3話で浮かび上がった“第三者の可能性”は、4話で冷たい映像によって飲み込まれていきます。

若さがしがみつこうとした希望が、因果の再配置によって裏返される回でした。
逃げ場を失っていく4人の前に、法と復讐、そして“真相”という名の重さが同時に迫る。物語が次の段へ踏み込む4話を、ここから丁寧に追っていきます。
2017年8月8日(火)夜9時放送のドラマ『僕たちがやりました』(僕やり)4話のあらすじ(ネタバレ)と感想を紹介していきます。
※以後ネタバレ注意
ドラマ「僕たちがやりました(僕やり)」4話のあらすじ&ネタバレ

第4話は、作品タイトルそのもの――「僕たちがやりました」――が刃となって主人公たちに突き刺さる回。
“第三者の犯行”という希望にしがみつこうとした若さは、“自分たちが引き金を引いた”かもしれない現実に引き戻されます。
逃げ場をなくすのは、警察の包囲網だけではない。仲間の裏切り、復讐の牙、そして“真相”という名のブーメラン。物語はついに“言い訳の終わり”へ踏み込んでいきます。
市橋の包囲からの脱出/蓮子と会う決心、そして横切る“警察”
前話ラストで矢波高サイドに追い詰められたトビオ(窪田正孝)は、どうにか繁華街のビルの隙間へ身を潜めて難を逃れる。
そんな彼の携帯に、幼なじみの蓮子(永野芽郁)からメッセージが届く。
トビオは一度は断ち切った“普通”との回路を繋ぎ直そうと、「自分は犯人じゃない」ことを告げる決心を固め、指定場所へ向かう。
しかしそこにいたのは、刑事の飯室(三浦翔平)と話す蓮子だった。トビオの胸中で“信頼”と“疑念”が交錯し、彼は再び闇へ引き返していく。
マルは熱海で豪遊――“金”が友情をほどく
一方その頃、マル(葉山奨之)は熱海へ高跳び。
第3話でトビオからだまし取った大金を手に、夜の街で豪遊し、店で知り合った女性に入れあげる。
彼の行動は“同じ利害で結ばれたはずの4人”を内部から腐食させていく。金は口を塞ぐが、良心は塞げない。その残酷な真実をマル自身が体現する。
取調室のパイセンと“謎の弁護士”西塚――法の圧と守りの論理
留置場のパイセン(今野浩喜)には、飯室の取り調べが続く。
教師熊野の証言などから共犯の存在を確信している飯室は、パイセンに仲間の名を吐けと迫る。
そこへ現れるのが弁護士の西塚智弘(板尾創路)。西塚は「犯行を裏付ける決定的証拠は挙がっていない。絶対に自白するな」と耳打ちする。
公(捜査)の圧に、私(弁護)の論理が対置され、パイセンは“沈黙”という選択で膠着に持ち込もうとする。
“真犯人は熊野だ”――トビオと伊佐美、夜のアパート侵入
トビオは菜摘(水川あさみ)から聞いた熊野の不審な挙動をヒントに、「真犯人は教師の熊野(森田甘路)ではないか」と確信を強める。
そこで伊佐美(間宮祥太朗)と熊野のアパートへ忍び込み、証拠を探すという一線を越えた行動に出る。若さ特有の“短絡的な正義感”が、法と倫理を軽々と飛び越える瞬間だ。
熊野PCの“逆証拠”――映っていたのは、あの夜のパイセン
そして熊野のPCに残された動画が、二人の“確信”を粉砕する。
そこに映っていたのは、爆破の夜、パイセンが気付かぬまま小型爆弾の一つを蹴り、プロパンボンベのすぐ傍へ転がしてしまう一部始終。
彼らの計画は“ビビらせる程度”のはずだった。
だが偶然の一蹴が致命的な引火条件を作り出していた可能性が濃厚になる。「やっぱり“僕たち”がやったのかもしれない」――希望は、冷たい証拠に裏返される。
“証拠”をさらう捜査線――PC押収、パイセンへの揺さぶり
まもなく熊野のPCは警察に押収され、飯室の手元に届く。
動画は当然、パイセンの取調べでも材料となる。西塚はなおも“自白するな”と盾になるが、客観映像という言い訳の余地が小さい証拠は、黙秘の美学をじわじわ侵食していく。
路地裏の邂逅――ヤング(桐山漣)という“新しい現実”
逃亡を続けるトビオの前に、ホームレスのヤング(桐山漣)が現れる。
路地裏の“生き延びる術”を教える新・パイセン的存在で、一方で彼との危うい距離感は“生き延びること”の生々しさをトビオに突き付ける。生きることと汚れることの境界が曖昧になる“底”の空気がここで描かれる。
蓮子に“真相”を話したい――だが、そこにも飯室がいる
「熊野が真犯人かもしれない」――トビオはその“希望”を蓮子にだけは伝えたい。メッセージに応じて指定場所へ向かうが、蓮子の隣には飯室。
警察に“案内人”のように扱われる蓮子を見て、トビオは“信じたい”気持ちと“疑わしい”現実の間で立ち尽くす。少年の言い訳は、ついに社会の手続きに飲み込まれ始める。
ラスト:復讐の圧は弱まらず――市橋の影、続く包囲
矢波高の市橋(新田真剣佑)は、相変わらず手下を使ってトビオの行方を追わせる。
法と報復という二系統の圧力が並走し、逃亡サスペンスのテンションは落ちないまま次回へ。第4話サブタイトルの通り、「真相ついに怒涛の新展開へ」という実感を残して幕が閉じる。
ドラマ「僕たちがやりました(僕やり)」4話の感想&考察

第4話は、「他人のせい」にしたい若さが「自分たちの“偶然”が招いた惨事」に向き合わせられる回でした。
ここでは、物語の駆動力となった論点を7つに分けて掘ります。
“第三の手”から“自分の足”へ――因果の再配置
第2〜3話で漂っていた「真犯人は別にいるのでは」という空気は、熊野PCの動画で“僕たちの偶然”へ引き戻されます。重要なのは、ここで描かれる責任の二層です。
・意図の層:4人の計画は「ビビらせるだけ」。
・結果の層:小爆弾がプロパンの傍へ――過失が致命傷に転化。
ドラマは“軽い意図×重い結果”の非対称を、客観映像という強い装置で観客の前に提示しました。
「やっぱり“僕たち”がやりました」というタイトル回収が、倫理的な重みを帯びる瞬間です。
“証拠の政治学”――黙秘の美学は映像に負ける
パイセンが守ろうとする黙秘の美学は、映像という提示力の強い証拠の前で揺らぐ。
言葉(黙秘)対像(動画)のせめぎ合いは、現代の“真実の持ち方”を抉ります。
さらに、弁護士の西塚の助言が、法廷戦略としての沈黙を支える一方、少年たちの自罰感情を一層こじらせていく点も巧い。
正しい戦略が正しい心を必ずしも救わない。ここに本作のヒリつきがあります。
ヤングという“底”――生き延びることの値段
ヤング(桐山漣)は、単なる“ゲスト”ではありません。
路地裏の価値観、「綺麗事では生きられない」を体現し、トビオに“生き延びること”の汚さを教える“新・パイセン”。夜の路地で生や性や金の境界が溶けるさまは、青春×犯罪物語に生存の生々しさを注入しました。
キャスティング情報が“第4話からのキーパーソン”と強調していた通り、以降のトビオの選択に影を落とす存在です。
“金で塞ぐ口”は、良心を塞げない――マルのケース
だまし取った金での豪遊は、マルの“最低”を可視化する場面であると同時に、共同体(4人)を利害で縛ることの脆さを暴く場面でもあります。
金=沈黙のコストは、その効力が切れれば一瞬で逆流する。
しかも豪遊の軌跡は警察や不良にも見つけられやすい痕跡となり、結局は自分たちを追い詰めるブーメランになる。ここに「逃げの論理」の自己崩壊が見えます。
“法”と“私刑”の二重拘束は継続――呼吸を浅くする構図
トビオを締め上げるのは捜査(公)だけではない。
市橋の復讐(私)という第二の圧が並走し続ける。
どちらに捕まっても終わるという二重拘束が、視聴者の体感的な緊張を維持します。第4話はこの二系統の継続を改めて刻み、逃亡サスペンスの心拍を落としませんでした。
“蓮子=希望”が“手続き=現実”に接続される瞬間
待ち合わせ場所に飯室と並ぶ蓮子を見たとき、トビオは「希望(彼女)」が「現実(警察)」に接続されたことを理解します。
個人の関係が社会の手続きに飲まれていく不快な瞬間。ここでドラマは、青春の“内輪の物語”を社会の物語へと拡張。恋、罪、手続きが一画面に同居する作品の肝が光った場面でした。
タイトル回収の鋭さ――“僕たちがやりました”をどう受け止めるか
「僕たちがやりました」というタイトルは、単に“犯人自白”の言葉遊びではありません。意図と結果の非対称、偶然が作る罪、映像が作る真実――それらすべてを引き受ける覚悟のフレーズです。
第4話は、その意味の重さを初めて具体的な“像”として突き付けた。だからこそ、観る側の胸にも刺さる。「やったのは誰か」から「やったことにどう向き合うか」へ。物語が次の段に入ったと感じました。
総括
第4話は、希望(第三者犯行)から逆証拠(自分たちの偶然)へという落差で、言い訳の余地を一気に削る構成でした。
ヤングの導入で“生き延びること”の値段が描かれ、マルの豪遊で“逃げの論理”が崩れ、西塚の助言で“法廷戦略”と“良心”のズレが露わになる。
法と私刑の二系統が依然として首を締める中、蓮子という希望までが“手続き”に接続される。
タイトルの通り、「僕たちがやりました」を登場人物も観客もどう引き受けるかが問われ始めた回だと感じました。
次回、エピソード名が示唆する“覆す存在”が現れるとすれば、因果の地図がさらに書き換わるはず。物語は“逃亡”から“選択”へ、確実に舵を切っています。
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