連続ドラマの最終回から約2年。
「ラストマン-全盲の捜査官-」が、完全新作スペシャル『FAKE/TRUTH』として帰ってきました。
今回のスペシャルは、事件の規模をただ拡張する“お祭り回”ではありません。東京爆破予告、テレビ局の生放送スタジオ占拠、身代金10億ドルという派手な装置を使いながら、描こうとしているのはもっと根の深いテーマです。
それは、嘘がどのように真実の顔をして人を動かし、正義がどの瞬間に暴力へ変わるのかという問い。
皆実広見と護道心太朗の関係性、フェイク映像と本物の爆弾、報道番組という“真実の場”が反転する構造。
本作は、連ドラで培ったラストマンの思想を、現代の情報社会へアップデートする一本であり、同時に映画版への明確な橋渡しでもあります。
ここから先では、スペシャルの全体像を整理しつつ、伏線・真相・考察、そして「FAKE/TRUTH」という副題が意味するものを掘り下げていきます。
ドラマ「ラストマン」スペシャルのあらすじ&ネタバレ

ここから先は、スペシャルドラマ「ラストマン-全盲の捜査官- FAKE/TRUTH」の結末まで触れるネタバレ記事です。
連続ドラマから約2年後の設定で描かれ、映画へも繋がる“橋渡し”の一本になっています。
前提|なぜタイトルが「FAKE/TRUTH」なのか(嘘が真実を暴く構造)
今回のスペシャルは、単に「テロを止める」話ではありません。
大枠は、テレビ局の生放送スタジオが占拠され、総理大臣まで人質に取られる国家級の事件です。そこで提示されるのが、映像・ネット・噂がいかに簡単に“真実っぽく”見えてしまうか、という危うさでした。
連続ドラマで描かれた「ラストマン=どんな事件も必ず終わらせる最後の切り札」という皆実広見の立ち位置はそのままに、今回は事件そのものがフェイクを内包する構造で進行します。
そのため、皆実の観察力と推理は、犯人探し以上に「何が嘘で、何が真実か」を見抜く方向へと試されていきます。
プロローグ|2023年アメリカ、皆実と心太朗が“ヴァッファ”に潜入
物語は2023年のアメリカから始まります。
皆実と心太朗がバディとして犯罪組織「ヴァッファ」の取引現場に潜入し、幹部を足止めするために心太朗が意外な歌を披露する、という掴みの場面です。ここで「ヴァッファ」という存在が、後半の惨事へ直結する導火線として置かれます。
この時点では逮捕で一段落したように見えますが、後に分かるのは、彼らが掴んだのは末端の一部にすぎず、組織の歯車はまだ止まっていなかったという事実です。
2年後|皆実が再来日、舞台はテレビ局の生放送へ
それから2年後の2025年。
皆実はテレビ出演のため再び来日し、同じ頃、心太朗も研修を終えて帰国しています。二人が同じ日本にいるタイミングで、事件が起きるわけです。
ただし、この時の二人の関係は、連続ドラマの頃のように軽くはありません。スペシャルには、「言えなかったこと」「信じ切れなかったこと」が残った空気が漂っており、この感情のズレが、タイトルの「FAKE/TRUTH」と静かに呼応していきます。
東京大規模停電→テレビ局占拠|生放送スタジオが“聖域”になる
東京で大規模停電が発生し、街が混乱に包まれます。
その最中、テレビ局TSVの放送センターが武装集団に占拠され、生放送スタジオがそのまま人質事件の現場に変わります。人質には皆実広見のほか、総理大臣の五ノ橋義実、キャスターの播摩みさきらが含まれます。
この設定がえぐいのは、スタジオが「見られるための空間」であることです。犯人側が支配したいのは建物ではなく、スタジオ越しの世論そのもの。ここから先、事件は爆弾以上に「映像」が凶器になっていきます。
要求は10億ドル|「6か所爆破」のカウントダウン
犯人グループは身代金として10億ドルを要求し、応じなければ東京各地で爆弾を爆発させると宣告します。その要求は、スタジオ内のタブレットを通じてキャスターの播摩が読み上げる形で全国に中継されます。
皆実は早々に違和感を覚えます。犯人の指示が番組進行のようにスムーズすぎること、監視カメラの情報が行き渡りすぎていること。
つまり、スタジオの内側に最初から計画を知っている人間がいる可能性が高い。
やがて捜査側は爆弾らしきものを発見しますが間に合わず爆発。事件は単なる脅迫ではなく、実害を伴う局面へと進みます。
皆実の捜査|見えないからこそ「音・匂い・タイミング」で削る
皆実は全盲ですが、アイカメラや周囲の協力を使い、独特の方法で情報を集めます。スマホと連携しながら外部と繋がり、相手の声の間や反応、現場の微細な音の差から嘘を剥がしていく。
同時に、佐久良円花は被弾しながらも制圧に動き、外の捜査本部では護道泉や吾妻ゆうきらが連携してスタジオ側の情報を拾っていきます。連続ドラマで培われた“チーム戦”の強さが、ここでもしっかり活きています。
五ノ橋総理の罪が生放送で暴かれる
犯人側の目的は金だけではありません。
スタジオ内で暴かれるのは、五ノ橋総理が厚労大臣だった時期の不正です。必要のない感染症特効薬を購入・廃棄し、海外製薬会社からマージンを受け取っていた疑惑が生放送で突き付けられます。
この不正を追っていたのが播摩みさきでした。彼女が番組を降板した“不倫スキャンダル”は、官邸側が証拠潰しのために流したでっち上げだったことが明らかになり、播摩はキャスター生命だけでなく私生活も崩壊していたと語られます。
追い詰められた五ノ橋は、生放送で不正を認めてしまう。この瞬間には、「真実が暴かれる快感」と「吊るし上げの残酷さ」が同時に立ち上がり、作品が言いたい“正義の曖昧さ”が濃く浮かび上がります。
真相1|犯人は播摩みさき側だった理由
皆実は播摩に対し、かなり早い段階で「あなたは計画を知っていた」と突きます。播摩はそれを認めますが、目的は単に総理の不正を暴くことだけではありませんでした。
ネット記事や断片情報を信じ、自分を正義だと思い込む人間が、どれほど簡単に他人を追い詰めてしまうのか。それを視聴者自身に突き付けたかったのです。
計画の相棒として浮かび上がるのが、テレビ局ディレクターの栗原幹樹。さらに皆実は、爆破映像の音がすべて同じであることから、スタジオで流されていた各地点の爆破がフェイク動画だと看破します。
真相2|でも爆弾は本物だった(嘘の連鎖)
フェイク動画で世論を揺さぶり、総理の罪を引きずり出す。ここまでは播摩と栗原の筋書きでした。しかし、彼らが協力を仰いだ相手が最悪だった。
犯罪組織ヴァッファは、「富の再配分」といった綺麗事で近づきながら、実際には渋谷で本物の爆破を起こしていた。正義のつもりで使った嘘が、さらに汚い嘘に利用されていたのです。
ここがこのスペシャルで最も嫌で、同時に最もリアルな真実です。「FAKE/TRUTH」は嘘そのものを描く作品ではなく、嘘が連鎖していく構造を描いています。
皆実の選択|播摩を“共犯者”で終わらせない
爆弾が本物だと分かった瞬間、全員が逃げなければ死ぬ状況になります。播摩は崩れ、「真実が見えていなかったのは自分だった」と口にします。
それでも皆実は、播摩をただ断罪しません。
SNSは嘘だらけでも、真実を伝える力も残っている。伝える側・受け取る側を育てるには、誰かが真実を伝え続ける必要がある。播摩にはそれができる、と皆実は判断します。
皆実は播摩に手を差し出し、「目の見えない人を助けた」と伝えろと言い残して、彼女をスタジオの外へ導かせます。罪を軽くするためではなく、“言葉を持つ人間”として生かす選択でした。
スタジオを出た直後に爆発が起こり、播摩は気を失い、五ノ橋総理は真っ先に逃げます。その中で皆実は総理の本音を挑発し、アイカメラに記録させる。データは消せない。皆実の“証拠の残し方”は、ここでも抜け目がありません。
第二幕|渋谷へ。爆破の目的は「火事場泥棒」
事件が収束したように見えた後、皆実は渋谷へ向かいます。そこで明かされるのが、渋谷の爆破が宝飾店の展示品を丸ごと奪うための陽動だったという事実です。10億ドル要求や“世直し”は、ヴァッファ側から見れば盗みを成立させるための舞台装置にすぎませんでした。
ここで事件は二層構造になります。
表の事件は播摩と栗原の計画。
裏の事件はヴァッファの略奪と、皆実広見というラストマンの排除です。
渡辺宗也の正体|人質の中にいた裏切り者
渋谷へ向かう皆実に同行する警視庁広報の渡辺宗也。しかし彼こそがヴァッファの人間でした。皆実を拉致し、心太朗をおびき出すと宣言し、皆実の首に懸賞金がかけられていることも明かされます。
皆実はここでも淡々と、「生け捕りのほうが報酬が高いのですか?」と切り返す。恐怖で支配する側が、逆に観察される。皆実の強さは、こうした局面でもブレません。
兄弟バディ再結束|銃撃戦の中で交わされる言葉
渡辺が「すぐ弟と会える」と煽ると、心太朗が駆けつけ銃撃戦になります。
皆実が「弟に手を出されては困りますね」と返す一言が、妙に効く。連続ドラマの終盤で兄弟になった二人の関係が、戦闘の言葉の中で自然ににじみ出ます。
犯人側は一部を残して逃走し、完全な一件落着にはなりません。直後に佐久良が拉致されたと連絡が入り、物語はクライマックスへ向かいます。
クライマックス|佐久良救出と「3分遅れのフェイク映像」
渡辺は佐久良救出に来た皆実と心太朗を爆破で消す計画を立て、スマホ映像を見ながらスイッチを押します。「皆実と護道は死んだ」と確信し、兄貴に映像を送ると豪語する。
しかし次の瞬間、暗闇から二人が歩いてくる。
ネタは「3分遅れのフェイク映像」。渡辺が見ていた映像はリアルタイムではなく、遅延したものだった。その間に佐久良は救出されていました。
ここが鮮やかな反転です。
フェイク映像で世論を揺さぶる話だったものが、最後はフェイク映像で敵を欺き、人命を救う話へ変わる。フェイクそのものが悪なのではなく、何のために使うかで意味が変わる。タイトルの二語が、ここでしっかり結び直されます。
皆実の“最初からの仕込み”と、残された不穏
心太朗が「どうして場所が分かった?」と問うと、皆実はさらっと答えます。初対面から警察官ではないと分かっていたこと、火薬の匂いがしていたこと、スタジオにいる間にGPSを仕込んでいたこと。
皆実が繰り返す「こういうときは仲間に頼っています」という言葉通り、ラストマンは一人で全部終わらせる存在ではありません。チームの力を信じ、相手の上を行く段取りを組める人物です。
渡辺は拘束されるものの、「狙われるぞ」「プランナーがいる」と不穏な言葉を残します。事件は終わったが、敵は残っている。映画へ続く匂いをはっきり残す終幕です。
エピローグ|“嘘”の後始末と次の戦いの予感
このスペシャルで回収されるのは事件だけではありません。
皆実と心太朗の間に残っていた感情も、事件の中で再接続されていきます。そして、ヴァッファ上層や別の勢力の影が示され、さらに大きな戦いの輪郭が見えてくる。
見終えたとき、こう感じるはずです。
今回のスペシャルは連続ドラマの同窓会ではなく、「真実と嘘の時代に、ラストマンは何を武器にするのか」を示す再出発だった、と。
ドラマ「ラストマン」スペシャルの伏線

完全新作スペシャルドラマ『ラストマン-全盲の捜査官- FAKE/TRUTH』は、連ドラの空港の別れから2年後を舞台に、東京爆破予告とテレビスタジオ立てこもり事件が同時進行する“最悪の二日間”を描く。
事件の要求は身代金10億ドル。しかも人質の中に皆実広見がいる。
ここまで聞くと「大事件で押し切るスペシャル回」に見えるんだけど、この話の面白さは、最初から最後まで“嘘”が何層にも折り重なっている点にある。だから伏線も、単なる謎解きだけじゃなくて「誰の嘘が、誰を守り、誰を壊すのか」というテーマ側に刺さっている。
伏線1:心太朗が空港にいない理由と「余命半年」という最初の嘘
スペシャルは、皆実が日本に再来日するのに、心太朗の迎えがいないところから始まる。
最強バディのはずなのに、不在という違和感で視聴者を置き去りにする。ここがまず“事件の入り口”であり、同時に“感情の入口”でもある。
後で明かされるのは、皆実が心太朗に「余命半年」と嘘をついたこと、そしてそれがバディ決裂の引き金になったこと。さらに、その嘘が単なる自己都合ではなく、皆実がヴァッファに狙われていて、心太朗を危険から遠ざけるための距離の取り方だった、とデボラが語る。
つまりこの嘘は、事件の伏線というより、皆実という男の“守り方の癖”を先に提示する伏線なんだよね。
ここが巧いのは、視聴者が最初に抱く感情が「なんで喧嘩してるんだよ」なのに、最後には「その嘘、皆実らしいわ…」に反転しうる構造になってるところ。FAKE/TRUTHのタイトルは、事件だけじゃなく、バディの関係性にも最初から刺してある。
伏線2:序盤の“年末感”はサービスではなく、落差の仕込み
冒頭、ピアノの連弾や、心太朗が歌う「残酷な天使のテーゼ」みたいな、年末スペシャルの華やかさが差し込まれる。正直ここ、ただのファンサに見える。でも直後に銃声が鳴って、空気が切り替わる。その落差で「これは祭りじゃなく、刑事ドラマだ」と思い出させる仕掛けになっている。
この“浮かれ”は、後半で効く。
なぜなら、今回の事件は「フェイクのはずだった」から。最初に視聴者の気持ちを少し緩めておくほど、後で本物が混じったときの恐怖が増幅する。落差は演出だけど、落差そのものが伏線になってる。
伏線3:舞台が「報道番組の生放送」な時点で、真実は揺らぐ
今回の主戦場は、テレビ局のスタジオ。キャスターの播摩みさき、総理大臣・五ノ橋義実まで生放送に出ている最中に、武装集団が侵入し占拠する。つまり“真実を流す場所”が、“嘘で支配される場所”になる。ここが、FAKE/TRUTHの骨格。
さらにいやらしいのは、視聴者側もテレビを見ている、という入れ子構造。作中の「生放送」と、こちら側の「ドラマ視聴」を重ねて、「あなたが信じている映像は本当に正しい?」と問う。
報道番組を選んだ時点で、勝敗より先に“情報の恐怖”を描く宣言になっている。
伏線4:「10億ドル要求」が不自然なくらいデカいのは、目的が別にあるサイン
テロリストの要求が10億ドル。派手だし分かりやすい。でも、あまりに大きすぎて逆に不自然でもある。この“過剰さ”が、「金が目的じゃないのでは?」という疑いを芽生えさせる伏線になっている。
実際、この計画は五ノ橋の不正を暴くために、播摩みさきと元番組ディレクターの栗原幹樹が、国際テロ組織ヴァッファと共謀して起こしたものだとされる。要するに、要求金額は“道具”。ニュースで世論を動かすための装置。
ただし、この時点で終わらない。ここからさらに捻られて、フェイクのつもりだった爆発が、現実の爆発になっていく。だからこそ、この過剰な要求は「フェイクの輪郭」を描く伏線でもあるし、「フェイクが崩れたときの地獄」を準備する伏線でもある。
伏線5:播摩みさきと栗原幹樹の“正義”が危ういことは、最初から滲んでいる
みさきは「真実」を掲げる側に見える。だけど彼女は、総理の不正を暴そうとして、スキャンダルをねつ造されて降板に追い込まれた過去がある。真実を追う者が、嘘で潰される。ここまでは被害者だ。
ところが、彼女と栗原が選んだ手段が“テロ”という形を取った瞬間、正義が濁る。ここがこのスペシャルの一番痛いところで、「正義を名乗って他者を裁く顔の見えない群れ」と、みさきたち自身が鏡合わせになっていく。真実のための行動が、別の誰かの暴力を呼び込む。
この“正義の危うさ”は、伏線としても強い。なぜなら、視聴者は「味方だと思った人が、結果として事件を大きくした」展開に対して、モヤモヤを抱く。けどそのモヤモヤこそが、このタイトルのTRUTHを疑わせる狙いになってる。
伏線6:渡辺宗也という「便利な味方」が、便利すぎる時点で怪しい
皆実と一緒にスタジオ見学に行くのが、警視庁広報課の渡辺宗也。広報という立場は、現場の捜査官ではない。なのに彼は“即席バディ”的に皆実のそばに張り付く。ここがまず怪しい。
そして後半、渡辺が皆実を襲い、身柄を捕らえる。さらに渡辺の本名がエリック・アラキで、ヴァッファ最高幹部グレン・アラキの弟だと判明する。つまり「味方の顔で近づけるポジション」そのものが、最初から“刺すための席”として用意されていた。
この手の伏線って、バレると弱いんだけど、本作はテーマと噛み合ってるから強い。FAKE/TRUTHは「信じた相手が嘘だった」という話でもある。渡辺の存在は、事件の黒幕要素であると同時に、タイトルを人体実験する装置になってる。
伏線7:繰り返される言葉「火薬の匂い」は、真犯人を隠すための煙幕
ドラマ内で同じフレーズが繰り返されるとき、たいてい何かある。今回は「火薬の匂い」がそれに当たる。視聴者はどうしても“目立つ対象”に引っ張られるし、匂いという情報は、皆実の強みでもあるから余計に信じたくなる。
でもその反面、匂いが強調されるほど、「匂いに視線を誘導している誰かがいる」という疑いも生まれる。結果として、この反復は“黒幕を周到に隠すための煙幕”として機能する。つまり、皆実の武器である感覚が、逆に観客のミスリードにも使われる。この構造が、FAKE/TRUTHらしさ。
伏線8:皆実が握っている情報は、視聴者には伏せられている
『ラストマン』の気持ちよさって、皆実が「全部見えてないのに、全部掴んでいる」感覚にある。今回も同じで、皆実は知っているが視聴者には伏せられている情報がある。だから視聴者は“謎解き”をしているつもりで、実は皆実に転がされている。
この伏線は、単純に「どんでん返しの準備」でもあるけど、もっと大事なのは“真実への距離”を描いているところ。視聴者が自分の目で見ていると思っても、実際は編集された情報を受け取っているだけ。報道番組の舞台設定と、視聴体験の仕掛けが、ここで噛み合う。
伏線9:GPSと監視映像すり替えは、「嘘で嘘を制する」タイトル回収
渡辺(エリック)が逃走し、拘束した佐久良を囮にして皆実と心太朗を爆殺しようとする。
ところが監視映像がすり替えられていて失敗する。最後は、皆実が渡辺に取り付けたGPSの位置情報から居場所が特定され、捕縛される。
ここ、単なる逆転劇としても痛快なんだけど、タイトル的にはかなりえぐい。
フェイク(監視映像のすり替え)で、真実(居場所)に到達する。
真実を守るために、嘘の技術を使う。
この矛盾を肯定するのがFAKE/TRUTHの作法で、だから視聴後に妙な後味が残る。正義って、きれいな手だけじゃ掴めない、と言われた気がして。
ドラマ「ラストマン」スペシャルの感想&考察

スペシャル『FAKE/TRUTH』を見終わってまず思ったのは、これは“事件の規模を上げたお祭り回”じゃなく、“ラストマンの思想”を現代向けに再設定した回だったということ。
連ドラの核は「最後に必ず終わらせる切り札」だったけど、今回の敵は銃や爆弾だけじゃない。嘘、ねつ造、世論、映像、正義の勘違い。つまり「真実っぽいもの」が武器になる世界で、皆実はどう戦うのか。そこが一番刺さった。
FAKE/TRUTHが描いたのは「真実のあいまいさ」であって、安心できる答えじゃない
タイトルにTRUTHと書かれてるのに、この話は“真実に着地してスッキリ”しない。むしろ逆で、真実という言葉がどれだけ空虚で、都合よく使われるかを突きつける。みさきは真実を暴こうとして潰され、真実を取り戻すために暴力に手を伸ばし、その正義は別の悪意に利用されていく。
ここ、視聴者に優しくない。でも優しくないからこそ、いまの空気に合ってる。
SNSでも「真実」という単語が軽く流通する時代で、誰かを倒すための棍棒にも、被害者を守る盾にもなる。どっちにせよ、握ってる側の欲望が滲む。その不快さを、ドラマとして成立させてきたのが強い。
報道番組が舞台になった意味は、「正義の顔はいつも見えない」から
スタジオ占拠って、派手な事件装置に見えるけど、実は舞台そのものがメッセージだと思う。報道番組は、本来“真実の窓”であるべき場所。でも窓は、誰かが枠を作って、ガラスを磨いて、撮る角度を決めて、ようやく窓になる。つまり最初から加工物なんだよね。
みさきが糾弾したい「正義を名乗る顔の見えない人たち」は、視聴者側にもいるし、政治側にもいるし、テレビ側にもいる。さらに怖いのは、みさきや栗原もまた、正義の側に立ったつもりで“顔の見えない暴力”を実行しうる点。
この入れ子にすると、「誰が正義か」ではなく「正義が暴走する条件は何か」に話が進む。ここまでやると、スペシャルのテーマとしてはかなり攻めてる。
皆実と心太朗は、なぜ一度壊れても戻れるのか
スペシャルの肝は、バディ復活が終盤まで引っ張られるところ。二人が顔を合わせない時間が長いからこそ、再合流の価値が上がる。
考察として面白いのは、二人の関係が「信頼」ではなく「必要」で繋がっていること。信頼って、裏切られたら終わる。でも必要って、裏切られても終わらない。今回、皆実は嘘をついて心太朗を遠ざけた。心太朗は怒った。
普通の相棒ものなら、そこで終わる。だけど二人は“相手がいないと勝てない敵”の世界にいる。だから最終的に、感情の整理より先に「現場で呼吸が合う」ほうへ戻る。
この非ロマンチックさが逆にリアルで、兄弟だと知ってからの関係性のアップデートにもなっている気がする。仲良しでいるより、必要であり続けるほうが難しいから。
皆実の強さは「見えないのに当てる」ではなく「見えないから備える」
今回、皆実の柔軟さや抜け目なさとして、GPSを付ける描写が際立つ。
僕はここ、単純なガジェット勝利じゃなく、皆実の思想が出たと思った。彼の強さは超能力じゃない。想定が冷徹なんだよね。
・相手が嘘をつく前提で動く
・味方が裏切る可能性も織り込む
・自分が拘束される状況すら、最初からテーブルに置く
だから最後に「ラストマン」と呼ばれる。最後まで残るのは腕力じゃなく、備えの精度。今回の事件は、まさにその精度を“情報戦”に転用した回だった。
デボラの役割は、事件の解決より「嘘の意味」を言語化すること
デボラが語る「皆実が狙われているから、心太朗を守るために嘘をついた」という説明は、物語のつじつま合わせでもある。でも、それ以上に重要なのは、皆実の嘘を“愛の形式”として成立させる役目を担っていたところ。
ラストマンの世界で嘘は、悪の専売特許じゃない。誰かを守るためにも使われる。だからこそ視聴者は迷うし、迷わせるのが作品の狙いでもある。デボラがいることで「嘘は全部悪い」と短絡せずに済む。このバランサーを、スペシャルでもちゃんと置いてくるのが上手い。
播摩みさきは“被害者”でも“加害者”でもある。だから刺さる
みさきは、権力に潰された人である一方で、権力を倒すために危うい手段を取った人でもある。彼女の痛みは本物だけど、その痛みが他者を巻き込むとき、彼女は加害にもなる。
ここを曖昧にせず描いたから、「みさきに共感するのに、手放しで応援できない」という感情が残る。
この“共感と拒否の同居”って、今のドラマで強い。単純な悪役より、正義の顔をしたまま踏み越える人のほうが、現実にいそうだから。結果として、みさきはスペシャルのゲストで終わらせるには惜しい濃度だった。
渡辺(エリック)は、「本物の悪意は他人の正義を利用する」を体現していた
みさきと栗原の計画が、どこかで“フェイク”だったとしても、渡辺(エリック)の動きはフェイクじゃない。彼はスタジオの外側でも、内側でも、人を道具として扱う。
最終的に、佐久良を囮にして爆殺を狙うところまで行く。
ここが怖いのは、彼の悪意が「自分は正義だ」とも言わない点。正義の言葉を使うのは、むしろみさき側。悪意は無言で、淡々と、正義の混乱に乗って最大化する。
だから、FAKE/TRUTHというタイトルが単なる言葉遊びじゃなく、現実の構図に見えてしまう。
スペシャルとしての満足度と、あえて残した“次の火種”
スペシャルって、基本は一話完結の快楽が必要だと思ってる。今回もそこは守られていて、スタジオ占拠という閉鎖空間、情報戦、バディ再合流、逆転の捕縛まで、一気に見せ切った。
そのうえで、渡辺の正体が「エリック・アラキ」で、ヴァッファ幹部グレン・アラキの弟だと明かす。これは明確に“火種”として残している。
連ドラで終わったはずの敵が、時間を置いて生活に入り込んでくる。つまり「事件は終わっても、戦いは終わってない」。この感覚が、スペシャルを“特別編”に留めず、世界を拡張して見せる。
ここから先は僕の推測だけど、ラストマンという作品は、事件の勝ち負けよりも「嘘をどう扱うか」「正義をどう疑うか」を軸にしていく気がする。だから次があるなら、また“正しいこと”の顔をした何かが、二人の前に立つんじゃないかな。今回の伏線群は、その予告として十分すぎるほど効いていた。
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