第11話(最終回)のタイトルは「夫婦を超えてゆけ」。
恋人になり、プロポーズを経て、いよいよ“ハッピーエンド”に向かうはずだったみくりと平匡。しかし逃げ恥は、最後まで甘さだけで終わらせませんでした。結婚、仕事、家事、対等さ――恋愛の先にある「生活」のリアルを正面から描ききり、2人は“ゴール”ではなく“更新し続ける関係”を選びます。
この記事では、逃げ恥最終回のあらすじと結末をネタバレ込みで整理しながら、「好きの搾取」という言葉がたどり着いた答えと、夫婦を超えていくとはどういうことだったのかを読み解いていきます。
逃げる恥だが役に立つ(逃げ恥)11話(最終回)のあらすじ&ネタバレ

最終回のタイトルは「夫婦を超えてゆけ」。
ここまで積み上げてきた“ムズキュン”のご褒美回……と思いきや、逃げ恥らしく最後まで「恋愛の気持ちよさ」と「生活のめんどくささ」を両方描いて、ちゃんと現実に着地させてくるんですよね。
第10話ラスト、平匡さんのプロポーズが“リストラの影”と一緒に飛び込んできて、みくりが「複雑」どころじゃない心境になってしまったところから、最終回は始まります。
プロポーズの余韻が、甘くない。みくりの「複雑」の正体
プロポーズされた瞬間は、みくりも素直に嬉しかった。だってずっと、言葉にできない気持ちを抱えて、やっと両想いの“入口”に立てたと思ったから。
でも、その行動の背景に「リストラ」が絡んでいると知った途端、みくりの胸の中に「嬉しい」がそのまま置いておけなくなる。好きな人からのプロポーズなのに、どこか損得の匂いがしてしまう。そこに心が追いつかなくて、受け取りたいのに受け取れない。
そして同時に、みくりはやっさん(安恵)に誘われて“副業”を始めていきます。
仕事を持つこと自体は希望なのに、生活の中では時間も体力も有限。主婦という“本職”にまで手が回らなくなって、心の余裕がどんどん削られていくんです。
「好きの搾取です」――言葉が刺さったのは、平匡だけじゃない
前回のあの一言、「好きの搾取です」。
みくりは“拒絶”というより、「ここにある危うさに気づいてほしい」と叫んだ気がする。
好きだからこそ、曖昧にされたくない。愛情の名の下に、労働(家事やケア)が“無償で当然”にされてしまう怖さが、みくりの中で一気に現実味を帯びたんだと思います。
平匡もまた、自分のプロポーズが“気持ちだけ”じゃなく“事情”の延長にあったことを自覚している。だから、みくりに真正面から反論できない。
2人とも悪くないのに、言葉が先に刺さってしまって、距離ができてしまう。ここが、最終回の最初の苦しさです。
平匡の答え:「共同経営責任者」になろう
この状態を終わらせるために、平匡が持ち出したのが「共同経営責任者」という考え方。
“夫=雇用主、妻=従業員”という設定で始まった2人の関係を、もう一段階アップデートする提案です。恋愛感情に全部を預けるのではなく、生活を運営する“共同の責任者”として対等にやっていこう、と。
ここが逃げ恥の面白さで、ラブコメなのに、急に「制度設計」が始まる(笑)。でもね、これってロマンがないようでいて、すごくロマンがある。
だって「一緒にいる」を気分に任せないで、「一緒に生きる方法」をちゃんと作ろうとしてるから。
303カンパニー開幕!真田丸パロが、笑えて刺さる
平匡とみくりは、自分たちの家庭を「303カンパニー」と名付け、CEO会議を開いて家事分担を話し合います。
ここでまさかの『真田丸』パロディまで差し込んでくるのが、逃げ恥のサービス精神。会議=合戦、作戦会議=家事分担……笑いながら「わかる、家事って戦だよね」と頷いちゃうやつ。
しかも、この“パロディ”が単なるおふざけじゃなくて、ちゃんとテーマに繋がってるんですよ。
家事って見えにくいし、やっても成果が残りにくい。だけど生活の基盤だから、止まれば崩れる。つまり、地味だけど最重要のインフラ。だからこそ「合戦」になる。
仕事と家事、両方を抱えたときに起こる“ズレ”
CEO会議でルールを決めて、家事を分担してみる。理屈では正しい。
でも生活って、理屈だけで回らない。みくりは副業(商店街の企画やタウン誌ライター的な動き)にも関わるようになり、平匡も自分の働き方を立て直す中で、2人とも“余裕”が削られていきます。
分担した瞬間から、良くも悪くも「これはあなたの担当でしょ?」という視線が生まれる。
相手の“できてない部分”が見えるようになり、感謝が減り、期待が増える。ここがリアルすぎて、胸が痛かった……。
「なんで、できないの?」より怖いのは「自分が嫌いになる」こと
ある日、家事がうまく回らない小さな綻びが、みくりの中で一気に爆発してしまいます。
きっと表面上は「ご飯がない」「部屋が片付いてない」みたいな“些細なこと”。でも本当は、その奥に「私だけ頑張ってる気がする」「なのに、頑張ってない私もいる」という二重の苦しみがある。
そして一番辛いのは、平匡が責めてないのに、みくりが自分で自分を責めてしまうこと。
“好きな人に嫌われるかもしれない”って不安は、相手の言葉よりも、自分の中から生まれてしまうときがあるんだよね。
みくりが閉じた「心のシャッター」――風呂場にこもる夜
ついに、みくりは心のシャッターを閉ざしてしまい、風呂場にこもってしまいます。
この描写がすごく象徴的で、逃げ恥って“逃げること”を肯定してきたドラマなのに、最後に描くのが「逃げたくなる瞬間」そのものなんですよ。
そこで平匡が思い出すのが、かつての自分。
「みくりさんが閉じたシャッターは、いつか僕が閉じたシャッターと同じかもしれない。だとしたら僕は開け方を知っている」――この流れが、ほんとうに優しい。無理やり開けようとしない。ドアをノックして、「話してもいいですか?」と、相手のタイミングを待つ。
そして平匡は言うんです。みくりが自分を「普通じゃない」と言ったことに対して、「今さら」「とっくに知ってた」「大したことじゃない」と。
これって“肯定”なんですよね。欠点を消すんじゃなくて、欠点ごと受け入れる。受け入れるって、口で言うより難しいのに、平匡は行動でやる。
青空市の日、みんなが“呪い”をほどいていく
物語の後半、舞台になるのが商店街の「青空市」。ここが最終回の心臓です。
みくりが関わった副業が、ただのサブストーリーじゃなくて、登場人物たちの“呪い”を解いていく場所になる。逃げ恥って、恋愛だけじゃなくて「生き方の呪い」を描いてきたドラマなんだと、改めて思わされます。
青空市では、それぞれの人生が動きます。
百合ちゃんは「年齢」の呪いから少しずつ自由になり、風見の気持ちに心を開いていく。
沼田さんはゲイアプリで知り合った相手(梅原)と、ついに顔を合わせる方向へ。
日野さんは、家庭の事情で“いつも不参加”だった流れを超えて、みくりと初対面し、手を取り合って喜ぶ(あの空気、あったかすぎる…)。
この青空市がいいのは、誰かが誰かを「救ってあげる」んじゃなくて、みんなが自分の呪いに気づいて、自分でほどく瞬間が描かれていること。
だから見てる側も「あ、私も呪われてたかも」って静かに刺さる。
百合ちゃん×風見:17歳差の恋が動く「決める」瞬間
百合ちゃんは、風見から本音を伝えられたあとも戸惑いが消えない。17歳差という数字、周囲の目、そして何より“自分がどう見られるか”を気にしてしまう心。
でも最終回で百合ちゃんは、そこで立ち止まり続けない。「あることを心に決める」と描かれます。
個人的に刺さったのは、百合ちゃんがポジモン五十嵐に放つ言葉。
「自分に呪いをかけないで。そんな恐ろしい呪いからはさっさと逃げてしまいなさい」――これ、百合ちゃんが“自分自身”にも言い聞かせてるんですよね。年齢で価値が決まるなんて、誰のルール?って。
そして風見との関係も、曖昧なまま終わらせず、ちゃんと向き合う方向へ。
逃げ恥の最終回は、恋の決着を「劇的なプロポーズ」じゃなく、「一歩踏み出す覚悟」で描くのが本当に上手いです。
みくりの「小賢しさ」は、呪いじゃなく“武器”だった
青空市でみくりは、自分がずっと呪ってきた“小賢しさ”に意味を見つけていきます。
計算高い、要領がいい、空気を読んで回す――それって時に嫌われる。でも同時に、人を助けたり、場を動かしたりもできる。
平匡がみくりに「小賢しいなんて思ったこと一度もない」と伝える場面があって、そこでみくりは、人目もはばからず抱きついてしまう。
「ありがとう、大好き」って、素直な愛情を、真正面から。これが最終回のクライマックスのひとつです。
“恋”って、言葉だけじゃ足りない。
でも“生活”だけでも足りない。
その間をつなぐのが、たぶんこういう瞬間なんだと思う。抱きしめる、ありがとうと言う、好きだと言う。小さくて大きい行動。
乙葉サプライズ、沼田×梅原、そして「ユリちゃん」問題
最終回はサプライズも多くて、日野さんの妻として乙葉さんが登場したのは当時かなり話題になりました(リアル夫婦共演…!)。
そして沼田さんと梅原の件も、逃げ恥らしく“踏み込みすぎない優しさ”で描かれていきます。恋愛の形が違っても、悩みの本質は似ていて、怖いのは「拒絶されること」より「会ってもらえないこと」だったりする。
さらに小ネタとして、沼田さんのメール相手“ユリちゃん”が、みくりの伯母・百合ちゃんとは別だった…みたいな驚きも挟まれて、最後まで抜かりなく遊んでくる(笑)。
妄想ラスト:フレンドパークで「ありえた未来」を全部抱きしめる
逃げ恥の象徴でもある“妄想パロディ”。最終回では『東京フレンドパーク』風のパロディで、みくりが「ありえたかもしれない未来」を次々と想像します。ウェディング姿が出るのもこの流れで、現実の挙式ではなく“妄想のご褒美”として描かれるのが、逃げ恥らしいんですよね。
ここが好きなのは、「正解の未来」だけを見せないところ。
結婚してもいい。しなくてもいい。子どもがいてもいなくてもいい。途中で躓く未来も、笑える未来も、全部“ありうる”として並べる。その上で2人は、「今ここ」を選ぶ。
そしてラスト、引っ越しの荷造りをしている2人。バタバタして、ふとみくりが気づくんです。「昨日火曜日だった!」って。
「火曜日=ハグの日」というルールが、いつのまにか“特別”じゃなくなってる。生活の中で忘れちゃうくらい、普通の日になってる。これがもう、たまらなく幸せで、ちょっと泣ける。
最終回の結論は、派手なゴールインではなく、「2人で暮らす方法を更新し続ける」という選択。
夫婦を超えてゆくって、たぶんそういうことなんだと思いました。
逃げる恥だが役に立つ(逃げ恥)11話(最終回)の伏線

最終回ってどうしても「回収」の回になりがちなんですが、逃げ恥は“伏線回収”を見せつつ、最後まで次の一歩の余白を残すのが上手でした。
ここでは、第11話で効いていた「仕込み」を、私なりにまとめますね。
「シャッター」の主語が入れ替わる伏線
逃げ恥の中で、平匡はずっと“心にシャッターを下ろす人”として描かれてきました。
でも最終回でシャッターを閉じるのは、みくり。しかも閉じる場所が“風呂場”という一人きりの空間で、「誰にも見られたくない」が最大化された形。
そして平匡が「開け方を知っている」と言えるのは、過去の自分がそこにいたから。ここまでの積み重ねがあるから、最終回のノックが効くんです。
「夫=雇用主/妻=従業員」からのアップデート
物語の根っこにある“仕事としての結婚”。
最終回の「共同経営責任者」は、その設定を否定するのではなく、次のフェーズに進めるための“解釈変更”でした。最初の契約があったからこそ、最後に「対等にしよう」という発想に辿り着ける。初期設定が、最終回で意味を持ち直す構造が綺麗です。
「呪い」というテーマの総決算が、青空市に集約
最終回の青空市は、ただのイベントじゃなくて、登場人物たちの“呪い”がほどけていく場所。
百合ちゃんの年齢の呪い、沼田さんの恋愛の呪い、梅原の孤独の呪い、みくりの小賢しさの呪い――それぞれが自分の呪いに気づく流れが、最後に一つの場所に集まる。ここが最終回の設計として強いです。
「火曜日=ハグの日」が、ラストで“普通の日”になる
ルールとして始まったハグの日が、ラストでは「忘れてた!」になる。
このギャグみたいな終わり方が、実はすごく深い伏線回収で、つまり2人の関係が“イベント”から“生活”へ変わった証拠なんですよね。恋のピークで終わらず、暮らしの途中で終わる。逃げ恥が最後まで「生活ドラマ」だった証です。
妄想パロディの最終形が「未来を否定しない」になっている
これまで妄想は、みくりが不安や恥ずかしさをやり過ごす“逃げ道”でもありました。
でも最終回のフレンドパーク妄想は、逃げというより「未来を並べる」作業になっている。うまくいく未来も、うまくいかない未来も、全部“ありうる”として抱える。それが、逃げ恥が辿り着いた成熟した妄想の形だと思いました。
逃げる恥だが役に立つ(逃げ恥)11話(最終回)の感想&考察

最終回を見終わったあと、胸がぽかぽかするのに、なぜか「よかったね!」だけで終われない余韻が残りました。
逃げ恥って、甘いムズキュンをくれる一方で、“恋愛の外側にある人生”を必ず見せてくる。最終回はその集大成でした。
「好きの搾取」は、恋を壊す言葉じゃなく、恋を守る言葉だった
最初に「好きの搾取」を聞いたときは、衝撃が強すぎて“拒絶”に見えた人も多いと思うんです。
でも最終回で腑に落ちたのは、この言葉が好きだからこそ必要だったってこと。
愛情って、便利な魔法みたいに使われやすい。
「好きならやってくれるよね」
「家族なんだから当然だよね」
そうやって、無償の労働や我慢が増えていくと、恋は静かに摩耗する。
だからみくりは、あのタイミングで“魔法を解いた”。平匡が「共同経営責任者」を提案できたのは、みくりのあの叫びがあったからだと思います。
「共同経営責任者」って、ロマンのない言葉なのに、めちゃくちゃロマンがある
正直、言葉だけ見ると固いし、恋愛ドラマのセリフとしては変(笑)。でも私は、ここに逃げ恥の愛の形が全部詰まってると思いました。
恋愛って感情で始まるけど、生活は感情だけじゃ続かない。それでも一緒にいたいなら、仕組みを作るしかない。
「仕組みを作る」って、つまり「あなたと続ける努力をする」ってこと。それ、ロマンじゃないですか……。
みくりのシャッターに、現代の“しんどさ”が全部入ってた
みくりが風呂場にこもるシーン、私はもう、心臓がぎゅっとなりました。
怒ったあとに自己嫌悪して、「私って嫌な人間だ」って思って、好きな人に嫌われるのが怖くて、もう全部やめたくなる。あれ、恋愛の問題というより、働く人間の限界の話なんですよね。
仕事もしたい。役に立ちたい。ちゃんとしていたい。
でも現実は、完璧に回らない。回らないとき、自分を責める癖が出る。そこで平匡が、ノックして待って、受け入れる。
「うまく行かないときに待っていてくれる人を見失ってはいけない」――このメッセージ、今の時代ほど響くと思う。
百合ちゃんの「呪い」解放が、女性視聴者に刺さりすぎる件
百合ちゃんが五十嵐に言った「呪いから逃げなさい」。これ、最終回の中でも屈指の名場面だと思っています。
年齢を重ねることが、価値の減少みたいに扱われる社会。
“若い”が強制通貨みたいになってる空気。
百合ちゃんはその中でずっと、賢く、綺麗で、ちゃんとしてるのに、どこか満たされなかった。
でも風見の求愛を受けることで、「自分の人生を、自分が選ぶ」方向に舵を切る。17歳差って数字より、「呪いを脱ぐ」ことのほうがずっと大きいんですよね。
最後が「火曜日だった!」で終わるの、最高に逃げ恥
私は最終回を“結婚式で大団円”みたいに終わらせなかったのが、本当に好きです。
妄想ではウェディングを見せてくれる。でも現実は、荷造りして、曜日を忘れて、慌ててハグする。つまり、生活のど真ん中で終わる。
ドラマって、終わった瞬間に物語が止まるけど、逃げ恥は「この先も続く」と感じさせてくれる。いい日も、悪い日も、きっとまた火曜日が来る。
“ハッピーエンド”じゃなく、“ハッピーにしていくエンド”。
最終回ってこうであってほしい、とすら思いました。
おまけ:放送後の「逃げ恥ロス」が、作品の優しさの証明
放送後、「逃げ恥ロス」が溢れたのも納得です。
だってこのドラマ、観ている私たちの呪いまで少し軽くしてくれるんだもん。
星野源さんが放送直後に“津崎平匡として”感謝を伝える投稿をしたのも、あの温度の延長線にある気がして。
「胸がいっぱい」「本当にありがとうございました」――あの言葉で、火曜日が終わっても、物語がちゃんと心に残りました。
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