「緊急取調室/キントリ(シーズン5)」は、事件の謎を解くだけの刑事ドラマではない。
このシリーズが一貫して描いてきたのは、「人はなぜ嘘をつくのか」、そして「その嘘をほどく責任は誰にあるのか」という問いだ。
舞台は取調室という密室。銃も暴力も使わず、言葉だけで相手の心と信念を追い詰めていく。シーズン5では、警察学校という“正義の入口”を舞台に、個人の罪では終われない構造的な問題が浮かび上がる。
ここからは、「緊急取調室/キントリ(シーズン5)」が描いた物語の全体像と、その見どころを順に整理していく。
緊急取調室/キントリ(シーズン5)9話(最終回)のあらすじ&ネタバレ

第9話(最終話・拡大スペシャル)は、警察学校の射撃訓練中に起きた“前代未聞の発砲事件”の真相に、キントリが総力戦で迫る回でした。
教官・滝川隆博の信念と、学生たちの沈黙。その歪んだ均衡に、真壁有希子の「直感」が突き刺さっていく最終局面です。
ここから先は第9話の詳しいネタバレを含むため、未視聴の方はご注意ください。
オープニング:発砲事件の“違和感”が積み上がる
舞台は警察学校。射撃訓練中、学生の宮本健太郎が同期生・中里美波に向けて発砲し、現場は一瞬で騒然となります。宮本はその場で確保され、事件は一気に全国的な問題として扱われる事態へ発展します。
キントリ(緊急事案対応取調班)は直ちに宮本を取り調べるものの、肝心の「なぜ撃ったのか」がまったく落ちない。
さらに異様なのが、現場にいた他の学生たちが、まるで示し合わせたかのように「何も見ていない」と口を揃えることです。目撃者が多数いるはずの教場で、情報が完全に遮断されている。この時点で、事件がただ事ではないことは明らかでした。
決定的だったのは、宮本の射撃姿勢。警察学校では教えないはずの、特殊部隊SATが用いる銃の構えを取っていたことが判明します。
ここで真壁は直感します。「狙いは中里じゃない。教官の滝川だ」と。
中盤前半:滝川隆博の取調べへ…梶山が“警察人生”を賭ける
真壁の仮説は大胆でした。
教官が標的だったとすれば、事件の構造は“教場の内側”にある。だからこそ真壁は、教官・滝川隆博への取調べに踏み切ろうとします。
しかし相手は現役の教官であり、元SAT。組織的にも簡単に「聴取される側」に回る立場ではありません。
この壁を突破するため、管理官の梶山勝利が自らの立場を賭けて動きます。
この場面で、最終話らしい大きな揺れが入ります。
梶山は「この聴取が失敗したら辞職する」と宣言し、さらに真壁に「その時は一緒に生きていかないか」と踏み込む。
真壁は即座に甘く応じるのではなく、「負け犬を引き受ける覚悟はしておく」と返す。
事件の重さの中で、二人の関係が“逃げない形”で更新された瞬間でした。「私人の人生」と「公人の責任」が重なり合う構図が、最終話の空気を一段と濃くしていきます。
中盤後半:引きの映像で判明する「真の標的」
取調室で滝川は、教官としての信念を語り続けます。
「学生に恨まれる覚えはない」「国の未来を守るための教育をしている」。
真壁が真正面から切り込んでも、滝川はなかなか崩れません。
一方、外側から状況を崩す動きも進行します。
菱本、生駒、そして渡辺は警察学校側に食い込み、提出を拒まれていた“引きの映像”を出させるため揺さぶりをかける。
「犯罪を誤魔化す空気を、未来の警察官に教えるのか」
この問いは重い。教場は、正義の入口であるはずだからです。
そしてついに映像が開示されます。
そこに映っていたのは、宮本が中里ではなく滝川に銃口を向け、滝川をかばうように割って入った中里が撃たれる瞬間。つまりこの発砲は、中里を狙ったものではなく、教官に向けた銃が別の形で“当たってしまった”結果だったのです。
ここで第9話は、事件を「個人の激情」から「教場の構造問題」へと一気に切り替えます。
犯人は宮本。しかし、原因は宮本だけではない。
真相パート:伊丹の違法拳銃と、教場を支配した「滝川王国」
映像が出たことで、捜査は一気に“線”になります。
小石川は宮本に会い、梶山は被害者の中里に接触し、菱本は学生たちの証言を引き出していく。最終回で、キントリの連携が見事に噛み合っていく展開です。
そこで浮かび上がるのが、警察学校で強い影響力を持つ学生・伊丹学人の存在。
教場の秩序を“内側から”支配していた人物でした。
そして核心となる事実が明らかになります。
伊丹が私物の拳銃を違法に所持していたという線です。中里はその事実を知り、宮本に「止めてほしい」と頼んでしまう。
宮本は伊丹を止めようとし、滝川にも相談する。
しかし滝川は、伊丹を正面から止めなかった。
むしろ伊丹を守る方向に動き、宮本の訴えを握りつぶす。結果、宮本は嘘つき扱いされ、教場の中で孤立していきます。
被害者は中里、実行犯は宮本。
引き金となった火種は伊丹の違法拳銃。
そして、その火を消すべき教官が消さなかった。
この因果関係こそが、最終話の骨格でした。
滝川が口にする「国の未来」は、実際には“日本”ではなく、自分の価値観が支配する小さな王国――いわば「滝川王国」の未来だった、という見立ても浮かび上がります。
秩序のために黙らせる。波風を立てないために真実を隠す。
教場が教育ではなく統治になった瞬間、学生たちは「正義」ではなく「沈黙」を学ばされてしまうのです。
クライマックス:滝川が落ちない…真壁が突いた“信念の弱点”
真壁は滝川を追い詰めていきますが、滝川はしぶとく抵抗します。
「拳銃は見ていない」「だから犯罪ではない」「宮本は逆恨みだ」という筋に持ち込もうとする。
ここで真壁が選んだのは、怒鳴り合いではなく、滝川の“信念の内側”を割る方法でした。
滝川の根底にあるのは、「失敗は許されない」「しくじった者は這い上がれない」「だから失敗を表に出すな」という思想です。伊丹の件を揉み消したのも、拳銃絡みの不祥事を恐れたからでした。
真壁はそれを否定します。
失敗しない人間を作るのではなく、失敗からどう立ち直るかを教えるのが教官の役目だと。
それは取調官としての信念であり、同時に人生論としての信念でもありました。
決定打となるのが、滝川の過去。
交番勤務をしている元部下・大山の存在が浮上し、過去の発砲事件が「滝川の命令による威嚇射撃」だったこと、そして今も大山が腐らず現場で働いていることが明かされます。
さらに、大山が今も滝川に感謝していると知らされ、滝川の表情が変わる。
“失敗した人間”が、今も誰かの役に立っている。その現実が、滝川の思想を内側から折ったのです。
滝川は最終的に、自分の言葉で学生たちにメッセージを送る形へ追い込まれます。
伊丹は銃刀法違反で送致され、宮本も殺人未遂の罪に問われる流れが示される。中里は宮本を訴えない意向を語り、痛みの中にも“終わらせ方”が用意されました。
ラストシーン:最後の事件の決着、そしてキントリの解散
事件の真相が整理され、教場の沈黙が崩れ、関係者の処分の道筋が見えたところで、キントリの“非常召集”も役目を終えます。
それぞれが元の場所へ戻っていく流れの中で、最終話らしく「チームとしてのキントリ」に一区切りがつく。取調室で続けてきた12年分の戦いの終点です。
そして、梶山と真壁の関係も“事件の外側”で動いたまま残される。
取調室で勝っても、人生は続く。
だからこそ、最後の余韻は重い。キントリは解散しても、真壁有希子の信念は解散しない――そんな終わり方でした。
緊急取調室/キントリ(シーズン5)9話(最終回)の感想&考察

最終回の印象を一言で言うなら、派手なカタルシスよりも「痛いほど現実的な決着」でした。
発砲事件の真相は明らかになった。でも、誰か一人を悪者にして終われる事件ではない。
しかも舞台が“教場”だからこそ、観ている側の胸にも深く刺さる。ここからは、この最終回を見終えた率直な感想と考察を掘り下げていきます。
この回のテーマは「失敗を隠す組織」と「失敗から立ち直る人間」
滝川の思想は、極端ではあるけれど、完全に理解不能なものではありません。
警察学校で拳銃の扱いを教える立場として、「失敗は許されない」と言い切る姿勢は、ある意味で“正論”にも見えます。
ただ第9話が巧みなのは、その正論が一歩ズレた瞬間に、真実を隠す理由へと変質していく過程を丁寧に描いた点です。伊丹の違法拳銃を表に出さない。宮本の告発を握りつぶす。学生たちに「見ていない」と言わせる。結果として教場で教えられていたのは、拳銃の恐ろしさではなく、組織として沈黙を作る方法でした。
真壁が突いたのは、「失敗しない人間」など存在しないという現実です。
大山の話が強く刺さったのもそこでした。一度つまずいた人間が、それでも現場に立ち、誰かの役に立っている。その姿こそが、本当の意味での“教育”になる。第9話は、その事実をまっすぐに突きつけてきました。
真壁有希子の強さは「相手の信念を理解した上で、壊す」こと
最終回の真壁は、いつも以上に“静かに強い”取り調べでした。
滝川を論破するために声を荒げるのではなく、滝川が何を恐れ、何を守ろうとしているのかを理解した上で、その土台を崩していく。
滝川は「国の未来」を語る。しかし、それが実際には“自分の王国”の未来になっていることを見抜かれる。
真壁の取り調べは、相手を最初から悪人と決めつけるものではありません。その人物が自分の中で作り上げてきた“物語”を、一枚ずつ剥がしていく作業です。
そのうえで、最後に引き出されたのが、教官として学生に向けた言葉でした。
逮捕して終わりではなく、次に同じことが起きないように場を戻す。この姿は、取調官というより“場の修復者”に近い役割だったように思います。
宮本・中里・伊丹:誰もが「正しい側」にいたのに壊れた
宮本は実行犯です。そこは揺るぎません。
ただ、第9話を通して見ると、「宮本だけの闇」には到底見えない。孤立が作られていく過程が、あまりにも現実的でした。
中里も、ただ止めたかっただけだった。
伊丹の危うさに気づき、宮本に頼んでしまった。その選択が巡り巡って自分に返ってくる。撃たれた側が「訴えない」と語る展開も、あまりに切ない。
伊丹もまた、単純な悪役として描かれていないのが怖いところです。
統率力があり、正義感もある。ただ拳銃との距離感を一度誤った瞬間、存在そのものが危険物になる。教場にいたのは未来の警察官であっても、扱っているのは“武器”なのだというテーマが、ここで一本に繋がります。
梶山のプロポーズは、恋愛ではなく「敗者の人生を引き受ける覚悟」
最終回の衝撃は、事件だけではありませんでした。
梶山の告白です。「聴取に失敗したら辞職する」という覚悟だけでも十分重いのに、「一緒に生きていかないか」とまで踏み込む。
これは単なる恋愛イベントではないと思います。
梶山はこれまで“組織の管理側”にいた人間で、真壁とは立場も考え方も違ってきた。でも最終回では、自分が負ける可能性ごと引き受けて、真壁の人生の隣に立つと選んだ。
真壁の返事が「覚悟しとく」なのも、いかにもキントリらしい。
甘さではなく、現実で返す。視聴者の中で賛否が分かれる場面だとは思いますが、最終回で描くなら、この温度感が正解だったと感じます。簡単に幸せにはならない余韻が、むしろ大人のドラマとして残りました。
伏線回収ポイント:最終回は「構え」と「映像」がすべてだった
回収として特に気持ちよかったのは、この二点です。
- SATの構え
宮本が、警察学校の教育範囲を超えた射撃姿勢を取っていたこと - 引きの映像
警察学校が出し渋っていた全体映像によって、真の標的が明らかになったこと
この二つが揃った瞬間、物語は「犯人は宮本」から「事件の根は教場にある」へとギアチェンジしました。最終回に必要な切り替えとして、非常に美しい流れでした。
さらに、大山という過去の“拳銃の失敗”が、滝川を崩す鍵になる。
拳銃という一本の線が、過去と現在を繋ぎ、思想の矛盾を突いていく。シリーズ最終局面にふさわしい伏線の畳み方だったと思います。
ドラマは完結、でも次の戦いが見えている
連続ドラマとしてのシーズン5は、教場の事件で一区切りを迎えました。
しかし物語は、そこで完全に終わるわけではありません。次に待っているのは、さらに大きな“組織”と“社会”の話です。
密室で言葉だけを武器に人を追い詰めてきたドラマが、最後には教場、そして政治という場所へ視線を広げていく。この流れ自体が、非常にキントリらしい。
改めて思うのは、キントリが描いてきたのは犯人探しではなく、「人がなぜ嘘をつくのか」、そして「その嘘をほどく責任」でした。
滝川も嘘をついた。宮本も嘘をついた。学生たちも嘘をついた。
でもその嘘は、全員が“守りたいもの”を持っていた証でもあります。
ここまで描いてきたからこそ、次に真壁が何を“ほどく”のか。そこまで見届けたい、そう思わせる最終回でした。

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