第5話「村が消えた…解決編」は、ミラクル三井という“超能力者”をめぐる話でありながら、最終的に浮かび上がるのは“村そのものの狂気”です。
前編で提示されたのは、「村人が全員消えた」という怪異。
後編でさらに恐ろしいのは、その異常が“意図的に作られていた”と分かる点にあります。
出口の橋は消えていなかった。
上田は死んでいなかった。
首なし死体も、超能力の産物ではなかった。
すべては、25年に一度の生贄儀式を守るため、村人全員が同じ嘘をつき続けた結果だった――。
第5話は、トリックが「超能力は存在しない」と証明する話ではありません。人が集団で嘘を守ったとき、どれほど現実が歪むのかを突きつける回です。
そして、トリックで人を消してきたミラクル三井が、最後に選んだ“自分を消す結末”。謎は解けても、救いは残らない。それがこの回の、忘れがたい後味です。
トリック(シーズン1)5話のあらすじ&ネタバレ

第5話「村が消えた…解決編」は、第4話「村人が全員消えた」の後編です。
舞台は群馬県の山奥にある宝女子村(ほうめごむら)。“村人が全員消えた”という異常事態が、今度は「出口そのものが消える」という密室の恐怖に変わり、最後は村の因習と集団の共犯関係まであぶり出していきます。
ここから先は結末までがっつり書くので、未視聴の方はご注意ください。
前回(4話)のおさらい:宝女子村で起きた“全員消失”
発端は、宝女子村の駐在所に赴任したばかりの前田巡査の通報でした。「村人が全員消えている」。捜索に入った消防団までも行方不明になり、公安課長・伊藤は、超常現象の“トリック”を暴いてきた上田次郎に調査を依頼します。上田は渋る奈緒子を半ば強引に巻き込み、矢部も同行して村へ。
ところが村は、家も畑もあるのに、人間だけが“抜け落ちた”ようにいない。
食卓には用意された食事があり、扇風機が回るなど、生活の気配だけが残っているのが逆に不気味でした。探索の途中、派手な服装の自称霊能力者ミラクル三井が現れ、「物体や痛みを別世界へ送る」と豪語。信用しない奈緒子たちの目の前で前田を消したように見せ、村は“霊能力”のステージに変わっていきます。
そして前編のラスト、上田の姿が消え、押し入れから“上田らしき首なし死体”が出てくる――。恐怖の引きで第5話へ繋がります。
上田らしき首なし死体が出現:身元確認ができない恐怖
第5話は、そのショッキングな状況から始まります。首がない。顔がない。確認できる情報が限られているのに、服装や体格が“それっぽい”せいで、見た側の脳が勝手に「上田だ」と結論づけそうになる。
奈緒子と矢部は、パニックの中で「これ、上田なのか?」と確かめようとします。でも首がない以上、本人確認は簡単にできない。ここでTRICKらしいのが、緊張感のど真ん中に下世話なギャグが差し込まれる点です。
「上田かどうか確証が持てない」→「じゃあ、あれで確認するしかない」みたいに、論理は飛躍しているのに“その場の最善手”っぽく見えるテンポで、死体の身元確認が妙にコメディ化される。笑ってしまうのに、同時に「笑っていいのか?」という薄気味悪さが残る。このバランスが第5話の地獄みたいな快感になっています。
出口(橋)が消え、村が“密室”になる
身元不明の死体を前にしても、とにかく村を出よう――。そう判断して奈緒子と矢部が外へ向かうと、村と外界を繋ぐ唯一の出口であるはずの橋が“消えている”。ここで恐怖が完成します。
「村人が消えた」だけなら、まだ“村の中に何かがある”という方向で捜査ができる。でも出口が消えた瞬間、捜査の話ではなくサバイバルに変わる。逃げられない。助けを呼べない(呼べても届かない)。そして相手は“見えない力”を誇示してくる。
前編の怪談が、後編で密室ホラーへ変形するのがうまいです。
ミラクル三井のビデオに映る「怪しげな絵」:手がかりは“映像の端っこ”にある
行き詰まる二人の前に、ミラクル三井の存在が再び影を落とします。
奈緒子は、三井のビデオ(宣伝や記録のような映像)に映る家の中で、妙に気になる“絵”を見つけます。さらに、その絵の裏に不可思議な言葉が書かれている。
ここがTRICKらしいポイントで、事件の鍵が「派手な奇跡」ではなく、映像の端っこ・小道具の裏・書き付けのような“地味な情報”に埋められているんです。超常現象に見える現象ほど、解決は「見落とした細部」から始まる。上田の学術的な推理ではなく、奈緒子の“現場の違和感を拾う力”がぐっと効いてきます。
上田は生きていた:監禁と、村人による“救出”
一方、上田は死んでいません。どこかに連れ去られ、監禁されていた上田は、村人の女性・塚田泰子に助けられて脱出します。
この展開が効いているのは、「敵か味方かわからない村の中で、内側から崩れる」瞬間が生まれるからです。
村全体が一枚岩の“呪い共同体”に見えていたのに、そこに「告発したい人」がいる。つまり、村の秘密は“村人自身”にも重荷になっている。泰子は、単なる協力者ではなく、「この村の嘘に押しつぶされそうな人」として描かれ、事件の温度が一段下がって冷たくなります。
ミラクル三井の“消失”が暴走する:巨石群、矢部、そして奈緒子
ミラクル三井は“消す”ことで支配します。物体だけでなく、人間の恐怖心まで消失マジックで塗りつぶしていくタイプ。巨石群(遺跡の石像のようなもの)を消してみせ、さらには矢部までも消されたように見える展開で、奈緒子は単独に近い状況へ追い込まれていきます。
ここでの怖さは、三井が本当に超能力者に見えてくることではありません。
周囲に誰もいない。助けがない。証言者がいない。つまり「反証」が立てられない状況を、村が“意図的に作っている”ことが怖い。超常現象より、環境が人間を追い詰める作りになっている。
森の違和感が真相へ:「来た道」は本当に消えたのか
ここから解決編の骨格が見えてきます。奈緒子と上田(再合流後)は、村の構造そのものに疑いを向けます。
「橋が消えた」のではなく、「橋が見えなくされた」のでは?
「道が消えた」のではなく、「道が隠された」のでは?
森の中を進むと、本来通ってきた道が、木や葉で巧妙に隠されている。隠し方が“自然のふり”をしているのがポイントで、ちょっと見ただけだと「崩落した」「神隠しだ」と思い込む。けれど冷静に見れば、人の手が入っている。そこを暴くと、消えたはずの橋が“復活”するように現れます。
つまり、村は「消す」能力で封鎖していたのではなく、外から来た人間の視線を誘導し、「消えた」と思わせていた。ここで“超能力の勝負”から“人間の仕掛けの勝負”へ、地面がガクッと落ちる感じがある。TRICKの気持ちよさは、この落差にあります。
首なし死体の正体:上田ではなく、殺された“本物の前田”
さらに悪趣味な真相が重なります。上田らしき首なし死体は、上田ではありませんでした。
正体は、着任したばかりの“本物の前田巡査”の遺体。上田の服を着せ、頭部をなくすことで、身元をぼかしつつ「上田が殺された」ように見せたのです。
そして、奈緒子たちが一緒に行動していた「前田」は偽物。村の青年が成り代わっていた。
この「偽物が警察官の制服を着て、外部に通報している」構図が、めちゃくちゃ嫌なんですよね。通常、制服は“安心”の記号です。でもTRICKは、安心の記号が真っ先に裏切る。しかもその裏切りが、超能力ではなく、服と口裏合わせで成立している。
25年に一度の生贄儀式:少女が「死んでいなければならない」理由
では、村はなぜそこまでして嘘を守るのか。理由は「因習」です。
宝女子村には“25年に一度、災いを避けるために幼い子どもを生贄にする儀式”があり、今年がちょうどその年だった。儀式は、石櫃(石の棺)のような場所に閉じ込める形で行われ、毒ガスが充満する――という残酷な内容です。
前田巡査は赴任初日にその現場を目撃し、止めようとして殺された。だから村は、外部に知られる前に“村ごと消えた”ことにして、捜索を空振りさせる必要があった。
ここで第4話から出ていた「謎の少女」の意味が回収されます。
彼女は幽霊ではなく、儀式の犠牲となるはずだった子ども。現れては消えるのは、超常現象ではなく、「生きていることを知られてはいけない」状態に置かれているから。
そしてあの言葉――「死んでいなければならない」。それは幽霊の台詞ではなく、“生き残ることすら許されない村の空気”そのものです。
村人全員が“共犯”だった:超能力より怖い「口裏合わせ」
真相はこうです。村人は消えていない。
全員が“消えたふり”をして、外部の人間(捜索隊や上田たち)を監視し、必要なら脅し、必要なら排除する。村が実は二つあり、外から来た人間を騙すための舞台(見せかけの村)を用意していた――という構造も語られます。
ここで怖いのは、仕掛けが大がかりなことではありません。
「村全員が同じ嘘をつける」ことが怖い。
一人の詐欺師なら、矛盾が出る。でも共同体が丸ごと嘘を守ったら、外部の理屈は簡単に折れる。TRICKが描く“オカルトの正体”は、超能力ではなく集団心理と情報の非対称なんだ、という結論に叩きつけられます。
ミラクル三井の立場:復讐者であり、利用される“舞台装置”
ただし、ミラクル三井が全ての黒幕かというと、そう単純でもありません。
三井は宝女子村の出身で、過去に“インチキを暴かれた”因縁を抱えています。しかも、その暴いた人物が奈緒子の父・剛三であることが示され、奈緒子の怒りが「正義」だけでなく「私怨」も帯びる。
けれど最終的に見えてくるのは、三井が村人に利用されていた構図です。
信じてもらえない。戻る場所もない。だからこそ“消す力”にしがみつき、周囲の言葉に乗せられて、自分でも自分を本物だと思い込んでいく。悪役でありながら、滑稽で、哀れで、最後は逃げ場がない。
ラスト:ミラクル三井の「最後の消失」が残す後味
すべてが暴かれた後、ミラクル三井は“最後の消失”を選びます。
「最後にとびっきりの者を消して見せましょう」と言い、(高見台のような場所から)身を投げ、命を絶つ。トリックで人を消してきた男が、最後に自分自身を消す。決して美談ではなく、救いにもならない。ただ「ここに居場所はない」という結論だけが残る終わり方です。
だから第5話は、謎が解けてスッキリする回ではありません。
“超能力は嘘だった”と分かったのに、残るのは「嘘を守るために人が死ぬ」という現実の重さ。TRICKという作品の“後味の悪さの美学”が、この時点で完成している回だと思います。
トリック(シーズン1)5話の伏線

第5話は後編なので、伏線=提示→回収の密度が高い回です。
ここでは「この回で撒かれて、この回で回収されるもの」と、「後味として残るもの」を分けて整理します(※ネタバレ前提です)。
「上田らしき首なし死体」=“確証を奪う”ための装置
首がない時点で本人確認は困難。それでも服装だけで「上田だ」と思わせてしまうのが、ミスリードとして強烈でした。
この伏線の役割は、“視聴者と奈緒子の判断力”を同時に鈍らせること。恐怖と焦りで視野が狭くなると、人は「分かりやすい結論」に飛びつきます。
回収としては、「遺体の正体は上田ではなく本物の前田」「同行していた前田は偽物」という二段構えで、見ていた側の思い込みがひっくり返ります。
「出口の橋が消えた」=消失ではなく“視線誘導”のサイン
橋が消えるのは、能力の誇示に見えて、実は“道が隠されている”ことの巨大なヒントでした。
「消えた」ではなく「見えなくされた」。この発想に切り替えられるかどうかが、上田と奈緒子が超常を解体できるかの分岐点になっています。
回収では、森の中で“来た道”が木や葉で隠されていたこと、進むと橋が復活して見えることが決定打になります。
「ミラクル三井のビデオ」「怪しげな絵」「絵の裏の言葉」=“村の構造”に触れる手がかり
派手な超能力(消失)に目を奪われる中で、奈緒子が拾うのは地味な“絵”と“文字”。
TRICKは基本的に、真相の入口を「映像の端」「紙の裏」「言葉の違和感」に置きます。今回もまさにそれで、三井のビデオは“嘘の舞台がどんな空間か”を教える資料になっていました。
「謎の少女が現れては消える」=幽霊ではなく、生きた証拠
前編から続く最大の違和感が少女の存在です。
現れては消える=幽霊、という連想を視聴者はしがち。でも実際は、村の因習(生贄儀式)の“犠牲になるはずだった子”という、もっと生々しい現実に繋がっていきます。
あの子の「死んでいなければならない」という言葉が、後編で村の因習に直結する回収になるのが、TRICKの残酷さです。
「前田巡査」の違和感=偽物・成り代わりの布石
後から思い返すと、前田の言動や立ち位置がどこか“説明的”だったり、“恐怖を煽る方向”に寄っていたりします。
この違和感が「実は同行していた前田は偽物だった」「本物は殺され、遺体として利用された」という真相へ繋がる。
警察官という信頼の記号を村が利用していた、という構図自体が、この回の一番嫌な部分でもあります。
「村人がいないのに生活の痕跡がある」=“消えたふり”の伏線
食卓の用意、回っている扇風機――。人だけがいない。
これ自体が、実は「村人は消えていない」「隠れて監視している」真相の伏線でした。
超能力の演出に見せかけて、実際には“村全体で状況を演出していた”という回収へ繋がるので、気づくと一気に怖くなるタイプの伏線です。
「ミラクル三井と奈緒子の父・剛三の因縁」=奈緒子が暴く理由の補強
三井の過去に奈緒子の父が絡んでいることで、奈緒子の怒りが「正義」だけではないニュアンスを帯びます。
TRICKは、主人公が事件を解決するたびに“生活”と“感情”も一緒に剥き出しになりますが、今回の因縁はその代表例。後のシリーズで効いてくる「奈緒子の縦糸」への意識も、ここで少し強まります。
「ミラクル三井の最期」=“暴いたあとに救いはあるのか?”という問い
回収として最も重いのがここです。
トリックが暴かれたから解決、では終わらない。暴かれた側が“生きていけない”場合、真実は正義にならない。
ミラクル三井の死は、シリーズ全体に通底する「救われなさ」を、この時点で読者に刻む伏線(=作品の癖)になっています。
トリック(シーズン1)5話の感想&考察

第5話を見終わったあと、いちばん強く残るのは「解けた!」という爽快感じゃなくて、「解けたのに、気分が軽くならない」という後味でした。
ここがTRICKの怖さであり、中毒性でもあると思っています。
“消失”が怖いんじゃない。「消えたことにされる」のが怖い
ミラクル三井の消失は派手です。けれど、本当に背筋が寒くなるのは、村が丸ごと「消えたふり」をして、外部の人間を“間違った世界”に閉じ込めてしまうところ。
しかも舞台は、山奥の村。
警察が来ても、救急が来ても、「道を間違えました」で終わる可能性がある。
怪奇現象って、派手な雷や念力より、「説明できそうな範囲で起きるズレ」のほうが怖い。この回はそこを突いてきます。扇風機が回り、食事が並んでいるのに、人だけがいない。あの画は、理屈で説明できると分かった後でもゾワッとします。
一番の怪物は「共同体の口裏合わせ」
種明かしが「村が二つあった」「道を隠していた」という物理トリックだけなら、まだ笑い話にもできます。
でもその物理トリックを成立させるのが、“村全員の共犯関係”だという点で、急に笑えなくなる。
誰か一人が嘘をついているなら、追い詰められる。でもみんなが嘘を守るなら、追い詰められるのは外部の人間のほう。
そして、その嘘を守る理由が「生贄儀式」だという最悪さ。
ここでTRICKは、オカルトを科学で解体するだけじゃなく、「人が信じたい物語のために、どこまで残酷になれるか」を描いてくる。だから見終わってもスッキリしない。
“本物っぽさ”の正体は、超能力じゃなく「状況の強制」だった
視聴者が「三井、もしかして本物?」と一瞬でも思ってしまうのは、彼がすごいからじゃなく、状況が閉じているからです。出口が消え、味方が消え、情報が入らない。
反証できない状況に放り込まれると、人は“説明のつかないもの”を信じやすい。これってオカルトの構造そのものなんですよね。
だから、TRICKがやっているのは「超能力の否定」ではなく、「信じさせる環境の解体」。その意味で第5話は、シリーズの基本フォーマットがかなり完成している回だと思います。
上田不在が効く:奈緒子の“現場の嗅覚”が前に出る回
第5話は、途中まで上田がいない(または合流が遅い)構図になります。
これがすごく良くて、奈緒子の「理屈じゃなく違和感を拾う」能力が前面に出る。上田がいると、どうしても上田の講義で整理されがちですが、奈緒子はもっと泥臭い。ビデオの端の絵に気づく、言葉の裏に引っかかる、“怖いけど進む”。
さらに矢部とのコンビが一瞬成立するのも面白い。普段は職務怠慢でズルいのに、危機では意外と奈緒子を引っ張って逃がそうとする。SNSでも「矢部がちゃんと奈緒子を連れて逃げるのが意外で良い」みたいな声が出やすいの、分かります。
ミラクル三井の最期が示す、“暴く側”の残酷さ
この回を名作扱いする人が多いのは、ミラクル三井がただの悪役じゃないからだと思います。
彼は確かに人を怖がらせ、消して見せ、事件の顔になる。でも、最終的に見えてくるのは「村にも世間にも居場所がない男」でした。
暴かれたら終わり。信じてもらえなければ価値がない。
その構造が、霊能力者ビジネスの悲劇でもあり、エンタメの悲劇でもある。
だからこそ彼の死は、「ざまあみろ」とは絶対に言えない。暴いた側の正義も、どこか汚れて見えてしまう。
TRICKって、“スカッと種明かし”をあえて汚すのが上手いんですよね。真実は出る。でも誰も救われない。
5話(ミラクル三井編)が刺さる理由:笑いと不穏の“落差”がえぐい
個人的に、この回のいちばんの暴力性は「笑いがあるから不穏が刺さる」ことだと思っています。
身元確認で笑わせて、次の瞬間に橋が消える。矢部の軽さで息を吸わせて、次の瞬間に一人になる。
視聴者の呼吸をわざと乱してくる感じ。
だから、見終わった後に「あれ、なんか心が疲れてるぞ?」となる。けど、その疲れが“癖”になる。SNSでも「気づいたらどんどん見進めてしまう」みたいな感想が出やすいのは、たぶんこの回あたりで作品の中毒性が立ち上がるからです。
まとめとしての考察:第5話の“本物”は、霊能力じゃなく「嘘を維持する力」
結局、この回で一番“本物”だったのは霊能力じゃない。
村が嘘を維持する力、因習を正当化する物語、疑う側を孤立させる空気――そういう「目に見えない圧力」のほうが、よっぽど超常的に強い。
だからTRICKは、オカルトを倒すドラマじゃなくて、人間の弱さと残酷さを解体するドラマなんだと思います。
第5話は、その方向性がはっきり刻まれる回。笑ったはずなのに、最後に胸が引っかかる。あの引っかかりこそ、このシリーズの“続きが見たくなる毒”でした。
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