ランキングが発表されるその瞬間、料理人にとって数字は“結果”であり、同時に“判決”になります。
第7話で描かれるのは、トップレストラン50という栄光ではなく、その評価が家族の選択を左右してしまう現実です。
グランメゾン東京7話「ガレットシャンピニオン」は、料理が人を救う力と、評価が人を追い詰める力を、同時に突きつける回。
10位という結果が、なぜ祝福だけで終わらなかったのか。その理由を、丁寧に見ていきます。
グランメゾン東京7話のあらすじ&ネタバレ

第7話は、世界の「トップレストラン50」発表セレモニーから始まります。
サブタイトルは「ガレットシャンピニオン」。
そしてこの回は、“家族”と“評価”が、料理のテクニック以上に人を追い詰める物語でした。ここから先は、第7話の結末まで完全にネタバレで振り返ります。
第7話は「トップレストラン50」発表回。なのに主役は“数字”ではない
壇上でランキングが読み上げられていく、あの独特の緊張感。
料理人たちにとって、あの場は表彰式というより、人生の判決に近い空気があります。
第7話では「トップレストラン50の発表セレモニー」が大きな軸になりますが、物語の重心は別のところにあります。
相沢は並々ならぬ覚悟でこの日を迎えています。
理由は明確で、発表の1週間前に失踪していた妻・エリーゼが突然現れ、娘アメリーをパリに連れ帰ると言い出したから。しかもその条件が、「グランメゾン東京がトップ10を超えること」。
最初から“9位以上”を要求されるという、あまりにも過酷な設定です。
1週間前:エリーゼが店に現れ、尾花を真正面から刺す
発表の1週間前。
グランメゾン東京は、開店して間もないにもかかわらず「トップレストラン50」を狙うという無茶な勝負の真っ只中にいます。現場は当然混乱していて、相沢は父親としての役割――保育園の迎えや生活の段取り――にも無理が出始めている。
そこへエリーゼが突然現れます。
彼女は「アメリーを引き取りに来た」と言い切り、相沢だけでなく、尾花に対しても怒りをぶつける。
この場面が痛いのは、怒りの矛先が“個人”ではなく“生き方”に向いているところ。
エリーゼは、尾花・相沢・京野が星を追い始めてからの地獄を、身内として見続けてきた人間だからこそ、言葉が鋭く刺さります。
「10位を超えろ」——親権を賭けた条件が、絶妙に残酷
エリーゼが突きつける条件は、驚くほどシンプルで、だからこそ残酷です。
トップレストラン50で、エスコフィユの最高順位だった「10位」を超えること。
超えられなければ、アメリーはパリへ連れて行く。
ここで尾花が見せるのが、勝負師としての顔。相沢のために、その条件を勝手に飲み、「超えたら相沢を認めろ」とエリーゼに条件を返す。
第7話の尾花は、料理で戦う前に、言葉で“賭け”を成立させてしまう。
料理人というより、場を仕切るディーラーのような立ち回りで、この男の危うさと強さが同時に浮き彫りになります。
倫子の家での夜:エリーゼが語る「ミシュランが憎い」という本音
エリーゼは宿を確保できず、倫子の家に泊まる流れになります。
ここで、倫子・尾花・京野・エリーゼの4人が食卓を囲む時間が挟まれますが、第7話の“説明”はほぼこの場面で出揃います。
エリーゼが語るのは、三つ星を狙い始めてから、みんなが苦しそうになっていったこと。
彼女の口から出る「ミシュランが憎い」という言葉は、単なる悪口ではありません。評価システムが人間関係を壊していく様子を、間近で見てきた人間の叫びです。
尾花の作戦:相沢を休ませるのではなく「料理」で家族を繋ごうとする
翌日、倫子は相沢に「休みを取ってエリーゼと話し合って」と促します。
普通なら、それが正解です。
でも尾花は違う。「相沢は必要だ」と言い切り、別の手を打つ。それが、エリーゼのための新メニュー開発です。しかも、そのアイデアには相沢が欠かせない。
要するに、「相沢が、エリーゼの好みを一番知っている」ことを武器にする。
尾花はここでも、人の感情を“料理の設計”に組み込んでいきます。
さらに尾花は峰岸に連絡を入れ、“山の幸”を取り寄せる。この男が関わると、「本気の食材が来た」という空気が一気に立ち上がるのが、このドラマの分かりやすい合図です。
その頃の芹田:スパイ報酬を返しに行く“ケジメ”
第7話は相沢家の物語だけではありません。芹田の“再スタート”も静かに進みます。
芹田は江藤の元を訪ね、これまで受け取った金をすべて返し、「自分はグランメゾン東京で修行する」と言い切る。
帰り際に丹後と祥平に遭遇し、問い詰められても逃げない。丹後もどこか笑い、gakuの厨房を見せる。
派手な場面ではないけれど、後々効いてくる“誠実さ”の種まきです。
アメリーの発熱:「尾花のゼリー」より強い“母の味”
ここからが、第7話の感情の核。
アメリーが熱を出す。
相沢は尾花と一緒に家へ戻り、尾花はアメリーの好物のゼリーを作る。しかし、アメリーは食べない。
そこに届くのが、エリーゼが用意した“母親の病人食”。
フランス風の甘いおかゆ、ライスプディングです。アメリーはそれだけは、笑顔で食べる。
料理としての完成度は、たぶん尾花のゼリーの方が高い。
それでも勝てない。ここで突きつけられるのは、「料理=技術」ではなく「料理=記憶」という現実です。
アメリーの“お願い”が、後の一皿につながる
アメリーは尾花に、あるお願いをします。
この小さなお願いが、後半で涙腺を破壊する伏線になります。
前日:相沢一家を招くスペシャルランチが開かれる
トップレストラン50の前日。
倫子たちは相沢一家を店に招き、快気祝いも兼ねたスペシャルランチを開きます。
食事は和やかに進み、相沢の母とアメリーは先に帰宅。残るのは相沢とエリーゼ。ここから“夫婦の審査”が始まる空気です。
この日、アメリーのために用意された料理が「ミニオムライス」。
一口サイズで、チーズやバターを使い、フランス料理の文脈を残したオムライス。あの店で違和感なく出てくること自体が、グランメゾン東京という店の柔軟さを物語っています。
エリーゼのための新メニュー、その中心が「ガレットシャンピニオン」
エリーゼのために作られた新メニュー。その象徴が「ガレットシャンピニオン」です。
そば粉のクレープをベースに、8種類のきのこをそれぞれ異なる調理法で並べ、具材の水分で生地が崩れないよう“巻かない”構造にする。最後は客自身が巻く、手巻きスタイル。
エリーゼがブルターニュ出身という設定も含め、日本の手巻き寿司文化とフランスの郷土料理が交差する一皿。
ここは単なる料理説明ではなく、物語の骨格そのものです。
“巻く”という行為は、ひとりでは完結しない。
「どの料理も美味しい。それが嫌なの」——エリーゼが皿を置いた理由
エリーゼは、新メニューを一口食べて皿を置きます。
そして語るのは、「全部美味しい。でもそれが嫌」という言葉。
彼女が見ているのは味ではありません。その裏にある労働と犠牲の匂いです。
相沢は在宅で仕事をし、アメリーと料理する時間を作ってきた。
だから「今度こそ両立できる」と信じている。
でもエリーゼは、「また料理に飲まれる」と確信している。
どちらが正しいかではなく、これは“過去のトラウマ”の話です。
尾花が出した最後の一皿は「店の料理」ではなく「アメリーの料理」
ここで尾花が切り札として出すのが、アメリーのフランボワーズのゼリー。表面には「Maman(ママ)」の文字。
これが、アメリーのお願いの正体です。
アメリーは母親のために、尾花からゼリーの作り方を習っていた。
つまり、夫婦がぶつかり合っている間、いちばん「帰ってきてほしい」と願っていたのは、子どもだった。
その構図が、ここで確定します。
エリーゼの「新しいパートナー」は嘘。だけど復縁もしない
エリーゼは「新しいパートナーがいる」と言っていましたが、それは嘘でした。
彼女は一人でアメリーを育てるつもりだった。
相沢は嘘を知った上で、「三つ星を取ったらパリに行く。待っていてほしい」と伝える。
しかしエリーゼは「もうやり直す気はない」と返す。
ここが、第7話でもっともビターな部分です。
心が通じても、関係が元通りになるわけではない。
それでもエリーゼは「必ず三つ星を取れ」と言い、グランメゾン東京の料理はエスコフィユより美味しかったとも認める。
憎んでいても、認めている。
愛情が残っているからこそ、憎める。
当日:トップレストラン50発表——10位の歓喜と、10位の敗北
そして迎えた発表セレモニー。
ランキングが読み上げられていき、20位を切っても名前は呼ばれない。焦燥がピークに達したその瞬間、10位「グランメゾン東京」。
会場は沸き、日本の店がここまで来たという空気が広がる。
……でも、エリーゼとの約束は「10位を超える」こと。
つまり10位は、“勝ったのに負け”です。
尾花が相沢に謝る理由は、ここにあります。
さらに追い打ちが、8位「gaku」。
丹後は日本最高位を取り、数字でも“差”を見せつける。
別れの日:バス停での一言が、胸に刺さりすぎる
アメリーとエリーゼがパリへ発つ日。
相沢は涙をこらえきれない。尾花、京野、倫子も見送りに立ち会います。
そしてアメリーが一度バスを降り、父に伝える。
「ママが待ってるからって」。
待っている場所はパリ。
待っている条件は三つ星。
子どもの励ましが、そのまま大人の人生目標になってしまう。この重さが、胸に残ります。
祝杯の夜:京野の告白で、物語は“家族”から“恋”へねじれる
10位という結果を、倫子の家で3人――倫子・尾花・京野――が祝う夜。本来なら、感動で終われるはずの時間です。
しかし京野は、尾花と倫子の距離感を目の当たりにし、ついに感情を抑えきれなくなる。
そして倫子に告白する。「好きです」「俺は倫子さんのことが好きだ」。
相沢家の涙が終わった直後に投下される、京野の爆弾。
第7話は、きれいに泣かせて終わらせない。そんな強度を持った回でした。
グランメゾン東京7話の伏線

第7話は相沢家のエピソードとして一度は完結しているように見えますが、実際には“次の揉め事”の種がいくつも撒かれています。
ここでは、後の展開に効いてきそうなポイントを、ライター目線で整理します。
「10位」という“成功の失敗”が、ミシュラン編の精神的な下地になる
グランメゾン東京は10位。数字だけを見れば、普通なら万歳です。
でも今回は、「10位を超える」が条件だった。
その瞬間、同じ数字が“敗北”に変わりました。
この構造は、ミシュランの星と極端に相性が悪い。
星は「取った/取れなかった」で空気が真逆になるし、取っても終わりではなく「次は二つ星、次は三つ星」と、必ず上がある。
第7話は、評価システムが人間の幸福をどうねじ曲げていくのか、その予告編になっています。
エリーゼの「ミシュランが憎い」は、ただの台詞ではなく“警告”
エリーゼは、星を追う料理人が家庭を壊していく過程を、身内として見てきた人です。彼女が憎んでいるのは、料理そのものではなく、料理を“数字”に変換する仕組み。
その言葉が置かれた回で、グランメゾン東京はランキング10位を獲得する。
つまりドラマは、成功の瞬間と同時に“危険信号”を点滅させています。ここは伏線というより、物語全体の倫理観の提示に近い。
アメリーの「Maman」ゼリーは、“三つ星=再会”の象徴として残る
アメリーが母に贈ったゼリー。
あれは「母への愛」だけでなく、「料理を通じて家族がつながる」という、このドラマの基本理念を最も分かりやすく凝縮した存在でした。
そして別れ際の「ママが待ってるからって」指で作る“三つ星”。
子どもが“評価”を願いの形にしてしまった時点で、三つ星はもう店の目標ではなく、家族の約束になっている。
これは後半で相沢が折れそうになる場面で、確実に彼を縛る伏線です。
京野の告白は、恋愛イベントじゃなく「チーム崩壊」の導火線
ラストの京野の告白。
ここを単純な恋愛イベントとして処理すると、たぶん読み違えます。
・尾花が倫子の家に居着いているほど、距離が近い
・京野は経営・ホール側として、店のバランスを守りたい
・尾花は料理の天才だが、共同経営者としては危険すぎる存在
京野の告白は、「好き」という感情表明であると同時に、「このままじゃ壊れる」という悲鳴にも聞こえる。
実際、次回以降で尾花が音信不通になる流れにもつながっていくため、伏線としての強度はかなり高いです。
芹田の“返金”は、江藤の逆襲フラグでもある
芹田が江藤に金を返す。これは間違いなく改心の証拠です。
ただ、江藤という人間は、ああいう“義理立て”を「よし、許した」で終わらせるタイプではない。
むしろ、芹田が完全にグランメゾン東京の一員として根付いた瞬間から、妨害は別のルートへ移る可能性が高い。
第7話は、芹田が味方になった分だけ、江藤がより冷酷に動き出す前段にも見えます。
gaku8位は「格付け」じゃなく「方法論の違い」を突きつける
gakuは8位で、日本最高位。
ただし、これは単純に「gakuの方が上」という話では終わらない。
グランメゾン東京は、人の再生――尾花の贖罪、仲間の結束――を中心に強くなっていく。
一方でgakuは、ビジネスと合理性、動員力で強くなっていく。
同じ飲食でも、勝ち方がまったく違う。
そしてこの“勝ち方の差”こそが、後半の対立をより面白くしていく大きな伏線になっています。
グランメゾン東京7話の感想&考察

第7話を見終わって、僕の中に残ったのは「泣けた」より先に、「怖い」という感覚でした。
美味しい料理が人を救う。けれど評価が絡んだ瞬間、同じ料理が人を壊す。第7話は、その両面を一話の中で、きれいにやってのけています。
この回は“料理ドラマ”ではなく「評価に人生を預けた人間のドラマ」
トップレストラン50。
発表が近づくほど、登場人物たちの顔が固くなっていく。セレモニーは祝祭というより、ほとんど戦場です。
ただ、第7話が描いたのはランキングの仕組みではありません。
「10位」という数字が、相沢から娘を奪うという現実。
極端に見えるけれど、実際の世界でも「仕事の成功」が家庭の崩壊を正当化してしまう瞬間はあります。
成功しているのに、なぜか空気が冷える。褒められているのに、誰かが泣く。第7話は、その矛盾を“数字ひとつ”で突きつけてきました。
エリーゼは悪役じゃない。「嫌な女」に見せておいて、最後は一番まとも
正直、登場直後のエリーゼはかなり刺々しい。尾花を責め、相沢を責め、条件を突きつける。
でも彼女の論理は一貫しています。
星を追った結果、家庭が壊れた。
だから星を追う男に、子育ては任せられない。
“美味しい”だけでは、家庭の時間は戻らない。
ガレットシャンピニオンを一口で置いた場面。
あれは気分ではなく、「努力の匂いがする料理」を拒否した瞬間でした。
このドラマは「努力は美しい」「執念は正義」に寄りやすい題材です。
でもエリーゼは、そこに生活者の視点を突き刺す。努力が美しいのはその通り。でも、その代償を子どもが払うなら話は別だろ、と。
尾花の変化が、地味に沁みる回でもある
第7話の尾花は、昔の尾花なら絶対にやらなかった動きをします。
相沢のために、料理で家族をつなごうとする。
アメリーのために、ゼリーを作って寄り添う。
最後の皿として、“店の料理”ではなく“アメリーの料理”を出す。
特に最後のゼリー。
あれは尾花の勝利ではありません。主役はアメリーで、尾花は完全に引き立て役。
「言葉ではなく料理で説得する男」が、ここでは「自分の料理じゃない料理」で場を動かす。贖罪や更生って、こういう小さな自己抑制から始まるんだろうな、と思わされました。
ガレットシャンピニオンの“構造”が、物語のテーマと一致している
ガレットシャンピニオンは、巻かない。最後は客が自分で巻く“手巻きクレープ”。
これが象徴的です。
夫婦関係も同じで、誰かが完成品を差し出して終わりじゃない。
相沢がどれだけ料理を頑張っても、エリーゼがそこに“巻き込まれる”気持ちにならなければ完成しない。
なのに相沢は、料理を完成品として差し出してしまった。エリーゼは、巻かない。だから壊れる。
料理の設計思想が、そのまま人間関係の設計思想になっている。
こういう脚本の呼吸が、このドラマの強さだと思います。
「母の味」リオレと「学ぶ味」ゼリー——二つの味が、親子の時間を分解する
アメリーが熱を出したとき、尾花のゼリーは食べず、母のリオレだけを食べた。
この順番が完璧です。
リオレは、母の記憶で、代替不能。
ゼリーは、父と尾花がつくる未来で、習得可能。
アメリーは母の記憶に救われて、父の未来を作ろうとする。だから最後に、自分でゼリーを作って「Maman」と書く。
子どもが、親の関係を修復しようとしている。
泣けるというより、背筋が寒い。こんな役割を子どもに背負わせてはいけないと、本能的に分かるからです。
京野の告白——笑えるのに、笑ったあとに苦くなる
京野の告白は、瞬間だけ切り取ると「今それ言う?」と笑ってしまいそうになる。
でも、笑ったあとに残るのが苦味です。
京野は、尾花の才能を信じていて、同時に尾花の危うさも知っている人。
倫子と尾花が近づけば近づくほど、店は三つ星に近づくかもしれない。
でも人間関係は、確実に壊れやすくなる。
京野の告白は、恋心だけじゃなく、「このままじゃ尾花が倫子を壊す」という恐怖が混ざっているように見えました。
だからストレートなんです。「好きです」という言葉が、願望ではなく、警告として響く。
第7話の結末は“負け”だけど、物語としては一番強い勝ち方
10位という結果で、アメリーはパリへ。
相沢は、条件としては負けた。
でもエリーゼは「必ず三つ星を取れ」と言い、アメリーは「ママが待ってる」と言う。
都合のいい復縁で泣かせるより、ずっと誠実な終わり方です。
現実の関係は、料理一皿では戻らない。
それでも料理一皿が、「それでも前に進む理由」にはなる。
僕は第7話を、そういう回として受け取りました。
“愛の料理”は、誰かを縛るためのものじゃない。
誰かが、もう一度歩くためにある。
ガレットを巻くのは、本人たちの手でしかできない。
だからこそ、この先も見届けたくなるんですよね。
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