第5話「Mの殺人~午後10時の訪問者」は、“自殺に見える死”ほど疑うべきだと突きつける回でした。
転落死として処理されかけた事件を、倉石義男は遺体の口元と衣服のシミという地味な事実から反転させていきます。
恋愛のもつれに見せかけた完全な筋書きが、どこで崩れたのか。ここからは結末まで含めて振り返ります。
ドラマ「臨場 第一章」5話のあらすじ&ネタバレ

第5話のタイトルは「Mの殺人~午後10時の訪問者」。2009年5月13日に放送された回で、“自殺に見える転落死”を、検視官・倉石義男が最初の臨場でひっくり返していく
さらに今回は、検察と警察上層部が「早く逮捕して事件を終わらせろ」と圧をかけ、捜査一課の立原真澄が冤罪と組織の板挟みに追い込まれるのが大きな軸になっている。事件の鍵は、被害者が着ていた白いブラウスに残された「シミ」。この小さな違和感が、犯人が用意した“完璧すぎる筋書き”を崩していく。
ここから先は第5話の結末まで触れるので、未視聴の人は注意してほしい。できるだけ時系列で、何が起き、何が「決め手」になり、どうやって真犯人に辿り着いたのかを整理していく。
1.発見――転落死体と「自殺に見える現場」、そして倉石の第一声
物語は、元アイドル歌手・十条かおりの遺体が自宅マンション裏で発見されるところから始まる。発見時刻は5月9日午後3時過ぎ(劇中で時刻が明示される)。高層階のベランダが関係している以上、ぱっと見は「飛び降りたのか」「転落したのか」と考えてしまう場面だ。
そこに臨場要請が入り、倉石・小坂留美・一ノ瀬和之らが現場へ向かう。遺体を見た瞬間、小坂と一ノ瀬が“元アイドルの十条かおり”だと気づくほど、かおりは少なくとも世間に顔が割れている人物だった。つまり、ただの一般人の変死ではなく、メディアに火がつきやすい類の事件でもある。
現場は「転落死」という派手さがある。だが倉石が見るのは、落下地点の状況や周辺の騒ぎよりも、遺体そのものが残している“違和感”だ。倉石は、唇の周辺に焼けただれたような痕を見つけ、クロロホルムの使用を疑う。自殺や事故なら、わざわざ口元に薬品由来の痕が残る理由がない。ここで倉石は事件を殺人と断定する。
この「最初の断定」が、後々まで効いてくる。自殺で処理されかける現場ほど、捜査側は“想定の枠”を狭めてしまう。倉石は、転落という結果に引っ張られず、暴力が先にあり結果が後にある、と順序を組み替える。以後、捜査の主語は「なぜ飛び降りたか」ではなく、「誰が、どうやって飛び降りに見せかけたか」に変わっていく。
2.被害者・十条かおり――“婚約会見”を見つめた目と、手帳に残された「M」
かおりはかつてアイドルとして活動していたが、事件当時は仕事がほとんどなく、世間的には“落ち目”の状態にあると描かれる。警察が身辺を洗うと、事件前夜から当日にかけて、かおりがテレビで「元恋人・松川一弥と木山美保の婚約会見」を見ていたと推測できる目撃情報が出てくる。
ここで、ドラマはあえて視聴者の想像力を“恋愛の方向”へ誘導する。元恋人の婚約会見を目撃する――それだけで、未練や嫉妬や怒りの物語が立ち上がってしまうからだ。さらに追い打ちをかけるのが、かおりの手帳に残された「M」の文字。仕事の予定はほとんどないと、所属事務所のチーフマネージャー大西順三は語る。つまりこの「M」は、仕事ではなく“誰かとの約束”に見える。
「M」から連想される候補は二つ。元恋人の松川(Matsukawa)。そして婚約者の木山美保(Miho)。この段階で、事件の輪郭は「かおりの周辺の男女関係」に見えてしまう。視聴者も捜査側も、無意識にそこへ寄る。
ただ、この回のポイントは、恋愛関係が“動機”そのものというより、犯人が利用する「目隠し」になっている点だ。松川の婚約会見というニュースは、被害者の心を揺らす一方で、犯人にとっては“松川を犯人に見せる舞台装置”になる。大事なのは、そこに誰が最初に気づくか――で、倉石はかなり早い段階で違和感を拾っている。
3.第一容疑者・松川一弥――指紋、訪問、そして「出来すぎた証拠」
捜査線上に真っ先に浮かぶのが元Jリーグ選手の松川一弥だ。かおりの部屋のベランダから松川の指紋が発見され、しかも事件の夜にかおりの部屋を訪れていた事実まである。立原は松川を聴取し、松川は「電話があったので会いに行った」「しかし部屋ではすでにかおりが死んでいた」と主張する。
松川が事件当夜に訪れた――という事実だけでも、世間なら十分に“黒”に見える。しかも、かおりは婚約会見を見ていた(らしい)。動機(未練、口封じ、揉め事)が想像しやすく、指紋まである。ここまでは、視聴者の多くも「松川が犯人なのか?」と思いかけるはずだ。
だがこの回は、その思い込みを利用して“フレーミング(はめ込み)”が進行している。松川が犯人に見える要素が揃いすぎているのだ。
決定的なのは、家宅捜索で松川の部屋からクロロホルムとハンカチが見つかる点。検察の早乙女英雄は「これで逮捕できる」と立原を急かす。
しかし立原は引っかかる。クロロホルムの瓶から松川の指紋が検出されないのだ。もちろん手袋の可能性はある。だが、手袋で用意するほど慎重なら、なぜ危険物を自宅に置きっぱなしにするのか、という疑問が残る。さらに言えば、松川の立場は“婚約会見が開かれる程度に表に出ている人間”である。ここで事件を起こして証拠を残すリスクが大きすぎる。立原が「出来すぎている」と感じるのも当然だ。
それでも「逮捕しろ」という声は大きくなる。世論・組織・検察――その全てが、松川の“分かりやすさ”に飛びつこうとする。立原は一旦、そこから距離を取ろうとするが、その姿勢自体が“組織の空気に逆らう”ことになっていく。
4.早乙女検事と小松崎刑事部長――「早期立件」の圧が立原を追い詰める
東京地検の早乙女検事は、松川逮捕へ向けて立原を急かす。さらに警視庁内部でも、小松崎刑事部長らが“早く結果を出せ”という圧をかける。要するに、事件の真相よりも「事件を終わらせること」が優先される局面だ。
ここで立原が抱えるのは、単なる慎重さではない。立原は刑事としての誇りとして「これまで一度も冤罪を出さなかった」と語り、その誇りのために早乙女と小松崎の要求を拒む。
現場の刑事にとって、検察と上司の両方から押される状況はかなり厳しい。「逮捕して送れば、あとは検察が固める」という流れは現実にもあり得るが、立原はその“引き渡し”の時点で間違えるのが嫌なのだ。たとえ最終的に不起訴になったとしても、逮捕された側の人生は戻らない。立原はそこを現場の感覚として知っている。
だからこそ、立原は辞表を用意する。捜査に失敗したからではなく、“冤罪を作るくらいなら辞める”という形での抵抗だ。だがその辞表は、ただの自己犠牲で終わらず、ここで倉石が論理の刃を持って割って入ってくる。
5.倉石がこだわる「シミ」――クリーニング店員・矢野間文と、コーヒー/ユリの二重の違和感
倉石が最初から見ているのは、犯人像でも動機でもなく、かおりの衣服に残った“生活の痕”だ。白いブラウスの右袖(袖口)にシミがある。普通なら、現場検証で衣服の汚れは「細部」として後回しにされがちだが、倉石はそこを離さない。
警視庁内のクリーニング店員・矢野間文にシミを見せた結果、袖口のシミはコーヒー、そして背中側にはユリの花粉が付着していることが判明する。倉石はこの聞き取りのために、矢野間を“朝採りなすび”で釣るような、いつもの軽妙な手も使う。だが、得られる情報は捜査の根幹を揺るがすものだった。
ここで重要なのは「シミが二種類ある」ことだ。コーヒーとユリ。どちらか一つなら偶然で片付けられるが、二つ重なると“その日、その服で、どこに行き、誰と会ったか”が具体的に浮かび上がる。
さらに倉石は、かおりがコーヒーを飲まない(嫌い)ことにも目をつける。飲まないはずのコーヒーが袖口に付いている――つまり、本人が好んで飲んで付けた汚れではない可能性が高い。
ユリの花粉は、木山美保の線を強める。木山はフラワーアーティストで、名前の頭文字もM。倉石は「木山も“M”だ」と考え、当日かおりが木山の店を訪れていた事実まで辿り着く。花粉はその際に付着した可能性が高い。ここまで揃うと、「元恋人の婚約者が嫉妬で殺した」という筋書きが成立してしまう。
だが倉石は最後までコーヒーのシミを手放さない。ユリの花粉は“恋愛のニュース”と繋がりやすいが、コーヒーのシミはもっと現実的で、もっと地味で、しかし確実に「金」と「日常」の匂いがする。倉石はそこから、事件の見え方をもう一度組み替える。
6.木山美保という「もう一つのM」――ユリの花粉が作った“疑われやすさ”
捜査が木山に向かうのは自然だ。木山は松川の婚約者であり、花を扱う仕事をしている。ユリの花粉が付着していた事実は、木山の生活圏にかおりが足を踏み入れたことを示す。さらに、かおりの手帳には「M」。木山の名もM。ここまで揃うと、警察が木山を疑うのはむしろ当然に見える。
しかし倉石は、木山の線を“持ち上げすぎない”。ユリの花粉は、木山の店に立ち寄っただけでも付着し得る。実際、かおりが店を訪れていたことが分かった時点で、花粉は「立ち寄りの痕跡」に落ち着く。つまり、花粉は「殺害の痕跡」ではなく、「行動の履歴」でしかない。
ここが、倉石の捜査の強さでもある。人はどうしても「犯人がいそうな方」に証拠を寄せてしまう。だが倉石は、証拠を“犯人像”に合わせない。花粉は花粉。行動の履歴は履歴。ここで冷静に分解できるから、次の一手(コーヒーのシミ)へ進める。
7.「汚れた服では会わない」――倉石の“女心”が冤罪の流れを止める
立原が辞表を出そうとするタイミングで、倉石は「シミ」について実証してみせる。倉石のロジックは、劇中で繰り返し言及される一言に集約される。
「女性は、シミのついた服を着て、好きな人には会わない」
一見、一般論だ。だがこの事件に限っては、状況証拠の中心(=松川が犯人に見える流れ)を切り崩すための刃になる。
ここで論点を整理するとこうなる。
- かおりの手帳には「M」。
- 世間が連想する「M」は松川、または木山。
- 松川は実際に事件当夜、かおりの部屋を訪れ、ベランダに指紋も残る。
- 松川宅からクロロホルムが出てくる。
これだけ見ると“松川犯人説”はほぼ完成だ。だが「かおりが着ていた服」の一点が、それを崩す。
かおりは白いブラウスを着たまま死んでいた。その袖口にはコーヒーのシミがある。仮にかおりが、未練のある元恋人(松川)と会うつもりで電話をしていたのなら、当日すでに目立つ汚れがついた服のまま会いに行くのは不自然だ。少なくとも“会う前に着替える”という行動が入るはずだ。つまり、かおりがその服のまま死んでいた事実は、「M=松川」ではない可能性を強く示す。
さらに、「M=木山」も微妙にズレる。木山は花の人間で、花粉が付くのは説明できるが、コーヒーのシミが残ったまま“女同士の決着”に行くのか、という問題が出る。要するに、コーヒーのシミは「恋愛・嫉妬」の延長線では説明しにくいのだ。
倉石はここで、事件を“恋愛の後始末”から、“金と支配の後始末”へと見立て直す。誰かと会って、コーヒーがこぼれ、袖口を汚した。その服のまま帰宅し、翌日の母の日を意識しながらも、別の約束を抱えたまま夜を迎える――その日常の流れに一番近いのは、恋人でも婚約者でもなく、仕事と金の関係者だ。
8.コーヒーのシミはどこで付いたのか――大西順三と“金の約束”が浮上する
かおりと大西が「喫茶店で会っていた」ことがロケ地情報としても示されている通り、かおりは事件前に大西と顔を合わせている。
シミの存在は、単に「汚れている」以上の意味を持つ。かおりは周囲の視線を気にし、サングラスを掛け直したり、袖を折って汚れを隠すような素振りも見せる。アイドルとして顔が知られているからこそ、「目立ちたくない」「だらしなく見られたくない」という感覚が、汚れ一つで露わになる。倉石がシミに固執するのは、そこが“当日の心理と行動”に直結するからだ。
ここでコーヒーのシミが“場面の記号”になる。かおりはコーヒーを飲まないのに、袖口がコーヒーで汚れている。ならば、コーヒーが出る場所で、誰かと向き合っていた。しかもそれが、わざわざ“会う必要がある相手”だ。
その相手として最も現実的なのが大西だ。大西は事務所のチーフマネージャーで、仕事がないかおりの生活や金銭事情にも触れやすい立場にいる。さらに、この事件には「500万円」という具体的な金額がついて回る。大西はギャンブルで作った500万円の借金があり、かおりから金を借りてしのいでいたとされる。かおりは「今日中に返さなければ…」と迫っていたことが示唆され、金の受け渡しの約束が緊張感を帯びていく。
かおりにしてみれば、返ってこない金は「これから」を作るための命綱だ。一方の大西にとっては、返せない=使い込みの発覚に直結する。だから「今日中」という期限と「午後10時」という訪問予定は、ただのスケジュールではなく、追い詰められた人間のスイッチになる。かおりが返済を迫り、場合によっては社長に告げる構えだったことが示唆され、大西が“黙らせる”方へ傾いた理由がここで立ち上がる。
ここで初めて、手帳の「M」が“恋愛のM”ではなく、“マネージャーのM”として読めるようになる。午後10時の訪問者――その夜に来るのは、元恋人ではなく、金の話を抱えた管理者(Manager)だった。タイトルが最後に意味を変える瞬間だ。
9.午後10時の訪問者――松川の指紋が「作られた」可能性
松川は聴取で「電話があったので会いに行った」と語っている。つまり、事件の夜に“松川を呼び出す連絡”があったのは事実だ。ここをそのまま受け取れば、「かおりが松川を呼んだ」になる。だが倉石の視点に立てば、電話の主は必ずしも本人とは限らない。
ポイントは、松川が“その夜に部屋へ行っている”ことそのものが、犯人にとって都合がいいという点だ。松川が訪れていれば、ベランダに指紋が残る。指紋が残れば、松川は容疑者になる。そして容疑者になった松川の部屋からクロロホルムが出れば、捜査も世論も一気に傾く。要するに、松川の「訪問」は、犯人が欲しいピースとして機能する。
だから「午後10時の訪問者」は二重だ。表面上は“松川が訪れた夜”であり、真相としては“大西が訪れた夜”。倉石が見ているのは、どちらの訪問が「死を作ったのか」だ。
犯人にとって重要なのは、松川がその夜に“来た”こと以上に、「来た痕跡」が残ることだ。ベランダの指紋、訪問の証言、そして“元恋人”という肩書き。そこへ凶器(クロロホルム)を足せば、捜査は半ば自動的に松川へ落ちていく。逆に言えば、倉石がシミに固執したのは、この自動運転にブレーキをかけ、訪問者の主語を入れ替えるためだった。
10.侵入できるのは誰か――「合鍵」の流れが示す、フレーミングの犯人
松川宅からクロロホルムが見つかった。だが立原は「出来すぎている」と感じ、逮捕を躊躇している。ここで倉石が提示するのは、証拠の“出方”から逆算する考え方だ。
もし、松川を犯人に仕立てたい人間がいるなら、その人間は松川宅に侵入し、クロロホルムとハンカチを隠しておく必要がある。侵入手段として現実的なのは、合鍵だ。では、合鍵はどこから出てくるのか。答えはかおりの部屋になる。かおりが松川の鍵を持っていたなら、かおり宅に来た人物が盗める。
つまり、松川をはめた犯人は、かおりの部屋に“入れる距離”にいた人物だ。恋人でも婚約者でもなく、もっと日常的に出入りできる人物。ここで浮かぶのが、かおりの所属事務所のチーフマネージャー・大西順三だ。
11.真犯人は最も身近な「M」――大西順三の犯行とフレーミングの完成形
真犯人は、かおりのマネージャー大西順三だった。大西は借金を作り、返済に困って会社の金に手をつける。発覚を防ぐため、かおりに金を借りたが、かおりに返済を迫られ、殺意に傾いた。
大西の犯行は二段構えだ。
第一段は殺害。大西はかおりの部屋へ行き、クロロホルムで意識を奪い、転落死に見せかける。転落という形にすることで、見た目は「自殺」に寄せられるし、死因も“落下の衝撃”に回収されやすい。だからこそ倉石が口元の痕を見抜くことが致命的になる。
第二段がフレーミング。大西はかおりの部屋で松川宅の合鍵を盗み、その合鍵で松川の部屋へ侵入して、クロロホルムとハンカチを隠す。これで「松川の部屋から凶器が出た」という状況証拠が完成する。しかも、かおりは婚約会見を見ていた(らしい)。世間の視線も、捜査の視線も、自然に松川へ集まる。大西にとって、これ以上ないほど都合がいい。
タイトルの「M」が二重に回収される。視聴者が「M=松川/木山」と思い込みやすいよう、事件は組まれている。だが実際の「M」は、マネージャー(Manager)のM。かおりの手帳の「M」は、恋愛ではなく“仕事と金”の約束だったのだ。
そして、かおりのブラウスのコーヒーのシミも、この“マネージャー線”を補強する。かおりが嫌うコーヒーで袖口が汚れているという事実は、かおりが「コーヒーの出る場」で「金の話をする相手」と会っていたことを匂わせる。恋愛のドラマに見せた事件の芯が、実は金だった――この反転が、5話の真相の核になっている。
12.追い詰め――「M=マネージャー」を突きつけられた大西の綻び
倉石の見立てが切り替わったことで、捜査は大西へ向かう。大西は“被害者に一番近い仕事相手”であり、かおりの部屋へ入れる立場にいる。さらに、松川宅にクロロホルムを隠すには合鍵が必要で、その合鍵がかおり宅から動いたと考えるのが自然だ。つまり大西は「殺害の機会」と「フレーミングの手段」を両方持っている。
この「合鍵を盗める距離」という条件が、実は松川・木山の線を薄くしていく。松川は元恋人とはいえ、事件当夜の“訪問者”になれたとしても、かおり宅の中に常に出入りできる立場ではない。木山は婚約者であり、そもそもかおり宅へ入り込む必然が薄い。一方の大西は、仕事相手として部屋に入れても不自然ではないし、金の話で揉めていれば“部屋に上がる理由”まで成立してしまう。シミが示す「その日の接触相手」と、合鍵が示す「侵入の手段」が、大西の一点で重なる。
大西自身は、表向きには“かおりの面倒を見ていたマネージャー”に過ぎない。しかし裏では、ギャンブルで作った借金(500万円規模)に追われ、会社の金にも手をつけ、かおりから借りた金で一時的に穴埋めしていたと語られる。かおりがその金の返済を迫った時点で、大西の選択肢は「返す」か「黙らせる」かの二択になる。大西が後者を選んだことで、事件が発生する。
そして事件後、大西は松川を“犯人役”に仕立てる。松川が事件当夜に訪れたという事実が残れば、指紋は容疑を補強する。松川宅から凶器が出れば、検察も上層部も一気に動く。大西はその流れを読み切り、合鍵で侵入してクロロホルムとハンカチを隠した。だが瓶に指紋が残らないこと、かおりが汚れた服のまま死んでいること――こうした“細部”が積み上がり、最後に大西の筋書きが破綻する。
13.エピローグ――母の日のカーネーションが示す、かおりの“最後の視線”
真相が見えたあと、もう一本の線として残るのが、かおりと母・十条光枝の関係だ。捜査の過程で母はどこか距離があり、傍から見ると「娘の死に踏み込まない」ようにも映る。実際、かおりの解剖に対しても淡々としていて、母娘が長く疎遠だったことが伝わってくる。
ただ、その“距離”がイコール無関心だったかというと、話はそう単純じゃない。かおりは事件の直前、母の日のカーネーションを見つめていた――その事実が母に伝えられた瞬間、母は堰を切ったように泣き崩れる。娘が最後の最後に、自分へ気持ちを向けていたのに、その気持ちが届く前に命が途切れてしまった。母にとっては、その一点で全ての現実が刺さってくる。
さらに示唆されるのが、かおりが“田舎に帰ろうとしていた”という流れだ。表舞台から落ち、仕事もなく、身の回りの人間関係も切れかけている。だからこそ、母の日の花は「和解」や「帰る場所」を思い出させる小道具になる。大西に金の返済を迫っていたのも、単なる怒りではなく、人生を立て直すために必要な現実的な一手だった――そう見えてくる。
事件そのものは、松川という“分かりやすい犯人”を置いて組み立てられていた。婚約会見、手帳の「M」、ベランダの指紋、松川宅から出たクロロホルム。あれだけ材料が揃えば、組織が松川でまとめたがるのも無理はない。だからこそ、立原が圧に負けず、倉石が「汚れた服」という細部を最後まで離さなかったことが、結果的に冤罪の流れを止めた。
母の日のカーネーションは、事件が“正しい結末”に着地したあとに残る要素として置かれている。犯人が誰か、どうやって殺したかだけでは終わらず、被害者が最後に何を思い、何をしようとしていたのかまで、静かに掬い上げて幕を閉じる。
最後に、第5話の流れを箇条書きで整理しておく。
(補足)第5話の流れを時系列でざっくりまとめる
・5/9午後、十条かおりがマンション裏で死亡しているのが発見される(転落死に見える)。
・倉石が口元の痕からクロロホルム使用を疑い、殺人と断定。
・ベランダの指紋、事件夜の訪問などから松川一弥が疑われる。
・松川宅からクロロホルムが見つかり、検察と上層部が逮捕を急かす。
・倉石が衣服のシミ(コーヒー/ユリの花粉)に注目し、“M”の正体が別にあると切り替える。
・真犯人はマネージャー大西順三。合鍵を盗んで松川に罪を着せたことが明らかになる。
・手帳の“M”とユリの花粉から、捜査は婚約者の木山美保にも一度向かうが、花粉は来店時の付着と整理され、決定打にはならない。
・検察と上層部の圧力で立原は辞表を用意するほど追い詰められるが、倉石が「シミ」の意味を突き詰め、松川逮捕の流れを止める。
・大西の動機は、ギャンブル由来の借金と使い込みの発覚回避。返済(500万円規模)を迫られたことが引き金になり、殺害とフレーミングに踏み切った。
・ラストは、母の日のカーネーションをかおりが見つめていた事実が母に届き、被害者の“最後の視線”だけが静かに残る。
・転落という派手な結果に目を奪われず、口元の痕と衣服の汚れという“地味な事実”から真相へ逆算していく点が、この回の捜査の流れそのものになっている。
ドラマ「臨場 第一章」5話の伏線

第5話「Mの殺人~午後10時の訪問者」は、転落死=自殺に見える状況を、検視官の倉石義男(内野聖陽)がいきなり覆すところから始まります。
この回の伏線は派手な“謎の暗号”じゃなくて、生活の痕跡や組織の空気みたいな、地味で現実的な違和感が積み上がっていくタイプ。だからこそ、回収された瞬間の納得感が強い。
「口元のただれ」—自殺に見せた“眠り”の違和感
まず最大の起点は、遺体の口元に残った“ただれ”です。倉石がそこからクロロホルム使用を見立て、「自殺ではなく殺し」と断定する。ここで視聴者の視線が一気に「落ちた理由」ではなく「落とした手口」に切り替わります。
この時点では、クロロホルムは“犯行の方法”でしかない。ところが後半、松川の部屋からクロロホルムとハンカチ(犯行に使われたと見られるもの)が出てくることで、あの口元のただれが「物証の導線」として回収されます。
しかもポイントは、物証が出た“だけ”では終わらないこと。瓶から指紋が出ない、というズレが残り続けて、「クロロホルム=犯人確定」にならないように脚本がブレーキを踏んでいる。
さらに一段奥に、クロロホルムがどこから来たのか、という入手ルートが伏線になります。ここに関わってくるのが、目黒西中学の教師藤瀬奈緒子(星野光代)。彼女がクロロホルムに関与した証言が示され、犯人側の“調達係”が立ち上がっていく。
つまり口元のただれは、序盤の見立てであり、中盤の物証であり、終盤の共犯構造へつながる“背骨”になっているわけです。
「手帳の“M”」—タイトルそのものがミスリード装置
次に強烈なのが、手帳に残る「M」。タイトルも「Mの殺人」。視聴者はここで、“M=松川”に寄せて考えたくなる。事件の夜、被害者の部屋を訪れた元恋人の松川一弥(友井雄亮)が疑われるのは、ある意味で自然です。
でもこの「M」って、考えれば考えるほど“候補が増える”仕掛けなんですよね。松川の婚約者でフラワーアーティストの木山美保(村井美樹)もM。所属事務所のチーフマネージャー大西順三(佐藤正宏)も、視聴者の頭の中では“M”。
「手帳のM」は、犯人当てのヒントというより、“疑う順番を誘導する標識”として置かれている。ここが上手い。
「ベランダの指紋」—“会いに行った”を認める男の弱さが疑いを濃くする
手帳のMと並んで、松川を濃厚に見せるのがベランダの指紋です。さらに松川自身が「電話があって会いに行った」ことを認める。
ただし、彼は「すでに死んでいた」とも言う。ここが曖昧で、視聴者の中にモヤが残る。
この“モヤ”が重要な伏線で、後に「犯人に仕立てる余地がある男だった」という形で回収されます。恋愛スキャンダルを避けたい、婚約者がいる、元恋人の部屋に行ったと公にしたくない——そういう人間的な弱さが、犯人側にとっては最高の材料になる。
「松川宅から出たクロロホルム」—出来すぎた物証は“誰かの都合”を匂わせる
捜査は一気に“逮捕の流れ”へ傾きます。理由は簡単で、松川宅からクロロホルムが出るから。
この瞬間、多くの刑事ドラマなら「じゃあ松川で決まり」で押し切ってしまう。でも本作は、ここで立原真澄(高嶋政伸)が「出来すぎている」と言う。
この一言、完全に伏線です。
物証が揃いすぎるときは、たいてい“誰かが揃えに行っている”。そして実際、終盤に明かされるのは「合鍵を盗み、松川の部屋へ忍び込み、クロロホルムとハンカチを隠した」というフレーミング(犯人の仕立て)。
物証そのものが、真相を隠すための“偽装の道具”だったわけです。
「コーヒーのシミ」—女心というより“習慣”が語る時間
この回を象徴する伏線が、被害者のブラウスに付いたコーヒーの染み。彼女はコーヒーを飲まないのに、袖に染みがある。
倉石はここに執着していきます。「そのシミのある服で、好きな男に会うか?」という推理は、作中でも“女心”として言語化される。
そして回収が最高にドラマチックなのが、警察食堂で倉石が実際にコーヒーカップを倒してみせる場面。
ただ言うだけじゃなく、「シミの付き方」まで実証してしまう。ここで、シミが偶然じゃなく“ある場面の再現”に変わります。
つまりこの染みは、
- 被害者の行動(どこかでコーヒーがこぼれた)
- 被害者の心理(そのまま会いに行くとは考えにくい)
- 事件の時間(会う前に何かが起きていた)
を同時に指し示す伏線。小道具一つで、時間と感情をまとめて語ってしまうのが巧い。
「ユリの花粉」—“もう一人のM”へ誘導するための足跡
コーヒーの染みとセットで出てくるのが、ユリの花粉です。クリーニング店員の矢野間文(松金よね子)の話で、花粉の付着が判明する。
ここで倉石は、「木山もMだ」と推測し、被害者が当日店を訪れていたことも見えてくる。
この“花粉の伏線”は、二つの役割を持っています。
- Mの候補を増やして、視聴者の推理を散らす
- 被害者の当日の移動を、理屈で追えるようにする
結果として、松川→木山へ視線を動かし、そこから「じゃあ誰が一番得をする?」という問いに移るための中継点になっている。
「辞表」—冤罪を出さない刑事の誇りが、終盤の緊張を作る
この回がただの犯人当てで終わらないのは、“捜査の空気”そのものが伏線になっているからです。東京地検の検事早乙女英雄(小木茂光)と、刑事部長小松崎周一(伊武雅刀)が、立原にプレッシャーをかけ続ける。
立原が「冤罪を一度も出さなかったことが誇りだ」と言い、辞表まで用意する流れは、事件の真相と同じくらい重要な“装置”です。
この辞表があるから、最後に真犯人へ辿り着いた瞬間が「謎が解けた」ではなく「間違った逮捕が止まった」に変わる。ドラマとしてのカタルシスが、推理の解決じゃなく“組織の暴走を止めた”側に寄るんですよね。
母の日とカーネーション—事件の“外側”に置かれた感情の時限爆弾
最後に、事件のトリックとは別ラインで置かれているのが「母の日」です。被害者の母十条光枝(新橋耐子)との距離感は、捜査の本筋から見れば脇道。でも終盤、「母の日のカーネーション」というワードで、被害者がどんな気持ちで生きていたのかが急に立ち上がってくる。
犯人当ての快楽に寄りすぎると、被害者の人生は“死体の設定”で終わってしまう。そこで母の日を絡めて、死者の側にもう一度スポットを当て直す。倉石の信条(死者の人生を拾う)と、脚本の倫理が一致している伏線回収でした。
ドラマ「臨場 第一章」5話の感想&考察

見終わってまず残るのは、「犯人は意外だった」の驚きよりも、「逮捕って、こんなに“流れ”で決まりかけるのか」という怖さです。第5話は、トリックが派手というより、“正しい結論に辿り着くのがどれだけ大変か”を描いた回だったと思います。
ここからは、感想をベースに、刺さったポイントを少し論理的に分解していきます。
「Mの殺人」は、Mの迷路ではなく“視線”の迷路だった
タイトルの「M」って、よくできた煙幕です。
手帳のMが示す相手を考えると、松川(元恋人)にまず視線が向く。そこへベランダの指紋、婚約会見後というタイミングが重なって、「はい、松川です」と言いたくなる空気ができる。
でも、木山美保という“もう一人のM”が現れ、ユリの花粉で動線まで出てくると、次は婚約者が怪しく見えてくる。
ここが面白いのは、視聴者が「M=誰?」を当てようとすると、自然に“人間関係の濃いところ”へ吸い寄せられる設計になっている点です。
ところが真犯人は、視線の外側——被害者の生活を握り、金の動きを知り、部屋に入れる立場のマネージャー大西順三だった。
つまりこの回の本当の迷路は、「事件にふさわしいドラマチックな容疑者」を疑ってしまう、視聴者自身の視線なんですよね。勝手に“主役級の犯人”を探してしまう。でも現実は、地味な立場の人間の方が致命傷を与えられる。
倉石の捜査が刺さる理由—「証拠」より先に「生活」を見る
倉石のやり方は、毎回クセがあります。
ただ今回は特に、クセが合理性に変わった回でした。
コーヒーを飲まない人の服に、コーヒーの染みがある。——これ、警察的には「犯行と関係あるの?」って切り捨てられがちな情報です。でも倉石はそこを切らない。むしろ「その染みが“彼女のその日”を語る」と考える。
そして食堂でコーヒーカップを倒してみせる。あのシーン、演出としては少し大げさなんだけど、“大げさにする理由”がある。
- 机の高さ
- コップの位置
- シミのつき方
この具体で、「推理」を「再現」に変えてしまうから、視聴者も一緒に腑に落ちる。
僕はここに、この作品の美学を見るんです。
死体は嘘をつかない。だけど、死体だけを見ても足りない。死体が着ていた服、付いていた汚れ、付着した花粉、そういう“生活の欠片”が揃って初めて、死者の一日が立ち上がる。そういうドラマになっている。
立原の辞表が痛いほどリアル—組織は正義より“決着”を求める
今回、立原真澄の辞表は、単なる熱い展開じゃありません。
むしろ熱く見えれば見えるほど、「それでも現実は、辞表を切らないと止まらない力がある」という暗さが透けます。
検事と上層部からの圧力。高名な元Jリーガーが絡む事件。世間の目。
こういう条件が揃うと、捜査は“真実を探す”から“早く終わらせる”へ傾く。
ここで効いてくるのが、立原の「冤罪を一度も出していない」という誇りです。
誇りって、格好いい言葉に聞こえるけど、同時に“自分を縛る鎖”でもある。誇りを守るなら、強行逮捕の責任者にはなれない。だから辞表になる。悲しいくらい筋が通ってる。
それと同時に、倉石が立原の背中を押す形になるのも良い。彼は捜査本部の中心に立つタイプじゃないのに、最終的に「辞表を出させないために現れた」ように見える瞬間がある。
二人の関係が、“職務の線引き”を越えずに成立しているのが渋いんです。
真犯人・大西の小ささが、逆に怖い
真犯人が大西だと明かされると、「え、そこ?」ってなる。僕もなる。
でも考えると、そこが一番怖い。
大西は、会社の金に手をつけ、隠すために被害者に金を借り、返済を迫られて殺意を持つ。そして松川の合鍵を盗み、松川宅にクロロホルムとハンカチを隠して犯人に仕立てる。
やっていることは悪辣なのに、動機は妙に小さい。
「バレるのが怖い」「返せない」「終わった」——その短絡の連鎖で、人を殺す。
ここに、このドラマのリアリティがあると思います。
大事件の犯人が、必ずしも“怪物”とは限らない。日常の延長線上で壊れた人間が、一線を越える。そのとき最も危険なのは、周囲(組織)が「もう松川でいいじゃないか」と事件を片付けようとする空気の方です。
犯人の狡猾さより、社会の“決着欲”の方が事件を育ててしまう。そういう後味が残りました。
「コーヒーのシミ=女心」って、実は“被害者の尊厳”の話でもある
この回のキーは「好きな男に会うのにシミのついた服では行かない」という理屈。
一見すると恋愛の小ネタなんだけど、僕はここにもう一段深い意味を感じました。
被害者は“落ちぶれた元アイドル”として描かれます。つまり社会的には、すでに消費され切った存在として扱われがち。
でも「服の汚れを気にする」「人にどう見られるかを気にする」という描写は、彼女が“まだ人としての尊厳を持って生きていた”ことの証明なんですよね。
だからこそ、
- 汚れた服のまま死んでいた(=自分で選んだ姿ではない)
という推理が、単なる恋愛心理ではなく、「彼女が自分で人生を閉じたわけじゃない」という尊厳の回収になっている。
倉石が“生活”を拾うとは、こういうことなんだと思います。
母の日の残酷さと救い—「事件の外側」で人が泣く理由
母の日のカーネーションは、事件解決のための鍵じゃありません。
でも、このドラマが刑事ドラマで終わらない理由は、こういう“外側の描写”にある。
被害者の母が冷たく見える場面があるからこそ、最後に涙が落ちる。
そして、視聴者も「犯人当て」から一瞬引き剥がされて、被害者の人生に立ち返る。ここが『臨場』らしさです。
正直、母の反応の変化に違和感を覚える人がいるのも分かる。実際そういう感想も出やすい構造です。
ただ僕は、あの違和感こそがリアルだとも思いました。
人は“分かりやすい悲しみ方”をしない。最初に泣けないこともあるし、むしろどうでもいい情報の一撃で突然壊れることもある。母の日のカーネーションは、その一撃として機能していた。
総括:この回が気持ちいいのは「犯人当て」より「冤罪を止めた」から
第5話は、伏線回収の快感が確かにある。
口元のただれ→クロロホルム、手帳のM→ミスリード、コーヒーのシミ→時間と心理、出来すぎた物証→フレームアップ。すべてが一本に繋がる。
でも、いちばん“効く”のはそこじゃない。
立原が辞表を握った状態で、ギリギリのところで流れが止まる。あの瞬間に、視聴者は「正義が勝った!」じゃなくて、「間違いが止まった……」と息を吐く。
刑事ドラマの快感って、犯人が捕まることだけじゃないんだな、と改めて思わされる回でした。
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