サンクチュアリ5話は、物語の空気が明確に変わる回です。
これまで描かれてきた「勝つ快感」や「成り上がりの勢い」は影を潜め、代わりに前面に出てくるのは、勝ち続けることで生まれる慢心と、壊れていく身体と人間関係。
猿桜は連勝によって“自分の時代”を確信し、周囲への敬意を失っていく。一方で、古参力士・猿谷は膝の故障という現実を前に、「続けるか、終わるか」という残酷な選択を突きつけられる。
第5話は、土俵の上だけでなく、土俵の外で進行する「人生の勝負」が、静かに、しかし確実に始まったことを告げるエピソードです。
ドラマ「サンクチュアリ 聖域」5話のあらすじ&ネタバレ

第5話は、物語のギアが「勝ち負けの爽快感」から「勝ち続けることの代償」へと切り替わる、はっきりした転換点でした。
膝を痛めた古参力士・猿谷が将来を考え始める一方で、猿桜は連勝によって完全に慢心していく。物語はこの二本柱を並行して描き、やがて同じ土俵へと収束させていきます。
この“膝”と“慢心”が、最終的に同じ場所でぶつかる。その構造こそが、第5話の怖さであり、面白さでもあります。
国嶋飛鳥のPCに映る「21連勝」|書けない一文が感情を暴く
幕開けは、国嶋飛鳥が猿桜(小瀬清)の取組映像を何度も見返す場面から始まります。
三段目優勝、21連勝という数字が、画面いっぱいに突きつけられる。
飛鳥は記事を書こうとしながら、無意識に“持ち上げる言葉”を選んでしまう。けれど、最後にはその文章をすべて消してしまうんですよね。
ここは一見地味ですが、かなり重要なシーンです。
- 飛鳥は「角界の古い体質」を批判する立場の記者
- なのに、“破天荒な不良”の猿桜を追いかけてしまう
- でも、記者として「好き」を書くのは負けだと分かっている
つまり飛鳥は、まだ“外側の人間”としての鎧を脱げていない。
猿桜は、その鎧に静かにヒビを入れる存在になっている。
この回の飛鳥は、記事を書く前に、まず自分自身の感情に取材されている。そんな状態に見えます。
幕下に上がった猿桜の慢心|勝ち癖は礼儀より先に身体につく
一方の猿桜は、完全に「自分の時代が来た」モードです。勝ち続けることで、メンタルが一気に上へ振り切れている。
部屋では兄弟子の猿河に絡み、十両になったら付き人にしてやるといった下品な脅しを平気で口にする。
投資で増減する数字に一喜一憂し、スマホに向かって雄叫びを上げる。
清水に諭されても、「辞めたやつに言われたくない」と切り捨てる。
この描き方が巧いのは、猿桜を単に「性格が悪くなった」で処理しない点です。
勝つこと=正義、という錯覚が、礼儀や人間関係を少しずつ侵食していく過程として描かれている。
勝ち続けると、人は周囲の声を「嫉妬」か「ノイズ」に分類しがちです。猿桜もまさにそうで、部屋の摩擦を“成功の副作用”として処理してしまう。
さらにこの回、猿桜の子どもっぽさが細かく散りばめられています。
街での振る舞い、年配の男性に注意される場面など、強いのに未熟という矛盾が、次の悲劇の地ならしになっていく。
七海と村田拓真|金の匂いが「聖域」に入り込む
勝った猿桜は、当然のように七海のもとへ向かいます。猿桜の中では「優勝=ご褒美=女」という短絡が、まだ消えていない。
ただし七海は七海で、猿桜を翻弄しながらも、一線は越えさせない。この距離感は一貫しています。
そして第5話で存在感を増すのが、投資家・村田拓真です。七海の店で猿桜と出会い、タニマチになると申し出る。
タニマチ文化自体は相撲の外側の仕組みですが、村田はその中でも「金で人を動かす」タイプの危うさを持っている。
猿桜を“才能ある玩具”として見ている節が、随所ににじむ。
象徴的なのが、飲みの席の空気です。フレンドリーに見せながら、酒と金で相手を転がす。「聖域」の外側から、土俵の内側へ干渉してくる。
これはスポーツドラマというより、組織ドラマの怖さです。
勝負の外に、勝敗を歪める圧が存在している。
猿谷の膝|続けるか、終わるかを身体が先に答える
第5話の心臓部は、やはり猿谷です。
膝を痛めた猿谷は医師から、「治すには手術。ただし手術をすれば相撲は続けられない」と告げられる。
選択肢は二つ。
- 痛みを抱えたまま土俵に立つ
- 治療を選んで土俵を降りる
治すほど競技ができなくなる。
競技を続けるほど治らない。
プロスポーツの残酷さが、そのまま突きつけられる場面です。
さらに追い打ちをかけるのが、猿谷の生活描写。妊娠中の妻、サッカーをする息子。土俵の外に帰れる場所があるからこそ、余計に迷う。
この温度差――部屋の熱と家庭の温度――が、猿谷の苦しさを立体的にしています。
猿谷と猿空の関係も刺さります。
「なんで猿桜ばっか稽古つけるんすか」と聞く猿空に、猿谷は「お前より強いから」と答える。
さらに、猿空がSNSで猿桜を叩いていることも把握している。
兄弟子は兄弟子で、全部わかっている。それでも抱きしめてはくれない。家族のようで、成果主義でもある――部屋制度の冷たさが露わになります。
稽古の事故|猿桜が猿谷を壊す。「勝つ才能」が人を傷つける瞬間
第5話の決定的な転換点は、稽古場の事故です。
猿桜が稽古中に猿谷を倒し、猿谷の膝の状態が決定的に悪化してしまう。
これは単なる不注意ではありません。
猿桜の中には、勝ち続けた結果生まれた「自分は何をしても許される」という空気がある。力の加減ができないというより、相手の人生まで想像する余裕が消えている。
事故の後の周囲の反応も痛い。
猿谷を慕う側から見れば、猿桜は「調子に乗った新人が、先輩の選手生命を折った」存在に映る。猿桜自身も罪悪感はあるのに、どう謝ればいいのか分からず、結果的に孤立していく。
ここで初めて、猿桜は気づく。
才能は、勝つためだけの武器じゃない。
誰かを壊す力でもある、と。
幕下取組編成会議|協会側が「物語」を作る瞬間
第5話では、幕下の取組を決める会議も印象的に描かれます。一見すると軽い空気ですが、実際には組み合わせを決める場であり、そこに協会側の政治がにじむ。
その結果、猿谷は静内と当てられる。
このマッチメイクは、公平な勝負というより「見せ物」としての勝負を作る手つきです。誰を上げ、誰を止めるか。それが土俵の外で決まっていく。
猿谷 vs 静内|痛みの先にある最後の意地
膝が限界でも、猿谷は静内戦に出る。静内は静内で、連勝を伸ばし続ける怪物として、淡々と勝つ側にいる。
この一番で胸に残るのは、勝敗以上に猿谷の「最後の相撲」です。
身体が壊れていくのに、家族の前で、部屋の前で、自分のプライドの前で立つ。そして負ける。
だからこそ、見ている側が救われる。
安井の八百長メール|過去をネタにする人間の悪質さ
もう一本の地獄が、フリーライター・安井の動きです。
「八百長を仕掛けろ」という匿名メールを武器に、安井は静内へ近づく。
「猿桜に負けろ。嫌なら過去を暴く」
ここで効いてくるのが、静内の過去。
母と弟の事件を抱える静内にとって、八百長は金の話ではなく、人生の封印をこじ開けられる恐怖です。
しかも安井は、正義の顔をして「記事になるから」と迫ってくる。
村田が金で猿桜を転がすなら、安井は言葉で静内を転がす。どちらも、土俵の外からの支配です。
エピソード5ラスト|猿桜×静内、合図直前に走る冷たい風
最後、次の取組が「猿桜 vs 静内」と決まり、土俵で向かい合う二人。
静内は脅しを受けた直後でも表情を崩さない。むしろ、ふっと笑うような気配すらある。
ここで第5話は終わります。
この終わり方が上手いのは、視聴者の頭に二択を残すから。
- 静内は脅しに屈して負けるのか
- それとも、脅しを断ち切るために勝ち方を変えるのか
答えは次話ですが、第5話の時点で嫌な予感だけは完成しています。
そしてその予感は、だいたい当たる。
このドラマは、そういう作り方をする。
ドラマ「サンクチュアリ 聖域」5話の伏線

第5話は“事件が起きる回”というより、後半の爆発に向けて導火線が一気に伸びる回です。ここでは「この回で置かれた釘」を、できるだけ整理しておきます。
猿谷の膝=物語のタイマー|「身体が壊れる」ことが常に背景にある
第5話の主軸が猿谷の膝であることは、物語上かなり早い段階ではっきり示されています。
ここから先、猿桜がどれだけ真面目になっても、角界は「努力すれば報われる」だけの世界ではありません。
- 怪我は突然来る
- 怪我は番付を落とす
- 怪我は人生設計を壊す
猿谷が見せた“選択の地獄”は、猿桜にも静内にも、形を変えて必ず返ってきます。つまりこの膝は、個人の不運ではなく、角界というシステムそのものの伏線です。
村田拓真のタニマチ化|「金で買える」と思った瞬間に、聖域は汚れる
村田は、軽いノリでタニマチを名乗る男として登場します。
ここで怖いのは、村田が露骨な悪人として描かれていない点です。
本当に危ういのは、“買える”と思ってしまう軽さ。
- 勝負そのものは買えない
- でも環境は買える
- 人間関係は買えてしまう
このズレが、あとからじわじわと歪みを生んでいきます。
金が土俵の外から入り込んだ瞬間、「聖域」はもう無傷ではいられない。その予告として、村田は置かれています。
七海の卒アル「古賀奈々」|説明されない傷は、ずっと残る
第5話で印象的なのが、七海の部屋にある卒業アルバムの描写です。写真が切り刻まれ、そこに「古賀奈々」という名前が残っている。
このドラマは、過去を全部説明しないことで、人間の闇を大きく見せる作りをしています。
七海もその一人で、猿桜を利用しているように見えながら、どこかで“過去に縛られている顔”を見せる。
この卒アルは、七海が単なる悪女で終わらないことを示す予告状です。
傷は癒えていないし、説明もされない。だからこそ、後々まで影を落とします。
猿空のSNSアンチ|いちばん近い場所の悪意が、いちばん刺さる
猿谷が「猿空がSNSで猿桜を叩いている」と把握している描写が入ります。
これ、外野のアンチよりもはるかに厄介です。
- 同じ部屋
- 同じ飯
- 同じ風呂
- でも心は別
身内の嫉妬は逃げ場がない。
毎日顔を合わせる分、毒が濃く、抜けにくい。
猿桜が調子に乗れば乗るほど、部屋の空気は確実に濁っていきます。この空気の悪化が、後半の衝突に直結していく。
安井の「八百長を仕掛けろ」メール|勝負の外に敵がいるという宣告
安井のもとに届く「八百長を仕掛けろ」という匿名メール、そして静内への脅迫。
ここで確定するのは、安井が単独で動いていないという事実です。
誰かが安井に仕事を渡している。
- 角界の権力側か
- タニマチ側か
- あるいは静内を止めたい別の力か
第5話では答えを出しません。でも「勝負は土俵だけで決まらない」ことだけは、はっきり示される。
これがまさに、“聖域”が外側から侵食され始めた瞬間です。
第5話の伏線はどれも派手ではないけれど、後半を確実に壊す力を内包しています。
ドラマ「サンクチュアリ 聖域」5話の感想&考察

第5話、僕は正直「しんどい回」だと思いました。
面白いのに、しんどい。勝負の熱量があるのに、後味が苦い。これは狙って作られている苦さで、たぶんこの作品の“核”がここにある。
「スポ根」じゃなく「人生ドラマ」だと確定したのが猿谷回
猿谷の膝の話って、スポーツものなら“泣けるサブエピソード”で終わりがちです。
でも『サンクチュアリ』は違う。猿谷の膝は、角界の仕組みの残酷さとセットになっていて、観ていて気持ちいい方向に回収してくれない。
- 手術したら終わる
- 手術しなければ壊れる
- しかも、壊れたら番付が落ちる
これ、「頑張れ」の物語じゃなくて「頑張っても終わる」の物語です。
だから猿谷の相撲が、刺さる。
勝ったからじゃない。最後まで立ったから刺さる。
猿桜の傲慢は“悪役化”じゃない。勝利の副作用として描かれてる
猿桜が嫌なやつになった。これは事実。でも第5話の描き方は、猿桜を悪者にして気持ちよく叩かせる構図じゃない。
猿桜は勝って、金が近づいて、女が近づいて、注目が集まって、SNSで叩かれて、全部に反応してしまう。
要するに、彼には「勝った後の自分」を扱う器がない。
勝っているのに不安。
強いのに弱い。
だから虚勢を張る。虚勢が人を傷つける。
この“勝ち癖の悪さ”って、現実でもわりと見るやつで、僕はそこがリアルで怖かったです。
村田と安井は似ている|「聖域」を壊すのは“暴力”じゃなく“都合”
第5話の敵って、静内でも猿河でもない。僕は、村田と安井だと思ってます。
- 村田:金で猿桜を従わせようとする
- 安井:過去で静内を従わせようとする
どっちも「相手の人生」を“自分の都合”で動かそうとする。
ここが一線を越えてる。
土俵は神聖で、礼儀があって、伝統があって……という“建前”を守るために、人の弱みを平気で踏む。
この矛盾が、角界の「聖域」感を際立たせていました。
国嶋飛鳥の立ち位置が一段変わった|「観察者」から「当事者」へ
飛鳥がPCで文章を消すところ、あれは“恋”というより、“当事者になる怖さ”なんだと思う。
書いたら、引き返せない。記者の距離が壊れる。
でも、壊れた距離でしか見えない景色もある。
第5話は、飛鳥が「角界の外側」から「猿桜の隣」へ寄っていく入口で、ここから彼女はただの“ツッコミ役”ではなくなっていく。
だから、猿桜と静内の対決を前にして、飛鳥がどっちを見るのか、ちょっと怖いし楽しみでもあります。
次話への期待と恐怖|静内の“笑い”は、壊す覚悟のサインに見えた
エピソード5の最後、静内が笑う。
この笑いを「余裕」と取ると、次話で心が折れます。
僕には、あれが「過去を握られた人間が、スイッチを切り替える瞬間」に見えました。
負けろと言われた。暴かれると言われた。だから笑う。そして次に出るのは、きっと“相撲”じゃなくて“何か別のもの”なんだろうな、と。
第5話は、勝負の前の回です。
でも、勝負の前にすでに勝負が始まっている。土俵の外で。人間の弱さのところで。
そういう意味で、この回は「サンクチュアリ=聖域」というタイトルを、いちばん冷たく理解させてくる回でした。
サンクチュアリの関連記事
サンクチュアリの全話ネタバレ記事はこちら↓

次回以降はこちら↓

過去の話についてはこちら↓




コメント