第7話を見終えたあと、「解決したはずなのに、何も終わっていない」そんな感覚が、長く残りました。
殺人実況生中継。10万人という視聴者数を“制限時間”にしたゲーム。見た目は過激で、センセーショナルです
でも、この回の本当の恐ろしさはそこじゃない。
突きつけられるのは、
いじめが人を殺しても、法律では裁ききれない現実と、その瞬間に生き残った人間だけが背負わされる重さでした。
法医学的には「自殺」。
けれど、ミコトは言います。
「いじめという名の殺人」だと。
ここでは、第7話の殺人実況事件の真相を整理しながら、なぜこの回が『アンナチュラル』の中でも特別に重いのか、そして作品が最後まで手放さなかった問いについて考察していきます。
アンナチュラル7話のあらすじ&ネタバレ

第7話「殺人遊戯」は、シリーズの中でも異質なくらい“解剖がない”回です。
にもかかわらず、法医学ドラマとしての緊張感が一切落ちない。むしろ、解剖台が使えない状況に追い込まれたとき、UDIがどんな武器で戦うのかがよく分かる回でもあります。
そしてこの回、テーマはただの「ネット配信型の劇場犯罪」では終わりません。最終的に突き刺さるのは、“いじめ”と“生存者の罪悪感”と、“法律の届かなさ”です。ここから先はネタバレ込みで、時系列に沿って丁寧に追います。
謎のメール、謎のURL、そして「殺人実況生中継」
ある日、三澄ミコトの携帯に「これを見たら電話をください」というメッセージとURLが届く。差出人は、ミコトの弟・秋彦(予備校勤務)が紹介してきた“法医学に興味のある高校1年の男子生徒”。
ミコトがリンクを開いた瞬間、状況は一気に非日常へ転がり落ちます。
画面に映っていたのは、「殺人者S」を名乗る人物によるライブ配信。そこには“自分が殺した”という男子生徒「Y」の遺体があり、さらに「人質のX」まで映っている。しかも彼はミコトに挑戦状を叩きつける。
「Yくんの死因は何でしょう?」
答えを外せば、Xも殺す。制限時間は、視聴者数が“10万人”に到達するまで——。
皮肉すぎる導入:UDIで話していたのは「遠隔死亡診断」だった
偶然が残酷なのは、UDIラボ内でちょうど「遠隔で死亡診断をする」ことのガイドライン的な話題が出ていた直後、まさに“遠隔で死因を当てろ”という事件が降ってくる点です。
中堂は「乗るな」と止める。
視聴者が増えれば増えるほど、相手の思う壺だと。だけどミコトは、相手のゲームに“乗る”しかないと判断する。ここでミコトは正義感だけで動いてない。目の前に「次の死」がぶら下げられている以上、確率を上げる行動を取る——この冷静さが彼女らしい。
まず確認すべきは「本当に死んでいるのか」
ミコトが最初にやるのが、推理じゃなくて“確認”なのがプロです。彼女は殺人者Sに、Yの目(瞳孔)を映すように要求し、映像上の所見から死亡を確かめる。
さらに映像から拾える情報を徹底的に積み上げていく。たとえば、
- 服の背中が複数箇所で破れている
- 出血量の割に、配信している場所は“血の海”になっていない
- 角膜の状態などから死亡推定時刻を絞る
- 上履きを履いている(=学校内の線が濃い)
こういう「画質の荒い映像から、医学と観察で情報を抜き取る」過程が、この回の一番のサスペンスです。
高校へ急行:UDIが“解剖室の外”で捜査をする
殺人者SとYが、私立高校の生徒だと判明。ミコトは現場(学校)へ向かい、東海林・六郎も動く。警察も駆けつける。
学校内を調べると、備品倉庫に大量の血痕が残っていた。つまり、Yが倒れて映っている場所(配信場所)と、実際に致命的な出血が起きた場所がズレている。殺人者Sが出した最初の“ヒント”——「Yを殺したのは別の場所」——がここで具体化します。
「殺人者S」と「Y」の正体が見える
殺人者Sの正体は、翠川高校1年A組の白井一馬。
そして遺体の「Y」は同じ高校の横山伸也。
担任教師は「白井と横山に接点はなかった」と語るが、視聴者としてはこの時点でピンとくる。“教師が見えていない接点”ほど、危険なものはない。
ヒント②「刺された背中」—傷が“多すぎる”のではなく、“揃いすぎている”
殺人者Sは視聴者数が増えるたびにヒントを出す。次に提示されたのは「刺された背中」。白井は横山の背中を見せ、傷の形状がある程度分かる映像を公開する。
ミコトはそこから、刺創が複数あること、致命傷がどこに入ったか、出血死であること、即死ではなくある程度の時間は生存していた可能性などを詰めていく。
さらに重要なのが、横山の身体に“過去の打撲痕”が混ざっていること。つまり、横山は日常的に暴力を受けていた線が濃くなる。
ヒント③「凶器のナイフ」—そして中堂が動く(坂本も動く)
殺人者Sは凶器のナイフを画面に映して見せる。分厚く、片刃で、特徴のあるナイフ。学校内でも「あれは誰のナイフだ」という話が出てくる。
ここでミコトは中堂にも協力を求める。中堂は渋りながらも動きが速い。坂本の職場へ行き、科学捜査用の特殊ライト(ALSライト)を借りてくる流れになる。
学校という密室で広がる「いじめ」の輪郭
調べが進むにつれ、横山が一見“目立つグループ”にいるように見えながら、実は同じグループの小池たちから暴力を受けていたことが浮かぶ。さらに白井も入学当初から“いじり”の対象だった、と学校側は把握している。
クラス委員の女子生徒が「ライブに映るナイフは小池のものだ」と詰め寄り、教員側も「最近は収まっていた」などと語る。
「収まっていた」って、誰にとって?
被害者が黙っただけかもしれないのに、教員は“沈静化”と呼んでしまう。
「アリバイがある」—でも、ここで重要なのは犯人当てじゃない
警察の取り調べで、小池たちが前夜に駅前の書店で万引きをして捕まっていたことが判明する。最悪のアリバイだけど、これで「小池が横山を刺した」線は薄くなる。
ここで物語の焦点がハッキリします。
この回がやりたいのは「誰が刺したか」じゃない。
白井がミコトに“言わせたい言葉”がある、というミコトの推測が核心に近づいていく。
トリック解明:不自然なのは「刺されたこと」ではなく「刺され方の整いすぎ」
ミコトは白井に連絡し、「死因が分かった」と告げる。死因は出血死。凶器は白井の手元にあるナイフ。ここまでは映像と現場で詰められる。
決定打は、傷の位置関係が“揃いすぎている”こと。複数回刺されたのに、角度や位置の整合が出来すぎている。さらに現場から、細工に使ったとみられる素材の痕跡が見つかる。
ここからミコトは、横山が自分で致命傷を作った可能性(=法医学的には自死)を導き出す。しかも凶器がその場に残らないような“仕掛け”まで組まれていた、と推定する。
※この回は方法の具体性がかなり高いので、ここでは再現できるレベルの細部は省きます。
重要なのは、横山の死が「単純な刺殺」ではなく、他人に罪を着せることまで含めた“構造としての自死”だった点です。
ミコトの答え:「法医学的には自殺」——でも私は“殺された”と思う
白井はミコトの答えに激しく反発する。視聴者(配信コメント)も「つまらん」「刺殺だろ」みたいに無責任に消費する。
そこでミコトが出すのが、あの線引きです。
- 法医学的には自殺
- でも、彼女個人としては「法律では裁けない、いじめという名の殺人」だと思う
この二段構えが、第7話の心臓です。
白井の独白:横山が助けたことで、横山が標的になった
後半、白井の告白で全体像が繋がる。入学当初、からかわれていた白井を助けたのが横山だった。だがその結果、横山までいじめのターゲットになる。白井と横山は推理小説を参考に、“自分たちが死んででも加害者に罪を背負わせる”仕掛けを考えるようになってしまう。
そして昨夜、横山から白井に電話が来る。「小池たちに呼び出された。あのトリックを試すチャンスだ」。白井は戸惑うが、横山は「何が遊びかもう分からない」と吐き捨てる。
白井が横山のもとへ急ぐ途中で見たのが、小池たちが万引きで連行される場面。ここで白井は悟る。
今、横山が死んでも“狙った形”では小池たちを追い詰められない。止めなければ、と電話するが間に合わず——学校に着いた時、横山はもう息をしていなかった。
人質Xの正体:本当の狙いは「殺す」じゃなく「拡散」だった
白井は「もう一人殺さなきゃ」と言って人質Xを映すが、実はXは人形だった。ここでようやく、視聴者は“この事件は追加の殺人が目的ではない”と確信する。
白井は加工を外し、素顔と実名と所属クラスを晒したうえで、いじめの加害者(小池・澤田・松本)を名指しし、「これは遺書です」と言って自死しようとする。
この時の白井の顔って、復讐で昂ぶってる顔じゃない。むしろ、やっと役割を果たしたような顔をしてる。だから余計に怖い。
ミコトの説得:「死んだら加害者は忘れて生きる」
ミコトが白井に投げる言葉は、正論でも説教でもない。論理なんです。
白井が死ねば、加害者は転校し、名前を変え、別の場所で新しい人生を始める。被害者の痛みは届かない。だから「あなたの人生はあなたのものだ」と止める。
このセリフが放送当時に大きく拡散されたのも分かる。いじめを語るとき、どうしても精神論に寄る。でもミコトは、“加害者の逃げ切りやすさ”という現実から組み立ててくる。
白井は配信を止める。けれど“止まった=助かった”では終わらない。ここがアンナチュラルです。
最後に止めたのは中堂:「許されるように、生きろ」
六郎・東海林・中堂は白井の居場所を特定し、突入する。中堂が窓ガラスを割って入ってくるのがまた強烈で、彼の倫理観の壊れ方が“救命”の方向にだけ発動するとこうなるのか、という感じ。
白井が漏らすのが「僕だけが生きてていいのかな」という言葉。ここで中堂は、説教もしないし慰めもしない。ただ一言。
「死んだやつは答えてくれない。だから、許されるように生きろ」
中堂が言うから刺さる。中堂自身が、恋人の事件で“答えの出ない問い”を抱えて生きている側の人間だからです。
エピローグ:中堂の本題「赤い金魚」へ——そしてミコトは「了解」と言う
事件の後、中堂はミコトに8年前の恋人の事件を語り、口腔内に残された“赤い金魚”の痕がある遺体が他にも出ていることを告げる。そして「協力しろ」と要請する。ミコトは「了解」と答える。
これで第7話は終わりなんですが、個人的にはここが一番怖い。
いじめの回で人が救われそうになった直後、“連続性のある悪”の匂いが濃くなる。つまり、物語が次の段階に入った合図です。
アンナチュラル7話の伏線

第7話は単発事件としても完成度が高いんですが、シリーズ全体の“縦軸”に対しても、はっきりギアチェンジが入る回です。ここでは、後から効いてくるポイントを「伏線」として整理します。
「解剖がない」=UDIの能力が“解剖室の外”へ拡張される布石
第7話は解剖シーンがなく、PCの映像や機材を使って死因究明を進める初のパターン。
これって、シリーズのテーマである「死因究明は、死体の前だけで完結しない」を強化する回なんですよね。
以降のエピソードでも、UDIは“現場で拾う情報”と“解剖の情報”を行き来して戦っていく。
第7話はその練習試合というより、正式な戦術変更の宣言に見えます。
中堂の「協力しろ」が、縦軸(赤い金魚事件)を本格始動させる
中堂は恋人・夕希子と同じく口の中に“赤い金魚”の印がある遺体を探すためにUDIにいる。しかも葬儀社の木林を金で使ってまで情報を集めている。
第7話終盤で、その“赤い金魚”がミコトの目の前に正式に差し出される。ここから先、物語の中心は「毎回の事件」だけじゃなく「赤い金魚」へも二重化していく。シリーズの推進力が増す、重要な伏線です。
「六郎の無表情」問題:チームの信頼が揺れる前触れ
第7話ラスト付近、ミコトと中堂が“共闘の言葉”を交わした直後、六郎が無表情でそれを見ている——という描写が語られます。
この時点では理由が明かされない分、「UDIの中に、何か爆弾がある」気配が残る。
アンナチュラルは、事件だけじゃなくチームの内側のほころびをサスペンスにしてくる作品です。第7話はそれが目立ち始めるタイミングでもあります。
「いじめは殺人」という言葉が、シリーズの倫理観を固定する
第7話でミコトが言い切るのは、「法医学的な分類」と「社会的な実感」のズレです。
このズレを埋めようとする姿勢が、アンナチュラル全体の倫理観になっていく。
- 法に書かれた正解
- でも、現実の痛みは別のところにある
この二層構造は、以降のエピソードでも形を変えて繰り返されます。第7話はその“固定回”です。
パプリカの仮面=「君を忘れない」という皮肉な象徴
白井が顔を隠す赤いパプリカ。これは小道具として強烈に印象に残るんですが、パプリカの花言葉に「君を忘れない」などがある、というのが皮肉として刺さります。
第7話の中で横山は死に、白井は“忘れない側”として生き残る。その構図を、仮面が先に語っている感じがあるんですよね。
アンナチュラル7話の感想&考察

第7話は、個人的にシリーズ屈指の“心が重い回”です。
事件の形が派手(殺人実況生中継)なのに、最後に残るのは派手さじゃない。いじめの陰湿さと、救われなさと、そして「生き残った側」にだけ課される宿題です。
「10万人」という制限時間が示すもの:正義ではなく“数字”で人が動く
犯人(白井)の制限時間が“10万人”なの、めちゃくちゃ現代的です。時計じゃない。数字=注目=拡散が時間の代わりになる。
つまりこの事件は、法医学者を相手にしてるようで、本当は社会全体を相手にしている。
「見ているだけの人間」が10万人集まった瞬間に、誰かが死ぬかもしれない。
でも10万人のうち大半は、責任を負わない。
この構図がえげつない。いじめも同じで、加害者だけじゃなく“笑ってた周り”がいる。第7話は、配信の視聴者を通して「傍観者の顔」を画面の外にいる僕らへ向けてきます。
ミコトの言葉が刺さる理由:感情論じゃなく“加害者の逃げ切り”を突くから
「生きろ」「命は大切」って言葉は、追い込まれてる側には届かないことがある。
第7話のミコトはそこを分かっていて、別の角度から刺してきます。
彼女が白井に示したのは、加害者が“のうのうと生きる未来”です。白井が死ねば、加害者は忘れる。逃げる。名前を変える。場所を変える。人生を続ける。だから、お前が命を差し出しても割に合わない。
この説得、残酷に見える。でも僕は誠実だと思う。
いじめの問題って、「加害者にも未来がある」みたいな甘い言葉で濁されがちだけど、被害者の未来は一度折れてる。そこで必要なのは優しさより、現実の構造の提示なんですよね。
実際、視聴者の感想でも「加害者はこれからものうのうと生きる」という怒りが噴き出しているのが分かる。
「法医学的には自殺」でも「いじめという名の殺人」——この二重判定が作品の核
第7話は、ジャンル的にはミステリーなんですが、解決の瞬間にスカッとしない。理由は簡単で、正しい結論が、救いにならないからです。
法律に乗るには「自殺」。
でも現実の感覚では「殺された」。
このズレが、社会の中でいちばん処理されずに放置される領域なんですよね。
そしてアンナチュラルは、その放置を許さない。
「自殺で終わり」じゃなく、“その自殺を作った環境”を言葉にする。第7話のタイトル「殺人遊戯」は、いじめが“遊び”として消費される薄気味悪さをそのまま刺してると思います。
中堂の一言「許されるように生きろ」—これは慰めじゃなく、刑罰に近い
僕が第7話で一番怖かったのは、最後に白井を止めた中堂の言葉です。
「大丈夫」「君は悪くない」ではなく、「許されるように生きろ」。
これ、救いに見えて救いじゃない。
白井は横山を救えなかった。止められなかった。間に合わなかった。
その罪悪感をゼロにはしない。むしろ背負って歩け、と言っている。
でも中堂自身が、それをやって生きてきた人間なんですよね。恋人の死の真相を追い続ける彼は、今も“終わらない問い”の中にいる。だからこそ、軽い言葉が出ない。
「生きろ」じゃなくて「生き方を選べ」。この冷たさが、逆にリアルで泣ける。
第7話が残すもの:誰も“完全には救われない”のに、前に進むしかない
横山は死んだ。白井は生き残った。加害者は完全に裁けないかもしれない。教師は見て見ぬふりをしたかもしれない。視聴者は数字として消費したかもしれない。
それでも白井は生きる。
中堂の言葉どおり「許されるように」生きる。それは救いじゃなくて、罰に似ている。けど、罰を背負ってでも生きるしかない。
アンナチュラルって、“死者のためのドラマ”に見えて、実は毎回「生き残った人にどう生きろと言えるか」をやってる作品だと思うんです。第7話はそれが極限まで尖った回でした。
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