第5話は、校閲という仕事が「地味で目立たない役割」だと思われがちな理由と、それでも必要とされ続ける理由を、これ以上ないほど分かりやすく見せてくる回でした。
悦子のテンション高めな行動や、ファッション誌側の華やかな現場が前に出つつも、物語の芯にあるのは“確認すること”“疑うこと”“手間を惜しまないこと”。
さらに今回は、仕事の選択が恋の関係にも直結し、軽いラブコメでは戻れない地点へ一歩踏み込んでいきます。
「無駄に見えること」をどう扱うか――その問いが、登場人物それぞれに突きつけられるのが第5話です。
ドラマ「地味にスゴイ!校閲ガール」5話のあらすじ&ネタバレ

第5話は、タイトル通り“校閲”の「地味さ」と「スゴさ」を、真正面から突きつけてくる回でした。
悦子の仕事のやり方は相変わらず型破りなんだけど、今回はその型破りが「誰かの仕事観」まで揺らしていく。しかも恋愛パートは、キュンとさせてからの地獄落とし。
ここまで丁寧に“無駄”を積み上げて、最後に一発で崩す構成が、やけに上手いです。
森尾の迷走が始まる:「不倫」「評価されない」「中途半端」
冒頭、森尾登代子(本田翼)は心身ともにいっぱいいっぱい。恋も仕事も思うようにいかず、前話から続く“空っぽの焦り”が、折原幸人(菅田将暉)への踏み込み方に出てしまう。
勢いで迫る森尾を、幸人はきっぱり止めるんだけど、ここで彼は説教もしないし、切り捨てもしない。森尾が吐き出す「自分が何をしたいのか分からない」「全部、中途半端」という言葉を受け止めて、同じように“自分も分からない”と言う。男側が“正解”を提示せず、並んで立つことで相手を落ち着かせる。幸人って、こういう距離感がズルい。
ここで大事なのは、森尾がただの当て馬じゃなくて「夢がある人の世界にいるのに、夢がない(or 見失った)人」として描かれてること。
悦子みたいに“夢の一点突破”で戦える人間の隣にいるからこそ、森尾の迷走が痛々しいほどリアルに見えてくるんですよね。
悦子、伝説のスタイリスト本を担当!…ただし「文字校正だけ」
一方の河野悦子(石原さとみ)は、テンション爆上がり案件が舞い込む。
イタリア在住の人気スタイリスト・フロイライン登紀子(川原亜矢子)が、イタリアで出版したエッセイの校閲担当に指名されたのだ。悦子は高校時代から登紀子の『Lassy』連載の大ファン。仕事として“憧れの人”の文章に触れられるだけで、もうご褒美みたいなもの。
ただし条件がつく。今回の校閲は「翻訳後の文字校正だけ」。
要は誤字脱字や表記揺れを整える役割で、悦子がいつも暴走する“事実確認”は不要(という建前)になる。悦子自身も最初は喜ぶんだけど、原稿を読み始めると「本当にこれ(文字校正だけ)でいいのかな?」という違和感が湧いてくる。悦子の強みって、ここなんですよね。「言われた範囲で終わらせる」より先に、「読者の目線で怖くなる」タイプ。
『Lassy』男性専属モデル投票が動く:登紀子が帰国、現場が緊張する
同じ頃、ファッション誌『Lassy』では“男性専属モデル”を決める読者投票企画が進行中。そこに登紀子が帰国し、投票ページ用の撮影でモデル候補たち(幸人も含む)のスタイリングを担当することになる。
登紀子は、編集部の打ち合わせをものの数分で片付け、モデルごとにイメージを即決する。幸人のイメージは「ギャング」。森尾はその一言で、小道具探し地獄に放り込まれる。しかも登紀子の指示は抽象的で、正解が見えない。だから森尾は街を走り回って、何とか“それっぽいもの”を集めていく。
ここ、地味に痛い描写です。森尾の仕事って、結果が「センス」という一語に圧縮される世界。
努力の手触りが残らない。しかも上司やクライアントが強いほど、努力は“空振り”に見える。森尾が壊れかけてるの、当然だと思う。
「昭和レトロ」デート:花やしきの夜、手を繋いだのに…
そして恋愛パートの“甘い時間”。幸人は悦子をデートに誘い、テーマは「昭和レトロ」。
悦子はそれを聞いた瞬間から妄想が止まらない。服も気合いを入れて、“それっぽい”昭和感で仕上げてくるのが悦子。
待ち合わせは浅草。二人は夜の花やしきへ行き、ふとした拍子に手を繋ぐ。ここは普通にキュンとする。悦子って、勢いと声のでかさで“うるさい主人公”に見える瞬間があるけど、恋愛面になると急に不器用で、感情が素直に顔に出る。だから刺さる。
ただ、その幸福は長く続かない。途中で幸人に森尾から電話が入り、「スタイリストさんが今すぐ顔を見せろと言っている」と呼び出される。
幸人が「仕事だから行く」と言うと、悦子は笑顔で送り出すんですよ。「フロイライン登紀子?大ファンなの。すごい人なんだよ。行って」みたいなテンションで。えらい。……えらいんだけど、視聴者からするとこの時点で嫌な予感が走る。森尾の電話が、生活の匂いを帯びすぎてるから。
悦子VS登紀子:憧れが崩れる瞬間、「無駄」を切り捨てる人だった
後日、登紀子が『Lassy』編集部に現れる。森尾が必死に集めた小道具を見た登紀子は、容赦なく切り捨てる。「個性がない」「無駄なことはしないで」といった合理主義で、森尾を「外れていいわ」とまで言う。
これを目撃した悦子は黙っていられない。登紀子といえば、昔は“無駄なことも含めて全部愛する”みたいな空気を文章から放っていた(少なくとも悦子にはそう見えていた)。その人が今、目の前で誰かの努力を「無駄」と断じている。悦子は思わず、「そんな人でしたっけ……無駄なことなんかないっていう人だと思ってました」と口にしてしまう。
登紀子は冷たい。悦子を“部外者”として一蹴し、「立場をわきまえなさい」と切り捨てて去る。悦子の心の中で“信仰”に近かった存在が、音を立てて崩れる瞬間です。
登紀子の過去:「パッチワーク」が救ったのに、なぜ今“無駄切り”へ?
落ち込む森尾を、悦子は自宅で飲みに誘う。ここで悦子が、昔の雑誌を引っ張り出して語るのが、登紀子の原点エピソード。
アシスタント時代の登紀子は、小道具を用意しても採用されず、空振りばかり。それでも諦めず、ダメ元で作ったパッチワークを撮影現場に置いておいたら、それが使われた。その成功体験が嬉しくて、「小道具まで全部用意できるスタイリストになろう」と決めた――という話。
つまり登紀子も、かつては“無駄”の側にいた。なのに、今は“無駄切り”の側にいる。悦子のショックって、「理想の人が違った」だけじゃなくて、「自分の好きな言葉を、本人が捨てていた」衝撃なんですよね。
悦子は森尾に、登紀子が喜びそうな“パッチワーク”を提案する。指示されていないけど、作って置いてみよう、と。森尾は反発する。「先輩みたいに好きでこの仕事やってるわけじゃない」と。悦子の“夢の圧”に、森尾が息苦しくなる瞬間。
悦子の結論:「やるだけ無駄なんてこと、人生にいっこもない」
悦子は森尾とぶつかったあと、珍しく反省モードに入る。貝塚からも、「何でも思ったことを口にするな」「言っていい相手か考えろ」と釘を刺される。悦子って、直進しかできない代わりに、その直進で人を傷つける時がある。それを“自覚させる回”にもなってる。
それでも悦子の芯は折れない。森尾に送った言葉が、この回の核です。
「やるだけ無駄なんてこと人生に、いっこもないと思うんだ」
この言葉、ただの根性論にも聞こえる。でも、悦子が言うから“仕事の哲学”になる。なぜなら悦子は、その直後に本当に“無駄だと思われること”をやりに行くから。
事実確認大作戦:イタリアに行けないなら、浅草でイタリア人を探せ
登紀子のエッセイ校閲。事実確認が不要扱いされているのに、悦子は「内容が正しいか」を確かめたくてたまらない。しかし、イタリアへ出張して現地確認なんてできない。
そこで悦子が思いつくのが、浅草でイタリア人観光客を探し出し、チェックリストを渡して、後日メールや電話で回答をもらうという“人力ネットワーク”作戦。
やってることが異常に手間。でも、この手間を「異常に見せる」ことで、校閲という仕事が抱える矛盾を炙り出す。
校閲は、間違いを見つけても“表に出ない”
何も見つからなくても、それはそれで“成果”
でも成果は数字にならない
……だから、外から見ると「無駄」に見えやすい。
悦子はそこに、あえて全力で突っ込んでいく。
校閲部が騒然:イタリア語のメールと電話が殺到する
悦子が配ったリストは効き始める。校閲部に、イタリア語のメールや電話がどんどん入ってくる。“イタリア人からの生の指摘”が届くことで、悦子の事実確認が単なる自己満足じゃなく、実務として機能し始める。
この混乱が面白いのは、校閲部が「静」の職場として描かれてきたのに、ここでは“外部の声”によって一気に「動」になること。校閲って、机に向かって赤字を入れる仕事に見えるけど、実は「世界中の事実」と繋がってるんだよ、という見せ方。かなり気持ちいいです。
登紀子、校閲部を訪問:「地味な検証」の山に、価値観が揺れる
登紀子は最初、出版社の“無駄”にイラついている。浅草土産を見て「イタリアから取り寄せできるのに」と不機嫌になったり、とにかく合理。
ところが、校閲部を見学することになると空気が変わる。そこにあるのは、端から見れば意味不明な検証の数々。
・間取りの矛盾がないか、模型で確認する
・甲冑の特徴が合っているか調べる
・盲目の主人公が原稿通りに立ち回れるか、目隠しして検証する
登紀子は、その“地味な無駄”を目の当たりにして、初めて気づく。無駄に見える確認の積み重ねが、作品の信用を支えているってことに。だから彼女は、悦子が作った“事実確認だらけのゲラ”を見て、姿勢を変える。
「無駄じゃない」回収:悦子の事実確認は本に反映、森尾のパッチワークも採用へ
校閲部に届いたイタリア語の連絡は、登紀子が自ら対応し、内容を本に反映させようと動く。「みんなの努力が無駄になるじゃない」と言って、事実確認を“成果”に変えていく。ここで初めて、登紀子の中の“昔の自分”が戻ってくる。
そして森尾も変わる。幸人から悦子の奮闘を聞き、さらに悦子の提案を思い出し、休日出勤してパッチワークを作り始める。指示されてないのに作る。成功するか分からないのに作る。森尾が“無駄の側”に一歩踏み出す。
撮影現場で登紀子が「これを作ったのは誰?」と問う小道具が、そのパッチワーク。森尾の努力はちゃんと見つけられ、採用される。悦子の事実確認も、登紀子の書籍に反映される。二人がやった“無駄に見える努力”は、無駄で終わらない。
ちなみに登紀子が「校閲」Tシャツを着て“流行らせる”みたいなノリを見せるのも、この回の後味を軽くしてくれる小ネタ。合理主義の女帝が、地味な仕事に敬意を払った瞬間の“照れ”に見えて、僕は嫌いじゃない。
そしてラスト:悦子、森尾と幸人の「同居」を目撃してしまう
終盤、森尾に連絡しても返事がない。悦子は心配して森尾の家へ向かう。そこで目撃したのが、森尾と幸人が一緒に買い物から帰り、同じ部屋に入っていく姿だった。
悦子は最初、幸人の姿を見て嬉しそうにするんだけど、すぐに「え?なんで?」と顔が固まる。森尾は青ざめる。幸人はネギを持って現れる(完全に生活)。この“説明ゼロの鉢合わせ”で、恋愛パートが一気に不穏へ振り切れる。
第5話は、仕事でスカッとさせてから、恋で胃を痛くして終わる。やってくれる。
ドラマ「地味にスゴイ!校閲ガール」5話の伏線

第5話は単発の“お仕事回”に見せつつ、実はこの先の人間関係と仕事観をまとめて仕込んでいます。
特に「無駄」という言葉が、仕事・恋・自己肯定感の三方向に刺さっていて、ここから先もずっと効いてくるタイプの伏線でした。
幸人の「間借り」発言=恋愛地雷の導火線
幸人は森尾の家に“間借り”している立場で、本人も悦子に話すべきか迷っている。ここがまず伏線です。
視聴者は第5話ラストで同居を知るけど、幸人は「言おうとしていた」側でもある。つまり、悪意というより「タイミングの爆弾」。このシリーズの恋愛は、だいたい“言葉の遅れ”でこじれる。
そして森尾が「好きなんだ?」と幸人に問う流れも、三角関係の輪郭をくっきりさせる布石。ここから悦子は、仕事だけじゃなく恋でも“校閲”させられる。事実確認が追いつかない恋、という地獄が始まります。
悦子の“口が直結”問題は、今後のトラブル装置
貝塚に「何でも口に出すな」と叱られるくだりは、単なるお説教じゃありません。悦子の性格──思ったことを即言う、感情が言葉に直結する──が、今後も事件を呼ぶ装置として機能する、という宣言に近いです。
実際この回でも、登紀子に言わなくていい一言を言ってしまい、場の空気が凍る。恋愛も同じで、悦子は“好き”を勢いで口走ってしまう。
このシリーズでは、悦子の言葉が「救い」と「爆発」の両方を起こす。次回以降も、彼女の口は間違いなく爆弾になります。
「無駄」テーマが、森尾のキャラ再生の鍵になった
森尾は「好きでこの仕事やってるわけじゃない」と言う。ここはただの愚痴じゃなく、“夢を持てる人”への反発が混ざっている言葉です。悦子の眩しさが、森尾の劣等感を刺激する構図が、はっきり出来上がった瞬間でもあります。
ただ、第5話で森尾はパッチワークを作り、その努力がきちんと採用される成功体験を得る。
つまり森尾は今、やっと「仕事が少しだけ自分のものになる入口」に立った。ここから森尾がどう変わるかは、今後の重要ラインになります。
登紀子の変化は“完了”じゃなく“揺り戻し”の予告
登紀子は校閲部を見て価値観を改める。ただしこれは、完全な改心というより「思い出した」程度に近い。合理主義の鎧を脱げたのは、校閲部という外圧があったからです。外圧が消えれば、また合理に戻る可能性も十分ある。
だから登紀子は、「この世界で生き残ると、人は変わる」という、悦子と森尾の未来像にも重なっている。悦子が将来ファッション誌側へ行った時、同じように“無駄を切る側”になってしまうのか。それとも“無駄を愛せる側”でいられるのか。登紀子は、その試金石です。
「校閲=成果が見えない仕事」という仕掛けが、悦子の成長線に直結
第5話は、校閲の“成果が見えない構造”を強調する回でもありました。指摘が採用されるかどうかは編集と著者次第で、校閲者の努力は表に出ない。
だからこそ悦子は「無駄になっちゃいますよね」と不安になるし、「無駄じゃない」と自分に言い聞かせる。
この構造理解が進むほど、悦子は“校閲を好きになる”方向に進む可能性がある。
逆に言うと、悦子が校閲の価値を本気で理解した瞬間、彼女の「ファッション誌へ行きたい」という夢が揺らぐ伏線にもなる。ここ、地味だけどかなり大きいポイントです。
ドラマ「地味にスゴイ!校閲ガール」5話の感想&考察

第5話を見終わってまず思ったのは、「このドラマ、ただの元気主人公ものじゃないな」ということでした。
悦子のキャラは派手で、服も派手で、叫び声も派手。でも第5話で描かれたのは、“派手さの裏側にある地味な積み重ね”で、そこにちゃんとドラマの芯がある。
この回、個人的には仕事パートの満足度がシリーズの中でもかなり高いです。理由はシンプルで、校閲という職業を「正しさのための手間」として、真正面から描いたから。
「無駄」は本当に無駄なのか?——“確認して正しい”も成果だろ、という話
登紀子が森尾の小道具を「無駄」と切り捨てるシーン、あれは一見すると分かりやすい悪役ムーブに見えます。
でも面白いのは、登紀子の合理主義が単なる性格の悪さではなく、「過去に“無駄の側”で傷ついた人間の防御」に見えるところです。
パッチワークが採用された成功体験は、“無駄が報われた奇跡”でもある。
奇跡が一度起きると、人はそれを再現したくなる。
再現できない無駄を、次第に憎むようにもなる。
だから彼女は、無駄を嫌いながらも、無駄に救われた過去を持っている。
この矛盾が、登紀子という人物をただの冷酷な女にしない。
そして校閲の“無駄”は、もっと残酷です。
調べて、調べて、調べた結果、「間違いがなかった」。
外から見るとゼロ。でも実際は「安全が確認された」という成果。
第5話はそこを、イタリア人からのメールや電話が殺到する演出で可視化しました。
地味な手間が、突然“情報の洪水”として立ち上がる。
あの瞬間、校閲は「世界と繋がってる仕事」になる。
悦子のやり方は危うい。でも“危うさ”を描いたのが第5話の誠実さ
正直、悦子の事実確認は現実的に考えると無茶です。
観光客にリストを渡して後日連絡を待つなんて、情報管理的にも時間管理的にもカオス。
でもドラマとしては、そこを誇張することで「校閲の本質=疑って確かめる」を伝えたかったんだと思います。
ただ、第5話が本当に良いのは、悦子の行動を“手放しで褒めない”ところ。
貝塚に叱られ、森尾ともぶつかり、悦子自身が少しだけ反省する。
つまりこの回は、「情熱は武器だけど、武器は人も傷つける」という話でもある。
悦子のキャラは、放っておくと“正しさの暴力”になりかねない。
そこにちゃんとブレーキを入れたのが、第5話の誠実さだと思います。
森尾が救われたのは“恋”じゃなく“仕事”だったのが、妙に刺さる
森尾って、恋で転び、仕事で追い詰められているキャラです。でも第5話で彼女が救われるのは、恋じゃなく仕事。
パッチワークが採用される瞬間、森尾はきっと
「自分の努力が“センス”という言葉に潰されなかった」
と感じたはず。
恋愛ドラマだと、こういうキャラは“良い男に出会って救われる”のが定番。
でもこの作品はそこを外す。
森尾は、自分で作って、自分で持ち込んで、採用される。自分の手で、ほんの少しだけ世界を動かす。
それが救いになる。この選択、かなり好きです。
ラストの同居バレは、視聴者に「事実確認不足の怖さ」を叩きつける
最後の鉢合わせは、恋愛の修羅場として普通に強烈です。でも構造的には、完全に“仕事回のテーマ”と地続き。
悦子は仕事では、疑って、確かめて、情報を集めて、真実に近づく。
でも恋愛では、確かめる前に信じてしまう。
デート中に森尾から電話が来ても、「仕事だし」と納得して、むしろ幸人を送り出す。
この時点で悦子は、“確かめる”を放棄している。
で、結果として、事実が事故みたいに一気に襲ってくる。
恋愛において「事実確認」は野暮だと思われがちだけど、確認しないと、事実はいつか必ずぶつかってくる。
第5話はそれを、悦子の仕事と恋の対比で描いた回だったと思います。
ひとこと:第5話は“無駄”を肯定しながら、“無駄の代償”もちらつかせた
「無駄なことなんてない」という言葉は、働く人にとって強い。
誰にも評価されなくても、報われなくても、「やりきった」と言えるのは救いになる。
でも同時に、無駄を引き受けるのはしんどい。努力は、簡単に消える。それでも「安心できたから無駄じゃない」と言い直す。
あの強さは、綺麗事じゃなくて職業倫理に近い。
だから第5話のテーマは、僕の中ではこうです。
無駄は無駄に見える
でも、無駄は信用を作る
ただし、無駄に依存すると人は壊れる
ここまで一話で詰め込んで、最後に恋愛地雷まで埋めていく。
やっぱり第5話は、“地味にスゴイ”回でした。
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