第1話「手長エビのエチュベ」は、いきなり成功を描く物語ではありません。
パリで転落した天才シェフと、才能はあるのに届かない場所に立たされてきた料理人が、最悪の形で出会うところから始まります。
料理の技術や星の数よりも、この回が描いているのは「仕事を信じ直すまでの距離」です。
東京で店をやるという無謀な宣言に至るまでに、二人が何を失い、何を差し出したのか。
ここでは第1話の物語を追いながら、その再起の始まりを丁寧に見ていきます。
グランメゾン東京1話のあらすじ&ネタバレ

第1話(初回25分拡大)のタイトルは「手長エビのエチュベ」。
物語は“東京の三つ星”というゴールをいきなり掲げるのではなく、パリで底まで落ちた男と、舌は一流なのに手が追いつかない女の「最悪の出会い」から始まります。
第1話はいわば“再起の厨房”の土台づくりの回。ここで提示された傷、才能、そして敵意が、以降の物語を動かすエンジンになります。
舞台はパリ、三つ星「ランブロワジー」——倫子の人生を賭けた面接
舞台はパリ。フランス屈指の三つ星レストラン「ランブロワジー」で、早見倫子(鈴木京香)が面接を受けています。
倫子は“観光”ではなく、料理人としての人生を賭けてここに立っている。年齢の壁も、場の空気も理解したうえで、それでも最前線に挑む。この姿勢がまず強い。
実技テストの前菜を作ろうとする倫子の前に、突然ひとりの男が割り込みます。メニューのアイデアを一方的にまくし立て、挙げ句の果てに「俺が作る」とまで言い出す。
面接の場でそれをやれば普通は即アウト。その無茶をやるのが、尾花夏樹(木村拓哉)です。
借金取りに追われる男——尾花夏樹という“天才の残骸”
尾花は「昔この店にいたから好みが分かる」と言い、倫子に“勝ち筋”を与えようとします。ところが話の途中で、尾花は借金取りに追われ、そのまま逃走。
第1話は、尾花を“格好いい天才”としては描きません。まず見せるのは、社会的に詰んでいる男の姿。だから信用できない。でも、なぜか目が離せない。
倫子にとっても最悪です。人生を賭けた面接の場に、得体の知れない男が乱入し、しかも逃げる。
それなのに、その男が示した“料理の方向性”だけが、妙に具体的で頭から離れない。
倫子が落ちる——“フォアグラのポアレ”という選択の痛さ
尾花は倫子に、勝てる前菜の方向性を示します。ところが倫子は、その助言を採用しません。自分の得意料理であるフォアグラで勝負してしまう。結果は不合格。
ここは料理ドラマとして残酷なほどリアルです。人は「足りない部分」を伸ばすより、「得意な武器」を握りしめたくなる。追い詰められているほど、その傾向は強くなる。
ただし、完全否定ではありません。尾花が残したオイルの要素は評価される。
つまり倫子の敗北は「才能ゼロ」ではなく、「勝ち方を知らない敗北」なのだと示されます。
「手長エビのエチュベ」を食べる——倫子が泣いた理由
面接に落ちた倫子は、再び尾花と出会い、尾花が作った料理を口にします。
あまりの美味しさと、自分との実力差に、倫子は涙をこぼす。第1話の核は、この瞬間にあります。
倫子は“舌”がすごい。食べただけで素材や調理法に迫り、料理の組み立てまで言い当てる。なのに、自分の手では同じ地点に到達できない。この差は、才能の有無ではなく「才能の種類」の違いです。
尾花にとっても衝撃でした。料理は本来、言葉では伝わらない。でも倫子は味から“文章”を読み取ってしまう。尾花が求めていたのは、こういう相棒だったのだと腑に落ちます。
尾花の過去——二つ星「エスコフィユ」と“ナッツ混入事件”
尾花はかつてパリで自分の店「エスコフィユ」を構え、ミシュラン二つ星まで上り詰めた男でした。
しかし3年前の会食で、アレルギーを引き起こす重大事故が発生し、尾花は表舞台から姿を消します。
傷は事故だけではありません。調査の過程で「テロ」まで疑われ、従業員の背景にまで踏み込まれ、尾花は官僚に暴力を振るってしまう。
その結果、“料理人としての失態”は“社会的スキャンダル”に変わり、店も仲間も失った。
ただし第1話の時点で、「ただの事故ではないかもしれない」という匂いも漂います。尾花は当時、ナッツをしまわせていた。それなのに混入が起きた。誰かが意図的に入れた可能性が浮かび上がり、ここが物語のサスペンスの火種になります。
「店をやらない?」——倫子を“オーナーシェフ”に据える提案
料理に泣かされ、才能の限界を直視した倫子に、尾花は唐突に言います。
「一緒に店をつくらないか」。しかも場所は東京。尾花は「星を取らせてやる」と言い切る。
この提案はロマンチックにも見えますが、第1話はきちんと“取引”の匂いを残します。
尾花には金がない。社会的信用もない。だからこそ倫子に「金はあるか」と聞く。夢と打算が、同じテーブルに並ぶ。ここに大人のドラマとしての厚みがあります。
東京へ——まずは一番のフレンチ「gaku」で“現実”を見せる
二人は日本へ帰国。尾花が最初に倫子を連れて行くのが、東京で一番とされるフレンチ「gaku」です。
ここで物語は、「三つ星を目指すなら越えなければならない現実」を一気に突きつけてきます。
シェフは丹後学(尾上菊之助)。尾花と同じ店で修業した過去を持ち、現在は明確なライバル。
さらに、かつての相棒で共同経営者だった京野陸太郎(沢村一樹)がホール側にいる。尾花の“過去のチーム”が、東京で一気に揃います。
ミシュラン調査員の目——尾花の“評価軸”が露わになる
尾花は店内の空気から、ミシュラン調査員らしき客を見抜き、同じメニューを注文します。
尾花の目は“料理人の目”であり、同時に“勝負師の目”でもある。
食後の評価は冷酷です。味は認めるが、盛り付けが粗い。
つまり尾花は、「美味い」だけでは勝てない世界を知っている。ミシュランが、味覚だけでなく、構成や所作、サービス、一貫性まで含めて評価する制度であることが、ここで示されます。
京野の拒絶——尾花が失ったのは星じゃない、“信頼”だ
尾花は京野を誘います。しかし京野は即座に拒絶し、「二度と来るな」と言い切る。
京野が怒っているのは、単なる裏切りではありません。尾花の失墜後、京野は借金を背負い、その借金を丹後が肩代わりしている。だから丹後を裏切れない。
さらに、尾花が「全部自分の責任だ」と言って姿を消した態度は、京野には“責任を取った”ではなく“仲間を置き去りにした”ように映っている。
この時点で京野は、善良な被害者ではなく、信念を持つ現役のプロとして描かれています。
だからこそ、京野が首を縦に振るまでのハードルは高い。
賄い「クスクス・ア・ラ・メゾン」——倫子の一言が尾花を変える
尾花は倫子に頼み、京野を連れてこさせます。
そこで作るのが、修業時代の賄い「クスクス・ア・ラ・メゾン」。
賄いはチームの記憶であり、同じ汗をかいた者だけが共有できる味です。京野の表情が一瞬緩むのも自然な反応でしょう。
ここで倫子が言います。「ゆずを入れた方がいい」「日本で食べるならご飯でもいい」。
尾花はその場では却下するものの、後でちゃんと作り直す。ゆずを入れ、米も炊く。天才が他人の意見を採用する瞬間が、第1話の中ですでに描かれているのが重要です。
丹後の揺さぶり——倫子を“採る”のではなく“潰す”ために動く
一方、丹後は倫子をgakuに誘います。ただし倫子はすぐに察する。これは「実力を買った」スカウトではなく、尾花を潰すための手段だと。
プライドを折るような誘い方に、倫子は怒りと情けなさを尾花にぶつけます。
「尾花みたいな人が、私を本気のパートナーにするわけがない」
このセリフは料理の話でありながら、大人が夢を見るときに直面する自己否定そのものでもあります。
尾花の告白——「おいしい」と言ってくれたことが救いだった
尾花は、倫子を選んだ理由を語ります。倫子が「おいしい!」と言ったことが、どれだけ救いだったか。
さらに、自分の料理をあそこまで見抜いた人間は初めてだとも言う。
尾花は倫子を「都合のいい財布」にはしない。舌の才能を認め、料理の喜びを再点火してくれた存在として向き合っている。ただし、ここで尾花はきちんと謝らない。その不器用さもまたリアルです。
倫子の反撃——一千万円と“行動”で示す覚悟
尾花が去った後、倫子は賄いを食べます。ゆずも入っている。米もある。自分の言葉が料理に反映されている。ここで倫子の中で何かが切り替わる。
倫子はgakuへ行き、一千万円を差し出し、京野を引き抜きたいと宣言します。
論理ではなく、心で説得する。尾花は最低かもしれないが、不器用なだけではない。あんな料理を作れる人間が、根っこから腐っているはずがない。
ここで倫子は、料理人である前に“経営者”として腹を括ります。夢を語る段階を終え、金と責任を払う段階に入る。
京野はついに折れます。ただし「尾花のため」ではなく、「倫子のため」に働くと。
第1話は、尾花が仲間を集めた回に見えて、実は倫子が最初の仲間を獲得した回でもあります。
「グランメゾン東京」始動——三人のスタート、そしてリンダの影
尾花は店に適した物件もすでに見つけています。駅から遠いが、来たら必ずリピートさせる、と言い切る。
日常から離れた場所で味わう料理こそがふさわしい——この考え方が、店の思想になります。
店名は「グランメゾン東京」。料理長は倫子、尾花はスーシェフ。
“天才がトップに立つ”のではなく、“天才が二番手に回る”形で始まるのが、このドラマの面白さです。
そして最後に匂わされるのが、リンダ・真知子・リシャール(冨永愛)の存在。
3年前の混入事件が誰かの仕業だった可能性、そして尾花の再起を潰しに来る影。第1話は「再起」と同時に「追撃」を宣言して幕を閉じます。
グランメゾン東京1話の伏線

第1話は立ち上げ回なので、伏線の張り方がかなり誠実です。派手なトリックというより、「この先ずっと効いてくる価値観」を台詞と出来事で仕込んでいる。
ここでは、1話時点で強く“伏線だ”と感じられるポイントを、論理的に整理します。
① ナッツ混入事件は“事故”ではなく“事件”として提示されている
第1話の時点で、視聴者が最初に抱く疑問はシンプルです。
「三つ星に最も近かった男が、なぜここまで落ちたのか?」
その答えとして提示されるのが“ナッツ混入事件”。そして重要なのは、物語がこれを「不運な事故」で片付ける気がない点です。
尾花は当時ナッツをしまわせている。つまり、少なくとも尾花自身は混入を避けようとしていた。
さらに「誰かが故意に混入させたのではないか」という可能性が、かなり早い段階で匂わされます。
ここで伏線として強いのは、犯人当てそのものよりも、「尾花が誰かをかばう構造」です。
尾花は「全部自分の責任」と言って表舞台から消える。でもその“責任”は、真相とは別に、誰かを守るために引き受けた責任だった可能性がある。第1話の時点で、尾花の行動原理に「不器用な善意」がすでに組み込まれています。
② リンダの存在は「敵」ではなく「真相に近い目」
ラストで、リンダ・真知子・リシャールが動いている気配が示されます。
彼女は事件を“仕業”だと見て調査しているように描かれ、尾花が店を作るなら再び潰しに来る存在として示唆されます。
ただし、ここで単純な悪役にしていないのが巧いところです。
リンダは“暴く側”の人間。敵であると同時に、真相に最も近い目を持つ存在でもある。
このドラマは、三つ星を目指すサクセスストーリーの顔をしながら、裏で「事件の真相」というサスペンスを走らせている。そのハンドルを握るのがリンダです。第1話で彼女を配置することで、物語が“熱血スポ根”だけに傾かない構造が作られています。
③ gakuが“二つ星”に上がるタイミングが残酷なほど正確
第1話でgakuは一つ星の店として描かれ、さらに“その日”ミシュランの調査員が入り、結果として二つ星に届いた流れが語られます。
これは単に「ライバルが強い」という話ではありません。
グランメゾン東京はゼロからのスタート。一方でライバルは、同じ時間軸の中で着実に階段を上っていく。
つまりこの作品は、主人公側の努力だけでなく、「世間の評価が動く速度」そのものを敵として描いています。夢を追う側にとって一番きついのは、ライバルの才能ではなく、ライバルが“加速していく現実”です。
④ 江藤の「ワインの質を落とせ」は、料理ドラマの地雷原
gakuのオーナーである江藤が、利益のためにワインの品質を落とすよう京野に命じる場面が描かれます。
これは一見すると小物的な悪役ムーブですが、実はかなり大きな伏線です。
料理の価値は、皿の上だけで完結しません。ペアリング、サービス、体験が一体になって“店の思想”になる。
ワインを落とすという判断は、体験を削ることでもあり、料理人のプライドを削る行為でもある。
このドラマは、「良い料理を作れば勝てる」ではなく、「良い店を守れるかどうか」が勝負だと、第1話の時点で地雷を埋めています。
⑤ ゆずとご飯——“東京でやる意味”を示す小さな伏線
賄いのクスクスに対して、倫子が「ゆず」と「ご飯」を提案し、尾花がそれを採用して作り直す。
これは単なる味のアレンジではありません。
グランメゾン東京が目指しているのは「パリのコピー」ではない。東京でやる以上、“東京の文脈”を皿に入れる必要がある。その第一歩が、ゆずとご飯です。
第1話でこれを成功体験として描いたことで、今後の店作りの方向性——素材、香り、国産食材、ローカルの編集——が自然と見えてきます。
⑥ 尾花が“スーシェフ”に回る宣言は、物語の骨格そのもの
第1話のラストで、料理長は倫子、尾花はスーシェフという配置が決まります。
ここが最大の伏線かもしれません。
表向きは「倫子に星を取らせる」という宣言通りの配置。でも裏側には、尾花が表に立てない理由——信用、事件、恨み、報道、敵——がある。
だからこそ、“倫子を盾にする”危うさも同時に生まれます。
この不均衡は、成功すれば美談になり、失敗すれば地獄になる。第1話は、その爆弾をきれいな形でテーブルの真ん中に置いて終わっているのです。
グランメゾン東京1話の感想&考察

第1話を見終わった直後、僕の中に残ったのは「料理が美味そう」という感想以上に、“おいしい”の一言が持つ暴力的な強さでした。
料理ドラマは、調理工程やうんちくに寄りすぎると一気に冷めやすい。でもこの作品は、うんちくをそのまま出さず、“人間の感情”に変換してくるのが上手い。
第1話だけで、再起もの、群像劇、サスペンスのレールがすでに敷かれているのに、詰め込み感がない。これは脚本設計の勝利だと思います。
「おいしい」は最強の台詞——食レポじゃなく“救済”としての言葉
倫子が尾花の料理を食べて泣く。冷静に考えれば、かなり大げさな演出です。でも、成立してしまう。
なぜなら、あの涙は“味に感動した”だけの涙ではないから。
倫子の涙は、自分の限界を突きつけられた悔しさであり、同時に、それでも諦めたくないという執念でもある。
自分には届かない場所が確かにあると知ってしまった瞬間に、人は普通、心が折れる。でも倫子は、折れずに泣く。その違いが、あの一言に詰まっている。
一方で、尾花にとっての「おいしい」は、承認欲求の充足ではありません。原点回帰です。
料理人は、評価や星に囚われるほど、“お客”が見えなくなる。尾花が落ちた理由にも、その慢心が絡んでいたはず。でも倫子の「おいしい」は、星の話じゃない。目の前の皿への、まっすぐな反応。その一点に、尾花は救われる。
第1話は、料理の本質を、台詞ひとつで回収してきます。
尾花は“好かれる主人公”ではなく、“問題児”として始めるのが正解
尾花は横暴で、口が悪く、空気も読まない。第1話だけを見ると、「最悪の男」にかなり近い。でも、だからこそ面白い。
視聴者が尾花を好きになるルートは、最初から用意されています。“才能”“孤独”“不器用な善意”。
第1話の時点で、その芽がすでに見えているから、問題児ムーブが単なる嫌なキャラにならない。
個人的に、僕はこのタイプの主人公像を信用しています。
最初から好感度を取りに来る主人公は、後半で薄くなりがち。でも尾花は逆。最初に嫌な面を全部出しておくから、後半の変化が“化ける”。しかも第1話の段階で、すでに変化の兆し——倫子のアイデアを採用する——が入っている。この早さも巧みです。
早見倫子が“ヒロイン”じゃなく“経営者”として立つのが痺れる
第1話の白眉は、倫子が一千万円を出す場面です。
ここで彼女は、「舌の才能がある可哀想な人」から、「決断できる人」へと立場を変えます。
夢を語ること自体は、誰にでもできる。問題は、夢に“支払い”を発生させられるかどうか。
倫子は支払った。だから京野が動いた。
僕はこの瞬間に、このドラマの骨格——大人の青春——の純度を感じました。青春は年齢の問題じゃない。リスクを取った瞬間に、始まるんです。
京野という“ホール側の矜持”が、作品のリアリティを底上げしている
料理ドラマは、どうしても厨房の天才に寄りがちです。でも第1話では、京野が明確に“強い人物”として描かれています。
京野が尾花を拒絶する理由も、単なる恨みではありません。借金、恩義、店の方針、サービスの哲学。それらが全部絡み合っている。だから簡単には首を縦に振らない。
この“落ちなさ”が、チーム結成を安易な感動物語にしません。
仲間は、誘えば集まるものじゃない。条件が要るし、覚悟が要る。その条件を満たしたのが倫子の一千万円で、覚悟を示したのが倫子の言葉。
京野は、チームの絆を“金と覚悟”で測る秤として機能している。この設計は、とても理性的です。
料理シーンの説得力——本物の空気が“ドラマの嘘”を許してくれる
第1話は、パリの三つ星レストランで撮影されていることが分かる空気感を持っています。
厨房の清潔さ、皿の運び方、店全体に張りつめた緊張感。そこが本物だと、物語が多少“熱血”に振れても、視聴者は置いていかれない。
個人的に、料理ドラマに必要なのは「レシピの正確さ」より、「所作の正確さ」だと思っています。
手元が信用できると、人物の情熱も信用できる。
第1話は、その信用を冒頭で一気に取りに来た。だから最後の“店名をつけるシーン”が、絵空事ではなく“始業”に見える。
第1話を見終えて——このドラマは「星」じゃなく「尊厳」を取り戻す話
第1話の時点で、三つ星はまだ遠い。
現実は借金だらけで、敵も多く、仲間も揃っていない。
それでも見続けたくなる理由は、星のためじゃない。彼らが取り戻そうとしているのが、「料理を仕事にする人間の尊厳」だからです。
尾花は転落した。倫子は才能の壁に泣いた。京野は信頼を壊された。この三人が、“もう一度、自分の仕事を信じる”ために店を作る。
第1話は、その決意表明として、非常に完成度の高いスタートだったと思います。
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