第3話は、母之泉編の“謎解きの決着”でありながら、感情としてはまったく終わらない回です。
奈緒子は“壁抜け”という超常現象の正体を暴き、上田も理屈で奇跡を解体する。それでも、救おうとした信者は死に、事件は「自殺」として処理される。
暴いたのに、誰も救えない。
勝ったはずなのに、後味だけが最悪に残る。
さらにこの回は、奈緒子の父の死というシリーズの縦糸に初めて踏み込み、『トリック』が単なるオカルト解体ドラマではないことを決定づけます。
母之泉編のラストは、解決ではなく“呪いのような余韻”でした。
トリック(シーズン1)3話のあらすじ&ネタバレ

第3話は、奈緒子と上田が初めて本格的にぶつかった宗教団体「母之泉」編の“結末”であり、シリーズの縦糸(奈緒子の過去)にまで触れてくる回です。
事件の謎解きとしてはもちろん、「暴けば終わり」ではない後味まで含めて、『トリック』の味が一気に濃くなる。
前回までの流れ:母之泉に“勝ったはず”なのに、死体が転がる
前回、奈緒子は“母之泉”の儀式で行われていた透視(読心術)のカラクリを暴き、教祖・霧島澄子(通称ビッグマザー)を追い詰めた…はずでした。
ところが現実は、視聴者が思っている以上に黒い方向へ転がっていきます。
儀式の後、奈緒子と行動を共にしていた大森美和子が、青木の家で死体となって発見される。
しかも状況は「自殺」に見える形で整えられていて、警察(矢部たち)が見ても決定打がない。ここで一気に空気が変わります。『トリック』はコメディの顔で始めておきながら、「人が死ぬ」瞬間だけは逃げない。第3話はその代表例です。
青木の家で見つかる“肖像”——母之泉は、もう外に出ている
奈緒子は青木の家を調べ回り、そこで霧島澄子の肖像を見つけます。
青木はただの田舎の家主ではなく、母之泉と“繋がっている側”なのではないか。そう疑うだけで、この事件が「村の中の宗教団体」から、「外の一般社会に食い込む構造」へと拡張される。
上田も矢部たちもいる場で、奈緒子は青木を問い詰め、さらに津村俊介(母之泉の実務を回す男)たちが帰ろうとするのを引き止めます。
ここから奈緒子の“推理ショー”が始まるのですが、彼女の推理が面白いのは「名探偵」っぽい華やかさより、現場で拾った違和感をつなぐ泥臭さにあるところ。科学者・上田の理屈とは別の、生活者としての勘の鋭さが前に出ます。
奈緒子の推理:キジ汁の睡眠薬、そして“水”が殺した
奈緒子が提示する核心はこうです。
- 前夜に青木が出したキジ汁に睡眠薬が混入されていた
- それを食べて眠ったのは奈緒子と美和子
- 眠っている間に青木は津村たちを家へ招き入れ、外の水道管から毒を混入した
- その水を飲んだ美和子が死亡
- その後、外の蛇口を出しっぱなしにしておけば毒は流れ、証拠が残りにくい
- 混乱の中で青木が遺書と薬瓶を遺体のそばへ置き、「自殺」に見せた
ポイントは、これが“美和子だけを狙った”犯行ではなく、奈緒子の推理では「狙いは奈緒子だった可能性が高い」ということ。奈緒子が死ねば「祟り」で片がつく。
上田が死んでも、すでに“死の宣告”があったから不自然になりにくい。つまり母之泉側は、信者の心理と世間の目を計算しながら、死すら“物語”として処理できる装置を作っていた。
ただし、奈緒子の推理は鋭い一方で、決定的な弱点を抱えています。そう、証拠がない。だから警察は動けない。矢部も結局“とぼけた顔”でやり過ごすしかない。『トリック』における矢部の滑稽さって、ただのギャグじゃなくて「権力が役に立たない瞬間」を笑いに変えてるんですよね。
「もう一度、母之泉へ来い」——勝負の舞台を“村”に戻す
追い詰められるどころか、津村は奈緒子を母之泉へ誘います。
ここが絶妙で、津村は逃げない。むしろ“舞台”に引きずり戻す。母之泉という共同体の中なら、常識も法律も薄まり、勝負のルールは宗教側が握れるからです。
一方その頃、東京では奈緒子の母・里見が突然姿を消し、医師の瀬田がその痕跡に気づいて探し回る。事件の渦中で、奈緒子の「家」の方も揺れ始める。この“同時進行”が、第3話をただの決着回で終わらせない要因です。
指を賭けろ——ビッグマザーの“本気”と、奈緒子の敗北感
母之泉に戻った奈緒子と上田を待っていたのは、教祖・霧島澄子の圧倒的な居座り方でした。
澄子は、これ以上自分を非難するなら“相応のもの”を賭けろと言い、手品師にとって致命的な「指」を賭けるよう迫る。ここで大事なのは、澄子が単に脅しているのではなく、「信仰が勝つ」儀式を成立させようとしている点です。
奈緒子は周囲に仕掛けがないか探ろうとしますが、澄子はどこまでも堂々としている。好きなだけ調べろ、と。結果、澄子は奈緒子の心を“読んだ”かのように言い当て、奈緒子は追い詰められて指を差し出す立場に立たされる。
この瞬間の奈緒子って、普段の強気な口調が一枚剥がれて、視聴者が初めて「この人も怖いんだ」と実感する顔をする。上田が理屈で戦うのに対し、奈緒子は“見世物小屋で生きる手品師”として、自分の身体(指)に価値がある。それを賭けにされる恐怖が生々しい。
捕らわれる二人、逃げ出す二人——“村に潜る”という選択
警察も決定的に踏み込めない中、奈緒子と上田は捕らえられてしまいます。
しかし二人は逃げ出し、母之泉の村に潜入して反撃を開始する。ここからはもう、推理劇というよりスパイ映画みたいなテンションになります。
その過程で二人ははぐれ、奈緒子の前に青木が現れる。青木は霧島澄子の恐ろしさを語り、何か“信じられない言葉”を残した直後に死んでしまう。ここ、トリック(手品)のシリーズでありながら、見ている側は「誰が味方で誰が敵か」が揺さぶられて落ち着かない。
青木が単なる共犯者じゃなく、罪悪感や恐怖を抱えた“生身の人間”として最後に映るのが、かなり残酷です。
宙に浮く上田——“密室”の正体は鏡だった
そして第3話の名場面が来ます。はぐれた上田が、なぜか宙に浮いている。信者たちの目には、完全に“奇跡”として映る。奈緒子は猟銃でそれを狙う。ここで視聴者の頭の中も二択になります。
- 本当に霊能力なのか
- いや、必ずトリックがあるはずだ
奈緒子は後者に賭け、宙に浮く上田の周囲の“違和感”を読み取り、鏡を使ったトリックだと見抜きます。
銃で撃つと鏡が割れ、信者たちは一斉に慌てふためく。超常現象が、物理的に「割れる」瞬間。ここは『トリック』が一番気持ちいい形で“解体”を見せる場面です。
(ちなみにこの場面、視聴者の感想でも「小道具の違和感に気づく奈緒子が冷静すぎる」みたいな声がよく出ます。劇中では一瞬の違和感を拾えるかどうかが勝負で、だからこそ奈緒子の“プロの手品師”としての目が光る。)
逆ギレする津村、止めるビッグマザー——宗教の“終わり方”は暴力になる
種明かしをされた津村は激昂し、吹き矢で奈緒子を狙います。
ところが、それを止めるのは澄子自身です。「おやめなさい」と制し、「いつかこうなる運命だった。もう終わりにしましょう」と言う。ここで澄子は、教祖の座にしがみつくより先に、終わらせる側へ回る。
でも津村は納得しない。信仰で作った王国を手放したくない。信者を“救ってきた”という自負(あるいは支配の快感)もある。上田はここで津村を制し、吹き矢を奪い取る。
上田は理屈の人間なのに、最後は体を張るしかない。これも『トリック』の面白さで、科学で勝つ話のようでいて、最後はいつも「人間の腕力」と「人間の業」に戻ってくる。
「騙しましょう、私たちの人生…」——ビッグマザーの死と、最後の告白
暴れる津村は「俺もこの女に騙されてた」と叫ぶ。
その直後、澄子は血を流して膝をつき、手元から薬の瓶が転げ落ちる。つまり澄子は“自分で終わらせた”。ここで彼女が残す言葉が、母之泉編の後味を決定づけます。
澄子は、奈緒子がひとつだけ間違っていると言う。
「人の心を読める」というのは本当で、この世にはそういう不思議な力を持った人間がいるのだ、と。母之泉ができるずっと昔、何もかも失い、自殺にも失敗した自分が、目覚めたときに“人の気持ちを感じ取れる力”に気づいた。そしてそれを嗅ぎつけた津村が現れ、青木の土地に巨大な施設を作り、澄子をビッグマザーとして祭り上げた…と語る。
ここまで来ると、視聴者は困ります。
え、結局、本物なの? それとも最後まで演技?
『トリック』の意地悪さって、ここで答えを一つに固定しないところなんですよね。澄子が全部インチキだったなら、最後の告白は“信者のための幕引き”にも見える。でも、もし澄子にほんの一欠片でも“本物”があったなら、この事件は単なる詐欺事件では終わらない。
そして残る“縦糸”:奈緒子の父は、霊能力者に殺された
澄子はさらに奈緒子の頬に手を当て、奈緒子の父が「力のある霊能力者に殺された」こと、そしていずれその存在が奈緒子の前に現れ、奈緒子も殺される…という不穏な言葉を残して息を引き取ります。
この“遺言”が、第3話をただの事件解決で終わらせない最大の仕掛けです。シーズン1は単発回も多いのに、ここだけは明確に「先の話」を刺してくる。
実際、シーズン1終盤では奈緒子の父の死因を追って黒門島へ向かう流れが描かれます。つまり母之泉編は、出会いの事件であると同時に「奈緒子の過去」を開ける鍵にもなっている。
エピローグ:里見の失踪が示すもの、写真の中の父が重くなる
一方で里見は熱を出して祠で倒れていたところを助けられており、瀬田は里見と奈緒子の“関連”を指摘していた。奈緒子と上田は村を抜けて東京へ戻る。上田が奈緒子を送り届けて帰っていくと、奈緒子は父と自分が写った写真を見ながら、澄子の言葉を反芻する。
事件は終わった。トリックも暴いた。
でも、“救われた”とは言い切れない。
この感情の宙づりが、母之泉編の結末です。
トリック(シーズン1)3話の伏線

第3話の伏線は、「次の事件の手がかり」というより、シリーズ全体に刺さる“縦糸”の種が多い印象です。母之泉編の決着回でありながら、同時に「トリックとは何を暴くドラマなのか」を改めて定義し直している回でもあります。
伏線1:ビッグマザーの最期の言葉が“黒門島(最終章)”へ繋がる
澄子が残した「奈緒子の父は霊能力者に殺された」「いずれその霊能力者が現れ、奈緒子も殺される」という言葉は、明確にシーズン1終盤の縦軸へ接続しています。
シーズン1は一話完結っぽい回も多い中で、ここだけは“未解決”を残して終える。そのせいで、視聴者は事件解決のカタルシスより先に「え、父親って何?」「奈緒子の過去、そんな重いの?」という不安を抱える。結果として、最終章(黒門島編)へ自然に引っ張られる構造になっています。
伏線2:「本物の霊能力者がいるかもしれない」という“例外”の置き方
『トリック』は基本、超常現象を“解体”するドラマです。毎回、種がある。人間が仕掛けている。なのに、母之泉編の終わり方は少し違う。澄子の告白によって、「この世には不思議な力を持つ人間がいる」という“例外”を置いていく。
ここが絶妙で、作品としては“オカルトを肯定”しているわけではありません。むしろ、肯定も否定もせずに、観客の脳内に「説明しきれない余白」を残す。
だからこそ、以降のエピソードで霊能力者が出てきても、視聴者は毎回ゼロから疑うのではなく、「今回は本当に例外かも?」と一瞬だけ心が揺れる。その揺れを作ったのが、第3話のラストです。
トリックの霊能力者についてはこちら↓

伏線3:津村の言葉が示す「暴く=救う」ではないというテーマ
母之泉編は、トリックを暴けば信者は目覚める…という単純な話にしない。津村は最後に負け惜しみとも本音とも取れる言葉を吐きます。「救おうとしたのはどっちだ」という問い。
これが示すのは、母之泉が単なる詐欺集団ではなく、少なくとも一部の信者にとって“居場所”や“救いの物語”になっていたという事実です。だから暴かれた後、信者は救われるどころか、よりむき出しの現実に放り出される。以降の『トリック』もずっとこの後味を引きずります。「真相解明」は正義である一方、人を幸福にしないことがある。第3話は、そのシリーズ哲学の原点です。
伏線4:里見の失踪と“祠”が匂わせる奈緒子のルーツ
同じ回で、里見が突然家から消え、祠で倒れていたという出来事が差し込まれます。事件の解決とは無関係に見えて、実は「奈緒子の血筋」「家の秘密」へ視線を向けるための導線になっている。
ここで瀬田が“里見と奈緒子の関連”に言及するのもポイントで、奈緒子本人より周囲の人間の方が先に「この親子、何かある」と気づき始める。この外堀の埋め方が、後の黒門島編の入り口として効いてきます。
伏線5:証拠がない=裁けない、という“現実の壁”が今後も続く
奈緒子の推理は筋が通っていても、証拠がなければ警察は動けない。矢部が“お手上げ”になる。このパターンは、この回だけの都合ではなく、『トリック』が繰り返し描く現実の壁です。
超常現象は暴ける。でも、人間は裁けない。
裁けないから、終わらない。
終わらないから、後味が残る。
この構造自体が、シリーズを通しての伏線になっています。
トリック(シーズン1)3話の感想&考察

母之泉編のラストは、『トリック』というドラマの“名刺”みたいな回だと思っています。笑えるのに、怖い。解けたのに、救われない。スッキリ終わったようで、心の中にずっと泥が残る。第3話は、その矛盾をいちばん美味しい形で出してきます。
「密室」って、部屋の話じゃなく“心の話”なんだと思う
配信表記で「密室」と呼ばれるのが象徴的で、この回の密室は物理的なトリック以上に、信者たちの心理にあります。
母之泉は、教祖が浮くとか壁を抜けるとか、そういうギミックで人を支配しているようで、実際は「信じたい人たちの空気」が密室を作っている。そこに一歩入った瞬間、理屈が通らなくなる。奈緒子と上田が戦っている相手って、教祖の手品だけじゃなくて、共同体の“空気そのもの”なんですよね。
だからトリックを暴いて鏡が割れた瞬間でさえ、勝ち切れない。空気は割れないから。信仰は「証拠」で負けないから。ここが現実っぽくて嫌で、でも面白い。
奈緒子の強さは「当てた」ことじゃなく「当てさせない」ことにある
この回、奈緒子は推理を披露し、鏡のトリックを見抜き、結果的に母之泉の“奇跡”を壊します。ただ、彼女の真価って「推理が当たった」よりも、相手に“当てさせない”執念にあると感じました。
ビッグマザーが堂々と心を読んでくる場面、奈緒子は一度負ける。ここが大事で、奈緒子は万能じゃない。焦るし、怖がるし、自分の指(人生)を賭けられたら震える。けれどその後、村に潜入してでも一泡吹かせる方向に舵を切る。プライドの人なんですよね。
「私は騙されない」ではなく、
「私が騙される世界を許さない」
そんな意地が見える。
上田の“弱さ”が、この回だけやけに愛おしい
上田は基本、理屈で殴る男で、態度もデカい。なのにこの回、宙に浮かされ、捕らわれ、最後は汗だくで暴力に巻き込まれる。科学者としての勝利より先に、人間としての情けなさが出る回なんです。
でも、その情けなさがあるから、上田は奈緒子の相棒として成立する。超常現象を否定する男が、結局は超常現象っぽい舞台で右往左往する。そこがコメディとして笑えるのに、同時に「こいつも怖いんだな」と伝わってくる。上田って、強い男を演じているだけで、たぶん根っこは怖がりなんですよね。だから奈緒子に無茶をさせるし、同時に奈緒子が危ないときは身体で止めに行く。
ビッグマザーは“悪役”で終わらない——だから後味が悪い
普通なら、詐欺教祖は悪で、暴かれて終わりです。でも澄子は、最後に「自分にも力があったかもしれない」余白を残し、しかも自分で幕を引く。
さらに残酷なのは、津村が「俺も騙されてた」と叫ぶ構図。信者を騙していた側が、教祖に騙されていたと言う。これ、責任の所在が溶けるんですよね。
誰が悪いのか、単純に切れない。
だから視聴者もスッキリしない。
個人的には澄子の「騙しましょう、私たちの人生…」という言葉(ニュアンス含め)が、このシリーズの倫理観を丸ごと背負ってる気がします。人は、綺麗事だけで生きられない。嘘に救われる夜がある。けど嘘は、誰かを殺す。第3話はその境界線をぐちゃぐちゃにして終わる。
“本物の霊能力者”の匂わせが、怖さを未来へ運ぶ
母之泉編の怖さって、殺人や脅しだけじゃなくて、最後に「もしかしたら本物がいるかも」と言って去っていくところにあります。
本来『トリック』は、超常現象を否定して視聴者を安心させるドラマです。でも第3話は、その安心を一回だけ崩す。崩し方が上手くて、肯定もしないし、否定もしない。ただ「そういう人間がいてもおかしくない」と置いていくだけ。だから次の話からもずっと、“不安の種”が残る。
この作りのせいで、『トリック』は「科学が勝つ物語」じゃなく、「科学で勝っても、心は勝てない物語」になっていく。ここから先、霊能力者は毎回出てくるけど、視聴者の心は毎回ちょっとだけ揺れる。その揺れの原点が第3話だと思います。
結末の“静けさ”が刺さる:写真を見つめる奈緒子の顔
事件が派手に終わった後、最後は奈緒子が父との写真を見つめる静かな場面で締まります。
ここ、シリーズの中でもかなり重要で、奈緒子は基本「貧乏で口が悪い手品師」なんだけど、写真を見ている瞬間だけは、彼女の人生がちゃんと“物語”になる。笑えるだけじゃない主人公だと、視聴者に刻む。
そしてそれが、上田との関係にも跳ね返ってくる。二人は恋愛しそうでしない。でも、関係性の芯は「事件」じゃなく「奈緒子の過去」を巡って強くなる。母之泉編のラストは、その始まりとして完成度が高いです。
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