第4話を見終えたあと、胸に残ったのは涙よりも重たい感情でした。確かに救いはある。裁かれるべき相手もはっきりする。それでも、すべてが「解決した」とは言えない。
この回で描かれたのは、事故か過労死か、という死因の問題だけではありません。
人は何のために働き、誰の都合で命を削られるのかという問いです。
バイク事故の裏に積み重なっていたのは、忖度、長時間労働、見て見ぬふり、そして無邪気な消費。
第4話は、働く現場の話でありながら、同時に視聴者自身の立ち位置を静かに問い返してきます。
ここでは第4話の展開を振り返りながら、なぜこの回が「泣ける」だけで終わらないのか、その苦さの正体を考えていきます。
アンナチュラル4話のあらすじ&ネタバレ

第4話「誰がために働く」は、UDIラボが扱う“死因究明”という仕事が、遺された家族の人生と、働く現場の歪みをどう照らすのかを真正面から描いた回でした。
バイク事故で亡くなった男性の死を、「ただの交通事故」で終わらせないために、誰が何を背負い、どこまで“事実”を掘り起こすのか。タイトルの問いが、視聴者の側にも刺さってくる構造になっています。
一方で、UDIの中にも不穏な影が忍び込みます。差出人不明の脅迫状、そして中堂系が隠してきた“秘密”が輪郭を持ち始める。1話完結の事件の裏で、シリーズの背骨が見えてくる回でもあります。
ミコトの母・夏代がUDIへ:依頼は「若い父親の死因究明」
ある日、三澄ミコトの母(育ての母)で弁護士の三澄夏代がUDIラボに解剖を依頼しに来ます。
依頼の対象は、バイク事故で若くして亡くなった佐野。佐野には妻・可奈子と幼い子どもが2人いますが、任意保険が切れており生命保険にも入っていなかった。残された家族は金銭面でも精神面でも追い詰められていて、「せめて“何が起きたのか”だけははっきりさせたい」という状況です。
ここで重要なのは、夏代が“労働”の現場を知る弁護士として登場すること。UDIの仕事は死因究明ですが、死因がどこに接続されるかで、遺族が得られる救済(賠償や謝罪、再発防止)が変わってしまう。
だからこそ、今回の解剖は「真実を明らかにする行為」であると同時に、「責任の所在を決める行為」でもあります。
3つの“責任候補”がUDIに集結:過労・修理ミス・病気見落とし
佐野の事故原因として疑われるのは3つ。
- 工場の長時間労働による過労
- バイクの修理ミス
- かかりつけ医師の病気の見落とし
死因次第で責任の矢印が変わるため、当事者たち(勤め先の工場長・バイク屋の店長・病院側の弁護士)がUDIに乗り込んできて、醜い押し付け合いを始めます。
このシーン、僕は“法医学ミステリー”としての面白さ以上に、現代社会の縮図として怖いんですよね。誰も「佐野がどう死んだか」を本気で知りたいわけじゃない。知りたいのは「自分が払うことになるのかどうか」。死因が“カード”になって、死者が交渉材料にされる。
解剖結果は「くも膜下出血」:事故の衝撃か、事故前の発症か
ミコトたちは中立公正の立場で解剖に入ります。そこで見えてきたのが、死因が「くも膜下出血」である可能性。
しかし問題は、それが“事故の衝撃で起きた”のか、それとも“運転中に発症して事故を招いた”のか。ここが確定しないと、過労・整備・医療のどこが原因かが決められません。
ミステリーとしてはシンプルで、だからこそ残酷です。遺族にとって必要なのは「夫は何で死んだのか」なのに、周囲の大人たちは「誰が悪いことにできるか」を争っている。
大人の言い訳が子どもを壊す:祐の怒りと“石を投げるしかない”瞬間
責任の押し付け合いを目の前で見せられるのが、佐野の長男・祐です。大人たちの言葉は、子どもの心をまっすぐ傷つける。
祐は「本当のことなんて、どうだっていいんだ」「あったことも全部、なかったことにされる」と呟き、父が作っていた「しあわせの蜂蜜ケーキ」の店に石を投げる。あれは“反抗”というより、言葉を奪われた子どもが世界に対してできる、最後の意思表示に見えました。
ここ、事件の核心って実は“死因”じゃないんですよね。
祐が壊れそうになっている理由は、「父が死んだから」だけじゃない。「父の死が、都合よく処理されるから」。つまり社会の側が、死者を二度殺す。
工場の「過労はない」は本当か:未払い残業と“忖度”の地獄
可奈子の口から語られるのは、終電後まで働かされていた現実、そして未払いの時間外労働が140時間を超えるという訴え。工場はバイク通勤を認めていないのに、帰れない時間まで働かせている。矛盾がむき出しです。
しかし工場長・松永は強硬に否定します。「過労なんて事実はない」と言い張り、むしろ遺族に冷酷な言葉を投げつけてしまう。ここで可奈子は一度、訴えを取り下げようとします。裁判になれば、亡くなった夫がまた悪く言われ、祐がさらに傷つくから。
そしてさらに露呈するのが、社長の論理です。
残業は「強制していない」、従業員が勝手に“忖度”しただけだ、と。言い換えるなら、「死ぬまで働いたのは自己責任」という世界観。ここまで来ると、悪役として清々しいレベルで、視聴者側の怒りを燃料に物語が加速します。
工場長が倒れる:加害者の顔で、同じ地獄にいる人
ところが、松永自身が過労で倒れてしまう。ここでドラマは一段ギアが上がります。松永は遺族に酷いことを言った。だから“加害者”に見える。けれど同時に、松永も社長の無茶を押し付けられ、最も長く働かされていた人間でもあった。
この回が上手いのは、「ブラック企業の悪人」を単純に一人立てて終わらせないところです。工場長は“盾”にされている。部下を守りたい気持ちと、家族を食わせる責任と、社長に逆らえない現実。その全部が、彼を歪ませる。
真の死因「外傷性椎骨動脈解離」:一ヶ月前の傷が、運転中に破裂した
組織検査などを経て、死因の正体が明らかになります。佐野は「外傷性椎骨動脈解離」を起こしており、それが破裂してくも膜下出血に至った。
ポイントは、その外傷が“事故当日”ではなく“約30日前”の転倒で負ったものだった、ということ。
ここで、病院の見落としやバイク屋の修理ミスという線が薄くなる。責任の矢印は、否応なく「過労」や「働かせ方」に寄っていきます。
30日前の花火の日:社長のホームパーティにケーキを届けた夜
可奈子の証言などから、30日前の花火の日に佐野がバイクで転んで帰ってきたことが判明します。そしてその日、佐野は連勤と残業で疲弊した状態で、社長のホームパーティにケーキを届けに行っていた。
この“ケーキ”が象徴的なんですよね。作品内では「しあわせの蜂蜜ケーキ」として描かれ、職場でも現場でも、甘いものとして目の前にある。
でもその甘さの裏側で、誰かの命が削られている。しかも届け先は、浮かれて騒ぐ社長側のパーティ。格差というより、視線のズレがえげつない。
2000個のマンホール捜索:証拠を“拾いに行く”という執念
30日前の転倒が“仕事に紐づく事故”だと証明できれば、責任の所在をより明確にできる。
だが事故現場が分からない。そこでミコトたちは、バイク損傷の痕などを手掛かりに、市内のマンホール約2000カ所を調査するという、気の遠くなる捜索に踏み出します。
この時、ミコトは祐を同行させます。遺族の子どもを危険に巻き込むのか?という迷いもありそうな状況で、ミコトは“事実に立ち会う権利”を祐に渡したように見えました。後から真実を突きつけられるより、自分の意思で向き合えるように。
そしてここが胸を打つところで、工場の従業員たちが捜索に加わる。工場長・松永を先頭に、みんなでマンホールを探し始めるんです。あの“ザッザッ”と歩いてくる感じ、ドラマ的にベタと言えばベタ。でもベタで泣かせるだけの説得力が、この回にはある。
防犯カメラの映像:祐が「僕も見たい」と言った意味
捜索の末、事故現場となったマンホールを特定し、付近の防犯カメラ映像で転倒の瞬間が裏付けられます。祐は「僕も見たい」と覚悟を示し、父がアスファルトに叩き付けられた瞬間を自分の目で見る。
ここ、親の死の瞬間を子どもに見せるなんて…と倫理的にギリギリのラインにも見えるんですが、僕は“見せること”が救いにもなる描き方だったと思います。祐が欲しかったのは「かわいそうな遺族扱い」ではなく、「父の死はなかったことにされない」という確証だから。
クライマックス:潰れるケーキと、花火と、Lemon
30日前の夜。社長のホームパーティにケーキを届けた佐野は、その帰り道で転倒し、致命的な外傷を負う。
必死で届けたケーキは、その後、パーティの客たちに雑に扱われ、テーブルから落ちて潰れてしまう。潰れるケーキ、舞い散る花火、そして主題歌「Lemon」。第4話の感情が全部、あの数分に圧縮されていました。
僕がこの回で一番えぐいと思うのは、“悪意がない”側がケーキを潰していることです。社長は明確に悪い。
けどパーティ客はただ浮かれているだけ。つまり、他人の労働を軽く踏むのは、いつだって無邪気な側かもしれない、という突きつけ。
結末:社長を相手に、従業員全員で裁判へ
死因が明らかになり、責任の矢印は「社長の指示」「過酷な勤務」「労働環境」に収束していきます。
夏代がバックにつき、従業員全員で未払い残業代の請求と労働環境改善を求め、社長を相手に裁判を起こす流れへ。個人の戦いではなく、“現場全体”の戦いになるのがこの回のラストの希望です。
そして工場長・松永も、社長に反旗を翻します。工場のラインを止め、2日間の休みを宣言し、怒鳴り込む社長に対して「人を死なせてまでやることなのか」と叩き返す。この台詞が、タイトルの答えを一つ提示していました。仕事のために人が死ぬのは、もう“働く理由”の形をしていない。
もう一つの事件:脅迫状と、中堂の秘密が動き出す
メイン事件の裏で、UDIには「お前のしたことは消えない、裁きを受けろ」という脅迫状が届きます。中堂は「自分宛てだ」と言い、葬儀屋の木林を使って怪しい動きをしていることが示される。
さらに、ミコトは中堂がかつて殺人容疑で逮捕され、不起訴になった過去があることを耳にします。
そして中堂が、遺族に無断で遺体の検体を取るような違法すれすれの行為をしている現場を目撃。所長・神倉から語られるのは、中堂が8年前、恋人の他殺体を関係を明かさずに解剖していたという事実でした。
この回で明かされるのは“全貌”ではなく、“動機の入り口”だけ。でも入口だけで十分に強烈で、物語全体の温度が一段下がる。中堂が抱える闇が、UDIという場所そのものを揺らしていきます。
アンナチュラル4話の伏線

第4話は、1話完結のカタルシスをちゃんと作りながら、シリーズを貫く「罪」「裁き」「不条理な死」という軸を大きく前進させました。
ここから先を知っている人ほど、「あ、ここで種を蒔いてる」と気づけるポイントが多い回です。
脅迫状「裁きを受けろ」:UDIメンバー全員が“罪”を抱える可能性
脅迫状の文面はシンプルで、だからこそ怖い。「お前のしたことは消えない」。
この言い回しは、ミコトにも神倉にも東海林にも刺さる。つまり、UDIという組織自体が「過去の選択」を抱えた人間の集合体だという前提を置き直しています。
さらに中堂が「自分宛て」と言い切ることで、視聴者の意識は中堂の過去へ一気に引っ張られる。脅迫状は“外からの脅威”であると同時に、“内側の罪”を可視化する装置です。
中堂×木林:葬儀屋を金で使う関係が示す“ルール破り”の危険
中堂が木林を使って遺体に近づき、遺族に無断で検体を取る。これ、UDIの理念(中立公正)と真っ向から衝突する行為です。つまり「UDI内部に、倫理観の地雷がある」という伏線。
この“ルール破り”が今後何を生むのか。中堂個人の暴走で済むのか、UDI全体が巻き込まれるのか。第4話はそこを匂わせるだけ匂わせて終わります。
「8年前の恋人」:中堂の過去がシリーズの縦糸になる
所長・神倉が語る「恋人の他殺体を何も言わずに解剖した」という事実。これが中堂が疑われた理由であり、同時に“彼が真実に取り憑かれた理由”でもある。
中堂が8年前に殺害された恋人・夕希子の解剖を担当し、犯人が捕まらないまま“赤い金魚”の印がある遺体を追っていることが示される。第4話は、その長編の入口。
「赤い金魚」:不自然死が“点”から“線”に変わる予告
シリーズ序盤は各話の事件が点で成立している。
でも中堂の目的が示された瞬間、UDIに集まる不自然死のデータが“線”になり得ると分かる。「赤い金魚」という言葉は、後半の物語の背骨そのものです。
第4話は、視聴者に「このドラマ、1話完結の顔をしながら、でかい連続性を隠してるぞ」と気づかせる回でもあります。
久部六郎の“仕事”と“罪悪感”:正義と商売の間で揺れる男
久部が友人から言われた「何のために働くんだろうな」という一言が、この回の起点になっているのが象徴的です。久部はUDIの一員でありながら、別の“仕事”の匂い(週刊誌的な視線)も背負っている。
第4話は、久部が“記事を書く側”に向かっていく描写も入ってきます。彼の正義はどこへ向かうのか、誰に利用されるのか。これは後半の爆弾の伏線です。
「マンホール2000個」:このドラマの“真実への到達方法”を象徴する仕掛け
マンホール探しは、単なる熱い展開ではなく、UDIの仕事の本質を示す装置です。真実は、机上でひらめいて降ってくるものじゃない。埋もれた証拠を“拾いに行く”人間の手でしか掘り起こせない。
この「地道さが奇跡を起こす」感覚は、以降の回でも形を変えて繰り返されます。第4話はその宣言になっています。
アンナチュラル4話の感想&考察

第4話、視聴後に残るのは「泣けた」という感情だけじゃなく、胃の奥に沈むような苦さでした。実際、放送当時も「一番泣けた」「働くことを考える回だった」といった声がSNS上で目立ったと言われています。
僕自身も、泣ける回だと思います。だけどそれ以上に、“自分がどっち側にいるか”を問われる回なんですよね。労働を搾取する側/される側という単純な話じゃなく、日常のあちこちに「無邪気に潰す側」が潜んでいるから。
「家族の物語」ではなく「構造の物語」になっているのがエグい
佐野は家族思いの父親で、祐は父を愛していた。ここだけ切り取れば、分かりやすい“お涙頂戴”にもできる。でも第4話はそこに留まらない。
工場長は遺族に酷いことを言った。でも彼も過労で倒れる。社長は悪い。でも社長だけを倒せば終わりかというと、そうでもない。客は浮かれるだけでケーキを潰す。誰もが、自分の役割の中で他人を傷つけている。
この“構造”を描いたからこそ、視聴後に残るのが「かわいそうだった」ではなく「じゃあ自分は?」になる。ドラマとしては攻撃力が高い回です。
工場長・松永が「ヒロイン」と言われる理由
ネットでも「工場長がヒロイン」と言われがちな回なんですが(僕も分かる)、あれって“改心”が気持ちいいからだけじゃないんですよ。
松永の変化は、善悪の話じゃなく「責任の再配置」なんです。
これまで:社長の欲を“現場”が受け止め、工場長が盾になる
ここから:工場長が盾であることをやめ、現場が連帯して社長に矢印を返す
ラインを止めるって、管理職としては恐ろしい決断です。だけど「商品へのプライド」より、「人が死んだ現実」の方が重い、と彼が選び直す。その瞬間に、祐の世界も少し救われる。
このドラマ、こういう“責任の取り方”を美化しすぎないのも良いところで。松永は遺族を傷つけた。だからこそ、彼が立ち上がる姿が赦しではなく贖罪に見える。気持ちいいだけで終わらない。
2000個のマンホールが象徴するもの:見えない場所に落ちた“事実”
マンホール探しって、ドラマ的にはかなり強引にもできる題材なんですが、第4話は“強引さ”がテーマと噛み合ってるんですよね。
マンホール=普段は誰も見ない場所。
その上を、みんな毎日踏んで歩く。でも、その下には生活インフラが詰まってる。
僕はこれがそのまま労働のメタファーに見えました。誰も見ない場所で、誰かが回しているから、社会は回る。だけど見えないから、潰れても気づかない。気づいた時には、人が死んでいる。
だからこそ、2000個を一つずつ見るしかない。
「面倒だから」「現実的じゃないから」でやめた瞬間に、事実はまた“なかったこと”にされる。祐が一番恐れていたのはそれだったはずで、この回はそこに真正面から答えた。
「裁き」は誰に下るのか:中堂の闇と、視聴者の恐さ
脅迫状の文面は中堂に向けられている可能性が高い。でも、僕は“視聴者側”にも刺さる言葉だと思いました。「お前のしたことは消えない」。
働かせすぎを見て見ぬふりした。
誰かの残業で成り立つサービスを当たり前に享受した。
ケーキを潰す側の無邪気さを、笑って眺めた。
第4話が怖いのは、中堂の過去(恋人の事件、違法すれすれの捜査)を提示しながら、同時に「罪のない人間なんているのか?」という問いを投げてくるところです。中堂だけの話じゃなく、僕ら全員の話になる。
この“裁き”の感覚が、シリーズ後半の大きなうねりに繋がっていく。
第4話は、感動回の顔をした「倫理の地獄」の入口でもありました。
Lemonの入り方が残酷に優しい:花火と潰れるケーキの編集
「Lemon」が流れるタイミングの巧さは全話通して語られがちですが、第4話は特に“残酷に優しい”。
残酷なのは、佐野の努力と命が、潰れるケーキと並列に置かれること。
優しいのは、その並列が「あなたの死は無意味じゃない」と、映像の側が必死に言い張っていること。
でも僕は、ここに簡単な救いはないと思っています。ケーキが潰れた瞬間、佐野の人生は戻らない。
ただ、その死を「なかったこと」にしないために、人が2000個のマンホールを探した。その“手間”だけが、死者に対して唯一できる誠実さなのかもしれない。
じゃあ、僕らは何のために働くのか
久部の問いに、ミコトは即答します。「生きるため」。そして「夢じゃなくて目標でいい」「誰かのために働くとか」と続ける。
この答え、めちゃくちゃ現実的で、同時に残酷でもある。
“働く理由”を高尚にしないことで、「仕事のために死ぬ」ことの異常さが際立つからです。夢のために命を削るならまだ美談にできる。でも生きるために働いて死ぬのは、ただのバグでしかない。
第4話は、そのバグを「かわいそう」で終わらせず、裁判という“手続き”に落とし込むことで、現実に接続してみせた。ドラマとしての誠実さが、ここにあると思います。
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