第5話で飛鳥と藤堂の“復讐バディ”がひとつになった『MISS KING/ミス・キング』。

第6話では、飛鳥に大会出場停止の処分が下り、物語は制度・家・個人が交差する新たな局面へ。
藤堂は連盟に直談判を試みるが、香がこれを拒絶し、過去と現在の盤面が重なり始める。一方、由奈は結婚を機に棋士引退を決断し、“将棋を放す者”の物語が描かれる。
そしてクライマックスでは、飛鳥と龍也の初対局が実現。
「勝つこと」だけでは測れない、掴む者と放す者それぞれの“尊厳”が問われる。
MISS KING/ミス・キング6話のあらすじ&ネタバレ

第6話のサブタイトルは「掴む者・放す者」。
盤上の勝敗だけでなく、人間関係や“居場所”の掴み方・手放し方までを射程に入れた回だ。
物語は大きく3つの軸で進む。
① 飛鳥の大会出場停止をめぐる政治戦
② 安藤鉄斎が明かす結城香の過去と葛藤
③ そして姉弟(飛鳥×龍也)の初対局。
さらにサブラインとして、由奈の引退問題が具体化し、「将棋を〈掴む/放す〉こと」の倫理が鮮やかに刻まれる。
以下では、公式情報を軸に本編の流れを整理していく。
第6話の位置づけとキーワード「掴む者・放す者」
ABEMAの話数表記は「#6 掴む者・放す者」。
前話までに“復讐バディ”の足並みが揃い、今話では対局の必然と家の論理が真正面から激突する。物語の中心は香の過去(女流棋士時代)と、彼女の師である安藤鉄斎(元連盟会長)。
ラストには飛鳥と龍也の対局が描かれ、シリーズ中盤の山場として構成されている。
出場停止という一手──藤堂の直談判、香の“ノー”
冒頭、飛鳥(のん)に“すべての大会への出場停止”という厳しい処分が下される。
藤堂(藤木直人)は将棋連盟に撤回を求めて直談判に向かうが、そこに現れたのは結城香(山口紗弥加)。香は冷静に拒絶し、藤堂の訴えを退ける。
政治的な駆け引きが交錯し、復讐計画は早くも制度の壁に阻まれることになる。香の“ノー”が、この回全体の緊張を決定づける起点となる。
安藤鉄斎が語る「香の過去」と葛藤
行き詰まった藤堂と飛鳥は、香の師匠であり元将棋連盟会長の安藤鉄斎(西岡德馬)を訪ねる。
安藤は、香がかつて女流棋士として活躍していた過去と、彼女が抱えていた深い葛藤を語る。
この証言によって、香の“今の判断”が単なる意地や冷徹さではなく、過去の痛みや諦念の延長にあることが示唆される。
香の決断を“過去の敗北の焼き直し”として見るか、“再出発の覚悟”として見るか――視聴者の解釈を問う重要な場面だ。
由奈の決断──結婚と引退通告、現役“最後”の勝負へ
サブストーリーでは、由奈(鳴海唯)の将棋人生に終止符が打たれる。
彼女は龍也(森愁斗)との結婚を機に、香から「女流棋士を辞めるように」と諭される。今回の大会が、由奈にとって現役“最後”の勝負となる。
由奈の〈最後の一局〉と、飛鳥と龍也の〈最初の姉弟対局〉が対照的に配置され、「将棋を放す者」と「掴み続ける者」という二つの生き方が静かに照らし合う構成になっている。
ついに姉弟対局──“研究し尽くした”龍也と、盤外戦術
クライマックスは、飛鳥と龍也の初対局。
龍也は姉・飛鳥の過去の対局データを徹底的に研究しており、盤上ではもちろん、心理的にも優位に立つ。
さらに、時間の使い方や視線の動きなど“盤外戦術”で飛鳥を揺さぶる。
場面写真では、頭を抱える飛鳥の姿が印象的に映され、「まさかの劣勢に!?」という文言が添えられている。
問われるのは勝敗そのものではなく、“折れない集中力”の在り方だ。
安藤の証言が投げ込む“もう一つの勝負”
安藤が語る香の女流時代は、物語の中で「盤上と同じくらい重要な場外戦」として機能する。
香は何を掴み、何を手放したのか。
連盟の顔としての判断は、個人の傷と組織の論理が複雑に絡み合った結果なのか。
第6話は、制度(出場停止)と個人(過去の痛み)という二重螺旋を描きながら、飛鳥の“戦う意味”をより深く掘り下げていく。
周辺の熱量──“ウォッチパーティー”という外部の場
配信当日には、森愁斗(龍也)をはじめBUDDiiSメンバーが出演するウォッチパーティーも実施された。
作品外の“観戦”の場が設けられたことで、姉弟対局はファンと共に見届ける参加型イベントへと進化。
SNSキャンペーンも展開され、盤外の熱が盤上の緊張をさらに高めていく。
ラストのトーン(※結末は放送情報の範囲で)
本編は、飛鳥が盤外戦術で集中を乱される危機を迎えたところで幕を閉じ、姉弟の心理戦の緊張を最大化した形でエンディングへ。
第6話に刻まれたテーマは、「掴む者・放す者」という言葉が示す通り、将棋にしがみつく者と、手放す者――その選択の重さだ。
勝敗の先にある“人生の盤面”が、静かに浮かび上がった回だった。
MISS KING/ミス・キング6話の感想&考察。

第6話は、「技巧」と「倫理」を同じ盤上に並べた回だった。
要はこうだ。制度(出場停止)、盤外(嫌がらせ)、家の論理(引退圧)という三重の枠が飛鳥を囲み、だからこそ、勝敗以前に“集中と尊厳”の設計が問われる。
そして最終的に、“掴む者・放す者”という人間の選択が物語の主戦場へと浮かび上がる。
以下、三つの観点から論じたい。
“嫌がらせ”は何を映すか──勝ち筋の外側にある戦術
第6話で際立つのは、龍也の徹底した研究と、姉・飛鳥への盤外戦術。
将棋は本来クリーンな競技だが、時間配分や所作、視線、間の使い方など、マナーのグレーゾーンで相手の集中を削る技術は“現実の将棋”にも存在する。
ドラマはその現実を正面から描き、盤上の読みだけでは勝てない世界を提示した。
研究×盤外戦術という構造によって、飛鳥には“読み”の深さに加え“折れない設計”が求められる。
勝敗の手前で問われるのは、対局者としての人格。この倫理的な緊張こそ、第6話の最大の見どころである。
香と由奈──「放す」ことも勇気だという提示
香が元・女流棋士であった過去、そして由奈が結婚を機に引退を諭される展開は、“放す者”の物語として響く。
社会はしばしば“掴み続ける者”を称賛するが、手放すことにも理由と勇気がある。
安藤の証言は、香の現在の判断に奥行きを与え、由奈の“ラストマッチ”を本人の選択として描く下地をつくる。
過去の傷が現在の判断を形づくり、師匠の証言がその倫理を可視化する。
第6話は、“放す者”を敗者として描かない。だからこそ、飛鳥の“掴む”という選択がいっそう眩しく映る。
藤堂の“直談判”は何を賭けたのか──師弟のリスクテイク
藤堂は、出場停止という制度に正面から立ち向かう。
結果は撤回ならずだが、重要なのは「通らないと分かっていても行動する」という師の背中だ。
飛鳥が盤上で集中を取り戻すには、孤立していないと感じられる支えが必要だった。
藤堂の交渉は、法的効果ではなく心理的効果を狙った“賭け”である。師がリスクを引き受けるからこそ、弟子は盤上で孤独を越えられる。
バディものとしてのカタルシスが、ここに生まれた。
将棋描写の精度──“研究する弟/読み返す姉”
第6話の姉弟対局では、専門的な棋理説明を削ぎ、心理の露出を増やす演出が取られている。
龍也は姉の全対局を研究し尽くし、飛鳥は一手ごとに“読み返す”姿勢で応戦。盤上の緊張を台詞ではなく表情と“間”で描き出しており、頭を抱える飛鳥のカットが盤外圧力による一瞬の揺らぎを象徴する。
棋理を詰め込みすぎず、間の緊張感で物語を進める構成は見事。
実際の将棋中継が持つ“沈黙の呼吸”をドラマ演出として翻訳している。
「掴む者・放す者」の多義性──ロジック総括
原因:制度(出場停止)/家の論理(引退圧)/盤外戦術(嫌がらせ)。
作用:対局者に集中と尊厳の設計が求められ、“掴む/放す”の二択に倫理が宿る。
結果:勝敗の手前で、人としての勝ち方が可視化される。
第6話は、“勝つこと”を単なる目標ではなく、生き方の選択として描いた。掴む者の勇気と同じ熱量で、放す者の尊厳を描く。
香・由奈・飛鳥という三層構造によって、物語は深みを増した。
次回への布石──“勝敗の先”に置かれた問い
勝敗の結果は明かされていないが、物語はすでに次の問いを提示している。
「勝って何を掴むのか。負けて何を放すのか。」
飛鳥が盤上で掴もうとしているのは、復讐の“駒”だけではなく、尊厳、居場所、そして“自分で選ぶ人生”そのものだ。
第6話は、その核心に手をかけた回として、シリーズの転換点に位置づけられる。
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