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不適切にもほどがあるの純子は死んだ?最後にはどうなったのか?死因や渚の母で市郎の娘だった理由を解説

不適切にもほどがあるの純子は死んだ?最後にはどうなったのか?死因や渚の母で市郎の娘だった理由を解説

「純子って結局、誰だったの?」
ドラマ「不適切にもほどがある!」を見進める中で、多くの視聴者が一度は立ち止まった疑問だと思います。

5話で明かされた市郎と渚の関係、9話の墓参りシーン、そして最終回で描かれた昭和と令和をまたぐ再会。

物語が進むにつれて、純子は単なる過去の人物ではなく、作品全体の感情とテーマを背負う存在として浮かび上がってきました。

この記事では、9話までの情報と最終回の描写をもとに、

  • 純子の正体
  • 令和での扱いと死の真相
  • 17歳の純子が昭和に残った意味
  • 今後、運命が変わる可能性

をネタバレ前提で整理していきます。

純子という人物を理解すると、「不適切にもほどがある!」という物語が、もう一段深く見えてくるはずです。

目次

純子の正体は「渚の母」そして「市郎の娘」

純子の正体は「渚の母」そして「市郎の娘」

結論からいくと、小川純子(河合優実)の“正体”は、犬島渚(仲里依紗)の母親であり、小川市郎(阿部サダヲ)の娘です。

5話で市郎と渚の関係が「祖父と孫」だと明かされ、その流れで「渚の母=純子」に行き着くのが、あの回の最大の転換点でした。

9話の墓参りシーンも決定的で、墓前に並ぶ5人が、それぞれの立場から純子を語ります

「市郎の娘」「渚の母」「ゆずるの妻」

ここで視聴者は、ミステリーとして完全な“答え合わせ”をさせられることになります。

純子は死んだ?2024年の世界では「すでに故人」扱い

純子は死んだ?2024年の世界では「すでに故人」扱い

「純子って令和(2024年)ではどうなっているのか?」という疑問に対して、作中はかなりはっきりと、そして残酷な答えを出しています。

2024年時点の純子は、すでに亡くなっている。つまり、渚が生きる現在に“令和の純子”は存在しません

ポイントは、序盤から中盤にかけて、渚が「母は海外にいる(離婚して出ていった)」と聞かされていた点です。後から振り返ると分かりやすいのですが、これは父・ゆずるが娘についた“優しい嘘”でした。実際には、純子は離婚ではなく、阪神・淡路大震災で亡くなっていたことが明かされます

なお、「純子が令和に出てくる場面があった」という印象を持っている人もいると思いますが、あれはあくまで昭和の17歳の純子がタイムスリップしてきた姿です。

2024年の時間軸に存在している“現在の純子”ではない、という整理がもっとも自然です。

純子の死因は何?阪神・淡路大震災で亡くなった

純子の死因は、ドラマ内で明確に「阪神・淡路大震災」として描かれています。

亡くなった日時は、「1995年1月17日 午前5時46分」。
5話の流れで明かされるのが、あまりにも具体的なこの時刻です。

ゆずるが、市郎と純子、そして市郎の父を駅まで送って別れたのが、1995年1月17日 午前5時46分。その直後に阪神・淡路大震災が発生し、市郎と純子はこの世を去っていた、という説明がなされます。

この出来事を“分刻み”で示したのが、このドラマのえげつなさであり、同時に誠実さでもあります。避けようのない現実として、視聴者に真正面から突きつけてきます。


ドラマ内で描かれた「直前の状況」

作中で語られている流れを整理すると、次のようになります。

市郎は神戸へ行き、ゆずるの採寸を受ける。幼い渚を抱っこし、家族のわだかまりが少しずつ溶け始める。
採寸が終わるころには終電を逃し、朝まで営業している居酒屋で過ごす。駅で別れた時刻が「1995年1月17日 午前5時46分」。

「どういう死に方だったのか」といった具体的な描写には踏み込まず、死因はあくまで「震災」という事実で止めています。説明しすぎない分、むしろ想像力を刺激され、重さが増す描き方です。

最後にはどうなった?最終回までの純子の「着地点」

最後にはどうなった?最終回までの純子の「着地点」

純子の最終的な着地点を一言でまとめるなら、「未来を知った17歳として昭和に残る」です。

最終回10話では、タイムマシンバスが“残り1往復”となり、市郎は昭和へ帰る決断をします。そして、落ち込む孫・渚を連れて昭和へ向かい、昭和の純子と再会する流れが描かれました。

この時点の純子は、令和を知った影響もあり、スケバンっぽさを卒業し、真面目な受験生モードに入っています。ここは単なるキャラ変ではなく、「未来を見たことで、自分の人生を選び直す」という変化として描かれているのが印象的でした。

さらに心に残るのが、昭和で渚が身元を隠しながら純子に会い、“年上のお姉さん”として相談をする母娘シーンです。純子の言葉が、渚の記憶にある「震災で亡くなる前の母」と重なっていく演出で、物語の感情的ピークの一つになっています。

そして忘れてはいけないのが、「純子のその後」。作中では、純子が不良から足を洗い、大学に進学し、ゆずると出会い、渚を身ごもる未来が語られています。

つまり最終回の純子は“17歳のまま固定された存在”ではなく、視聴者はすでに彼女の人生を知ってしまっている。その上で「1995年に死ぬ」という未来まで抱えてしまう。ここに、この作品の残酷さと優しさが同時にあります。

純子は本当に死んだまま?今後「運命が変わる」可能性

連続ドラマ本編の範囲では、純子の死(震災)は“確定事項”として描かれました。

ただし、今後放送予定のスペシャルドラマでは、タイムトンネルを使い、1995年1月(震災前日)にいる市郎の描写や、「孫・渚の未来も、娘・純子の未来も守りたい市郎」という、物語の核心に踏み込むテーマが示唆されています。

つまり今後の展開次第では、

純子の運命が“変えられる”のか。
それとも「変えられない運命に、どう向き合うのか」を描くのか。

このどちらに転ぶ可能性も残されています。
そこが、今後も「不適切にもほどがある!」という作品が語られ続ける理由だと言えるでしょう。

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