第5話で不穏な予感を漂わせた“順の胸の内”が、ついに第6話で明らかになります。

離婚予定日まで残り24日。嵐の夜に集まった家族と住人たちが、温かいおでんを囲みながら語り出すのは、長い間しまい込まれていた“家族の秘密”でした。
息子の涙、母の謝罪、そして父の覚悟——。
ホームコメディの枠を越え、家族の愛と赦しを真正面から描いた『小さい頃は、神様がいて』第6話「おでんの告白」。
ここでは、そのあらすじと感想・考察を丁寧に振り返ります。
「小さい頃は、神様がいて」第6話のあらすじ&ネタバレ

第6話「おでんの告白」では、“離婚まであと24日”と迫る小倉家を中心に、たそがれステイツに暮らす三家族の想いが重なり合い、ついに“約束”の真相が明かされました。
北村有起哉×仲間由紀恵演じる渉とあん夫妻、そして子どもたち――家族が抱えてきた長年の秘密が、温かな“おでんパーティー”の夜に涙とともに溶け出していく。
笑いと涙が交錯するホームコメディの核心が描かれる回です。
奈央と志保の夢――“キッチンカー”と支え合う日々
2階の住人・奈央(小野花梨)と志保(石井杏奈)は、幼なじみで恋人同士。
いつかキッチンカーを持つという夢を胸に、慎ましくも自立した日々を送っています。
資金難を知った小倉ゆず(近藤華)らがカンパを提案するも、二人は「自分たちの力で叶えたい」と断る。夢と現実の狭間で奮闘する姿が、コミュニティの若い希望として描かれました。
二人を映すカメラ越しに流れる松任谷由実の『ANNIVERSARY〜無限にCALLING YOU〜』が、青春のきらめきを静かに彩ります。
小倉家の秘密――「子どもが二十歳になったら離婚する」
小倉家の渉(北村有起哉)とあん(仲間由紀恵)には、誰にも言えない約束がありました。
「子どもが二十歳になったら離婚する」。
それは十九年前、軽い冗談のように交わされたはずの約束でしたが、あんはその言葉を胸に刻み、家族のために生きてきた。一方の渉は、楽天的な性格ゆえに深刻さを感じていなかった。
しかし最近、あんは息子・順(小瀧望)がその“秘密”に気づいていたのではと感じ始めます。
親が抱える“約束”と、子が察してしまった“沈黙”――それが今回の物語の軸です。
“ピーターパン事件”と父娘の絆
家族の記憶の中で語られるのは、ゆずの小学生時代の学芸会「ピーターパン」。
劇の途中、渉が感情を抑えきれず号泣し、周囲から笑われる。
そのとき、あんが立ち上がり「何がおかしいんですか!」と夫を庇った――。家族にとって忘れられないこの出来事が、第6話で再び語られ、“恥ずかしい記憶”が“愛情の証”として昇華されます。
ゆずが「ハッピーエンドが好きなのはお父さんのせい」と微笑む場面は、渉の優しさが確かに受け継がれていることを示す名シーンです。
嵐の夜に――“おでんパーティー”が開いた心
夜、嵐の影響で住人全員が永島家に集まり、順の提案で“おでんパーティー”が開かれます。
ちくわぶ論争や昭和トークに笑いが広がる中、子どもたちの話題をきっかけに、慎一(草刈正雄)とさとこ(阿川佐和子)が「子どもは大人よりずっと見ている」と語る。
その言葉にあんがハッとし、渉が順に問います。
「お前、知っていたんじゃないか? 俺たちの約束を」。
順は涙を浮かべ、沈黙のままうなずく。
幼い頃から両親の気配を察していた順の優しさが、静かにあふれ出す瞬間でした。
涙の“おでんの告白”――家族が取り戻したもの
順が真実を受け止める姿に、あんは涙ながらに謝ります。
「ごめんね、こんなに心配かけて」。
しかし順は首を振り、「僕は大丈夫。お母さんには幸せになってほしい」と伝える。
親を責めず、愛で包み返す息子の言葉に、渉も声を詰まらせます。
「形は変わっても家族であることに変わりはない」――
渉とあんがそう語ると、家族全員の表情に静かな安堵が広がりました。
“おでんの湯気”が、長年のわだかまりをゆっくり溶かしていく。
第6話の結末――“別れ”ではなく“再出発”へ
この夜、家族は秘密を共有し、ようやく“本当の家族”になりました。
離婚という結末が待つ中でも、それは“終わり”ではなく“新しい関係の始まり”。
順とゆず、渉とあん、そして隣人たちが交わす言葉の中に、「別れても家族でいられる」という希望が灯ります。
涙と笑顔が交錯する“おでんの告白”は、視聴者に「家族のかたちとは何か」を改めて問いかけるエピソードとなりました。
「小さい頃は、神様がいて」第6話の感想&考察

第6話「おでんの告白」は、シリーズの中でも特に“家族の優しさと勇気”が凝縮された感動回でした。
笑いと涙のバランスが絶妙で、ホームコメディとしての温かさの中に、親子・恋人・隣人それぞれの深い愛が描かれたと思います。
ここからは、視聴者としての私の目線で印象的なポイントを振り返ります。
順の優しさと涙――小瀧望の熱演が胸を打つ
最も心を揺さぶったのは、順(小瀧望)がついに本音を語るラストシーン。
両親の“離婚の約束”を知りながら気丈に振る舞ってきた息子が、母・あん(仲間由紀恵)に「謝らないで」と告げる瞬間の静かな強さは圧巻でした。
父母を思いやる優しさと、抑えきれない涙。
順の心がほどけていく様子に、視聴者の多くがもらい泣きしたはずです。
小瀧望さんの演技も見事でした。
序盤の屋台で父と笑う穏やかな表情と、終盤の涙を抑えられない姿。
そのコントラストが、順という青年の“優しさの重さ”を見事に映し出していました。彼の「僕は大丈夫。お母さんには幸せになってほしい」という台詞は、本作全体のテーマである“赦し”と“前進”を象徴しているように感じました。
奈央と志保――“支え合う”という愛のかたち
第6話は奈央(小野花梨)と志保(石井杏奈)の関係性にも焦点が当たりました。
幼い頃から共に歩み、夢を共有してきた二人。キッチンカーを買うという夢を諦めざるを得ない現実の中でも、「お互いに対等でいたい」と支え合う姿に深い誠実さがありました。
援助を断るシーンは潔く、“助け合い”と“依存”の違いを静かに提示する名場面。
奈央と志保の愛は恋愛の枠を越え、「他者とどう寄り添うか」という普遍的なテーマを照らしていました。
彼女たちを撮るゆず(近藤華)のカメラが、“誰かの夢を信じるまなざし”として機能していたのも印象的でした。
慎一とさとこの存在――優しさの循環
永島慎一(草刈正雄)とさとこ(阿川佐和子)夫妻の存在は、この物語の“精神的支柱”だと思います。
孫を育てるという重責を背負いながらも、「子どもは大人の想像以上に感じ取っている」と語るその一言が、あんと渉に決断のきっかけを与えました。
年齢や立場を超えて優しさが循環していく構図は、たそがれステイツという共同体の魅力そのもの。
慎一とさとこの穏やかな時間が、他の家族の再生を見守る“灯り”になっているようでした。
“ピーターパン事件”が回収する夫婦の愛
第1話から断片的に語られてきた「ピーターパン事件」。
渉(北村有起哉)が涙をこぼし、あんが夫を庇ったあの出来事が、第6話で再び語られることで、夫婦の本質が照らし出されました。
「恥ずかしい」思い出が“誇らしい記憶”へと昇華する。
それは、夫婦が年月を経て互いを理解し合えた証でもあり、“離婚しても家族である”という未来の伏線にも思えました。
ゆずの言葉と“ハッピーエンド”の希望
「ハッピーエンドじゃなきゃ嫌だ」というゆずの台詞は、この物語全体へのメタファーのように響きました。
現実には悲しみも苦しみもある。
それでも“物語くらいは幸せであってほしい”という想いは、父・渉から娘・ゆずへ、そして視聴者へと受け継がれていきます。
離婚という現実を前にしても、小倉家の物語は決して“別れ”ではなく“再生”へ向かっている。
それが第6話で最も強く感じた希望の光でした。
総括:おでんの湯気が溶かす、家族のわだかまり
嵐の夜に開かれたおでんパーティーは、たそがれステイツ全員の心をひとつにする象徴的なシーンでした。
狭い部屋で笑い合いながら、互いの秘密を受け止め合う。その温もりが“家族の定義”を優しく塗り替えていく。
第6話は、笑いも涙もある“おでんのような回”。
しみるまで時間はかかるけれど、確かに心を温めてくれる――そんな味わいが残りました。
残された“24日のカウントダウン”の先に、どんな形のハッピーエンドが待っているのか。きっとこの家族なら、離れても“神様のような優しさ”でつながっているはずです。

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