第8話は、「やっと幸せになれたはずなのに、なぜこんなに苦しいのか」という感情を、容赦なく突きつけてくる回でした。
トビオと蓮子は恋人となり、表面だけを見れば青春のご褒美のような時間が訪れます。けれどその裏で、市橋は“祝福する側”として静かに身を引き、伊佐美は今宵の妊娠と父の圧力に追い詰められ、パイセンは父・輪島の冷酷な現実を知る。
誰かの優しさが、別の誰かの傷になる。自由を手にしたはずの若者たちが、かえって逃げ場を失っていく――第8話は、そんな皮肉と残酷さが極限まで研ぎ澄まされた一時間でした。
ドラマ「僕たちがやりました(僕やり)」8話のあらすじ&ネタバレ

第8話の副題は「恋と友情と罪…それぞれの答え」。
トビオと蓮子はついに“恋人”として歩き出す一方で、市橋には祖母の死と「脚は元に戻らない」という現実が突きつけられ、友情の輪郭が静かに歪んでいきます。
伊佐美と今宵には“妊娠”という避けられない現実と、圧倒的な父親の存在が立ちはだかり、パイセンはついに父・輪島と対面。マルは過去の因縁から逃げきれず、暴力にさらされる――。
それぞれが「答え」を迫られた一時間の果てに、視聴者の心を凍らせるラストが待っていました。
恋の絶頂と“言えないこと”――トビオの逡巡
蓮子と正式に付き合い始めたトビオは、久しぶりに“普通の幸福”を噛みしめます。
しかし、市橋もまた蓮子を想っている。その事実を正直に伝えようと病院を訪ねたトビオは、市橋の唯一の肉親だった祖母の死を知らされ、言葉を失います。
その後、トビオは市橋の病室に通い、リハビリに寄り添いながら友情を深めていきますが、「蓮子と付き合った」という最も重要な事実だけは、どうしても口にできない。
この“言えなさ”が、第8話の悲劇を静かに準備していきます。
病室の会話と“コングラッチェネイション”
正面から言えない思いを、トビオはビデオメッセージに託して市橋を励まします。
やがて病室で二人きりになったとき、トビオはついに蓮子との関係を打ち明ける。
市橋は驚きながらも、笑顔で祝意を示します。
発音の拙い「コングラッチェネイション」という言葉が象徴するように、その祝福はどこまでも優しい。
トビオは胸のつかえが取れたように感じますが、この“優しさ”こそが、友情の終着点になってしまうことを、視聴者だけが察してしまう場面でもありました。
今宵の妊娠と“父親”の逆鱗――伊佐美の受難
伊佐美は被害者宅への弔い巡礼を終え、今宵のもとを訪れます。
そこで告げられるのが、妊娠という現実。しかし今宵は喜びではなく、突然の別れを切り出します。
さらに乱入してくる今宵の父。
圧倒的な体格と暴力性で伊佐美をねじ伏せるその姿は、コミカルな演出をまといながらも、「責任」という言葉の重さを容赦なく突きつけるものでした。
今宵の選択は、逃避ではなく覚悟。
若さゆえの軽さではなく、「産む」という決断を自分一人で引き受ける姿勢が描かれます。
パイセン、輪島と対面――“愛されなかった”という事実
飯室の情報を頼りに、パイセンはついに父・輪島のもとへ向かいます。その場で目にしたのは、異母弟・原野玲夢が輪島の指示で無防備な男に暴力を振るう光景。
震える足で輪島の前に進み、「息子だ」と名乗るパイセンに返されたのは、残酷な現実でした。
自分は“愛の対象”ではなかった。血縁は守ってくれる場所ではない。
その瞬間、パイセンの拠り所は根元から崩れ落ちます。
マルの孤独と暴力の連鎖――覆面の一撃
一方、軽い日常に戻れると信じていたマルは、因縁の相手・水前寺に金属バットで襲撃されます。
過去の悪ふざけが、暴力となって返ってくる瞬間。
「過去は消えない」
その事実を、最も軽く振る舞ってきたマルが、身体で思い知らされる場面でした。
ラスト5分の衝撃――市橋の“決断”とトビオの崩壊
病室を後にしたトビオのスマホに、市橋からのビデオメッセージが届きます。短い青春への感謝、穏やかな表情、そして意味深な一言。
直後、背後で響く鈍い音。
振り返ると、市橋は血を流して倒れていました。屋上からの飛び降り――自ら命を絶つという、あまりにも静かで残酷な選択。
この瞬間、物語は“取り返しのつかない領域”へ踏み込みます。
“自由”という皮肉――第9話への地続き
市橋の死を前に、トビオの心から“偽りの明るさ”は完全に剥がれ落ちます。飯室は「君は今“自由”だ」と皮肉な言葉を投げかけ、トビオの内面を追い詰めていく。
錯乱したトビオは、ついに「俺が殺した」と口にする。
ここで物語は、“自首”という言葉をめぐる最終章へと、逃げ場なく踏み出していきます。
ドラマ「僕たちがやりました(僕やり)」8話の感想&考察

第8話は、“幸福”のかたちと“自由”の意味を、皮肉に反転させる構成でした。
恋・友情・親子・仲間――どの関係も「優しさ」や「救い」を装いながら、実は登場人物をより厳しい現実へ押し戻しています。ここでは論点を整理しながら、物語が投げかけた問いを丁寧に掘り下げます。
市橋が体現した“自由”の残酷さ
飯室の言う“自由”とは、法的拘束や外的圧力から解き放たれている状態ではありません。
他者の期待や同情も含めて、何にも縛られない“孤独の一点”に立たされること。その意味で、市橋は祖母の死、歩行困難という宣告、そして好きな人の幸福という重なりの中で、「誰にも期待されない場所」を選んだと言えます。
祖母を失い、身体の回復も望めず、友情や恋の輪からも一歩外れていく。その中で“飛ぶ”という選択は、逃避や弱さと切り捨てるより、むしろ決断の色合いが濃い。
ドラマは自殺を美化していません。彼の死を通じて、焦点は明確に「残された者が何を引き受けるのか」へ移っています。だからこそ、市橋の死は終点ではなく、トビオの“崩壊”を起点にする装置として機能します。
トビオの“等価交換”が無効化された瞬間
第7話までのトビオは、「幸せになればトントン」という自己判決で、罪悪感を相殺しようとしていました。しかし第8話で、その論法は完全に崩れます。等価交換の“相手”に、他者の命は使えない。市橋の死は、その当たり前の事実を突きつけました。
しかもトビオは、真実を語らないまま“祝福”を受け取ってしまった側です。受益者であり、同時に加害者でもある自分。その二重性を、彼は初めて真正面から直視せざるを得なくなります。ここで“自首”という言葉が、ようやく現実味を帯びてくるのは必然でした。
「祝福」の皮肉――友情が置き土産にしたもの
市橋の「祝う」という態度は、トビオを救うための最後の贈り物でした。彼はトビオが何かを隠していることに、薄々気づいていた可能性があります。それでも笑って背中を押す。その選択は、トビオに“選択の自由”を残すためのものだった。
しかしその祝福は、結果としてトビオの胸に“負債”として刻まれます。友情が「優しさ」という形で、最大の痛みを残す。この逆説こそが、第8話でもっとも残酷で、同時に美しい構図でした。
今宵の決断――“弱さと距離を取る”という強さ
今宵が伊佐美に別れを告げたのは、情を切り捨てるためではありません。父の暴力的な価値観や支配の圧から逃れるために、まず「自分を守る」ことを選んだ結果です。
若さの物語では、妊娠=二人で背負う覚悟、という結論に回収されがちです。しかし本作は、そこに安易な答えを置きません。今宵は主体を取り戻すために距離を選びました。それは逃避ではなく、自立の一形態です。父の圧倒的な存在感が笑いを伴いながら描かれたことで、不均衡な力関係がより鮮明になりました。
パイセンの空洞――“資本”が与えなかったもの
輪島との対面で明らかになるのは、父の庇護の正体が“愛”ではなく“管理”だったという事実です。金や地位は与えられても、意味は与えられなかった。異母弟が暴力を振るう現場に立ち会わされることで、パイセンは自分が「システムの子」に過ぎなかった現実と向き合います。
ここから彼の問いは、倫理ではなくアイデンティティへと移行します。父を倒すのか、従属するのか。その選択は、正義や悪ではなく、「自分は何者か」という根源的な問いに直結していきます。
マルの孤独――“仲間”の条件とは何か
金や遊び、軽口でつながっていたマルの世界は、都合が悪くなると誰も電話に出てくれない砂地でした。覆面の一撃は、暴力の連鎖を示すと同時に、「罪を共有した四人」以外に、彼には居場所がないことを突きつけます。
ドラマが一貫して描いているのは、仲間の条件が利害ではなく“痛みの共有”であるという事実です。マルはその条件を、もっとも軽視してきた人物でもありました。
“希望”の正体――誰のための自首か
市橋の死を受けて、次回以降は“自首”が避けられないテーマになります。ここで重要なのは、誰のために、何に対して、何を認めるのか、という三段構えです。
第一に、被害者や遺族、市橋といった他者のための償い。
第二に、自分自身のために、逃げ続ける生から降りる選択。
第三に、世界に対して「罪は消えない」という秩序を引き受けること。
物語はこの三層を重ねながら、四人それぞれの“答え”を検証していく段階へ入りました。
総括
第8話は、優しさが刃になる回でした。祝福が負債になり、恋が罪の輪郭を濃くし、親が庇護の名で暴力を委託し、仲間が孤独の鏡になる。ここまで登場人物を追い込みながら、画面はポップで、会話は軽やか。その反照が、作品の強度を生んでいます。
ラストの静かな“ドサッ”という音は、トビオだけでなく、視聴者の心にも落ちました。だからこそ、この先の“自首”は単なるイベントではなく、倫理の再起動として機能するはずです。
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