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グランメゾン東京5話ネタバレ&感想考察。信用が崩れ、料理だけが残った日。フードフェスで始まる逆転劇

グランメゾン東京5話ネタバレ&感想考察。信用が崩れ、料理だけが残った日。フードフェスで始まる逆転劇

第5話で描かれるのは、料理そのものではなく「信用が壊れる瞬間」です。

どれだけ腕があっても、志があっても、噂ひとつで店は簡単に沈む。

グランメゾン東京5話は、炎上と無風の客席から始まり、フードフェスという“現場”で料理の力を取り戻していく回

前半で積み上げてきた人間関係と過去が一度すべて崩れ、物語が次のステージへ進む転換点を追っていきます。

目次

グランメゾン東京5話のあらすじ&ネタバレ

グランメゾン東京5話のあらすじ&ネタバレ

第5話は、料理の勝負以前に「信用」という土俵が崩れる回です

腕があっても、志があっても、予約がゼロになれば店は死ぬ。逆に言えば、いったん“食べてもらえさえすれば”状況はひっくり返る。

その残酷さと希望が、フードフェスという舞台で一気に噴き出します。ここからはネタバレ込みで、起きた出来事を時系列で追いながら、人物たちの選択の意味も噛み砕いていきます。

リンダの記事が「過去」を現在に引きずり出す

発端は、リンダが書いた「3年前のナッツ混入事件」に関する記事

尾花と倫子は記者に直撃され、店の名前は一気に拡散、炎上へと向かいます

ここで厄介なのは、記事の真偽よりも「人が信じたい物語」が先に走ること。誰かを断罪できる話題は、拡散の燃料として強すぎる。

店の“味”を知らない人たちが、店の“評判”だけで判断してしまう構図が、最初から完成してしまいます。

グランドオープン当日、予約が消えるという地獄

迎えた「グランメゾン東京」オープン当日。
前日まで埋まっていた予約は、すべてキャンセル
店は静まり返り、開けた瞬間に閉店の危機という、最悪の滑り出しになります。

皮肉なのは、ようやく来店したのが外国人客2組、計4人だけだったこと

店側は全力で迎えるけれど、客数としては未来を支えるには足りない。この「2組」という数字が、信用を失った店のリアルを突きつけてきます。

祥平に降りかかる“支援の代償”——婚約者の父にバレる

同時に、祥平にも火の粉が飛びます。

彼が裏で店を支援していたことが、婚約者・美優の父である西堂に知られ、厳しく咎められる

祥平は尾花のもとを訪ねる形で、さらに深く“渦中”へ入っていく。ここで彼は、ただの「いい人」では終わらない。

正しいことをしたくて動いた結果が、家柄や立場、保身と正面衝突する。料理人としての純度が、現実の圧力で削られていく感覚が、この回の後半へと繋がっていきます。

尾花の提案は“逃げ”じゃない——余った食材でフードフェスへ

店に客が来ない。なら、こちらから外へ出る。

尾花が出した答えは、余った食材でフードフェスに出店することでした。

表面だけ見れば「高級フレンチがフェスでカレー?」と思われかねない。でも尾花のロジックは逆で、店の格を守るために、まず店を生かす。食材を無駄にしないことも、料理人としての矜持です。

フェスは売上のためだけでなく、「祥平と一緒に料理する楽しさ」を思い出させる場でもあり、チームを回復させる装置として機能していきます。

フェス名は「スリースターズ」——夢を旗にして現実を戦う

フェスで掲げた名前は「スリースターズ」。三つ星を目指すチームが、三つ星を名乗ってカレーを売る

普通なら背伸びに見える行為が、ここでは“宣言”になる。

夢を口にした瞬間、現実が追いつくわけじゃない。でも夢を隠した瞬間、現実に飲まれる。だからあえて掲げる。その覚悟が、この名前に詰まっています。

そして、この空気を視覚的に成立させるのが萌絵のセンス。

フェス会場を一瞬で「スリースターズ」に変えるデザイン力は、後の“店の顔”として効いてきます

ジビエカレー誕生——鹿肉とヤギミルク、そして“まかない”の記憶

出店メニューはジビエカレー

ただのカレーではなく、フレンチの思考で組み直された一皿です。

鹿肉とヤギミルクという素材の組み合わせも、相性から逆算して設計されている。倫子がそれを即座に理解できる舌を持っているのも、このチームの強み。

さらに象徴的なのが、尾花と祥平が一緒に買い出しに行く場面。

世間では炎上しているのに、厨房ではクミンやカルダモンといった具体が積み上がっていく。
雑音を、スパイスの香りで押し返すような感覚があります。

SNSが“火”にも“風”にもなる——行列店へ

フェス初日は好評。

そしてSNSで評判が広がり、翌日には長蛇の列ができる

ここが第5話の一番痺れるところ。炎上もSNS、逆転の拡散もSNS。

同じ道具が、同じ速度で、真逆の結果を生む。だから怖いし、だから面白い。尾花たちはカレーだけでなく、ハンバーガーなども含めてフェスを回り続け、現場を“売り場”に変えていきます。

店に人が来ないなら、街の熱量がある場所に自分たちが行く。その判断は、ビジネスとしても極めて合理的です。

それでも店は回らない——倫子の疲労、若手の離脱

ただし、フェスが盛り上がっても、実店舗のディナーは相変わらず厳しい。

フェスと店の二正面作戦で倫子に疲労が溜まり、若手バイトが辞めたいと言い出す場面も出てきます。

理想のチームは、精神論だけでは維持できない。現実の体力が先に尽きる。ここも、このドラマが甘くない理由です。

江藤の横槍——フェスを潰しに来る“外圧”のプロ

そして、やはり現れる江藤。
彼の恐ろしさは、料理で勝つ気がないこと。
勝負の土俵そのものを壊しに来る。

フェス運営にクレームを入れ、「尾花が関わっている」ことを告げ、販売中止に追い込む。
会場では揉み合いになり、その中で倫子が倒れてしまう。

実際は立ちくらみでも、その映像が拡散されれば“事件”になる。編集された切り取りが、現実より先に真実の顔になる。SNSの残酷さが、ここでも容赦なく描かれます。

京野の決断「俺がやった」——身を切って店を守る覚悟

フェスも止められ、店も苦しい。空気が折れかけた夜、京野が言い出します。

「3年前の事件は自分がやった」。

自分が罪をかぶって店を去れば、尾花の過去から店を切り離せる。

京野はギャルソンでありながら、店を経営として見ている。だからこそ、勝ち筋が「料理」ではなく「信用回復」にあると理解し、最短の一手として自分を犠牲にしようとする

合理的で、痛々しくて、だからこそチームの温度を一気に下げてしまう。そこに、次の言葉が刺さります。

倫子が吠える——「食べたくない人は食べなきゃいい」

倒れた倫子が目を覚まし、怒りを叩きつける。

3年前の原因がどうとか、誰が犯人とか、好きに言え。私たちは今、美味しい料理を作っている。
食べたくない人は、食べなきゃいい。

ここは第5話の核心です。

信用を取り戻すために頭を下げるのではなく、料理人としての正しさを主張する。

ただの開き直りではなく、「味の勝負に戻す」という宣言
オーナーシェフとしての倫子が、ここで初めて本気で立ち上がります。

尾花は“料理”で止血する——アッシパルマンティエの再現

空気が張り詰める中、尾花が遮るように言います。
「まかない食ってけ」。

作ったのは、祥平がかつてエスコフィユで作ったアッシパルマンティエ。
3年前、三つ星を逃した尾花を救った料理です。

尾花は慰めの言葉を選ばない。

怒鳴り合い、罪をかぶろうとし、折れかけた空気を、一皿で整列させる。言葉は嘘を混ぜられるけど、料理は嘘をつきにくい。尾花のコミュニケーションは、いつもここに帰ってきます。

真犯人は祥平——「俺のミスです」という告白

まかないを前に、祥平は涙をこぼしながら告白します

ナッツ混入事件の真犯人は自分

故意ではなく、ナッツオイルの取り違えによるミスだった、と

しかも尾花は、そのことを分かっていたように振る舞う。だから祥平は、もう逃げられない。
殴らない。詰めない。料理の中に答えを仕込む。残酷で、優しいやり方です。

逆転の兆し——“食べた人”が店へ来る

フェスで料理を食べた人たちが、翌日に店へ押し寄せる。味を体験した人は、噂より自分の舌を信じる

ここでようやく、「料理が信用を作る」という本来の順番が戻ります。

危機の底で、次の舞台装置が静かに置かれる。この呼吸が、このドラマの強さです。

ラストの衝撃——祥平、黒いコックコートへ

そして第5話のラスト。

市場でgakuと遭遇し、丹後が不敵に笑う。その背後に現れるのが、黒いコックコートを着た祥平

視覚だけで「陣営が変わった」と分からせる、強烈な演出。
真実が明らかになり、チームが受け止めた直後に“離脱”。このねじれが、後半戦の面白さを決定づけました

痛いけど、燃える。
第5話は、そういう構図がきれいに揃った回でした。

グランメゾン東京5話の伏線

グランメゾン東京5話の伏線

第5話は、一見すると単発の危機回に見えますが、実際には「後半戦のルール説明」を一気に済ませている回でもあります。

料理ドラマの顔をしながら、勝敗を左右するのは“味”だけじゃない。情報、信用、仲間の配置、そして罪の精算。そのすべてが、伏線として丁寧に仕込まれています

「炎上→拡散→逆転」——SNSがもう一人の登場人物になる

この回で最も大きい伏線が、SNSの描かれ方です。

炎上によって客が消える一方で、フェスのジビエカレーはSNSで拡散され、行列が生まれる

つまり今後も、グランメゾン東京は“ネット世論”に振り回され続けるという予告

料理の評価は本来、口の中で完結するものなのに、現代ではタイムラインで先に決まってしまう。この歪んだ戦い方を、視聴者に強く刷り込むのが第5話でした。

「スリースターズ」という名前——夢は“看板”であり“呪い”でもある

フェス名の「スリースターズ」は、単なる洒落ではありません。
夢を掲げることで人が集まる。でも同時に、掲げた瞬間から批判も集まる

三つ星を名乗るなら、三つ星の振る舞いを求められる。

この先、ランキングや批評家、審査員といった“評価の世界”に本格的に足を踏み入れるための、最初の名札がここで付けられました。

江藤の戦い方が確定——「外側から潰す」人脈の暴力

江藤は、厨房に入ってきません。食材も、火入れも、味も関係ない。

彼が使うのは、クレーム、ルール、運営への圧力。

フェスを止めた行為は象徴で、今後もこのやり方を繰り返すだろう、ということを視聴者に学習させる回でした。

料理で勝てない相手に、どう勝つのか。グランメゾン東京が戦う“敵の種類”が、この回ではっきり定義されます。

京野の自己犠牲——「店を守る=自分が消える」という発想

京野が「俺がやった」と罪をかぶろうとした行動は、伏線としてかなり強いものです

彼はずっと、尾花の才能を“守る側”に回ってきた人間。守るためなら、自分のキャリアも評判も切り捨てる。

この自己犠牲は一見すると美談ですが、同時に非常に危険でもあります。

なぜなら、店が“誰かの犠牲”で成り立ち始めると、いずれ別の誰かも犠牲にし始めるから。
第5話は、その爆弾を静かに提示しています

祥平の告白は「罪の終わり」ではなく「物語のギアチェンジ」

真犯人が祥平だと明かされる。
普通のドラマなら、ここで一件落着にしてもいい。

でも第5話は逆です。
真相が明らかになった“その瞬間”に、祥平はgaku側へ行く。

これは過去の清算ではなく、後半戦の対立軸を作るための告白。祥平は尾花に救われた。だからこそ、尾花の下ではなく、丹後の下で力を試す。

師弟でも仲間でもなく、ライバルとして“並び立つ”ルートが開いた。ここでドラマのジャンルが、もう一段階ギアチェンジします。

トップレストラン50の気配——評価の世界へ入る合図

作中でトップレストラン50の存在がちらつき始め、次回以降、明確に“表彰式”というイベントへ接続していきます。

第5話では、フェスで「食べてもらう」ことで危機を突破した。
その直後に待っているのが、“権威の評価”。

この並びが残酷で、そしてうまい。客に愛されることと、権威に評価されることは別物だ。

第5話は、その現実を予告するための伏線回でもありました。

グランメゾン東京5話の感想&考察

グランメゾン東京5話の感想&考察

第5話を見終わったあとに残るのは、「料理は人を救う」という綺麗事と、「でも店は噂で死ぬ」という現実の両方です。

僕はこの回を“前半の最終回”だと思っています。なぜなら、ここまで積み上げてきた問題――信用、過去、チーム――が一度すべて崩れ、そこから別の形で組み上がり直すからです

第5話が“前半の最終回”に見える理由

犯人が明かされる。
店が潰れかける。
フェスで逆転する。
そして仲間が敵側へ行く。

展開だけ見れば、すでにクライマックス級です

でも本質は事件解決ではありません。「物語のエンジンが変わった」ことにあります。

前半は“仲間集め”と“店の立ち上げ”。後半は“評価の世界”と“ライバルとの競争”。
第5話は、その境目に置かれたゲートでした。

フレンチがカレーを売る意味——理想と生活の折り合い

僕が好きなのは、尾花がフェス出店を「落ちた」と思っていないところです。むしろ、余った食材に「ごめんな」と謝る描写に象徴されるように、料理人としての倫理は一切ブレていない。

高級フレンチがカレーを売るのは、夢の放棄ではありません。“夢を実現するには、現実の足場がいる”という話です。

厨房に立つ人間ほど、材料費も人件費も、残酷に計算できる。

だからこそ尾花は「店に客が来ないなら外へ出る」と言い切れる。これはロマンではなく、サバイバルの判断です。

祥平の「ミス」は、本人だけの罪なのか?

祥平の告白は苦い。

故意ではない。ナッツオイルとピーナツオイルの取り違えによるミス。
それでも、結果は取り返しがつかない。

ここで考えたいのは、そのミスを“個人の過失”で終わらせていいのか、という点です。

一流の厨房ほど、スピードと正確性が要求される。情報共有、ラベリング、確認の仕組みが薄くなった瞬間に、事故は起きる。

祥平は自分を責め続けた。でも彼の背後には、「そういう事故が起き得る現場」を作ってしまった文化もあったはず。

だからこの告白は、贖罪の終わりではなく、「次にどんな厨房を作るのか」という問いを突きつけてきます。

尾花の救い方が、いちばん尾花らしい

尾花が祥平を救うのは、ハグでも励ましでもありません。
選ぶのは「まかない」です。

アッシパルマンティエは、祥平の過去(エスコフィユ)と現在(グランメゾン東京)をつなぐ料理。
言葉で許すと、どうしても嘘っぽくなる。
料理で許すと、逃げ場がなくなる。

“美味しい”は赦しであり、同時に事実確認でもある。尾花のコミュニケーションは、いつもこの残酷な優しさを持っています。

倫子の一喝で、店の主語が変わった

倫子の言葉が刺さるのは、彼女が「被害者」ではなく「オーナー」になったからです。

「過去はどうでもいい」と言い切るのは、過去を軽視しているわけではない。今、この厨房を守る責任が自分にあると認めた発言だと思います。

尾花がスーシェフで、倫子がシェフ。

この役割分担が、ようやく精神面でも固定された瞬間でした。

SNSの反応が示す「視聴者の痛点」

真犯人が祥平だった展開に、多くの視聴者が衝撃を受けたのは当然だと思います。

祥平はこれまで、“真面目で正確”の象徴として描かれてきた人物だから。

でも現実でも、事故はたいてい「真面目で頑張っている人」の手から起きる。悪意より、過負荷と油断のほうが多い。だからこの展開は、胸が痛い

それでも祥平が選んだのは、gakuだった——僕なりの解釈

ラストのgaku加入は、正直しんどい。

でも、理屈としては成立していると思っています

祥平にとって尾花は、憧れで、恩人で、でも同時に「自分の罪を知っていた人」でもある。その人の下にいることは、救われる一方で、“守られる”ことでもある

祥平が欲しいのは、贖罪の許可ではなく、料理人としての再起。だから彼は、あえて一番厳しい場所――ライバル店――を選んだ。

ここで物語は、努力・友情・勝利の路線から、競争と選別の世界へ入っていく。
第5話は、その宣戦布告だったと思います。

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