「ちゃんと終わったのに、まだ続いている気がする」
ぼくたちん家の最終回は、そんな不思議な後味を残す一話でした。
すべてが丸く収まるわけでも、奇跡が起きるわけでもない。
それでも、ほたるも、ともえも、玄一と索も、それぞれが“自分の人生を自分の手に戻す”選択をしていく。その姿が、静かだけど確かに胸に残ります。
この最終回で描かれたのは、「家族とは何か」「一緒に生きるとはどういうことか」という問いへの、ひとつの答えではなく、“選び続ける姿勢”そのもの。
ここからは、ぼくたちん家10話(最終回)の内容をネタバレありで振り返りながら、その余韻を丁寧に辿っていきます。
ぼくたちん家10話(最終回)のあらすじ&ネタバレ

10話(最終回)は、「それぞれの人生を、自分の手に戻していく」回でした。
大逆転で全部が片づくというより、傷も迷いも抱えたまま、それでも“家”の灯りだけは消さない。そんな静かな強さが残ります。
ほたるの進路、ともえの罪、仁の再スタート。
そして玄一と索の「恋と革命」が、最後にもう一度、私たちの胸をぎゅっと締め付けるんです。
この最終回は、誰か一人の“正解”を描くというより、
登場人物それぞれが、痛い現実の中で「それでもこうする」を選び取っていく話。だから見ている側も、答えを与えられるんじゃなく、心の奥をそっと触られる感覚が残ります。
ほたるが選んだ未来。長野のギター工房で「働く」と決める
玄一と索は、中学校を卒業したらギター職人になりたいと話すほたるのために、車で長野県のギター工房へ向かいます。到着すると主人の岸部康夫が工房の中を案内してくれて、制作風景を見たほたるは、まるで目の奥が光るみたいに表情が変わっていく。
「本格的にギターを作れるようになるには10年以上はかかる」
そんな現実を聞かされても、ほたるは迷わず「働きたい」と宣言します。
夢って、口にするだけなら簡単だけど、時間がかかると言われた瞬間に、ふっと引いてしまうこともあるじゃないですか。
でもほたるは、その“長さ”ごと引き受ける覚悟を見せた。ここが最終回の一番のスタート地点でした。
玄一は聞かれてもいないのに「ほたるのいいところ」を語り出して止まらないし、ほたるは呆れながらも、どこか嬉しそう。
索も横で笑っていて、三人の間に「親子」とか「恋人」とか、そういう枠の名前がなくても、ちゃんと家族みたいな空気が流れているのがわかります。
ただ、ここでほたるが選んだ道は、“みんなと一緒に暮らし続ける道”ではありません。
長野に行くということは、今の部屋から離れるということ。
嬉しいのに寂しい。置いていかれる怖さと、送り出す怖さ。
最終回の空気って、こういう矛盾した感情がずっと同居していて、そこがとてもリアルでした。
そしてほたるは定時制高校への進学も視野に入れて、「勉強もする」と決めます。
“好き”を守るために、地味な努力も引き受ける。派手じゃないのに、めちゃくちゃかっこいい選択でした。
ともえは「全部辞めたかった」と告白し、自首を選ぶ
一方で、ともえの時間は重いまま進んでいきます。
横領のこと、ほたるを置いてしまったこと、母としての自分の未熟さ。全部が絡まって、もう“正しい顔”で生きるのもしんどくなっていた。
そんなともえは、松に「結局、自分は全部辞めたかっただけかもしれない」と吐き出します。
母親も、仕事も、全部ぶっ壊して逃げたかった。
この告白が、もう痛いくらいリアルで……。
松も井ノ頭さんも、きれいに慰めないんですよね。
「最低ですね」と率直に言う。
でも、その“最低”を突きつけることが、突き放すことじゃなく、やっと本音で向き合うことになっているのが、このドラマらしい。
ともえは、捕まる前に自首する決意を固めます。
罰を受けることは怖いし、ほたるの未来から自分が消えることにもなる。
それでも「自分で終わらせる」道を選んだのは、母としての贖罪であり、ほたるに対する最後の責任だったと思います。
井ノ頭さんが“お節介”を受け継ぐ。百瀬は大家代理、仁は働く、吉田は指輪を外す
最終回は、玄一と索とほたるだけの物語ではありません。
周りの大人たちも、それぞれ自分の人生のハンドルを握り直していきます。
まず大家の井ノ頭さん。
「もっとお節介すればよかった」と悔しがりながらも、最後まで場の空気をカラッと明るくしてくれる存在でした。
そして旅に出ることを決め、代わりに百瀬が大家代理を務める流れへ。
百瀬は、変わりたいのに変われなくて、周りに八つ当たりしていた自分をちゃんと認めます。
そのうえで「私の恋と革命は、ここにいる自分から始める」と決意し、岡部のもとでパートナーシップの相談所を始める未来が示されます。“わからない”を怖がらず、学びながら誰かの味方になる。これも立派な革命です。
そして仁。
「男らしさ」の呪縛から少しずつ解放され、岡部不動産のドライバーとして働き始めます。
家族のために稼ぐ、ではなく、“自分の足で立つために働く”という感じが、見ていて気持ちよかった。
さらに吉田。
普通の社会に馴染むためにつけていた「魔法の指輪」を外す覚悟を決めます。
セリフは少なくても、「これからの人生、嘘で固めない」という宣言に見えて、静かに胸に刺さりました。
この回で描かれる“革命”って、誰かを打ち負かすことじゃなく、「もう自分に嘘をつかない」と決めることなんだと思います。
玄一と索の“恋と革命”が加速する。サービスエリアの結婚届、ペアルックのインタビュー
ここから最終回の心臓部。
玄一と索の「恋と革命」が、具体的な行動として動き出します。
索が手にしていたのは、元恋人・吉田と提出したくてもできなかった結婚届。それをサービスエリアのゴミ箱に捨てようとする索を、玄一が止めるんです。
「捨てる」って、過去を終わらせるようで、実は“諦め”にもなるから。
そして二人は、ギター工房で買ったお揃いのパーカーを着て、岡部が始めた「物件迷子さんインタビュー」に“ゲイカップル”として登場します。
ペアルックで、ちゃんとカメラの前に立つ。
たぶん二人にとっては、婚姻届を出すのと同じくらい、いや、それ以上に勇気がいる場面だった気がします。
ここでの二人は、完璧に強いわけじゃない。
緊張もするし、傷つくのも怖い。
それでも「隠れない」を選ぶ。
“恋と革命”って、こういう日常の怖さとセットなんだって、改めて思わされました。
婚姻届は受理されない。それでも「出しに行く」ことが未来になる
玄一と索は、区役所へ婚姻届を持っていきます。
証人欄には、ほたるの名前もある。
恋人でも親子でもない三人が、同じ紙の上でつながる瞬間が、すごく“家”でした。
ただ現実として、婚姻届は受理されません。書類を差し出した瞬間の沈黙が、画面越しでも重くて、胸がヒリッとしました。
でも職員は「来たことをきちんと報告します」と伝えます。
“受理できない”で終わらせず、「確かにあなたたちは来た」と、そこだけは否定しない。そのひと言に、救われるような悔しさが混ざりました。
受理されない現実は痛い。
「おめでとう」なんて言ってもらえない。
戸籍の上では、二人は“家族”になれない。
だけど、受理されないからこそ、「出しに行く」という事実が革命になる。変わらない制度の前に立って、“変わらない”を可視化すること。その一歩が、次の誰かの足場になる。
卒アルに載らない写真も、ほたるの大事な過去。消されない居場所を抱えていく
10話で地味にグッときたのが、“卒アルに載らない”という小さな残酷さです。
ほたると、かつての居場所で出会った友だちが一緒に写った写真。卒アルには入れられなかったけれど、それでも写真は残っている。
このドラマって、よく「なかったこと」にされる人たちの人生を、ちゃんと“ここにある”として描く。
学校に載らないなら、せめて自分の手元に置いておく。誰かに認めてもらえなくても、自分が自分のことを消さない。
恥ずかしい過去じゃなくて、自分を作った過去として抱える。
そうやって過去を抱えられるようになったから、ほたるは長野の未来も選べるようになった。
私は、そう見えました。
新しい悩み人・和希。告白の涙が、次の世代を連れてくる
終盤、二人の部屋に“悩み人”として現れるのが、岸部康夫の孫・和希。
彼は、玄一と索がインタビューで映っているのを見て、ここへ来たと話します。
和希は、自分がゲイであることを告白します。
周りと違うことが怖いこと。誰にも言えなくて、心の中がどんどん狭くなっていったこと。そして、極端なことまで考えてしまった夜があったこと。
玄一と索は、説教もしないし、結論も押し付けない。「こうすれば大丈夫」なんて安い言葉で包まない。ただ、今ここにいる和希の存在を肯定して、「ここにいていい」を差し出して、呼吸できる場所を作る。
この“答えを出さない優しさ”が、いちばん救いになる瞬間ってありますよね。
ラストの留守電と、当たり棒アイス。「ずっと一緒にいよう」が日常になる
そして、ほたるは玄一へ留守電を残します。
母じゃなく、恋人でもなく、玄一に。それがこのドラマの答えみたいで、私は胸がいっぱいになりました。
「この世の中に、自分に関係ないものなんてないのかも」そう思えたら、自分も少し優しい人になれるかもしれない。ほたるの言葉は、綺麗ごとじゃなくて、痛みを知った子の“希望”でした。
最後は、玄一と索が物件の内見へ向かいます。“次の家”を探すって、ただの引っ越しじゃなくて、未来を選び直す作業なんですよね。
内見先のリビングには当たりつき棒アイスが置かれていて、当たりを見せ合って笑い合う二人。
しかもその当たりを出したのは、ほたるだった。いなくなっても、ほたるの気配はちゃんと残る。置き土産みたいな小さな当たりが、胸の奥でじわっと温かい。
手をつないで、同じ家を探して、当たり棒で笑う。
奇跡じゃない生活を、奇跡みたいに大事にする。
派手なキスも、劇的な告白もないのに、確かに愛がある。
“ずっと一緒にいよう”が、甘い約束じゃなく、生活の選択として置かれている。その落ち着いた強さに、最後まで泣かされました。
10話(最終回)は、そんな“家”の物語として、きれいに着地しました。
ぼくたちん家10話(最終回)の感想&考察

最終回って、視聴者側が「終わってほしくない」って駄々をこねがちなんですけど。10話は、ちゃんと終わらせてくれたのに、心が置いてけぼりにならない不思議な余韻が残りました。
泣いたし、笑ったし、最後はあったかい。
でもその温度の奥に、ちゃんと社会の冷たさも入っていて、だからこそ刺さる。「これは物語で終わらせちゃいけない」って気持ちが、じわっと残ります。
「家族」は血縁じゃなく、選び続ける関係だと教えてくれた
このドラマの好きなところは、家族を“理想形”で描かないところでした。誰かが急に正しくなったり、急に優しくなったりしない。ズルいし、逃げるし、言えないし、拗らせる。
それでも、手を伸ばす。
「今日だけでも、ここにいていい」って言う。
その積み重ねが家族になるんだって、10話を見て改めて腑に落ちました。
ほたるが玄一に留守電を残したのも象徴的です。母に言えない弱さを、玄一なら受け止めてくれると知っている。そして玄一は、受け止める覚悟をもう持っている。
恋愛でも親子でもないのに、すごく“ホーム”。この作品が描いたのは、「自分で選んだ居場所」の尊さでした。
「恋と革命」って、勝ち負けじゃなく“生き方”の話だった
最終回を見て、改めて思ったんです。この作品の「革命」って、派手な反撃じゃない。社会をやっつける話でもない。
怖くても隠れない。
恥ずかしくても嘘をやめる。
罪からも、偏見からも、逃げずに向き合う。
そういう小さな決断の積み重ねが、“革命”として描かれていました。
だから、ほたるの「働きたい」も革命だし、ともえの自首も革命。仁が働くことも、百瀬が相談所を始めることも、吉田が指輪を外すことも、全部が同じ地続きに見えた。
“恋”は誰かを想う気持ち。
“革命”は自分を生き直すこと。
この二つが同時に走るから、玄一と索の関係は、ただ甘いだけじゃなく、人生そのものになっていくんだと思います。
婚姻届が受理されない現実。それでも出しに行くことが革命
正直、婚姻届が受理されないのは苦しかったです。物語なら、ここで受理されて祝福されて……って願ってしまう。
でも、受理されないからこそ、二人が笑えていたことが重い。痛い現実のまま終わるのに、絶望で終わらせないところが、このドラマの優しさでした。
職員が「報告します」と言ったのも、魔法の言葉じゃない。
明日急に世界が変わるわけじゃない。
それでも「ちゃんと聞いた」「あなたたちは確かに来た」という記録が残る。
革命って、勝利の瞬間だけじゃなくて、諦めない姿勢のことなんだな……と。玄一と索の歩幅が、すごく“現実の中の希望”に見えました。
ともえの自首は「罰」だけじゃなく、ほたるへの最後の責任だった
とにかく、ともえの選択が重かったです。
“母親”って、いつも正しくいなきゃいけないみたいな空気があるから、間違えると一気に悪者にされがちで。
でも10話のともえは、言い訳をしないで「逃げたかった」と言った。それが許されるかどうかは別として、ちゃんと本音を出して、ちゃんと償う方向へ向かう。
私はここに、この作品の“厳しさ”を感じました。
優しいだけで、全部許して終わらせない。
でも、突き放して終わらせもしない。
このバランスがあったから、最終回の着地が軽くならなかったと思います。
和希の登場が刺さる。救われる順番は、いつだって入れ替わる
最終回で和希が来た意味、私は大きかったと思っています。玄一と索が変わったから、次の誰かが「助けて」って言えるようになった。それがもう、ドラマとしての回答。
和希が抱えていた怖さは、玄一が1話で抱えていたものと似ていて。でも玄一は、もう一人じゃない。索がいて、ほたるがいて、そして“出しに行った婚姻届”がある。
救われる人が、救う人に変わっていく。10話は、そのバトンを渡す話でもあった気がします。
ほたるの言葉は、SNS世代の「祈り」みたいに残った
「この世の中に私に関係ないものなんてないのかも」
この言葉、綺麗すぎるのに、綺麗ごとじゃないんです。
SNSって、知らない誰かの痛みも流れてくる場所で。
関係ないふりをしたほうが楽だけど、関係ないふりをすると自分もどんどん荒む。
ほたるはそれを、10代の言葉で言い切った。
だから、あの留守電は“説教”じゃなくて“祈り”に聞こえました。
泣いたポイント3つ。最終回は「小さな当たり」が全部刺さる
私が特に泣いたのは、ここです。
- ギター工房で、ほたるが“夢は長い”と言われても引かなかったところ
- 婚姻届が受理されないのに、二人が手をつないで前を向いたところ
- 当たり棒アイスを見せ合って笑う日常が、未来になったところ
ドラマって、最終回に大きい花火を持ってきがちだけど。
ぼくたちん家は、小さな当たりを何個も積み上げて、最後に「これが幸せだよね」って言ってくれた。
この優しさが、沁みました。
ネットの反響も「優しい終わり方」「革命だった」が多め
放送後、ネット上では「優しい終わり方」「革命だった」「玄索ずっと一緒にいてね」みたいな声が出ていて、当たり棒アイスや、言葉にされない優しさが刺さった人も多かった印象です。
私も同じで、当たり棒アイスって、たぶん“未来の小さな確約”なんですよね。大きな結末じゃなく、小さな当たりが続く日々。それを「ずっと一緒にいよう」で締めるのが、らしすぎました。
ぼくたちん家が残した余白。続きは、私たちの生活の中にある
ほたるが長野でどんな壁にぶつかるのか。
ともえが罪を償ったあと、どう生き直すのか。
仁が働くことで、父親としてどう変わるのか。
そして玄一と索が選ぶ“次の家”で、どんな悩み人がまた現れるのか。
きっと楽しいことばかりじゃない。
でも、このドラマの人たちは、痛いほど不器用でも、ちゃんと話して、ちゃんと選び直す。
10話は、その「選び直す勇気」を、視聴者の私たちにも手渡してくれた気がします。
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