連ドラ最終回で「夫婦を超えてゆく」選択をした、みくりと平匡。
その続きを描いたのが『逃げる恥だが役に立つ ガンバレ人類!新春スペシャル』です。
舞台は結婚後の日常。妊娠、出産、育児、仕事、制度の壁、そしてコロナ禍。恋が成就した“その先”で、二人は再び問い直されます。
一緒に生きるとは何か。支え合うとはどういうことか。
本作は、甘い後日談ではありません。
連ドラ以上に現実に踏み込み、夫婦という共同経営がどこまで通用するのかを、静かに、そして容赦なく描いていきます。
ここからは、逃げ恥スペシャルのあらすじと見どころを、ネタバレありで整理していきます。
逃げる恥だが役に立つ(逃げ恥)新春スペシャルのあらすじ&ネタバレ

今回は『逃げるは恥だが役に立つ ガンバレ人類!新春スペシャル!!』(以下、逃げ恥スペシャル)を、がっつりネタバレありで振り返っていきます。
連ドラ最終回の“その後”を描くスペシャルで、放送は2021年1月2日(約2時間25分)。あの「共同経営」夫婦が、妊娠・出産・育児、そしてコロナ禍という、現実すぎる波に揉まれていきます
正直ね、ムズキュンだけで終わらない。むしろ「ムズキュンで始まり、生活のリアルで刺してくる」感じ。胸がきゅっとする場面が多すぎました。
事実婚の“共同経営”が板についてきた、穏やかな日々(2019年6月)
物語の舞台は2019年6月。みくりと平匡は、連ドラを経て“雇用関係”を超え、暮らしのチームとしてちゃんと回り始めています。
平日帰りが早いみくりが料理担当、休日は平匡が料理担当。
洗濯も出勤時間のズレを活かして分担し、「担当外のことをやったら報告し合う」っていう、あの二人らしい誠実さが健在。エアコンのフィルター掃除をして「やっておきました」と言い合う、あの感じ、尊い……。
ここ、恋愛の“ときめき”というより、生活の信頼がベースにあるのがめちゃくちゃ良いんです。好きだから一緒にいる、だけじゃない。「一緒に回していく」という覚悟が空気にある。
「出産の順番待ち」——妊娠が“個人の喜び”だけじゃいられない職場
そんな穏やかさの中で、いきなり現実が差し込んできます。
みくりの職場で話題になるのが、女子社員の間で囁かれる「出産の順番待ち」。産休・育休で人手が減っても増員できないから、空気で“順番”ができてしまう。言葉にしただけで胃がきゅっとなるやつ。
「産みたい時に産めない」って、人生の大事な決断を、職場の都合で押し込められる感じが本当にしんどい。逃げ恥って、こういう“見えない圧”を笑いに逃がさず、ちゃんと見せてくるから刺さります。
みくりの妊娠発覚。おめでたいのに、気持ちが追いつかない
そんな中で、みくりの妊娠が判明します。
もちろん嬉しい。嬉しいはずなのに、平匡の反応がどこか薄い。テンションが同じ速度で上がらない。
この“温度差”が、ただのすれ違いじゃなくて、平匡の中にある「父になる不安」そのものだって描き方が、すごく逃げ恥らしいなと思いました。男性側って、妊娠しても体が変わらない分、実感が追いつかないことがある。だからこそ、みくりの孤独が増幅する。
そして平匡が言う「サポートします」に対して、みくりが引っかかるんですよね。
サポートって何?手伝い?一緒に親になるんじゃなくて?
ここ、私、心の中で拍手してました。言葉の選び方ひとつで、「同じ船に乗ってる感」が揺らぐの、リアルすぎる。
入籍問題の大爆発:選択的夫婦別姓を待つふたりの葛藤
みくりと平匡は、連ドラ後も“事実婚”の形を続けてきた側面があり、妊娠を機に「じゃあ、籍をどうする?」が現実問題として迫ってきます。
ここで出てくるのが、選択的夫婦別姓。二人が望んでいた制度は進まず、結局「入籍する=どちらかの姓を選ぶ」という、日本の制度の硬さにぶつかる。
この“重たい話”を、逃げ恥は逃げ恥らしく、まさかの角度で投げてきます。
「ねほりんぱほりん」コラボという奇跡(でも中身はガチ)
入籍と別姓の話し合いの流れで、画面が突然、NHK Eテレの『ねほりんぱほりん』風に切り替わるんです。
「選択的別姓にこだわる人」として、みくり(もちくま)が語るあのくだり、笑ったのに、最後は真顔になりました。
ヒラマサ(魚)や、みくり(3つの栗)、恋ダンス(鯉+たんす)……愛が細かすぎる。こういう遊び心で緩めながら、テーマはきっちり刺すのが逃げ恥の強さだなぁと。
そして最終的に、みくりは婚姻届を出して「津崎みくり」になる選択をします。
嬉しさだけじゃなく、たぶん小さな悔しさも抱えたまま。そこが、綺麗ごとにしない逃げ恥。
つわり地獄と、家が回らない現実:優しさが噛み合わない
妊娠が進むと、みくりはつわりに苦しみます。食べたいものが限られたり、急に寝落ちしたり、部屋はどんどん荒れていく。
平匡は平匡で、仕事と家事の両方を“ちゃんとやろう”として、心が擦り減っていく。グレープフルーツゼリーを探して奔走して、帰ったらみくりが寝ていて、優しさが空振りする感じ……わかる、わかりすぎる。
「言えばいい」って簡単に言えないのもリアルなんですよね。みくりは「暗い顔をしていたら平匡さんに悪いと思って」って明るく振る舞ったりする。でも、その健気さが、逆に平匡を追い詰めてしまう。
平匡の爆発「泣きたいのはこっち」——悪者がいないから、余計に痛い
ついに平匡が、弱音を吐きます。
つわりで苦しむみくりを前に混乱し、思わず「泣きたいのはこっち」と口にしてしまう。
で、ここが逃げ恥のえぐさ。
平匡が悪い、で終わらない。みくりも悪い、でもない。ふたりとも限界なんです。だからこそ、言葉がトゲになる。
さらに平匡は、荒れた部屋を見て「少しくらい片付けてくれたって…!」と叫んでしまう。みくりの側から見たら「体が動かないのに責められた」になるし、平匡から見たら「誰にも助けを求められない」になる。どっちも本当。
そして二人は、家事を“外注”する選択にたどり着きます。
頼れるものは頼る。二人で抱え込まない。
共同経営が「二人で全部やる」じゃなく、「二人で決めて、使える手を使う」に進化していくのが、すごく大人の成長でした。
平匡の職場で起きる“呪いの言葉”——灰原の「劣化」発言
妊娠と家庭の話だけで十分しんどいのに、平匡の職場にも“現実”が待ってます。
転職先のプロジェクトリーダー・灰原が、女性に対して平気で「若くてかわいい子がいい」「劣化してなくてピッチピチの」みたいな言葉を投げる。
でも平匡が、逃げないんですよ。
「劣化って、性能や品質が損なわれることですよね」と言葉の定義から詰めていく。
あの理詰めの優しさで、相手の無神経を可視化していくのが、痛快で、救いでした。
“普通のアップデート”をめぐる男性育休バトル
さらに平匡は、出産・育児に合わせて育休を取ろうとします。
だけど灰原は「男がそんなに休んでどうする」「休んだって男はやることがない」と難色を示す。
そこで出てくるのが、平匡の言葉——「普通のアップデート」。当たり前の権利を当たり前にするために、社会も職場もアップデートしていこう、と。
そして、沼田や日野たち“かつての仲間”が支えてくれるのが胸アツ。
個人で戦うと折れるけど、チームだと踏ん張れる。逃げ恥の「人に頼っていい」「一人で抱えなくていい」は、こういう場面でもちゃんと効いてました。
百合ちゃんの転機:子宮体がん発覚と「家族で来てください」の壁
一方で、百合ちゃんにも大きな転機が訪れます。不調をきっかけに受診し、子宮体がんが発覚。
しかも、病院から言われるのは「ご家族と一緒に説明を聞きに来てください」。
独身で、仕事を背負って、ずっと一人で踏ん張ってきた百合ちゃんにとって、“家族前提”の社会って、こんなにも冷たいんだ……と息が詰まりました。
妹の桜はぎっくり腰、姪のみくりはつわり、他も頼みにくい。そこで百合ちゃんが頼ったのが、高校時代の友人・花村伊吹。
花村伊吹との再会:「愛情でも友情でも、好かれるって嬉しい」
花村は看護師長になっていて、百合ちゃんを支えてくれる存在になります。そして花村は、かつて百合ちゃんに想いを寄せていたこと、今は同性の恋人と暮らしていることを打ち明ける。
百合ちゃんの返しが、本当に綺麗で。
「愛情か友情かどっちかなと思ったけど、どっちの意味でも嬉しい」
この言葉、百合ちゃんの人生の積み重ねが出ていて、泣きそうになりました。
そしてここでさらっと描かれるのが、「同性パートナーが家族と認められないケースもまだある」という現実。
沼田と梅原の関係も含めて、逃げ恥は“多様性”をふわっと飾りにしない。ちゃんと生活の困りごととして見せてくるのが強いです。
出産:計画無痛分娩のはずが…破水、そして娘・亜江の誕生
いよいよ出産が近づき、みくりは無痛分娩を選択して準備していましたが、予定より早く破水して、二人は大慌てで病院へ。
そして無事、女の子が誕生します。
娘の名前は亜江(あこう)。
名付けの場面で出てくる「性別が途中で変わるかもしれないから、どちらでも使いやすい名前に」という会話が、さらっと置かれているのが印象的でした。
“特別”としてじゃなく、“当たり前の可能性”として扱う優しさ。
育休と育児のリアル:二人の毎日は、キラキラより先にヘトヘト
出産後、平匡は育休を取り、育児が始まります。
ここからは、完全に「夫婦の共同経営」第二章。かわいい、だけじゃ終わらない。寝不足、段取り、仕事復帰の段取り、将来の不安。
それでも二人が夫婦として踏ん張れるのは、やっぱり“言葉にして確認する”習慣があるから。
そして、あの合言葉——「ハグの日」。触れることで、言葉以上に気持ちを共有できるという、二人の歴史がここで効いてきます。
2020年、コロナ禍が二人を引き裂く:館山への疎開
そこへ来るのが、2020年のコロナ禍。
社会の空気が変わり、仕事も生活も不安定になり、育休どころじゃなくなる。みくりは子を守りたい気持ちで神経が張り詰め、平匡は仕事でいっぱいいっぱいになっていく。
そして二人が出した結論が、みくりと亜江が千葉・館山へ疎開すること。平匡は東京に残り、離ればなれの日々が始まります。
別れ際、ハグをためらう二人が切なすぎて…。「触れられない」って、こんなにも心細いんだって、画面越しに突きつけられる。
写真のメールが生んだすれ違い:「ありがとう。写真はもう送らなくていいです」
離れて暮らすみくりは、亜江の写真をたくさん撮って平匡に送ります。でも返ってきたのが、あまりにもそっけない一文。
「ありがとう。写真はもう送らなくていいです」
みくり側からしたら、「え?いらないの?」「私の頑張り、否定された?」ってなる。しかもその時、館山の実家にはPCやモバイルルーターがなく、オンラインで顔を見て話すこともできない。言葉が少ない平匡の真意が見えない。
平匡は平匡で、写真に心を動かされていた。救われてもいた。
でも、その“受け取った気持ち”を言葉にして返すのが苦手で、省いてしまった。ここがもう、平匡の不器用さが切なすぎて……。
それでも会いに行く。離れていても、家族でいるために
誤解のまま終わらせたくなくて、平匡はみくりたちのために動きます。
新しい機器を届けようとしたり、距離を取りながらも「つながる」方法を探したり。
そしてコロナ第一波が落ち着いた頃、ついに家族が再び暮らせる日がやってくる。平匡が「もう一度やり直したい」と願い、最後は3人のハグで締めくくられる。触れられなかった時間が長いほど、そのハグが“祈り”みたいに見えました。
あの言葉も忘れられない。
「大丈夫、大丈夫だまだ。世界はまだ、こんなにも美しい」
絶望の中で、ほんの少しでも光を見つけようとする平匡の声が、こちらの胸にも残りました。
逃げる恥だが役に立つ(逃げ恥)スペシャルの伏線

スペシャルは2時間以上あるのに、ちゃんと“伏線”が仕込まれていて、後半でじわじわ効いてくるのがさすがです。ここからは「回収」というより、気づいた瞬間に見え方が変わる“仕掛け”としての伏線をまとめます。
「ハグの日」が、“会えない未来”の伏線になっている
連ドラで「火曜はハグの日」が夫婦の合言葉だった二人。スペシャルでも、その延長として“触れる=気持ちを共有する”が、ずっと描かれます。
だからこそ、コロナ禍でハグをためらう別れ際が、刺さる。
「触れられない」ことが、ただの感染対策じゃなく、心の距離を作ってしまう怖さとして機能するんですよね。前半で丁寧に“触れ合いの意味”を積み上げているから、後半の喪失感が何倍にもなる。
「サポートします」問題=“共同経営”が試される予告編
妊娠発覚直後の、「サポートします」「それって手伝い?」の会話。
これ、ただの言い間違いじゃなくて、後半の育児・コロナ禍までずっと続くテーマの予告になってます。
共同経営って、言葉だけなら簡単だけど、実際は“判断の共有”まで含めて共同。
みくりが欲しいのは「助けてもらう」じゃなく「一緒に親になる」なんですよね。ここがズレると、後々の「私ばっかり」「俺だって」の泥沼に直行しちゃう。だから序盤から、しっかり“危うさ”として置いてあるのが上手いです。
平匡の“省略癖”が、最大の爆弾になる(メールの伏線)
平匡って、論理は強いけど感情の言語化が苦手。
その弱点が、後半で“致命傷”になりかけるのが、写真メールの一件です。
「ありがとう。写真はもう送らなくていいです」——この短さは、平匡の優しさと不器用さが同居した結果だけど、受け取る側の心を置き去りにしてしまう。
前半からずっと描かれる“言葉のズレ”が、後半で一気に噴き出す構造。伏線というより、積み重ねの爆発です。
灰原の「劣化」発言=“アップデート”の必要性を可視化する装置
灰原の無神経さは、単にムカつく上司の描写じゃなくて、社会の古い価値観の象徴として登場します。
平匡が「劣化」の定義から問い直す場面は、“普通のアップデート”の前振りにもなっていて、後の育休交渉へつながる。職場で「当たり前」を変えるには、誰かが言語化して止めないといけない。その役割を平匡が担う土台が、ここで作られてます。
百合ちゃんの病=「家族じゃない支え」が物語全体の鍵になる
百合ちゃんが子宮体がんになり、「家族の同席」が必要と言われる。
この出来事は、みくりと平匡の家族の話とは別軸に見えて、実は同じテーマを照らします。
血縁や婚姻だけが“支えの資格”みたいに扱われる社会で、独身の百合ちゃんはこぼれ落ちかける。でも花村という友人が支えてくれる。
この「家族じゃなくても支え合える」価値観が、のちのコロナ禍の孤独と響き合う伏線になっていると思いました。
娘・亜江の名付け=“未来”を肯定する静かな伏線
「性別が途中で変わるかもしれないから」という台詞がさらっと出る。
この一言って、今この瞬間の物語というより、この子がこれから出会う世界を肯定する伏線なんですよね。
親が最初から「変わってもいい」を許していることが、どれだけ救いになるか。逃げ恥はそこを“説明”じゃなく“自然な会話”で置いてきた。これ、後からじわじわ効きます。
逃げる恥だが役に立つ(逃げ恥)スペシャルの感想&考察

スペシャル版の逃げ恥、私は「優しい気持ち」より先に「胸が苦しい」が来ました。だけど、その苦しさの正体が“現実に近い”から、目を逸らせなかった。
ムズキュンの正体が「恋」から「生活」へ移っていたのが刺さる
連ドラのムズキュンって、「好き」が育っていくドキドキが中心だったと思うんです。
でもスペシャルは、もっと地面の匂いがする。妊娠、つわり、仕事、育休、病気、感染症……恋があっても、生活は待ってくれない。
だからこそ、ハグひとつが“イベント”になる。
「今日はハグできた」って、それだけで泣けるのって、たぶん私たちが“日常の尊さ”を知ってしまった後の時代に生きてるからなんですよね。
みくりの「サポートって何?」は、責めじゃなく“共同経営”の確認だった
みくりが強く見える瞬間って、誤解されがちだけど、私はあれを「責め」だと思わなかったです。
“共同経営”って、やさしさの量じゃなくて、責任と判断を共有する覚悟の話。
「手伝う」って言葉は、どこかで“主体はあなた、私は補助”を含んでしまう。
だからみくりは引っかかった。ここを言葉にできるのが、みくりの強さであり、夫婦を壊さないための技術だと思いました。
平匡の「泣きたいのはこっち」——弱音を言えることも、勇気だと思った
あの台詞だけ切り取ると、最低にも見える。
でも、私はあそこを「弱音が出た」瞬間として見てました。
平匡って、いい人であろうとしすぎる。ちゃんとやろうとしすぎる。
だから限界まで溜めて、爆発してしまう。
で、爆発した後に自己嫌悪して、さらに黙る。……このループ、現実の夫婦でもすごく多い気がします。
逃げ恥スペシャルは、女性側のしんどさだけじゃなく、男性側の「理想の父親圧」や「愚痴れなさ」も描いていて、そこが私はフェアだなと思いました。
「ありがとう。写真はもう送らなくていいです」が、恋愛より切なかった
コロナ禍で離ればなれになって、みくりが亜江の写真を届けるために手間をかける。
それって、「見てほしい」だけじゃなくて、「あなたと子育てしてるって感じたい」なんですよね。
だから、返ってきた短い文面が、刃みたいに刺さる。
平匡は優しいつもりだったかもしれない。でも“省かれた言葉”のせいで、みくりの努力が宙に浮く。
恋愛って、キスとか告白とかより、「あなたの気持ちがわからない」が一番怖い。
それを、たった一通のメールでやるのが、逃げ恥の上手さで、残酷さで、でも優しさでもあると思いました。
百合ちゃんの病気パートが、私の心を静かにえぐってきた
百合ちゃんの「家族と来てください」問題。
ここ、私は完全に息が止まりました。
独身でキャリアを積んで、楽しく生きてきたとしても、病気の前では社会が急に「家族は?」って聞いてくる。
でも百合ちゃんが花村に「頼ってくれてホッとした」と言われる関係性を築けていたことが救いでした。“家族じゃない誰か”を作るのって、大人になるほど難しいけど、本当は生きる上でめちゃくちゃ大事なんだよねって、背中を押された気がします。
逃げ恥スペシャルがくれたのは「答え」じゃなく、「会話のきっかけ」
このスペシャル、放送当時かなり話題になって、SNSでも賛否が割れたと言われてました。
実際、放送前後で関連ワードがトレンド入りし、「#逃げ恥」が世界トレンド1位になった、という熱量もあった。
でも私は、賛否が割れるのって悪いことじゃないと思ってます。
だって逃げ恥がやったのは、「こうしなさい」じゃなくて、
“これ、あなたはどう思う?”を投げてくることだから。
選択的夫婦別姓、男性育休、独身の病気、LGBTQ、そしてコロナ禍。
全部、今日の私たちの暮らしに直結してる。
だからこそ刺さるし、痛いし、目を逸らしたくなる。
それでも最後に家族3人がハグする瞬間、「それでも、やっていく」っていう小さな希望が残る。
逃げ恥って、夢みたいな恋愛じゃなくて、
不器用な二人が、話し合って、失敗して、またやり直す物語なんですよね。
そしてその姿に、私はまた、救われてしまうんです。
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