう、だから面白い”
替え歌という強固な法則/過去の非対称な記憶/輪の外からの視線(スコップの女、刑事・宇都見)。
守る言葉は届かず、被害者の“関係リセット権”が発動。捜査の合理が参入し、6人の外に疑いが広がる。
羽立の“生き直し”に芽が出て、犯人像は輪の構図そのものへ——ミステリーとヒューマンが二重螺旋で進む。
第4話は、“考察のカタルシス”と“人間の痛み”を同じ体温で抱いた佳編だった。
次回、侍=刺殺の示唆がどう回収されるのか。法則を崩すのか、人間が法則を超えるのか。
タイトルの問い「良いこと/悪いこと」に、視聴者それぞれの倫理で応答するタイミングが近づいている。

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