第8話「千里眼を持つ男…」は、『トリック』が「超能力は嘘だ」と暴いたその先で、あえて気持ちよく終わらせない回です。
舞台は、奈緒子が家賃を払うために放り込まれた
「ラドンびっくり人間コンテスト」。
ここに現れるのが、千里眼を名乗る男・桂木弘章。
胡散臭いのに、当たりすぎる。
否定したいのに、観客は信じてしまう。
第8話が描くのは、超能力のトリックそのものよりも、人が“信じたい気持ち”をどう利用されるかという現実です。
笑って見ていたはずなのに、最後に残るのは後味の悪さ。
だからこの回は、単発エピソードでありながら、
『トリック』という作品の“残酷な優しさ”が一番はっきり見える一話になっています。
トリック(シーズン1)8話のあらすじ&ネタバレ

シーズン1第8話「千里眼を持つ男…」は、連続章の合間に挟まる“単発回”の中でも、「見せ物」と「詐欺」の境界線をえぐる回です。
家賃を滞納する奈緒子が、大家・池田ハルに強制されて「ラドンびっくり人間コンテスト」へ――そこに“本物っぽすぎる”千里眼の男が現れ、笑いのテンポで走りながら、最後に急ブレーキをかけてきます。
家賃滞納のいつもの地獄→「温泉旅行を取ってこい」という無茶ぶり
いつものように、池田荘のドアを叩く音から始まる。
“家賃を払え”という現実が、奈緒子の人生を毎回ちゃんと追い詰めてくるのが『トリック』です。大家の池田ハルは、ただ取り立てるだけじゃなく、奈緒子の「今すぐ稼げる道」を勝手に決めてくるタイプ。今回は「ラドンびっくり人間コンテストで賞品の温泉旅行を獲れ」という、もはや家賃の回収ではなく人生の運用。
奈緒子が拒めば、住む場所が消える。だから行く。売れないマジシャンの切実さが、コメディの皮を被って刺さります。
「温泉旅行」という言葉が出た瞬間、奈緒子の目の色が変わるのがまたリアルです。貧乏は人を悪くする、というより、貧乏は人を“必死に”する。上田にとっては超常現象を論破するゲームでも、奈緒子にとっては生存のための実務。ここが2人のスタートラインのズレで、同時にこのコンビの面白さの核でもあります。
「ラドンびっくり人間コンテスト」開幕:奈緒子の“見せ物”はウケる、でも崩れる
会場は“びっくり”を売りにしたイベントらしく、珍芸の連発。そこに審査員として呼ばれているのが上田次郎。
上田の動機が高尚なのか不純なのかは毎回ぼかされますが、今回は「ラドン健康ランド無料入場券」みたいな報酬が匂うのが最高に上田です。本人はもちろん「釣られたわけではない」と言う。言うけど、目は正直。
奈緒子はここで、いつもの“自称・売れっ子美人マジシャン”を発動。
衣装も気合いを入れて登場し、「ニャ〜!」みたいな決めゼリフ付きの手品で会場の空気を掴みにいきます。お年寄り中心の客層に、ベタなわかりやすさが刺さっていく瞬間は、奈緒子の“芸”がちゃんと届いている感じがして、観ていて少し嬉しい。
でも、調子に乗った瞬間に足元が崩れるのも奈緒子。手品は“超常”じゃなく“仕掛け”だから、ほんの小さなミスで一気にバレる。奈緒子が自爆する形で馬脚を露呈し、会場の視線が冷える。このスピード感が『トリック』の真骨頂で、笑いながら「うわ、終わった…」と胃がきゅっとなる。
千里眼の男・桂木弘章登場:青い目と眼帯、そして“当たりすぎる”透視
奈緒子の失敗で空気が荒れた、その“絶妙なタイミング”で現れるのが、桂木弘章。
右目を眼帯で覆い、「その目は青く、透視できる」と自称する男です。舞台に立った瞬間から胡散臭いのに、胡散臭いからこそ観客の期待が乗る。会場は一気に“本物の見世物”を求めるモードになります。
桂木が披露するのは、封筒の中の数字当てのような、見た目が派手で“結果が即出る”タイプの千里眼。やっていることは単純なのに、「当たる」だけで人は黙る。上田は疑う。奈緒子はムキになる。観客は信じる。ここで面白いのは、超常現象の真偽というより、人間の反応が三者三様にきれいに分かれるところです。
そして司会にいるのが大木凡人(本人役)。この“本人が本人を演じる”配置が、『トリック』の世界を一段だけ現実に近づける。視聴者が「これ、テレビの中のテレビだよな?」と一瞬だけ地面を踏む感じがして、桂木の超能力がより“現実っぽく”見えてしまう。
被害者・菊池寿夫が訴える「金を取られた」:笑いから“犯罪”へスイッチする瞬間
コンテストの熱狂の裏で、別の線が入ってきます。
桂木に大金を奪われたと訴える老人・菊池寿夫が現れ、事件の匂いが濃くなる。しかもこの菊池、シーズン1第1話に出た日本科技大の警備員だった、という小さな“世界のつながり”があるのが嬉しい。単発回なのに、世界はちゃんと回っている。
菊池の被害は、ただの「占い代」じゃなく、金色の分銅(お守り的な高額商品)のような“物”を買わされるタイプ。言い方を変えると、桂木は「能力」で稼ぐのではなく、能力を餌にして高額商品へ誘導するビジネスをやっている。ここから先、話はコメディの顔のまま、完全に“詐欺”の話になります。
矢部が動き、上田に話が回るのも納得の流れ。上田は“超常現象を論破する人”として名が知られている設定が積み重なっているから、警察も頼る。上田はもちろん偉そうに受ける。奈緒子は当然巻き込まれる。いつもの構図です。
桂木の事務所潜入:信者の行列、分銅の値札、そして“救い”を待つ人々
桂木の事務所(相談所)には、行列ができている。並んでいるのは、騙されやすいからではなく、困っているからです。家の中の不安、病気、家族、金。人生の“答えが出ない問題”ほど、超能力の形をした答えが欲しくなる。桂木はそこを撃ち抜いてくる。
桂木は相談者に対して、家の間取りや生活の細部を言い当てていく。しかも、当たるポイントがいやらしい。「ここ、普段は見せたくないだろ」という部分まで刺してくるから、人は「この人は本物だ」と思う。ここで奈緒子が挑発的に絡みにいくのも、この回の見どころです。
奈緒子は手品師で、嘘を武器にしてきた側でもある。だからこそ、“嘘で人を支配する奴”には本能的に腹が立つ。
奈緒子が「私の部屋も見えるの?」と試す流れは、痛快であり、地獄でもあります。桂木は奈緒子の部屋の散らかり具合まで言い当て、周囲の老人たちが「確かめてやる」と乗ってくる。奈緒子が笑い者になり、部屋を覗かれ、価値観ごと踏み荒らされる。ここがこの回の嫌なところで、同時にリアルなところ。“信じた集団”は、正義の顔で他人を裁く。
そして事務所にいる“車椅子の少年”の存在が、場の空気を変える。彼の目的は金でも間取りでもなく、もっと単純で残酷な願い――「治りたい」。ここで視聴者の中に、「この回、笑って終われないかも」という予感が生まれます。
上田の自宅透視:完璧すぎる描写が“逆に怪しい”
上田は桂木を追い詰めるため、自分のテリトリーに引きずり込みます。つまり、上田の自宅。上田が他人を家に入れるというだけで事件だし、奈緒子にとっては「この男、なんでこんなに必死なの?」と引くポイントでもある。
桂木は、上田の部屋の中を“見た”と言って、驚くほど具体的に言い当てる。家具の配置、生活感、趣味の匂い。上田は動揺しつつも、天才らしく必死に平静を装う。でも、この“完璧さ”こそが逆に不自然なんですよね。普通、透視ってもっと曖昧でいいはずなのに、桂木は妙にディテールが細かい。つまり、見えているのではなく、どこかから「見ている」。
このパートで効いてくるのが、桂木の“説明が言葉ベース”になっている点です。見えているなら「見えた映像」を語ればいいのに、桂木は「〜がある」「〜が置いてある」と“誰かが実況した情報”を語っているように聞こえる。上田はそこに引っかかって、次の一手を仕込みます。
公開対決:ついたて越しの透視勝負→「箸/橋」で崩れる“本物”
上田が用意する決着の舞台は、透視能力者の“おいしい見せ場”そのもの。
ついたて(仕切り)を挟み、上田が描いたものを桂木が当てる、という公開テスト。能力者にとっては勝てば箔がつく。だからこそ、罠が刺さる。
桂木は、結果として“外す”。そして外し方が決定的です。桂木が当てたのは、上田が描いたものとは違う――「箸/橋」みたいな、同音異義語の取り違え。透視なら見えるはずのものを、音で勘違いしている。つまり桂木は、透視していない。どこかから音で指示を受けている。
ここで種明かしに入る。桂木の眼帯の裏には受信機(イヤモニ的な仕掛け)があり、秘書の田中が情報を送っていた、という線が強く浮かび上がる。田中が関西出身という設定が、発音のズレ=聞き間違いを生む“脚本上の刃”になっているのが巧い。
さらに、上田の部屋の透視が当たりすぎた理由として、外から望遠鏡などで覗くような“物理的な監視”の可能性も匂わせられる。オカルトではなく、完全に現実の犯罪として片が付く。『トリック』の「オカルト×科学(というか検証)」が、ここで綺麗に着地します。
そして後味:車椅子の少年に向けた“最悪の優しさ”
事件としては解決。観客は笑ってスッキリ……のはずなのに、この回はそれで終わらない。最後に残るのが、車椅子の少年です。
少年は桂木にすがるように尋ねる。「治らないの?」「死んじゃうの?」――ここで桂木が返す言葉が、あまりに冷たい。要約すれば、「自分はインチキだ」と突き放す。視聴者の胃が沈むのは、桂木が悪人だからというより、“信じた子ども”の希望が、目の前で折れるからです。
奈緒子と上田が勝ったはずの戦いのあとに、救えないものが残る。「暴いた」だけでは人は救われない。桂木を捕まえても、少年の未来は変わらないかもしれない。
そういう“余韻の悪さ”が、単発回のはずの第8話を、シリーズ屈指の記憶に残る回へ押し上げています。
トリック(シーズン1)8話の伏線

第8話は、トリック(仕掛け)の構造自体は比較的シンプルなのに、「視聴者に“本物かも”と思わせるための伏線」が、地味に丁寧です。
派手な超能力描写より、むしろ“日常の違和感”が積み上がって、最後にひっくり返るタイプ。ここでは、話の流れの中で判明していく伏線を整理します。
① 眼帯と「青い目」:神秘の演出が“装置の隠し場所”になっている
桂木の最大の記号が眼帯で、そこに「青い目」という設定を乗せている。観客は“青い目=特殊能力”に意識を持っていかれるけれど、視点を変えると、眼帯は単なる「何かを隠せる物理スペース」でもある。最初から“収納”として成立しているのが伏線として強いです。
② 当て方が「映像」ではなく「実況」っぽい:透視なのに言語依存
桂木の透視は、見えているなら「見えたもの」を喋ればいいのに、やたらと“説明が整っている”。
これは一見、能力が高い証拠のように見えるけど、実は逆で、誰かが言葉で送ってきた情報を復唱しているようにも聞こえる。視聴者の耳に「なんか芝居っぽいな」が残る時点で、伏線は刺さっています。
③ 秘書・田中の存在感:近すぎる補助者はだいたい怪しい
桂木のそばにいる田中は、“補助”として自然に見えるけど、距離が近い。
超能力者と秘書の配置は、宗教でもビジネスでもよくある「権威の周辺を固める装置」です。第8話ではこの田中が情報の中継点になっていくので、登場時からの“張り付き方”そのものが伏線。しかも関西出身という設定が、後半の決定打につながる。
④ 「箸/橋」の聞き間違い:言語のズレが“能力の死”を証明する
透視が本物なら、見た目で判別できるはず。でも桂木は、同音異義語で外す。
これは、推理ものとしてもかなりフェアで、「視聴者が後から見返して納得できる崩れ方」です。つまり桂木は、見ていない。聞いている。聞いている=誰かが送っている。この一点で、能力が“死ぬ”。
⑤ 上田の部屋が当たりすぎる:精度の高さは“事前観察”の匂い
上田の部屋を言い当てるシーンは、観ている側が「え、マジ?」と揺れる最大ポイント。
でも、冷静に考えると、当たりすぎるのは怖い。透視が本物なら“ぼんやり”でも成立するのに、桂木は“具体”で刺してくる。だからこそ、後で「覗かれていた」「調べられていた」という現実の線が立つ。超常現象ではなく犯罪に落ちるための伏線になっています。
⑥ 金色の分銅:霊能力の物語なのに、売っているのは「商品」
桂木のビジネスは、最初から“能力”ではなく“物”に着地する。
信じさせた上で、分銅を買わせる。ここが「占い」より悪質に感じるポイントで、視聴者に「これは詐欺だ」と確信させる助走になっている。能力の真偽以前に、金の流れが伏線になっているのが第8話のいやらしさです。
⑦ 車椅子の少年:コメディ回に“救えない影”を落とす存在
少年は、事件の核心(トリック解明)に直接関与しない。だからこそ怖い。彼の存在は「この話、笑って終わらせないぞ」という宣言で、最後の一撃のための伏線です。詐欺が暴かれたあとに、信じた側だけが取り残されるという後味へつなぐ、静かな影。
トリック(シーズン1)8話の感想&考察

第8話は、事件としての“答え”は出ます。桂木はインチキ。仕掛けも暴かれる。
なのに気持ちは晴れない。ここがこの回の強烈さで、単発回なのにシリーズ屈指の“刺さり方”をしてきます。
「見せ物」と「詐欺」を分けるのは、能力じゃなく“目的”なんだと思わされる
奈緒子の手品も嘘です。桂木の千里眼も嘘です。でも、奈緒子は“楽しませる嘘”、桂木は“奪う嘘”。たったそれだけの差が、人間の倫理を天国と地獄に分ける。第8話はこの境界線を、事件の構造として見せてきます。
奈緒子が失敗して晒し者になる場面、正直笑えるのに、笑っていいのか迷う。「見せ物」って、客が笑った瞬間に成立するけど、同時に“上に立つ”快感も生む。桂木はそこを熟知して、観客の快感を“信仰”に変える。だから怖い。
上田の“検証”は正しい。でも正しさだけでは救えない
上田は、理屈で詰める。観察して、実験して、トリックを暴く。この回は上田の専門領域がちゃんと勝つ回です。なのに、最後に勝ち切った感がないのは、正しさが人を救うとは限らないと突きつけられるから。
「桂木がインチキである」と証明することはできる。でも、少年の不安は消えない。
菊池の金も戻らないかもしれない。信じた時間は返ってこない。現実の詐欺被害も同じで、犯人が捕まっても“失ったもの”は戻らないことが多い。第8話は、それをエンタメのテンポの中に混ぜてくるから、余計に重いです。
「集団心理」の描き方が怖い:老人たちが“正義の顔”で奈緒子を裁く瞬間
事務所の老人たちが奈緒子の部屋を確かめに行く流れ、あそこはコメディの皮を被ったホラーです。信じた側は、自分が信じたものを守るためなら、他人のプライバシーも平気で踏む。しかも本人たちは“悪いこと”をしている自覚が薄い。「正しさ」や「確かめる」という言葉が、暴力の免罪符になる。
この構造って、霊能力に限らず、噂、炎上、同調圧力、全部に通じる。『トリック』が放送された時代と比べて、今の方がむしろ刺さる人も多い気がします。
あのラストの一言は“悪役の台詞”というより、現実の冷たさそのもの
車椅子の少年への返答。あれは「悪い奴が悪いことを言った」では終わらない。むしろ桂木は、最後の最後で“優しい嘘”をやめたとも言える。嘘で希望を持たせ続ければ、少年は生きていけたかもしれない。でもそれは、より大きく壊れる未来を先送りするだけかもしれない。
つまり第8話は、視聴者に二択を迫るんですよね。
- 嘘でも救われるなら、嘘を肯定していいのか
- 真実を突きつけることが、誰かを傷つけるなら、真実は正義なのか
この問いに、ドラマは答えない。ただ“この後味”だけを残して終わる。だから、見終わったあとに引きずる。
第8話が「本物の霊能力者」論争の入口になりやすい理由
この回の桂木は、結局インチキ。でも視聴者の記憶には「当たりすぎた瞬間」が残る。上田の部屋を言い当てたところとか、奈緒子の部屋の羞恥を刺したところとか。「いや、でもあれは本当に見えてたんじゃ?」と一瞬思わせる強度がある。
その“揺れ”が、『トリック』全体に通じる面白さでもあります。基本はオカルトを解体する。だけど、時々わざと“説明しきれなさ”を残して、視聴者の脳に小さな異物を置いて帰る。第8話は、その作りが特にわかりやすい回でした。
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