9話を見終えたあと、胸にじんわりと残ったのは「前向きにあきらめる」という言葉の温度でした。
偽装親子の秘密も、3000万円の行方も、ほたるの進路も、それぞれが“理想のかたち”とは違う方向へ転がっていくのに、不思議と絶望にはならない。
むしろ、やっとみんなが自分の足で立とうとしているように見える――そんな回でした。
ここでは、三者面談から長野行きの決意まで、9話の流れと印象的なテーマを丁寧に振り返っていきます。
ドラマ「ぼくたちん家」9話のあらすじ&ネタバレ

9話は、「理想を追うこと」と「いま目の前にあるものを抱きしめること」のどちらを選ぶのかが、3人それぞれに突きつけられる回でした。
偽装親子がバレて3000万円は奪われ、夢を追いかけていた母の計画も破綻する。
それでもラストには、「前向きにあきらめる」という少し不思議な光のさし方が、じんわりと胸に残ります。
ここから、時系列で9話の流れを追っていきます。
偽装親子バレと「3000万円がない」大事件の始まり
年の瀬。
玄一の部屋から、ほたるの3000万円が入ったスーツケースが忽然と消えます。
同じ頃、ほたると玄一の“親子のフリ”をしていたことが警察に発覚。アパートには警察官の松が頻繁に出入りするようになり、穏やかだった井の頭アパートの空気が一気にきな臭くなっていきます。
一方その裏で、3000万円を持ち逃げしていたのは、やっぱりあのロクデナシ父・仁。スーツケースを抱えたままフラフラしていたところを松に職務質問され、ほたるの本当の父親だと見抜かれてしまいます。
仁は渋々、松に連れられてアパートへ。
松に「この人はお父さん?」と問われたほたるは、最初はきっぱり否定します。
「こんな人、お父さんじゃないです」
しかし松から「本当の父親がいるなら、玄一との“親子のフリ”は不問にする」と聞かされた瞬間、ほたるの態度が一変。
「よく見ると、お父さんでした」
それは本心から出た「お父さん」ではありません。
それでも玄一を守るために、ほたるは一度切り捨てた父を、自分の“本当の父親”として引き戻します。
警察に捕まりたくない仁も「今後は父親としてちゃんと面倒を見る」と調子よく合わせ、ひとまず“親子関係”は成立。しかしその瞬間から、3000万円と親子の行方をめぐる、ややこしい綱引きが始まっていきます。
3000万円争奪戦と、仁のテント暮らし案
松が帰った途端、アパートの一室では3000万円の奪い合いが勃発します。
“そのお金はほたるの未来のためのもの”と訴える玄一・索ペア。
対する仁は「娘の父親である自分が持つ」と一歩も引かない。
そこに索の元カレ・吉田まで乱入し、部屋の中は大混乱。見かねた大家・井の頭が、事態を収めるための“意外な案”を出します。
それは、仁をアパートの中庭のテント暮らしにさせ、3000万円のトランクを本人の身体に括りつけたままにするというもの。
逃がしはしない。
でも、いきなり誰かの手元に戻すわけでもない。
仁は寒空の下のテント生活を送りながら、井の頭に世話を焼かれ、アパートの住人たちの“目の届くところ”で、しばらく“保管役”を引き受けることになります。
この中途半端で笑えるような、でも絶妙にリアルな落としどころが、いかにもこのドラマらしいと感じました。
理想の家探しと「諦めることも大事」という一言
その後も玄一と索は、“理想の家”探しを続けています。
広さ、価格、立地…条件を挙げれば挙げるほど、希望にぴったりの物件は見つからない。
相談に行った不動産屋の岡部は、三人をマンションの屋上に連れていき、夜景を見せながらぽつりと言います。
「諦めることも大事」
それは、夢を捨てろという冷たい一言ではなく、執着を手放したときにだけ見えてくる“今の豊かさ”に目を向けてみろというメッセージ。
玄一は、その言葉にハッとします。
このアパートで一緒にご飯を食べて、ほたると騒いで、ベランダから洗濯物がはためく景色を眺める毎日。
「もしかして、自分が探していた“家”って、もうここにあるんじゃないか」
そう気づいた瞬間、玄一の中で“持ち家”という形だけの理想よりも、「一緒に笑って暮らせる場所」のほうがずっと大事だと、価値観が静かに更新されていきます。
ともえのご当地キーホルダー喪失と、「夢なんてなくても」の告白
一方その頃。
ほたるの母・ともえは、全国を旅する途中で立ち寄った土産物屋で、カバンごと盗難に遭ってしまいます。
中に入っていたのは、47都道府県のご当地キーホルダー。「全部そろったら、ほたるのところに帰る」と約束していた、その証のようなものが、一瞬で消えてしまうのです。
途方に暮れたともえは、玄一の働く職場を訪ね、「集めきれなかった」とぽつり。
そこで玄一は、家探しがうまくいっていない自分たちの現状を重ね合わせながら、こんなふうに話します。
「僕もパートナーと理想の家を探してるんですけど、なかなか見つからなくて。
一回、前向きにあきらめてみようかなって思ってて。
理想の家も、理想の母も、“前向きにあきらめる”ってどうですかね」
ともえの胸の中に、その言葉が静かに沈んでいきます。
やがて井の頭アパートの前でうろうろしていたともえを、大家が見つけて連れ戻し、玄一たちの前に立たせます。
横領して娘を置いていったこと、夢を追って勝手に消えたこと。ともえは、仁以外の全員に頭を下げて謝ります。
ほたるとともえの「メガネのティッシュ」と、父・仁の選択
ほたるの部屋で、久しぶりに向き合う母と娘。
「許さないから。 お母さんのことは好きだけど、横領のこととか、一人でどこかへ行ったこととか… 毎日楽しかったのに。…それだけ」
ほたるの言葉は、怒りと愛情が入り混じった、どうしようもない本音。ともえは「ごめん、ごめんね」と泣き崩れるしかありません。
そこでほたるは、不意に顔を上げて言います。
「お母さん、メガネ持ってたよね?」
ともえにメガネをかけさせると、レンズと目のあいだにティッシュをぎゅっと詰める。
小さな頃から続いている、二人だけの“儀式”のような仕草。
それは、「まだ全部許したわけじゃないけど、それでも一緒に笑いたい」という、言葉にならない許しのサインに見えました。
そこへ、3000万円のトランクを抱えた仁が現れ、「これがあれば捕まらないんだろ?」と投げ出します。
父としての責任を取るのではなく、「これさえ返せばチャラになるだろ」と言わんばかりの、どこまでも身勝手なやり方。それでもこの瞬間、3000万円はようやく“元の場所”へ戻ります。
玄一の告白と、「家より大事なもの」の再確認
3000万円問題がひと段落した夜。
玄一は自分の部屋で索に“家のこと”を切り出します。
「家のことなんだけど、もう一度考え直そうかと思って。
家よりも大事なものがある。
でも絶対別れたくないです。別れません。
それに“かすがい”はたくさんできましたからね。
パートナーシップとか、一緒に暮らした思い出とか、ここ井の頭アパートとか、ほたるさんとか…
そういう思い出がいっぱいありますから。
前向きにあきらめてみたいです」
“家を買うこと”という夢を諦める代わりに、「索と一緒にいること」を、一番大事なゴールとして据え直す玄一。
索は静かに、でも確かにその言葉を受け止めます。
見た目の形は何も変わっていないのに、二人が「次の段階」に進んだように見える瞬間でした。
三者面談と、ほたるの「長野に行きます」宣言
物語のクライマックスは、中学校での三者面談。
ほたるは玄一、ともえ、仁の3人を“保護者”として連れてきます。
「お母さんと、元お父さんと、お父さんです。みんな保護者なんで」
先生から「お母様はどうなさる予定ですか?」と問われたともえは、「とりあえず自首しようと思ってます」と答えたうえで、こう続けます。
「一つ分かったことがあって…。
夢なんてなくても、生きていける。
ないものじゃなくて、あるものを大事に生きれば十分なんだって」
かつて“夢”を言い訳に娘から逃げていた母が、その夢を手放したことで、ようやくほたるの母親としてここに立てている。
一方、父の仁はというと、
「俺は父親辞める。もう“男のロマン”辞めて、市ヶ谷仁のロマン追うわ」
と宣言。
よく分からない“ロマン”に、場の空気が少しだけ和みます。
続いて先生は玄一にも尋ねます。
「波多野さんは?」
「いつか、作田さんと家を…」
ここで初めて、ほたるの担任にも「玄一のパートナーは索である」と明かされます。
そして本題のほたるの進路。
彼女はギター工房のチラシを取り出し、静かに宣言します。
「長野県に行きます。
ギターを作る人になりたくて。ここに行きたいんす」
ここまで支えてくれた“めちゃくちゃな大人たち”への感謝とツッコミを交えながら、
「いろんなめちゃくちゃな大人がいる。
私も何にでもなれる。一人でもどうとでもなれる。
何があっても、生きていける気がします」
と、卒業後に一人で長野へ行く覚悟を伝えるほたる。
そのまっすぐな眼差しは、もはや“トーヨコ少女”ではなく、自分の足で人生を選び直した一人の若者のものに変わっていました。
ラストシーンは、長野への道と、それぞれの一歩
面談の帰り道。
玄一は、「良かったな、ほたるさん。“めちゃくちゃな大人”って言われましたね」とどこか嬉しそう。自分のセクシュアリティに臆病で、小さく生きてきた過去を振り返りながら、かつてほたるに語った「ゲイで良かったって思いたい」を思い出します。
「今は、ちょっとだけ良かったと思えている」
玄一がそう口にすると、索も隣で「俺もです」と静かに同意します。
長野のギター工房の見学日。
玄一はほたるのためにおにぎりを握り、ともえは警察へ出頭しに向かい、仁はテントを畳んで自分の“ロマン”を追うためにアパートを去っていきます。
そして索の運転する車に乗り込み、玄一とほたるの3人は長野県へ。
2025年の終わり、2026年へ向かう道の上で、それぞれの“前向きなあきらめ”と“新しいスタート”が静かに走り出していきます。
9話の物語は、こうして次回・最終回へバトンを渡しました。
ドラマ「ぼくたちん家」9話の感想&考察

9話を見終わって、一番強く残ったのは、「諦める」という言葉の温度でした。
普通ならネガティブな響きがあるのに、この回ではそれが、ちゃんと誰かを前へ押し出す力になっていた気がします。
ここからは、印象に残ったポイントごとに、少しずつ感想と考察を書いていきます。
「前向きにあきらめる」は、負けじゃなくて“選び直す勇気”
玄一が索に向かって、「前向きにあきらめてみたいです」と言うシーン。
この言葉が、9話全体のテーマをぎゅっと凝縮しているように感じました。
家を買うこと。
完璧な母親になること。
ロマンを追うこと。
登場人物たちはみんな、どこか“理想の自分像”にしがみついてきた人たちです。
でも現実は、いつも理想通りには進まない。
玄一は、持ち家という夢を一度手放す代わりに、「索と一緒にいること」「井の頭アパートで過ごした時間」を、自分の幸せの真ん中に据え直す。
ともえは、「夢なんてなくても生きていける」と口にすることで、“夢を追う私”という看板を下ろし、「ほたるの母としてここにいる私」に戻っていく。
それは、どちらも敗北じゃない。
「ないもの」から目を離し、「あるもの」にちゃんと手を伸ばすための、“選び直し”の宣言なんだと思います。
SNSでも、「前向きなあきらめって、こんなに優しい言葉だったんだ」「夢がなくて自分を責めてたけど、ちょっと救われた」という声が多く見られました。
見ている私自身も、「あきらめる=悪いこと」という思い込みを、少しずつ解いてもらった感覚があります。
メガネとティッシュのシーンが教えてくれた、“許すこと”の不完全さ
ほたるがともえのメガネにティッシュを詰めるシーンは、声を出さずに泣きそうになりました。
「許さないから」とはっきり言った後で、それでも小さな手でメガネを直してあげる。
あの動きは、
「もう完全に仲直りしました、めでたしめでたし」
ではなく、
「それでも、あなたは私のお母さんだよ」
という、拗ねた気持ちと甘えの混ざった、すごくリアルな距離感に見えました。
ともえは、横領も家出も、全部“言い訳できないレベルのダメさ”を抱えた母親です。だからこそ、そのまま娘に許されてしまったら、むしろ嘘っぽくなる。
ほたるが「許さない」と宣言しつつ、手だけはお母さんに触れる。
この矛盾こそが、親子の関係のリアルさなんだと思いました。
動画レビューでも、あのシーンを「再生の儀式」と表現する声があり、まさにそうだなと感じます。涙よりも静かな時間なのに、見ている側の胸のほうがざわざわしてくるような、不思議な温度でした。
ほたるの「長野に行きます」が、いちばんのラブレター
三者面談で、ほたるがギター工房のチラシを出して「長野に行きます」と宣言する場面。
あれは進路の話以上に、「玄一・索・ともえ・仁」という4人の大人に向けたラブレターだった気がします。
犯罪歴のある母。
都合のいいときだけ父親面する実父。
クビになるかもしれないのに親のフリを引き受けてくれたゲイカップル。
「みんなめちゃくちゃな大人」と言いながらも、
「赤の他人でも助けてくれて、気にかけてくれた」
ことへの感謝がちゃんとにじんでいる。
ほたるにとって、“ちゃんとした親”はいなかったかもしれない。でも、“一緒に怒ってくれて、一緒に笑ってくれる大人たち”は確かにいた。
だからこそ彼女は、「一人でもどうとでもなれる」と言い切れるほどの土台を、すでに手に入れていたんだと思います。
あの力強い自己紹介のようなモノローグに、このドラマが描いてきた「血のつながりじゃない家族」の成果がぎゅっと詰まっていました。
玄一と索の“家”は、もうすでに完成していた
9話の中で、表向きには家を買う夢を「前向きにあきらめる」方向へ舵を切った玄一と索。
でも、屋上で岡部に「諦めることも大事」と言われたときから、二人の表情はどこか晴れやかでした。
SNS上でも、
「物件じゃなくて関係性を選んだの泣く」
「“家”より“この人と暮らすこと”を優先できるの、恋愛の完成形では?」
という声が多く、強い共感が寄せられていました。
もともとこのドラマは、“社会のすみっこ”にいる人たちが、自分たちの居場所を見つけようとする物語。
2LDKのマンションや戸建ての家じゃなくても、古いアパートの一室に、洗濯物と鍋の匂いと笑い声があれば、それで十分“家”になる。
玄一が「ゲイで良かったって思いたいな」と言っていたころから比べると、今は「少しだけ良かったと思える」と言えるまでになった。
それって、社会そのものは急に変わらなくても、
自分の半径数メートルの風景だけは、自分の手で温かくできるんだという“小さな希望の証拠”だなと感じました。
ともえの“撤退”は、夢を諦めたんじゃなくて、娘のそばに戻る決断
ともえの「夢なんてなくても生きていける」という言葉は、すごく危ういバランスの上にあるセリフです。
夢を追ってきた人が言うとき、それは「夢なんか持つな」というメッセージでは決してなくて、「夢を言い訳に、大事なものから逃げてきた自分」への決別宣言に近い。
ドラマの中でともえは、47都道府県のキーホルダーを集める旅そのものが、自分の罪悪感から目をそらすための“儀式”だったと気づいてしまう。
だからキーホルダーを失ったことは、ある意味で“逃げ道を失った”瞬間。そこから彼女は、「娘のそばに戻る」という、一番難しくて、一番地味な決断を選び取ります。
「夢がない自分」を責めがちな今の時代だからこそ、ともえのように“夢じゃなくて、目の前の人との暮らし”を選び直す姿は、ひとつの救いとして描かれていたように感じました。
9話は、“偽装家族”から“それぞれの家族”への卒業回
全体を通して見ると、9話は「偽装親子の解散ライブ」みたいな回だったなと思います。
玄一・索・ほたるの三人で作っていた、小さくて優しい“ぼくたちん家”は、一旦ここで形を変える。でもそれは、壊れるわけじゃない。
玄一と索は恋人・パートナーとしてこれからもどこかで一緒に暮らしていく。
ほたるは長野に自分だけの居場所を探しにいく。
ともえは罪を償いながら、母として戻ってくる道を探す。
仁は相変わらず「男のロマン」とやらを追い続ける。
それぞれが“偽装家族”という安心な箱から卒業して、自分の足で立つための一歩目を踏み出したのが9話だったと感じました。
最後に、私の個人的な余韻をひとつ。
三者面談で、ほたるが「めちゃくちゃな大人がいっぱいいる」と笑ったとき、自分の周りの“ちょっとダメだけど、なぜか大好きな大人たち”の顔がふっと浮かんだんですよね。
完璧じゃないからこそ、誰かのために必死になったり、バカみたいな選択をしてしまったりする。
このドラマを見ていると、
「ちゃんとした大人になること」よりも、
「自分の不器用さごと、誰かと分け合って生きていくこと」のほうが、ずっと大事なんじゃないかって、静かに教えられている気がします。
9話は、そのことを“前向きなあきらめ”という言葉で優しく包んでくれた回でした。
最終回で、この3人がどんな顔で「ただいま」と言うのか――もう今から少し寂しい気持ちになりながら、楽しみに待っています。
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