日曜劇場『VIVANT』の最終回(第10話)は、全編を通して問い続けてきた「敵か味方か」というテーマに、一つの美しい解答を提示した。
物語は、乃木憂助(堺雅人)が父・ノゴーン・ベキ(役所広司)との決戦に挑む場面から始まる。
父は復讐を、息子は国家を背負いながら、それぞれの正義を抱えて銃を構える――。だが、乃木が放った弾丸には“殺意”ではなく“赦し”が込められていた。
一方、国家間の思惑が交錯するフローライト資源交渉、公安内部の裏切り者=日本のモニターの正体、そして40年前から続く“国家の罪”をめぐる上原副長官(橋爪功)との対峙など、あらゆる伏線が一気に回収され、ドラマは頂点へ。
最終回にして描かれたのは、国家と家族、正義と愛、そして“撃って救う”という逆説の結末。
神田明神に再び現れた「別班饅頭」のサインが示すものは――終わりか、それとも新たな始まりか。
すべてを超えた“希望の余韻”を残して、『VIVANT』は堂々の幕を下ろした。
「VIVANT」第10話(最終回)の見どころ…父と子、国家と正義が交錯する“終焉と再生”の瞬間

最終回は、これまで積み重ねてきた伏線と人間ドラマが一気に結実する圧巻の90分だった。
物語の核心は「父と子の愛」「国家と正義の葛藤」「暴力からの脱却」。
その全てが同時に収束するような壮大な構成で、最終話にふさわしい完成度を誇る。主な見どころは5つに整理できる。
父ベキの“一刀”――殺意ではなく、家族をつなぐ刃
第9話ラストで抜かれた刀は、息子・乃木を斬るためではなかった。
ベキは乃木の潜入任務をすべて理解しており、刀で切り裂いたのは乃木を縛っていた縄。
その瞬間、敵として向き合っていた父と息子は再び“家族”として結ばれる。
乃木の「父さんを止めるために来た」という言葉を受け、ベキが「ならば共に償おう」と答える場面は、長きにわたる“憎しみの物語”が“愛の物語”に転じる決定的な瞬間だった。
これまで積み上げた親子の確執が、静かに、そして美しく昇華される。
フローライトをめぐる国際サスペンス――暴力から経済へ
テントの新たな命運を握るのは、バルカ共和国の資源フローライト。
日本側の外交官・西岡(檀れい)を中心に、日本政府とテントの共同事業交渉が進む中、ワニズ外務大臣が裏で取引を仕掛け、テントを陥れようとする。
しかし乃木と公安・野崎の連携により、この罠は逆転。
さらにチンギスがワニズを逮捕し、テントは孤児救済を合法的な経済活動へと転換する。
“暴力で金を集める”組織から、“資源で国を支える”共同体へ――。テントの理想が現実に接続されることで、物語は新たな希望へと舵を切った。
テント解体と“日本のモニター”の正体
長らく謎だった「日本にもモニターがいる」という伏線がここで回収される。
裏切り者は、公安部の新庄(竜星涼)。
情報漏えい・乃木の行動把握・テント脱走支援――すべては彼の手によるものだった。正義を掲げる公安の内部で腐敗が進行していたという構図が示され、「誰が本当の敵なのか」という物語の根本テーマがより深くえぐられる。
国家そのものが“二重構造”であることを明かすこの展開は、実にスリリングだった。
40年越しの復讐劇――標的は日本政府の中枢
ベキが40年間追い続けてきた“復讐の相手”が、ついに姿を現す。
それはかつて救助ヘリを引き返させ、ベキの妻子を見捨てた元上司・上原副長官(橋爪功)だった。
ベキは彼の前に銃を向け、国家への復讐を果たそうとする。だがその瞬間、乃木が立ちはだかる。
「父さん、それをやったらすべてが終わる」――。
血の繋がった二人の“正義”が、同じ場所で真正面からぶつかる。
ここで描かれるのは、復讐ではなく赦し。乃木は父の銃を下げさせ、40年の連鎖に終止符を打つ。
乃木の引き金、そして“ことわざ”と“饅頭”の余韻
ラストシーン、乃木は別班としての使命を全うするため、ベキ・ノコル・バトラカの3人に銃を向ける。
だが放たれた弾丸は、全て空砲。
乃木の目に涙が滲む――“撃てなかった”のではない、“撃たなかった”のだ。
その後、乃木はノコルに「皇天親無く惟徳を是輔く(こうてんしたしくなくただとくをこれたすく)」という
古いことわざを残して別れを告げる。
――「天は誰の味方もしない、徳ある者だけを助ける」という意味。乃木が残した言葉には、父への敬意と新たな未来への希望が込められていた。
エピローグでは、神田明神で薫(二階堂ふみ)とジャミーンと再会。その背後に映る「別班饅頭」の看板とピンクのネオンサイン――。
「ベキは…生きている?」という余白を残し、物語は静かに幕を閉じる。死も、悲しみも、すべてを超えた“家族”の物語として。
「VIVANT」第10話(最終回)のあらすじ&ネタバレ

父の一刀は“殺意”ではなく“赦し”の刃
乃木はテント幹部に拘束されるが、父ベキが抜いた刀の目的は“息子を斬るため”ではなく“縄を断つため”だった。
第9話のラストで視聴者を震撼させた一閃は、殺意ではなく赦しの象徴。
乃木は父に対し、自分が別班の潜入任務で動いていたこと、そして仲間4人は急所を外し生存していることを明かす。
すべてを悟ったベキは、乃木と黒須の覚悟を認め、「国を守る息子」と「孤児を救う父」として再び向き合う。ここで敵と味方の境界は消え、物語は“家族の絆”へと立ち返る。
フローライトをめぐる国家サスペンス――正義と裏切りの攻防
バルカ政府のワニズ外務大臣が、日本大使・西岡を伴い“共同事業”を提案。
しかしそれは、裏金による権益の奪取を狙った巧妙な罠だった。乃木は情報の不自然さから裏工作を見抜き、野崎と西岡を動かして汚職の証拠を掴む。
結果、チンギスの捜査によってワニズは逮捕。
日本とテントの利害を越えた“倫理の連携”が成立し、テントの理念――孤児救済は、暴力によらない合法的経済活動へとシフトする。
銃ではなく、資源と知恵で命を守る道を見出した瞬間だった。
テント解体、そして父の決断
目的を果たしたベキは「罪は自分が背負う」と宣言し、ピヨ・バトラカと共に日本政府に身を委ねる。
ノコルに“未来を託す”ための選択であり、ベキ自身が長年追い求めた「贖罪」と「再生」への第一歩だった。
乃木は公安の野崎を信じ、身柄引き渡しを正式に手配。
しかし――この“正しい手続き”こそが、次なる悲劇の伏線となる。
公安の闇、“日本のモニター”の正体
ベキたち3人は日本へ移送されるが、特別留置所からまさかの脱走。
その裏で糸を引いていたのは、公安の新庄浩太郎だった。
彼こそが“日本のモニター”。
国家の内部でテントと通じ、情報漏洩と逃走支援を繰り返していた黒幕である。
公安という正義の象徴の中に巣食っていた“もう一つの悪”。この構図が明らかになったことで、『VIVANT』が描いてきた「敵か味方か、味方か敵か」というテーマがついに国家レベルで反転する。
40年の宿命――上原副長官との決着
ベキが40年追い続けた復讐の標的・上原史郎(橋爪功)がついに登場。
彼はかつて救助ヘリを引き返させ、乃木一家を地獄に突き落とした張本人であり、現在は内閣官房副長官として国家の中枢に立つ人物だった。
上原邸に乗り込んだベキは銃を構え、40年分の怒りと悲しみを込めて引き金に指をかける。
その前に立ちはだかる乃木――「父さん、それをやったら全てが終わる」。
血のつながりを超え、命の意味を問いかける息子の言葉に、ベキの手が震える。国家への復讐と家族の愛が、ついに同じ場所でぶつかり合う。
乃木の引き金と“空砲”の真実
乃木は国家のために、そして父の魂を救うために発砲する。
ベキ、ピヨ、バトラカ――3人は倒れるが、銃には弾が入っていなかった。
それは“父を殺さないための引き金”。
乃木が選んだのは、命を奪わずに争いを止めるという第三の道だった。
ベキもまた、その選択を理解した上で自ら撃たれる覚悟を決めていたことが、静かな表情から伝わってくる。
「父を殺してでも救う」――この矛盾こそが、乃木の到達した“愛の形”だった。
「皇天親無く惟徳を是輔く」――生存を示唆する“ことわざ”
事件後、乃木はノコルに電話をかけ、
「皇天親無く惟徳を是輔く(こうてんしたしくなく ただとくをこれたすく)」と告げる。
“天は誰の味方もしない。徳ある者だけを助ける”という意味のこの言葉は、空砲と急所外しの事実を裏付ける暗号のようでもあった。
視聴者の間では「ベキは生きているのでは」と生存説が急浮上し、このことわざがラストの余韻をさらに深めた。
神田明神の再会と“別班饅頭”のラストサイン
エピローグでは、神田明神で乃木が薫とジャミーンと再会。
安堵の抱擁の後、脳裏に響くFの声――「置いてあるぞ」。乃木が視線を上げると、そこにあるのは“別班饅頭”の看板。
これまで任務開始のサインとして登場してきた“饅頭”が再び現れたことで、物語は静かに次なる“任務”を示唆する。
ベキは死んだのか、それとも生きているのか。乃木は平穏を得たのか、それともまた闇に戻るのか。
最後のピンクの光が照らしたのは、“終わりではなく希望”。
『VIVANT』は、国家と家族、愛と正義が交錯する
究極の物語として、美しく幕を閉じた。
「VIVANT」第10話(最終回)の感想&考察

“家族→国家→仕事”の三層構造が生む感動の必然
最終回の最大の特徴は、「家族の物語が国家の物語に転化し、最終的に“任務(仕事)”の物語に還元される」という構造の美しさにある。
ドラマはこれまで“敵か味方か”という問いを繰り返してきたが、最終回で乃木が選んだのは「何を守るのか」という次元の問いだった。
ベキは家族の復讐に生き、乃木は国家の安全を背負う。だが最終回では、この二項対立のどちらも選ばない“第三の答え”が提示される。
任務=技術として暴力を最小化し、命を救う。言葉=符号(ことわざ・饅頭)によって物語を開いたままにする。
乃木が父を撃つ瞬間、彼は私情でも冷酷な国益でもない、“技術による赦し”を選んでいる。撃って救う――この逆説的な行為こそ、『VIVANT』が到達した最も知的で人間的な回答だった。
役所広司×堺雅人×二宮和也の“俳優三角形”
役所広司(ベキ):刀を抜いてからの“間”の呼吸が完璧。
縄を断つ所作、乃木に背を向けて語る長台詞、すべてが「赦し」の身体表現になっている。
「息子に撃たれるなら本望」という結論に説得力を与えたのは、若き日のベキを演じた林遣都の熱演が裏打ちしているからだ。
堺雅人(乃木):射撃の精度と声の抑揚、そして感情を抑えた動作の一つひとつが“別班の規律”を象徴する。
上原邸での構え→制圧→確認という動作は職業倫理そのものであり、国家と家族の板挟みを現実的な所作で表現した。
二宮和也(ノコル):ラストの「ありがとう、兄さん」に集約された演技は圧巻。
嫉妬・理解・感謝という感情の流れを目の動きと呼吸だけで描き切り、血縁を超えた“選ばれた家族”を体現した。
交渉劇に宿るリアリティ――“賄賂を拒否する外交”の新しさ
フローライトの交渉場面で、『VIVANT』は国家ドラマの定型を一歩超えた。
日本大使・西岡の“反旗”、野崎×チンギスの協働、そして乃木の機転。
ここでは、サスペンスの駆動力が「誰がどう動けば倫理を守れるか」という構造に置き換えられている。銃や陰謀ではなく、理性と論理で汚職を打破するプロセスが描かれたことは、日本の地上波ドラマとして非常に意義深い。
“日本のモニター”=新庄の露見が示す制度の脆さ
新庄の正体が明かされることで、公安という正義の枠組みが音を立てて崩れる。
国家機関の内部に“敵の監視者”がいたという構図は、これまでテント側に属していた“モニター”概念を反転させる鮮やかな仕掛けだ。
序盤から続く尾行ミスや作戦失敗の違和感が一気に繋がる構成も見事。
正義の器の内部に“穴”がある――この発想は、続編の構想すら感じさせる論理的な伏線設計だった。
ラスボス・上原史郎の存在が描く“国家の罪”
40年前に救助中止命令を出した上原副長官(橋爪功)は、単なる個人の悪人ではなく、“国家の保身”を象徴する存在として描かれた。
彼の小さな判断が、結果としてテントという暴力の連鎖を生んだ。
ドラマは彼を断罪するよりも、「個の保身が国家の罪に転化する」という現実を静かに提示する。橋爪功の老練な演技が加わることで、最終回の倫理的緊張が格段に高まった。
“ことわざ”と“饅頭”――希望を開いたままにする終わり方
「皇天親無く惟徳を是輔く」。
“天は誰の味方もしない。徳ある者のみを助ける。”この言葉は、乃木の行動(空砲・急所外し)と重なり、ベキの生存を示唆する“余白”として機能した。
そしてエピローグの神田明神で登場した“別班饅頭”。
任務の始まりを意味するこのモチーフが再び現れたことで、物語は“完結”と“継続”の両義性を持って終わる。
この二重のサインが、ファンの間で生存説・続編説を加速させた。
“撃って救う”という第三の倫理
乃木の選択は、正義と情の中間にある“第三の道”だった。
父を撃ちながら、弾を抜き、命を奪わずに終わらせる。これは法でも復讐でもなく、暴力の最小化を実現する技術的倫理の到達点だ。
ベキの“撃たれる覚悟”と乃木の“致命を外す技術”が重なる瞬間に、赦しの思想が生まれる。
“撃って救う”という矛盾が、このドラマの核心そのものだった。
伏線回収と余白の残し方
回収された要素
① 別班4人の生存トリック(急所外し+棺移送)
② “モニター”の定義
③ 守り刀の意味(信頼の委譲として黒須へ)
④ Fの役割(乃木の内面ナビゲーション)
意図的に残された余白
① ベキの生死の確定描写
② ノコルの政治的将来
③ 新庄の逃亡経路
④ 日本政府上層部の関与範囲
どれも続編への発展を視野に入れた“開けたままの伏線”であり、脚本の論理性を損なわない絶妙な匙加減だった。
映像設計の妙――スピードの中の明快さ
最終決戦の上原邸は、スピードと論理のバランスが完璧だった。
カメラは常に“誰の意思が場を動かしているか”を明確に映し、制圧手順(空間把握→行動→確認)を映像で描くことで、乃木の職能=別班の精度を視覚化した。
交渉シーンでも情報量の多さを台詞ではなく動きで整理し、視聴者が「誰が勝ったのか」を直感で理解できる設計。
これが本作の映像的完成度を決定づけた。
「ありがとう、兄さん」――家族再定義の一言
ノコルの「ありがとう、兄さん」は、父への愛と兄への敬意が同時に成立する奇跡の台詞だった。
血の繋がりに頼らず、選択と理解によって“家族”を作る。
この瞬間、ベキの理念(血に頼らない絆)はノコルによって受け継がれた。二宮和也の表情の変化――憎しみから安堵、そして感謝へ――が、物語全体の感情の集約点となった。
総評――“愛を探す冒険”は、次の任務へ
『VIVANT』最終回は、私情・国家・職能という三つの正義を同時に走らせながら、
“暴力を減らすためのドラマ”という現代的テーマを貫いた。
最後に残されたことわざと饅頭は、ファンの想像力を任務に変える“参加型の終幕”。
視聴率19.6%という数字は、単なる人気ではなく完成度への評価そのものだ。
もし続編が描かれるなら、テーマは「監視と統治」。
ノコルの政治的立場、日本のモニター網、別班の再編。
それらを本作と同じ“論理的スリル”で描く未来を期待したい。
『VIVANT』は、愛と正義と技術の三位一体で描かれた“生きるためのドラマ”として、日曜劇場の歴史に新たな金字塔を打ち立てた。
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