Netflixオリジナルドラマ『今際の国のアリス』シーズン3第3話では、物語がさらに緊迫の度合いを増していきます。

ウサギの失踪と妊娠という衝撃的な事実、そして松山龍司とバンダの思惑が絡み合い、アリスは再び命を賭けたデスゲームへ挑むことになります。
今回描かれるのは、仲間との信頼を試す新たなゲーム。極限状態の中で人間の本性がむき出しになり、友情と裏切りの境界線が揺さぶられます。さらにジョーカーの存在感も増し、この世界の支配構造や“今際の国”の真相に一歩近づく重要な回。
本記事では、第3話のあらすじとネタバレ、そして感想や考察を詳しくお届けします。
今際の国のアリス(シーズン3)3話の見どころ

第3話は、研究施設の〈ゾンビ狩り〉と〈暴走でんしゃ〉が並走する二層構成。前半は“カードの強さ”ではなく最終人数で決まるという勝利条件を軸に、アリスが負け方すら戦略化する「多数設計」の知略を見せる回。
後半は“30秒で選ぶ/後戻り不可/ボンベは各自5本”という冷酷な制約のもと、ウサギが安全の積み重ねが未来の自由を削るという逆説に直面する。
こうだからこう、だから面白い――勝つ相手は目の前の一人ではなく盤面そのものだと、作品が言葉抜きで教えてくる。
戦略の見どころ:正義より「多数」を組み立てる
ゾンビ狩りは20ラウンド後の陣営人数がすべて。だからこそアリスは、感染の系統を可視化して“根”にだけワクチンを打ち、ショットガンはあくまで抑止に据える。
強引に卓を取りにいくよりも、最終局面で人数差を作るための試合運びへ発想を反転させる瞬間が痺れる。短期合理(撃って安心)が合意を壊す中、負け方を含めて勝つという設計志向が際立つ。
人間ドラマの見どころ:秩序と刺激の両義性
〈信頼バリケード〉を提案するレイは、秩序の設計者でありながら混沌を愉しむ観客性をのぞかせる。味方として頼もしくも危うい二面性が、盤面を一気に動かす触媒に。
イケノ/カズヤの“即時排除”は個の安心が集団の非合理を呼ぶ実例として機能し、アリスの設計と鋭く対照を成す。
サバイバルの見どころ:30秒が削る意思
〈暴走でんしゃ〉は30秒判断×後戻り不可が続く設計。ウサギが“安全側”を重ねるほどボンベと選択肢が痩せる皮肉が効いており、正しさと最適化のズレを体感させる。
音響は金属音と短いアラームで時間圧を可視化、編集は車両ごとにテンポを微妙に変え、判断疲労を観客に積み増してくる。
映像・演出の見どころ:数字→関係のスイッチ
施設パートは足音・呼気・囁きを前景化し、距離=信頼の度合いを“聞こえ”で測らせる。対して電車パートは画の圧縮/抜けを往復させ、自由度の増減を画面密度で語る。第3話全体で、数字(人数・資源)と関係(合意・抑止)の主題を、演出が気持ちよく同期させている。
――総じて、3話は正しさではなく設計が生を分けることを、知略・心理・演出の三層で体感させる回。次話は、ウサギの決断が節約の論理とどう折り合うか、そしてレイが観客から演者へ踏み込むのかに注目だ。
今際の国のアリス(シーズン3)3話のあらすじ&ネタバレ

第3話は、研究施設で進行中の〈ゾンビ狩り〉が最終ラウンドへとなだれ込み、その裏でウサギ&リュウジが挑む〈暴走でんしゃ〉が始動する二層構成。
前半は“カード計算”を踏み台に人数差を設計する心理戦が決着へ、後半は有限資源×不可逆選択のサバイバルが走り出す。こうだからこう――勝つべき相手は個々のプレイヤーではなく、盤面そのものだという事実が、ここで鮮烈に示される。
ゾンビ狩り 終盤:合意は崩れ、短期合理が連鎖炎上する
研究施設の各フロアに点在する卓で、参加者は手札7枚を元に1対1の勝負を繰り返す。勝敗は同一絵柄の合計が高い側。勝つたび相手から1枚を奪取できる。
そこに重なる3種の特殊カードがゲーム性を一変させる。
- ゾンビ:その勝負に無条件勝利。敗者は感染し、自分のデッキにもゾンビが増える(以降の卓で“ゾンビ化”を広げる触媒になる)。
- ショットガン:1回限り任意のタイミングで使用可。ゾンビには有効だが人間には無効。
- ワクチン:ゾンビ化を人間へ戻す。ただし自分には使えない(=必ず“他者の手”を介して戻される)。
全20ラウンド消化後、人数が多い陣営が勝利、少数側は即時排除という非情な総括。スタート時、施設は4グループに分けられ、各組にゾンビ1枚(計4枚)が初期配置されているため、感染の“種火”が4本走っているのがミソだ。
中盤まで、アリスは感染系統の可視化(「誰が誰をゾンビにしたか」を証言で結び、感染グラフを描く)と、ショットガンを“抑止”に置くというフレームで場を冷やしていた。
だが「ゾンビを先に撃てば人間が増える」という短期合理に飛びついた強硬派が現れ、実弾(ショットガン)が火を噴く。恐怖→先制排除→報復→疑心の連鎖で、合意は一気に崩壊。場は“撃つほど秩序が縮む”負のスパイラルへ滑り落ちる。
アリスの最終解:多数を設計する――“感染”を戦略に変える
瓦解しかけた局面で、アリスは前提を反転させる。ポイントは勝利条件が“最終人数”であること。こうだからこう――目先の卓で勝ち続けるより、ラストで多数を握ればいい。
後の事実でわかる…アリスは最初っからゾンビだった。“敢えて味方側へ感染を広げる”逆張りに舵を切る。
具体的には、
- “感染させるべき相手(味方)”と“残すべき人間(相手陣営)”を局面ごとに選別。
- 卓の組み合わせと勝ち負けの出し方を調整し、感染ベクトルを意図的に同心円状へ広げる。
- ワクチンは根(感染源)にだけ打つ方針で最小手数を維持、ショットガンは最後まで抑止に温存。
勝敗は個々の“強い一手”の総和ではなく、20ラウンド後の陣営人数へ集約される。アリスはレイ/ノブ/ナツ/サチコ/テツ/カズヤらの配置と動機を読み替え、“負け方”すら勝利設計に組み込む。結果、ゾンビ陣営が数で圧倒する見取り図が完成する。
集計と帰結:数字が告げる非情
ラウンド終了。施設の表示がゾンビ32:人間13を示した瞬間、少数派(人間)は施設の仕掛けで即時排除。多数派(ゾンビ)が生存という、情け容赦のない結末が下る。
このゲームにおいて“善意で人間を守る”は勝ち筋ではない。“最後に多数でいる”ための設計だけが価値を持つ――アリスはそれを現実にしてみせた。
レイの“観客性”:秩序の設計者は混沌も愉しむ
〈信頼バリケード〉で一時的な秩序を立て直したレイは、局面が荒れるほど目を輝かせるタイプだ。
秩序(合意)と刺激(混沌)の両義性を抱え、味方として頼もしく、同時に不安定。アリスの“多数設計”が通った背景には、彼女の心理誘導をも感染設計の一部として取り込んだ冷静さがある。
レイは最初に自分はゾンビと言っていたが、ゾンビではなくどちらか傾いた方に行く予定だった。それを見抜いたアリスがレイをゾンビにし、最後にはレイも助かる…。
設計者であり、撹乱の触媒でもある――レイの立ち位置は、第3話でも鮮明だ。
次の盤面へ:勝者は“休まず”次のゲームへ
〈ゾンビ狩り〉のクリアで一息…とはいかない。この“ジョーカーステージ”では明確な猶予が示されず、ゲームからゲームへ直行の運用が続く。
ここで視点は、別動のウサギ&リュウジへ移る。
ウサギ&リュウジへ。〈暴走でんしゃ〉導入:“生”か“死”か、30秒で選べ
ウサギとリュウジが飛び込むのは〈暴走でんしゃ〉。最後尾から先頭車両(全8両)へ辿り着けばクリア。
- 各車両への入室と同時にドアは施錠、後戻り不可。
- 入ってから30秒以内にガスマスクを装着する/しないを決める。
- 毒ガスは全8両のうち4両に仕込まれており、中和ボンベは各人5本(他人から奪えない)。
正しく読み切ればボンベを節約できるが、外せば即窒息のリスク。“賭け”の成功が次の選択肢を増やし、失敗が一気に詰み筋を呼ぶという設計で、時間と資源が同時に削られていく。
ウサギの選択が孕む皮肉:保守的な正しさは資源を喰う
序盤、ウサギは安全側に倒す判断を続け、ボンベの消費が想定より速い。
これは一見“正しい”が、残る車両が多いほど手札(ボンベ)は目減りし、後半の選択自由度が落ちるという皮肉を孕む。リュウジは節約寄りの戦術を示唆するが、30秒の圧が2人のリズムを微妙にずらし始める。
第3話時点では完全クリアに至らず、〈暴走でんしゃ〉は次話へ持ち越し。資源管理と度胸試しの二重の圧迫が、ウサギの身体から意思を削っていく。
残響:数字から始まり、関係で終わる
人数で勝敗が決まる〈ゾンビ狩り〉と、資源で自由度が決まる〈暴走でんしゃ〉。
第3話は、計算(人数・資源)と関係(合意・抑止)の両輪で「生き残りを論理で組み立てる」というシーズン3の主題を濃密に提示する。
アリスは個の勝ちを捨てて全体の多数を作り、ウサギは安全の積み重ねが未来の自由を削るという現実に直面する。正しさではなく設計が生を分ける――次話、ウサギの決断とレイの本心が、また盤面を動かすだろう。
補足:ルールの“要点”早見
- ゾンビ狩り=手札7/同スート合計/勝者は1枚奪取。特殊:ゾンビ(万能勝利+感染)/ショットガン(ゾンビのみ有効・1回)/ワクチン(自分以外に適用)。20ラウンド後、多数陣営が生存。初期は4グループ×ゾンビ1。
- 暴走でんしゃ=8両を後ろから前へ。後戻り不可、入室後30秒でマスク判断。4両に毒ガス、ボンベは各自5(不可奪取)。読みと節約が生死を分ける。
今際の国のアリス(シーズン3)3話の感想&考察

第3話は、研究施設の〈ゾンビ狩り〉が思想レベルの対決へと収斂し、ウサギ&リュウジの〈暴走でんしゃ〉が資源管理×不可逆選択の緊張を運び込む二層構成。
結論から言えば本話は、「個の勝ち筋」ではなく「多数の設計」に賭けたアリスの意思決定が作品世界のルールを露悪的なまでに可視化し、同時に“正しさ”と“生存”のズレを観客に突き付ける回だった。
こうだからこう、だから面白い――勝利条件が“多数”に変換されるルールなら、戦略の主語は“自分”ではなく“集団”になる。ここに尽きる。
ゾンビ狩りの帰結:正義より設計という残酷な論理
カードの強弱そのものは、ルール説明の“入り口”に過ぎない。
鍵を握るのは「20ラウンド終了時の陣営人数」で、どれだけ巧く勝っても最終的に多数側にいなければ負けになる。アリスが選んだのは、まさにこの勝利関数の逆算だ。
中盤まで彼は、感染系統を証言で可視化し、ショットガンを“抑止”として掲げることで無駄な流血を最小化していた。しかし短期合理――「ゾンビを撃てば人間が増える」という素朴な計算――が合意を崩壊させた瞬間、アリスは前提を転倒させる。
味方側へ“意図的に感染を広げる”という逆張りだ。
負け方を含めた試合運びを設計し、ラストで多数を握る。それは正しさの物語ではない。“勝つために世界をどう作り替えるか”の物語である。
この転回が強烈なのは、善意(人間を守る)が勝ち筋とは限らないことを、数字=最終人数という“事実”で言い切ってしまう点だ。理想より機能する倫理を選ぶ――功利主義の冷たさを、アリスは引き受けた。そこに視聴者の胸のざわつきが生まれる。
アリスの意思決定:“当てる”より“死なない”を一段推し進める
第2話の〈おみくじ〉で彼は、正答主義を捨てて被害最小の導線(地下)を選んだ。第3話では、その方針が集団スケールで再演される。こうだからこう――
- 目先の1勝は、ラストで多数を失えばノイズに過ぎない。
- 負けも有効。誰が誰を感染させたかの“グラフ”を描き換え、最後の人数差を取りに行く。
- ワクチンは根に撃つ/ショットガンは抑止。使わないために“持つ”。
この“設計志向”が、従来の“頭の良い主人公”像を一段深化させる。勝負どころを最後に置く胆力、仲間をあえてゾンビ側へ寄せる冷徹さ――倫理の微笑みを捨てたところに、彼の“生の執念”が透ける。
レイという“観客”の危うさ:秩序を設計し、混沌を愉しむ
〈信頼バリケード〉で合意の枠組みを組み直したレイは、局面が荒れるほど目を輝かせる。秩序の設計者でありながら、刺激の到来をどこかで待っている――設計と撹乱の二面性を同時に抱えるキャラクターだ。
この両義性は、アリスの多数設計にとって促進剤にも毒にもなる。彼女が“面白い”を優先した瞬間、合意は脆くなる。
しかし彼女の“観客目線”は、ときに他者の虚勢や嘘を炙り出す光にもなる。秩序と混沌の境目に立つ人物として、今後の盤面を誰よりも動かし得る存在だ。
強硬派がもたらす短期合理の罠:囚人のジレンマの“群衆版”
ショットガンの即時運用は、個人の安心を短期的に最大化する。だがその瞬間、合意のプラットフォームが壊れて報復の連鎖が始まる。結果、感染のリスクは外縁から跳ね広がる。
こうだからこう――個の合理は集団の非合理を誘発する。〈ゾンビ狩り〉は、囚人のジレンマを多人数非対称に拡張して見せる設計で、“信頼コスト>裏切り利得”の状態をいかに維持するかが核心だった。ここを読み切ったアリスだけが、“負け方”を含めて勝った。
画と音が語る“数字→関係”のスイッチ
第3話の画作りは、見せるべき抽象が明快だ。
- ゾンビ側の人数が増えるほど、フレーム内の密度がわずかに上がり、個の顔が集団の塊へと溶けていく。多数設計の“効き”を見た目の質量で語る演出が気持ち良い。
- 研究施設では足音・息遣い・囁きが立体的に配置され、距離感=信頼の度合いを耳で測らせる。
- 対照的に、〈暴走でんしゃ〉は金属音+短いアラームで30秒の圧を身体に埋め込む。判断の早さは正義だが、早さが自由を奪う――このパラドックスを音が先に知らせる。
〈暴走でんしゃ〉:有限資源×不可逆選択がウサギの“正しさ”を削る
ルールはシンプルだが、中和ボンベは各自5本、車両は8両、うち4両に毒ガス。入るたび後戻り不可、30秒で決断。序盤で“安全側”に倒すほど、後半の自由度は痩せる。
ウサギは“生かす判断”を選び続けるが、それが未来の選択肢を削り、詰み筋を早める皮肉を孕む。ここで提示されるのは、正しさ(短期の安全)と、設計(長期の自由)との衝突だ。
リュウジの“節約”志向とのズレは、二人のリズムに微細な不和を生む。愛情と最適化はしばしば同居できない――シリーズが繰り返すテーマを、ゲームの手触りに落とし込んでいる。
ジョーカーステージとは何か:ビザを剥ぎ、設計を強いる
今季の“ジョーカー”は、従来のビザ=猶予を事実上剥ぎ取り、ゲームからゲームへとプレイヤーを直送する。猶予がないという事は、「休息で修復する」物語を封じ、常に“盤面設計”を続けさせるということ。
ここに記憶の微回復が重なり、プレイヤーは「自分は以前もこの世界で考え、設計し、選び取った」ことを(断片的に)思い出す。過去の自分が置いた設計の延長線に、もう一度立たされる構図が、S3のメタな面白さだ。
SNSの温度感(総観)
- 多数設計の冷酷さに賛否が割れる一方、“負け方を設計に組み込む”発想への感嘆が多い。
- レイに対しては「頼もしいのに怖い」という二律背反の声。
- 〈暴走でんしゃ〉は「30秒の決断が続くしんどさ」への共感と、「安全の積み重ねで詰む」という構造への気づきが散見される。
物語構造の要点
- “人数で決まる勝利条件”は、物語の主語を“私”から“私たち”へ移す装置。
- ショットガンは抑止に置き、ワクチンは根に撃つ――この二点だけは、どんな混沌でも軸として機能する。
- 安全第一は尊い。だが安全の総和が自由を削る局面がある。〈暴走でんしゃ〉はその学習装置。
- 記憶の微回復は、“前周回の自分が組んだ設計”を現在につなぐ導管。S3は観客にも**「設計で見る癖」**を強いる。
まとめ:正しさではなく設計が生を分ける
第3話は、多数の設計と資源の設計を両輪で提示し、「生き残りを論理で組み立てる」という今季の主題を最大までくっきりさせた。こうだからこう、だから面白い――
- 勝利条件が人数なら、戦略は集団を主語に設計すべき。
- 資源が有限なら、今の正しさは未来の自由を削り得る。
- 抑止と合意、節約と賭け、愛情と最適化――矛盾する軸を同時に回すことこそが、この世界の“正解以外の正解”だ。
次回、ウサギの選択が節約の論理とどう折り合うか。レイが観客から演者へ踏み込むのか。アリスの多数設計が、倫理とどう再接続されるのか。設計で見る癖を持ったまま、続きに飛び込みたい。
今際の国のアリス(シーズン3)の関連記事
全話まとめた記事はこちら↓

シーズン3の4話についてはこちら↓


コメント