小さい頃は、神様がいて」9話は、ゆずの誕生日——そして小倉夫婦が19年前に交わした“離婚の約束”が訪れる日として描かれます。
離れるはずの日なのに、家族の空気はどこか穏やかで、祝福と寂しさが同居する不思議な一日。たそがれステイツの面々も巻き込みながら、それぞれが自分の気持ちをそっと確かめ合う姿が丁寧に描かれます。
「本当に離婚していいのか」——周囲の揺れと、本人たちの静かな決意。その先にある“新しい朝”を予感させる回となりました。
小さい頃は、神様がいて9話のあらすじ&ネタバレ

離婚約束“ゼロ日”の朝が来る
9話はサブタイトル通り「おはよう、佐藤あんさん」。
19年前に交わした「娘が二十歳になったら離婚する」という約束の“ゼロ日”であり、ゆずの誕生日=小倉夫婦の離婚当日が、ついにカレンダーのページとしてやって来る回です。公式のあらすじが触れているように、まわりの大人たちは「本当に離婚するのか」を問い直し、しかしあんも渉も「約束だから」と引き返さない決意を固めていく一日が描かれます。
ここからは、物語の流れを追いながら、9話の出来事を細かく整理していきます。
約束の日の前夜 「今も離婚したい?」と問うさとこ
物語は、永島さとこがあんに向かって「今も離婚したい?」と、視聴者全員が気になっていた問いをぶつけるところから始まります。
離婚の約束が公になってから、小倉家は以前よりもよく話し、よく笑う家族になっているように見える。それを指摘されたあんも「そうだよね」と認めつつ、「今はいいけれど、この先の人生で後悔すると思う」と静かに答えます。幸福感と違和感、その両方を抱えたまま進んできたあんの揺れが、ここで言葉になります。
同じように、樋口奈央と高村志保も、それぞれあんに気になっていたことを聞きます。たそがれステイツの住人たちは、あんが決めた「約束を守る」という姿勢を尊重しつつも、「こんなにいい家族が本当に離婚していいのか」と心配せずにはいられません。
一方、永島慎一も渉に対し、あらためて「離婚するのか」と問い直します。渉は「本当は別れたくない」と本心を見せながらも、「あんがそうしたいならそうする」と答える。あの約束を「若気の至り」で流してしまったことが、あんにとってどれほど大事な支えだったか。自分がそれを軽んじた罪滅ぼしのつもりでもあるのだと慎一に打ち明けます。
この会話が、9話全体のトーンを決めています。渉は別れたくない。あんも今日までの家族が愛おしい。それでも二人は、自分たちが交わした言葉の重さから逃げないでいようとしている。
ファミレス会議とゆずの不安 「最悪なスタートにならないかな」
一方、順とゆずはファミレスに集まり、「離婚に向けた作戦会議」を開いています。
ゆずにとって誕生日は、映画コンクールの結果発表日でもあります。入選して「親に安心してもらう」予定だったのに、自分の学校の苦手な先生が審査員に入ったと聞き、彼女はすっかり落選を覚悟してしまう。
誕生日の朝に届くかもしれない「不合格の知らせ」。そのうえ、夜には両親の離婚が待っている。
ゆずは「せっかくの一日が最初から台無しになってしまうのでは」と不安をこぼします。順は兄として励ましたいけれど、確約できる希望は出せない。それでも、彼女の話を最後まで聞き、いつも通り等身大の言葉で寄り添います。
ここで描かれているのは、「離婚は家族全員の課題であって、親だけの問題ではない」という視点。子ども側も、自分たちなりに準備をしようとしている。その姿が、この後の「子供会宣言」につながっていきます。
誕生日ケーキと、“離婚おめでとう”ケーキ
迎えた誕生日当日。
ゆずのコンクールの結果は、順が玄関先でうっかり「残念だったな、元気出せよ」と口にしてしまったことで、出会い頭にバレてしまいます。ゆずの作品は落選。しかし、選評は好意的で「評価はかなり高いが、今回は入選には届かなかった」という微妙なライン。
そんなモヤモヤも抱えたまま、家族とたそがれステイツの面々がリビングに集まり、まずはゆずの誕生日ケーキでお祝い。そこで終わるかと思いきや、順とゆずは「もう一つケーキがあります」と言って、二つ目のホールケーキを持ってきます。プレートには「離婚おめでとう」の文字。
ここからのスピーチが、9話で最も印象的なシーンのひとつです。順とゆずは手紙を読み上げながら、こう宣言します。
- これまで子供会側は親に干渉されてきたが、これからは「子供会が大人二人に干渉して見張っていく」
- 放っておかない、二人が幸せかどうかをちゃんと見守る
- だから、絶対に幸せに生きてください
そして最後に、「明日からはお父さんお母さんではなく、渉さん、あんさんと呼ぶ」と提案する。
これまで二人を“絶対的な親”と見上げていた子ども側から、「一人の大人」として呼び直す宣言。祝福と寂しさが入り混じった、なんとも言えない温かさがあります。
この場に居合わせた全員が涙ぐみ、笑いながら泣きながらケーキを食べる。家族解散の前夜に「離婚おめでとう」という冗談みたいな、本気のエール。岡田惠和脚本らしい、苦味と優しさが共存する時間でした。
夜の別れの準備 順の会釈と静かな時間
パーティーが終わり、夜が深くなる頃。順は一人、実家を見上げて立ち止まります。
玄関前から家を見つめ直し、深々と頭を下げる。その仕草には、ここで育ててもらった日々への感謝と、「明日からは形が変わる」という覚悟が滲んでいました。
その頃、家の中では渉とあんがそれぞれの夜を過ごしています。言葉にならない思いが、静かな時間の中に沈んでいく。9話はここでも、“沈黙”によって感情を語ります。
早朝の出発 あんとゆず、渉の涙
そして早朝。まだ日が昇りきらない時間、あんがそっと起き上がります。身支度を整え、リビングで眠っているゆずのもとへ行き、毛布をかけ、頭を撫でる。そのまま何も言わずに家を出ます。
あんが去った直後、ゆずは目を覚まして大粒の涙をこぼす。隣の部屋では渉もまた涙を流している。誰も見ていないところで、父娘それぞれが一度だけ声にならない泣き方をしているのが、とてもリアルです。
黄昏ステイツの仲間たちとの“またね”
階下、黄昏ステイツの前では、慎一とさとこが出発するあんを待っています。
「すぐ会おう」
「頑張れよ」
抱き合うあんとさとこ。その上の階からは奈央と志保が顔を出し、「いろいろありがとうございました」「大好きです」と叫ぶ。あんも手を振り返し、「また遊びに来て」と笑います。
この別れ方は、「さよなら」よりも「またね」が似合う人たちだからこそ。たそがれステイツから離れても、関係そのものが切れるわけではないと、あえて明るく確認しているようにも見えました。
プロポーズの回想:そして、渉の“追いかける決断”
キャリーケースを引いて歩き始めたあんは、かつてさとこたちに打ち明けた本音を思い出します。自分はバリバリのキャリアウーマンでもないし、一人になるのは怖い。寂しい。そんな弱音を吐いた夜のこと。
一方、家に残った渉はベッドの中で、あんへのプロポーズの日を回想します。
“好きになるのは一人だけと決めている。別れたいと言うこともあるかもしれない。でもそれは強がりだから、その言葉を信じないでほしい。”
あの台詞を、渉は今になってようやく思い出す。
「まさか…どっちなんだ」
そこまで思い至った渉は、パジャマの上からブルゾンを羽織り、慌てて家を飛び出します。坂道を全力で駆け下りる途中で転んでしまい、空を仰ぐ。その姿は情けなくもあり、彼らしい不器用さの極みでもあります。
指輪を外す朝 家族のかたちは変わっても
同じ頃、あんはバス停のベンチで指輪を外し、掌にそっとしまいます。渉もまた、家で指輪を外すタイミングに辿り着いていた。
時間は少し進んで朝。着替えた渉がキッチンに行くと、ゆずが自分で朝食の準備をしています。ふと父の左手を見て、指輪がないことに気付くゆず。そこでゆずは、「これからよろしくお願いします」と頭を下げます。渉も「こちらこそ、渉さんです」と応じる。
ここでようやく、呼び方が完全に切り替わります。お父さんと娘ではなく、渉とゆず。家族のかたちは変わってしまったけれど、それでも二人で朝ごはんを囲む日常は続いていく。
9話はここで終わります。
離婚は成立し、あんはたそがれステイツを去った。それでも「解散」で終わらせない、曖昧で、でもどこか温かい余白を残したラストでした。
小さい頃は、神様がいて9話の感想&考察。

離婚なのに“祝祭感”が漂う回だった理由
9話を見終わってまず強く感じたのは、「離婚回」なのに絶望の色が薄く、代わりに不思議な祝祭感と“引き継ぎ式”のような空気があったことです。離婚そのものが目的ではなく、むしろそこに向かってきた19年間の積み重ねを、一度丁寧に見送り直す儀式のようにも見えました。
ここからは、いくつかのポイントに分けて9話を振り返っていきます。
離婚おめでとうケーキと子供会宣言 「親を親から解放する」話
順とゆずの「離婚おめでとうケーキ」は、一歩間違えば悪ふざけに見えかねないアイデアです。ただ、実際のシーンを見ていると、その裏にある真剣さと優しさが勝っていて、笑いながら泣くしかない場面になっていました。
子どもから親へ向けたスピーチの要点は二つ。
- これからは子供会の側から二人に干渉して、幸せかどうかを見張る
- 親ではなく「渉さん」「あんさん」として見ていく
これって、裏返すと「親を、親としての役割からちょっと解放する」宣言なんですよね。
それまでのあんは、子どもたちにとってほとんど“神さま”だった、と第8話レビューでも指摘されています。どんなときも家のことを最優先にし、ほぼ一人で二人の子どもを育て上げてきた。だからこそ順もゆずも、あんを「無条件に頼れる存在」として見てきたし、渉は逆に“甘えてしまった側”でもあった。
それが9話で、子どもたちの方から「もう絶対的な神さま扱いはしません」「一人の大人として見守る側に回ります」と宣言してくる。これは、母親だけでなく父親も含めて、「あなたたちはあなたたち自身の幸せに責任を持っていい」と送り出す行為です。
「こんなに関係の良い家族が離婚する必要があるのか」という揺れは多くの感想でも語られていましたが、9話はその疑問に対して一つの答えを出しているように感じました。
「必要かどうか」は周囲が決めるものではない。けれど、子どもたちが親を“神さま”から“ただの人”に戻し、そのうえで「それでも幸せになって」と言い切る。その姿は、このドラマが描きたかった「親子の独立」に近いのではないか、と。
「おはよう、佐藤あんさん」 名字を取り戻すことの意味
サブタイトル「おはよう、佐藤あんさん」は、9話のテーマを象徴するフレーズでした。
あんにとって「小倉あん」という名前は、19年間母として妻として生きてきた証そのもの。一方「佐藤あん」は、結婚前の自分、家族を背負う前の、まだ一人の人として世界に立っていた頃の自分を指す名前です。
ゆずや順が「渉さん」「あんさん」と呼び直す提案をしたのは、親から“肩書き”を一度外してあげる儀式のようなもの。あんがたそがれステイツを離れ、新しい生活へ歩き直すのは、「佐藤あん」として朝を迎える準備とも言えます。
かつて子どもたちにとって神さまのような存在だった母が、今度は自分の人生の主役として再出発する。その過程で名字を取り戻すこと、呼び名が変わることがささやかながら大きな一歩になっている。
“神様”は単に親を指しているだけでなく、「自分を守ってくれる絶対的な存在」のメタファーでもあります。そこから一歩進んで、「誰かの神さまになりながら、自分自身の神さまにもならないといけない」というテーマが、前話のレビューでも語られていました。
9話であんは、ようやく“自分の神さま”になるためのドアノブに手をかけた。そう思うと「おはよう」という言葉は、彼女自身への“目覚ましの挨拶”のようにも聞こえてきます。
約束は「守る」だけか、「解き直す」こともできるのか
このドラマ全体の大きな問いは、「娘が二十歳になったら離婚する」という約束がどう扱われるのか、という一点に集約されます。
9話時点で形式的には約束はきちんと守られました。日時も、誕生日も、当初の計画通り。そしてそのことに、渉自身が「自分なりの罪滅ぼし」として意味を持たせてしまっている。
ただ、プロポーズの回想を挟む構成がとても効いています。
若い日のあんは、「別れたいなんて言うことがあっても、強がりだから信じないで」と言っていた。あの言葉はある意味、「その場の感情で『離婚したい』と言うことがあっても、本音かどうかはよく考えてほしい」という“保険”でもあったはずです。
にもかかわらず渉は、19年前の「離婚する」という約束だけを絶対視し、「あんがそう言うならそうする」と受け入れようとしてきた。このズレが何とも皮肉で、だからこそ最後にようやくあのプロポーズの台詞を思い出して走り出す場面は、遅すぎるけれど必要な一歩にも思えました。
坂道で転び、空を仰ぐ渉の姿がいかにも彼らしい。全力で駆けつけて劇的な再会を演じるのではなく、ギリギリで間に合わない。でもその不器用さは、「誰かを格好良く救う人」ではなく「ダサいまま誰かを想う人」である渉という人物像をそのまま表しています。
子どもたちが“神さまの席”を空ける回
個人的に最もグッと来たのは、順とゆずが親を「見張る」と宣言するところでした。
普通、親は子どもを見張る側です。それをひっくり返して、「これからは子供会が二人の幸せをチェックします」と言い切る。これは単なる逆転ギャグではなく、「これ以上、親にだけ一方的に頑張らせない」というメッセージにも読めます。
第8話考察では、「あんは子どもの神さまだったが、自分を後回しにしすぎていた」と書かれていました。9話の子供会宣言は、その構図を壊す一歩です。
- 親が神さまで居続けなくても、子どもはこうして親の幸せを願える
- だから、親も自分の人生を生きていい
この二つを、あのケーキとスピーチで一気に描いてみせたのは本当に見事でした。SNSでも「離婚おめでとうケーキで泣くとは思わなかった」「子どもたちの手紙が優しすぎる」といった声が多く、視聴者の心を大きく揺さぶった様子が伺えます。
まとめ
まとめると、
- 9話は「離婚成立」の回であると同時に、「親子関係の再定義」の回
- 約束を守ること、自分の人生を生きること、家族としてつながり続けること
- その三つを、誰も正解を知らないまま、誠実に選び取ろうとする物語
として、とても完成度の高い章だったと感じました。
最終回までまだ話数は残っていますが、ここで一度“家族の形”を壊しておくことで、ドラマはラストに向けて「その先」を描く準備を整えたようにも見えます。離婚したままでもハッピーエンドは描けるし、復縁しても陳腐にはならない。そのどちらにも転べる余白を残したまま、“神さまの席”を空にした。
次の話であんがどんな朝を迎え、「佐藤あん」として誰に挨拶していくのか。渉が「別れるって言っても嘘だから」という昔の言葉を、どこまで本気で信じ直せるのか。
9話を見終えた今は、とにかく彼ら全員に対して「絶対に幸せになってくれよ」と、子供会の一員のような気持ちで画面に向かってしまいます。
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