第1話で「タイムカプセル」と「黒塗りの卒業アルバム」が開かれ、過去が現在を侵食し始めたドラマ『良いこと悪いこと』。

第2話「歌」では、ついに“夢の絵”が犯行のテンプレートとして明確化する。
被害者たちは、子ども時代に描いた“理想の夢”どおりの死を迎える——飛ぶ夢を描いた者は転落し、火を描いた者は炎に包まれる。
園子と高木は、この不気味な“夢の再演”を止めるため、次の標的・中島笑美(ニコちゃん)に接触するが、和解の兆しの直後…。
第2話は、善と悪、夢と呪いが紙一重で入れ替わる、シリーズ屈指の不穏な回だった。
良いこと悪いこと2話のあらすじ&ネタバレ

第2話のサブタイトルは「歌」(10月18日放送)。
6年1組の“元キング”高木将(間宮祥太朗)と、かつての同級生・猿橋園子(新木優子)は、22年前に埋めたタイムカプセルと「将来の夢の絵」をめぐって連鎖する不可解な事件の“法則”を掴みかける。
これまで被害に遭った武田敏生(貧ちゃん/水川かたまり)は“空を飛ぶ絵”どおりに転落死、桜井幹太(工藤阿須加)は“消防士の絵”のように火災で重体。
犯人は絵とタイムカプセルにアクセスできた“同級生の誰か”だ。
園子が放つ「私以外の、誰かがあなた(高木)を恨んでいる」という言葉が、クラス内犯行の疑いをより濃くしていく。残る標的の一人、“ニコちゃん”こと中島笑美(松井玲奈)を守るため、高木と園子は動き出す。
「夢の絵」ルールの可視化と、クラス内犯行の臭い
2件の先行事件に共通するのは、“子どもの頃の夢”という無邪気な記号が、現実で歪んで再現されていること。
高木と園子は、タイムカプセルを掘り起こした“同窓会”という内輪の場を起点に、犯人像をクラスの誰かへと絞り込む。園子の「私以外の、誰か」という一言は、高木に“最も疑いたくない円の内側”を直視させる。
この時点で物語は、“外の事件”から“内側の罪”へと舵を切る。
“ニコちゃん”再会――謝罪と拒絶、その奥にある「仕打ち」
高木と園子は、警告を伝えるため六本木のクラブを訪ね、ホステスとして働く“ニコちゃん”こと中島笑美と再会する。
笑美はすぐに園子に謝罪するが、園子はその謝罪を受け入れない。
かつて笑美は、園子の持ち物であった人気キャラクターのキーホルダーを盗み捨て、逆に園子を“泥棒扱い”してクラスの空気を操作していた。
“ニコちゃん”という笑顔の象徴が、実は“笑顔の暴力”だったという残酷な構図が浮かび上がる。
東雲&松井の“裏社会”線——夜の街で走る別の導線
その頃、園子の同僚記者・東雲晴香(深川麻衣)と後輩の松井(秋谷郁甫)は、違法薬物の元締めを追う取材で夜の街を奔走していた。
この“報道サイド”の捜査線は、偶然にも笑美の生活圏と重なり、のちに“タイムカプセルと絵の情報に誰が触れたのか”という核心へつながっていく。
社会の裏と教室の裏、ふたつの“闇”が同じ場所で交わる布石が置かれる。
高木の推理と、残る標的
事件の構造はこうだ。
①タイムカプセル(卒業アルバムや夢の絵)の情報にアクセス。
②対象者の“夢”を模した状況を作り出す。
③事故や偶然に見せかける。
よって、情報と環境の両方に触れられる“同級生”が最も有力。
塗りつぶされた6人のうち、“ニコちゃん”(夢は「スポットライトを浴びるアイドル」)が次の標的候補となり、さらに“キング”高木自身も狙われる可能性が示される。
「歌」が呼び出す過去——弱者と強者の配置替え
サブタイトル「歌」は、子ども時代の“クラスの力関係”を象徴する装置として機能している。
笑美が“アイドル志望”というラベルで守られていた頃、園子は歌や声をからかわれ、教室の空気によって位置づけられていた。
謝罪では回復できない“非対称”が、今も2人の間に横たわる。
園子が「忘れない」と言う時、それは復讐心ではなく、“過去の構造を忘れたふりをしない”という倫理的な選択として響く。
クライマックスへ…にこちゃんの衝撃なラスト
クラブのイベント帰り、園子に“彼氏・城之内のドラッグ流通の証拠”を手渡した笑美は、ぎこちない和解の余韻を胸に、一人で歩道を歩く。
小雨が降り、傘の群れが行き交う中、立ち止まった彼女の背後に黒い傘の人物が静かに近づく。
ふっと肩を押され、次の瞬間、視界を白く焼くヘッドライト——夢に描いた“スポットライト”は、現実ではトラックの光にすり替わる。クラクション、急制動、鈍い衝撃音。
転がったヒールと血の線だけが残り、夜のざわめきが一拍遅れて戻る。カメラは上空から傘越しにその光景を捉え、彼女の“笑顔のニコちゃん”という記号を一瞬で無効化する。
ほんの少しだけほどけた確執の糸は、雨に溶けて消えた。偶然ではあり得ない“手”の介在——その残酷な押し出しによって、笑美は連続事件の“3人目の犠牲者”となった。
良いこと悪いこと2話の感想&考察

第2話の核心は、「子ども時代の“歌”が、大人の現実で呪いに転じる」という逆説にある。
“夢(歌)”という善のアイコンが、演出次第で“悪”のオペレーションに化ける。犯人は“夢の再演”というルールで正義の皮を被り、被害者の履歴に寄生する。
正義と悪意の境界が曖昧に見える――その不気味さこそ、この物語の核だと感じた。
以下では、6つの論点に整理して考察する。
「夢の絵」=犯行手順という発想の強度
刑事ミステリーとして秀逸なのは、動機や機会よりも“手順(プロトコル)”を先に固めている点。
夢の絵を犯行テンプレートとし、事故や偶然を装う。
これは①共通のインデックス(タイムカプセル/卒アル/夢の絵)が犯人と被害者で共有され、②“舞台装置”をつくれる土地勘を持つ人物にしか成立しない。
ゆえにクラス内犯行説は合理的な仮説として浮上する。
園子の「私以外の誰か」という台詞は、“自分は犯人でない”という否定以上に、“円の内側に犯人がいる”という肯定の響きを持つ。
“謝罪”の難しさ——ニコちゃんの涙は何を回復したか
笑美の謝罪は形式として成立しているが、園子が受け入れられない理由は明確だ。
それは、関係の非対称性が未解消だからだ。
“笑顔の暴力”で場を支配してきた側に立つ人間は、被害者の“奪われた時間”を回復する術を持たない。ゆえに謝罪は“加害者の気持ちの整理”に留まりがち。
本作はそこを安易に融和させず、“忘れない”という被害者の倫理を貫いた。被害者側に視点を置く脚本の冷静さが光る。
“夜の街”を走る報道線——東雲&松井の役割
園子の同期・東雲(深川麻衣)と松井(秋谷郁甫)が追う薬物流通の元締めは、今後“ニコちゃん”の生活圏と交錯することが予想される。
犯人のオペレーションには、情報(夢の絵)×環境(演出)の両輪が必要だからだ。
夜の街の動線、監視の薄い時間帯、偶然を装う余地。報道サイドの探索線が、刑事よりも早く“犯人の作業場”を浮かび上がらせる可能性がある。
容疑者・ターボーはなぜ視聴者に刺さるのか
第2話放送後、小山隆弘(ターボー/森本慎太郎)への疑念がSNSで急浮上した。理由は単純で、彼が“好青年すぎる”からだ。
物語はしばしば“善の過剰”をノイズとして扱う。帰国のタイミングの良さ、笑顔の裏の無音――視聴者が覚える“気持ち悪さ”は設計されたものだ。
まだ状況証拠の域を出ないが、“クラスの内側”に位置し、絵の情報にアクセスできる立場であることは間違いない。
警察の“偶然処理”と、キングの“責任”
警察は“偶然の不幸”として片づけ、連続性を認めようとしない。
組織の合理性としては理解できるが、“夢の絵”テンプレートを掴みかけている高木にとっては歯がゆい。キング=高木は、“守る・戦う・疑う”という三役を一身に背負い、“ニコちゃんを守るか、泳がせるか”という非情な決断を迫られる。
注目すべきは、高木が“守る”を選ぶ瞬間、犯人のテンプレートが崩壊する可能性だ。テンプレート犯罪は、被害者の“予定行動”を前提に成り立っているからである。
タイトル「歌」の意味——呪いを“上書き”するために
「歌」は無邪気に人を並べる。上手い・下手、人気・不人気――教室の序列は“合唱”の名のもとに自然化される。
第2話は、その“自然化された暴力”が何十年後に姿を変えて蘇る恐怖を描いた。では対抗する手段は何か。それは“別の歌”で上書きすることだろう。
被害者の時間を取り戻す歌、関係の対等を生み出す歌。園子が「忘れない」と言った瞬間、彼女はすでに新しい歌詞を書き始めている。高木と園子が“守るための段取り”を組む時、犯人のテンプレートは崩れ始める。
ニコちゃんの死…スポットライトの謎
ニコちゃんの死は、この物語が描く“善意のアイコンが悪の手順に転用される”を、最も残酷なかたちで可視化した。
幼い日の「スポットライト」は、現実ではトラックのヘッドライトに上書きされ、和解の余韻は一押しで断ち切られる。ここが怖いのは、偶然ではなく手順が感じられる点だ。
背後からの“手”は、犯人が「夢の絵→舞台装置→事故化」というテンプレを冷酷に遂行している証。
謝罪が届きはじめた矢先に失われた彼女の時間は、誰にも返せない。
笑顔で空気を支配していた“ニコちゃん”という記号は剝奪され、ただの一人の女性の死として横たわる。こうだからこう——この事件は“誰が悪いか”探しだけでなく、“どう段取りを奪うか”という闘いに変わったと痛感した。
余録:小ネタと視聴者反応
- 公式の60秒予告「次に狙われるの、だーれだ?」は、視聴者の推理スイッチを見事に押している。
- 各メディアの記事でも、「夢の絵テンプレ」や「クラス内犯行説」、笑美の謝罪がフィーチャーされ、園子サイドの視点で観る体験が推奨されていた。
- 放送後は“ターボー怪しい”論がトレンド入り。構造的には撹乱要員の可能性もあるが、**“円の外側ではない”**という点は確定だ。
総括
“夢”という善のアイコンを犯行テンプレートに転用する発想の鋭さが、第2話の不気味さを形作っている。
犯人は情報(タイムカプセル/夢の絵)×環境(演出)の両輪を操れる“内側の誰か”。そして、いじめの“謝罪”を安易に回収せず、“忘れない”という被害者の倫理を貫いた脚本の強度が光る。
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