7話は、「ハッピーエンド」という言葉の意味を静かに裏返す回でした。
誰かが奇跡を起こすわけでも、劇的な展開があるわけでもない。それでも、たそがれステイツの住人たちが“現実を少しだけマシな方向へ動かすハッピーエンド”を、それぞれの形で掴みにいく。
順の告白、ゆず監督の映像、永島家でのままごと──日常の小さな出来事が、家族の未来の軌道をそっと変えていく
優しさと痛みが同時に押し寄せる、シリーズ中でも特に感情が揺れるエピソードでした。
小さい頃は、神様がいて7話のあらすじ&ネタバレ

7話のサブタイトルは「ハッピーエンドにしたいんで」。
離婚までカウントダウンが進む小倉家が、ついに「約束」を家族全員で共有し、涙と笑いが同時に広がる中で“別れ方”を具体的に組み立てていく回です。
一方、なお&志保の“なおしほ”コンビはキッチンカーの夢をひとまず諦めつつ、ゆず監督の映画と「ハッピーエンド」が現実を少しだけ動かしていく──そんな優しい奇跡が描かれます。
おでんパーティーで明かされる順の告白と、家族会議の夜
舞台はいつもの「たそがれステイツ」永島家。慎一とさとこの部屋には、小倉家となおしほ、子どもたちが勢ぞろいし、にぎやかな“おでんパーティー”が開かれています。
そこで長男・順が突然切り出します。
「実は、子どもが二十歳になったら離婚するって、ちっちゃい頃から知ってた」。
渉とあんはその一言で凍りつき、涙があふれます。親だけの秘密だと思っていた“約束”が、子どもたちにも深く刺さっていたことが明らかになる瞬間です。
パーティー後、小倉家が自宅に戻ると、そのままリビングで家族会議へ。あんはゆずに「いつから知ってたの?」と尋ね、ゆずは自分が気づいた経緯や胸の内を率直に語ります。あんは「二十歳の誕生日に離婚しようと決めていた」と謝罪し、渉とあんはなぜこの約束を手放せなかったのか、今の気持ちを初めて子どもたちへ真正面から伝えていきます。
胸に溜め込んでいた本音を少しずつテーブルに並べ、7話はシリーズの核となる“約束”をついに家族全員で共有させます。
離婚後のお金のメモ──渉の不器用すぎる優しさ
その夜、渉はあんにびっしり数字が記された一枚のメモを差し出します。
生活費、家賃、養育費など、離婚後にあんが困らないように計算した内容で、「君が貧しくなる未来だけは絶対に嫌だ」という渉の優しさと罪悪感が濃縮されています。
夫婦としては終わりに向かうのに、相手の未来だけは守ろうとする渉。その気持ちが“数字”に変換された、静かなラブレターのようにも見えます。
なおしほのキッチンカー断念と、ゆず監督の逆転案
一方のなおしほコンビにも転機が訪れます。念願のキッチンカーの手付金を支払ったものの、先の収入を考えるとローンは厳しいと判断し、二人は苦渋の決断で購入を断念。
その帰り道をゆずが目撃し、「買えないなら借りればいい」と新しい視点を提示。キッチンカーを一日レンタルし、たそがれステイツ全員出演の“自主映画”を作ろうと言い出します。
ゆずは監督・撮影・編集をひとりでこなし、キッチンカー、廊下、永島家、すべてを舞台に撮影を進行。
完成した動画を見た奈央と志保は照れながらも大喜び。自分たちの夢が仲間の“楽しい記憶”として残ることに、しみじみと喜びをかみしめます。
あんの会社訪問──“やりたかったこと”を叶える小さなデート
渉から「あんちゃん、書類を家に忘れた。持ってきて」とメッセージが届き、あんは会社へ向かいます。しかし部下が中身を確認すると、さほど重要な書類ではないと判明。
そこで、かつて渉が「妻にわざと書類を届けてもらって、自慢して、そのままランチに行く──そんなこと一度やってみたい」と話していたことが明かされ、今回の“忘れ物”はその願望の実行だったことが分かります。
昼食を前に、あんが「やってみたかったこと、離婚前にやってるの?」と尋ねると、渉は照れながら「そう。あんちゃんもやってみなよ。俺、できる限り叶えるから」と返答。このささやかな社食デートが、ままごとシーンへの小さな伏線にもなります。
妊娠中の記憶と、仕事で空回りする渉の回想
過去のフラッシュバックでは、妊娠初期の不安を抱えるあんに「無理するなよ、俺が頑張るから」と言っていた渉の姿。
その後営業に異動し、仕事がうまくいかず、家でもあんに頼りっぱなしだった当時の苦い記憶が映し出されます。
この“守ると約束したのに守れなかった自分”という渉の後悔が、後のままごとで爆発することになります。
永島家のままごと──大人が演じる「理想の夫婦像」
休日、永島家で始まったままごとが大人へとバトンタッチ。渉は“主夫役”、あんは“寄り添う妻”。
あんが「大変だね」「一緒にやろう」と声をかけた瞬間、渉の胸に、妊娠初期に寄り添えなかった自分の後悔が一気に蘇ります。
ぬいぐるみを抱いたまま、渉は涙をこぼして号泣。これまで積み重なってきた後悔、愛情、別れの痛みがすべて混ざった“20年分の涙”でした。
キッチンカー再オファーと、「現実を動かしたハッピーエンド」
なおしほのもとに熊さんから連絡があり、「買わなくていい、無理のない範囲で月レンタルでどうか」と新提案が届きます。永島家に戻ると、住人たちはゆずの映画が“現実を動かした”ことを喜び合い、全員で熊さんの店へ偵察へ。
最後は、なおしほを先頭に全員で「よろしくお願いします」と頭を下げ、キッチンカー計画は堂々の“再スタート”。
離婚に向かう小倉夫妻と、夢に向かうなおしほ。終わりと始まりが同じ“ハッピーエンド”の言葉の下で静かに交差し、7話は温かい余韻を残します。
小さい頃は、神様がいて7話の感想&考察。

7話は、とにかく胸に刺さる回でした。
タイトルどおり「ハッピーエンド」を正面から扱うのですが、それは“きれいごとで全部うまくいく大団円”ではなく、現実を少しだけマシな方向へ動かすためのハッピーエンドを描いた回。だからこそ、優しさと痛みのバランスが絶妙で、見終わってもしばらく余韻が残ります。
ここからは、気になったポイントをいくつかに分けて語っていきます。
順の告白が突きつけた、「子どもは何も知らないわけじゃない」
おでんパーティーで、順が「小さい頃から離婚の約束を知っていた」と明かすシーン。今回もっとも心を揺らした場面でした。
順は、ずっと“空気を読む長男”。消防士という職業柄、誰かが困っていれば自然と動き、場を明るくするのも上手い。そんな彼が、幼い頃から家族の“解散予定”を知りながら、中心で笑っていた──この事実の重さ。
ここには、
「子どもは何も分かっていない」という大人の幻想への鋭いカウンターがあります。
- 子どもは親以上に空気を読み、感情のゆらぎを察している
- でも言語化できず、抱え込んでしまう
順は、それをずっと胸にしまい込み、それでも「愛されないとは思わなかった」「僕はこの家族が大好きだ」と言ってくれる。親の罪悪感をそっと和らげるような優しさ。
視聴者のリアクションでも「順が良い子すぎて苦しいほど泣いた」という声が多く、劇中の家族だけでなく、画面の外にいる僕らまで救ってくれた告白でした。
ゆず監督の映画──“物語が現実を動かす”というテーマ
7話のもうひとつの柱が、ゆずが撮った“ハッピーエンドの映画”。
なおしほがキッチンカー購入を断念した現実の前で、ゆずが選んだのは
「買えないなら借りる/みんなで作品を作る」
という柔軟で前向きな発想でした。
そしてその映像が、熊さんの「あんたたちにぜひ使ってほしい」という新提案を引き寄せる。まさに、
物語が現実を動かし、動いた現実がまた誰かの物語になる。
そんな循環を、たった一日の撮影で見せてくれたのが7話です。
- なおしほにとっては「夢を見る権利はまだある」という灯火
- 熊さんにとっては「この二人なら託せる」という理由
フィクションと現実が往復する構造は、岡田惠和作品らしい優しさが詰まっていました。
永島家のままごと──夫婦にとっての「最後のリハーサル」
個人的に7話の“核心”だと思った場面が、ままごとシーン。
子どもの「次は大人の番!」という無邪気な提案から、渉とあんが“理想の夫婦”を演じることになる。渉は主夫役として赤ちゃんのぬいぐるみを抱え、家事に挑戦。その姿は、「本当はこうありたかった自分」を無意識に再演しているようにも見えます。
妊娠初期のあんに「俺が頑張るから」と言ったのに、実際は仕事も家庭もうまくいかず、あんに負担ばかりかけてしまった過去。あの頃、言えなかった感謝や謝罪。それらが小さな“ままごと”の中で再生されてしまう。
あんが自然に「一緒にやろう」と寄り添った瞬間、渉の胸の奥に積み重なった後悔と愛情が一気にあふれ、涙となってこぼれる。
- 過去の自分への悔しさ
- 今さら気づいた愛おしさ
- 別れに向かう痛み
すべてが混ざりあった涙でした。
ままごとは、本来子どもの遊びのはずなのに、この回では「夫婦にとっての最後のリハーサル」のように機能していて、視聴者の心にも深い余韻を残しました。
なおしほのハッピーエンド──“現実的だけどちゃんと夢がある”
なお&志保のキッチンカーの流れも素晴らしかった。
勢いで支払った手付金を手放し、現実的に判断して一度は諦める。それでも人に依存せず“自分たちで考えたい”という姿勢を崩さない二人。そして最終的に、
「買う」のではなく「借りる」ことで夢を継続させる
という、夢と現実のちょうど中間地点に着地する。
小倉夫婦が“別れの準備”を進めている一方で、なおしほが“未来の形”を更新していく。この対比が7話の構造をとても美しいものにしていました。
离婚を“終わり”ではなく、形を変えた愛として描く脚本
7話では、ドラマが一貫して
「離婚=不幸ではない」
という視点で描かれているのがよく分かります。
渉はあんのこれからの生活を守ろうとし、生活費のメモまで準備する。
あんも渉を責めるのではなく、「一緒にやりきれなかった痛み」を抱えつつ、彼の選択と向き合おうとしている。
岡田惠和の脚本は、“別れても不幸ではないふたり”を描くのが本当に巧みで、今回もその強みが前面に出ていました。
もちろん視聴者としては「まだやり直せるのでは?」と思ってしまう。SNSでも「本当に離婚するの?」という声が多い。でも同時に、「たとえ別れても、この夫婦には優しい余韻が残るはず」という信頼感も広がっています。
7話が整えた“最終章への地ならし”
7話までで、最終章に向けた要素がすべて揃いました。
- 子どもたちが“約束”をどう受け止めてきたかが可視化
- なおしほの夢が一度壊れ、別の形で再構築
- 永島家という“理想の家族”を対比として配置
- 渉が過去の自分と真正面から対峙
大きな事件は起きていないのに、物語の空気が一気に変わる“静かなターニングポイント”でした。
7話が残したのは、“悲しみ”ではなく“希望”
7話を見終えると残るのは、
涙の後にしずかに宿る 「自分も誰かのハッピーエンドを少しだけ動かせるかもしれない」
という希望。
この回の柔らかい余韻こそ、タイトルにもある“神様”のような優しさなのだと思います。
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