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僕たちがやりました(僕やり)の5話のネタバレ&感想考察。“偽りの救い”が心を揺らす夜

僕たちがやりました(僕やり)の5話のネタバレ&感想考察。“偽りの救い”が心を揺らす夜

4話で“逆証拠”に直面したことで、4人の逃げ道はさらに狭まりました。

5話はその続きとして、手続き上の“救い”と内側の“救われなさ”がねじれ続ける回です。

謎の男の出頭、ヤングとの遭遇、市橋の反転、今宵との距離――それぞれの選択が、物語の重心を確実に動かしていく。ここから5話の展開を丁寧に追っていきます。

2017年8月15日(火)夜9時放送のドラマ『僕たちがやりました』(僕やり)5話のあらすじ(ネタバレ)と感想を紹介していきます。

※以後ネタバレ注意

目次

ドラマ「僕たちがやりました(僕やり)」5話のあらすじ&ネタバレ

ドラマ「僕たちがやりました(僕やり)」5話のあらすじ&ネタバレ

第5話のサブタイトルは「全てを覆す謎の男!すれ違う恋」。

逃亡を続けるトビオの前に、“自由”の論理で生きるホームレス・ヤングが現れ、倫理の境界線をぐにゃりと曲げる。

一方で警察には“パイセンそっくりの謎の男”が出頭し、爆破事件は思わぬ方向へ転がり始める

学校では、車椅子で復学した市橋がかつての威光を失い、矢波高の力学が反転。恋、復讐、罪の三つ巴が、本作のギアを一段上げる回でした。

ヤングという“自由”の罠――押し寄せる誘惑と自己嫌悪

逃亡の果てに路上で倒れ込みかけたトビオ(窪田正孝)の前に、ヤング(桐山漣)が現れる。

食事や着替えを与える代わりに、トビオの“自由”をこじ開けようとするヤングは、あろうことか肉体関係を迫る。寸前で踏みとどまったトビオは、かつて蓮子(永野芽郁)に衝動的に迫ってしまった自分の“愚かさ”を突きつけられることになる。

ヤングの「やりたい時にやりたいことを」という甘いスローガンは、トビオにとって最悪の鏡だった。ここでトビオは、蓮子への気持ちに改めて気づくのだ。

すれ違う“恋”の矢印――蓮子×市橋が追うのはトビオの影

トビオが地下に潜るほど、蓮子は表で彼を探す。

しかも相棒は、かつての“絶対悪”だった市橋(新田真剣佑)。

第5話の見どころは、敵と味方のラベルが剥がれ落ちていくこの並走だ。

蓮子の気丈な眼差しに市橋の心は少しずつ解かれていく。蓮子の存在感が急伸し、市橋を“人間”に引き戻す力として働く中で、三人の矢印は複雑な三角形を描き始める。

路上の再会――“今宵”という甘い避難所

ふらつく足取りで街をさまようトビオは、偶然、今宵(川栄李奈)と再会。

そのままアパートに転がり込み、今宵は甲斐甲斐しく世話を焼く。二人きりの生活に溺れていく過程は、退廃的でありながらどこか甘い。キスシーンを含む危うい密着もあり、背徳の安堵が描かれる

もっとも、それは“現実逃避の毛布”にすぎない。この認識が、のちにトビオの決断を重くする。

警察線:自称“真犯人”・真中幹男の出頭――全てを覆す男

一方、警察は騒然。

取調室に現れたのは真中幹男(山本浩司)。パイセン(今野浩喜)にそっくりの容貌で「爆破の真犯人は自分」と自供する。

飯室(三浦翔平)は、背後に“誰か”がいると直感し、「誰に指示された?」と追及するが、真中は「自分がやった」と繰り返すのみ。証言はあるが真相は遠い。

こうしてパイセンの立場は揺れ、捜査は新局面へ。

学校線:王座は空席に――市橋、矢波高で“弱者”になる

自力で車椅子を動かせるようになった市橋が復学するも、矢波高の空気は一変

かつての畏怖は消え、下級生の有原正樹(吉村界人)がリーダーの座を狙って牙を剥く。市橋は仲間からも見捨てられ絶望する。そんな彼を支えるのは、変わらぬ態度の蓮子だけだ。

有原がリーダーの座を奪おうとたくらみ、市橋と蓮子に襲いかかり、のちに市橋は向けられたナイフを自らの腹に突き立てて蓮子を守るという捨て身の行為へ。

かつて暴力の顔だった彼が、人を守る側へ反転する重要なシーンとなる。

伊佐美とマル:友情の音量は“金”で下げられるか

熱海に逃げたマル(葉山奨之)は、キャバクラ通いに貢ぎで豪遊を重ねる。

一方の伊佐美(間宮祥太朗)は、マルの“所業”(睡眠薬や下剤で金を巻き上げる女という前話からの展開)をめぐって激昂するが、当のマルは「被害者はむしろ俺だ」と逆ギレ。

金で口を塞ぎ、心まで麻痺させる逃避は、結局はより大きな破綻へ加速していく。

近づく二本の包囲網――“法”と“私刑”の速度

取調室では“真犯人”の自供が、街では矢波高の報復が、それぞれトビオたちを追い詰める。

法(飯室)と私刑(有原一派)の二系統の圧力が並走するのが本作の特徴で、第5話はそのスピードが一段上がる。

そして、すべてを覆すはずの“真犯人”が現れても、トビオの胸の痛みは消えない。そのズレが、ラストへ向けた火種になる。

終盤:すれ違いのフレームの中で

蓮子は「生きてさえいてくれれば」という祈りでトビオを探し続け、市橋は自罰的な覚悟で彼女を守ろうとする。

今宵の部屋で体温を確かめ合うトビオは、甘さの中にある虚無から目を逸らせない。画面の外でも、SNSはヤングの“名言”とトビオの“弱さ”を同時に話題にし、若さの軽さと重さが入り混じった回になった。次回、出頭の余波が一気に表面化する

ドラマ「僕たちがやりました(僕やり)」5話の感想&考察

ドラマ「僕たちがやりました(僕やり)」5話の感想&考察

第5話は、「救いの証言」と「救われない心」の非対称を徹底して見せる。

真中の自白で事件は手続き上は進展するが、登場人物たちの内側は一歩も軽くならない。逃亡サスペンスに恋と自罰が深く混ざり、物語の色がさらに濃くなった回だ。

“全てを覆す謎の男”の正体は、物語装置としての“偽の安堵”

真中幹男の出頭は、ストーリーの地図を一時的に描き替えるギミックだ。

観客は「これでパイセンが助かる?」と安堵しかけるが、飯室の「誰に指示された?」が示すように、因果の鎖はむしろ長くなる。

“真犯人の自白=事件終結”という通念を外し、「誰が、何のために、どの責任を引き受けるのか」へ議論を押し出す。結果、手続きと倫理が分離する不快さが立ち上がった。

ヤングの“自由”は、倫理の無音化装置

ヤングの「やりたい時にやりたいことを」は、若さに刺さる甘言だ。

しかしトビオは、その自由が“他者の同意”をすり減らす危険を、身をもって知る。

ここで第1話の“衝動”が逆照射される。自由を掲げて他者を踏むのか、自由を手放して他者を守るのか――この二者択一が、やがてトビオの“選択”に直結していく。SNSでもヤングの強烈さとトビオの弱さの並置が話題に。

市橋の“自己刺傷”は、悪役から“守る人”への反転儀式

ナイフを自らの腹に突き立てる市橋は、暴力の矛先を自分に向け直した。

これは“悪役”からの一歩目の償いであり、蓮子の“尊厳”を守るための捨て身。残酷なのは、彼の過去の暴力がこの“英雄的瞬間”をすぐには正当化しない点。だからこそ、視聴者は揺らぐ。「好きになっていいのか」と。第5話は、感情のコンフリクトを生む精密な配置だった。

今宵という“現実逃避の毛布”――快楽は現実を遅延させるだけ

今宵のやさしさは、トビオにとって“普通の温度”の疑似体験だ。

キスを含む濃密な距離は、確かに彼の心拍を落ち着かせる

だが、ここで下がるのは“罪悪感の音量”だけで、現実のボリュームは下がらない。朝が来れば音は戻る。第5話は「快楽=現実の遅延装置」であることを、容赦なく可視化した。

“王座の空席”がつくる暴力の再編――矢波高のミクロ政治

車椅子の市橋が戻ると、王の権威は幻だったと露呈する。

空席になった王座をめぐって下剋上が始まり、有原は“仲間”の線を切って力を取りに行く。爆破は学校の権力地図にまで亀裂を入れ、私刑の論理が過激化する。

「法」と「暴力」の二重圧に、学内政治という第三の圧が加わり、トビオの逃げ場はさらに減った。

“金は口を塞げても、良心は塞げない”――マルのケース

マルの豪遊と貢ぎは、金=麻酔の最たる例だ。ところが麻酔は切れる。

切れた瞬間にやって来るのは、より重い破滅の痛み。伊佐美との亀裂は、共同体(4人)の崩壊が“内部”から進むことを示した。第2〜4話で張った「金で沈黙」の伏線を、ここで「金で心も沈める」に拡張し、より速い自壊へとつなげている。

構造の更新:手続き(自白)×恋(蓮子)×自罰(市橋)の三角合流

第3〜4話の“法×私刑”の二重拘束に、“自白”という手続き上の突破口が加わることで、物語は「救いに似たもの」を提示しつつ、「救えないもの」を強調する設計になった。

手続きが進むほど、恋はすれ違い、自罰は深くなる。この三角合流が第5話の本質であり、シリーズ後半(自首〜償い)への橋になっている。

まとめ――“偽の安堵”を剥がす回

第5話は、謎の男の自白、今宵のぬくもり、ヤングの自由という三つの“安堵の似姿”を見せながら、それが本物の救いではないことを丁寧に剥がしていった。

残るのは、自分は何を選ぶのかという剥き出しの問い。物語は、逃げる若さから選ぶ若さへと確実に段を上げた。

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