MENU

こちら予備自衛英雄補?!(こち予備)10話(最終回)のネタバレ&感想考察。コンプレックスで地球を救った7人の結末

こちら予備自衛英雄補?!(こち予備)10話(最終回)のネタバレ&感想考察。コンプレックスで地球を救った7人の結末

最終話「コンプレックスが地球を救う!?」は、小天体の地球衝突という最大の危機を前に、これまで会議室の中でぶつかり合ってきた予備自の7人が、ようやく同じ方向を向く回です。

ナガレたちは天文台へ急ぐものの、途中で警察に止められ、到着した時には残り時間はわずか。しかも小天体を動かす鍵になるチュータは、命に関わるほどの痛みを前に「やっぱり嫌だ」と口にし、最後の局面でも“立派なヒーロー”にはなりきれないまま追い込まれていきます。

この記事では、ドラマ「こちら予備自衛英雄補?!」第10話(最終回)の内容を、結末まで含めて時系列でまとめます。ナガレがなぜ身代わりを買って出たのか、ミズノ・サピピ・ユタニ・フジワラたちの能力がどうつながったのか、そして地球を救ったあとに7人がどんな結末を迎えたのかを整理していきます。未視聴の方はネタバレにご注意ください。

目次

こちら予備自衛英雄補?!(こち予備)10話(最終回)のあらすじ&ネタバレ

こちら予備自衛英雄補?!(こち予備)10話(最終回)のあらすじ&ネタバレ

最終話「コンプレックスが地球を救う!?」は、小天体の地球衝突という最大の危機を前に、会議室の中で燻っていた7人がようやく同じ方向を向く回だった。

フリーターのナガレ、痛みを移せるサエ、能力を使うには激痛が必要なチュータ、融合転生のユタニ、時間停止のサピピ、最大跳躍のフジワラ、自在操糸のミズノという、どう考えても噛み合わなそうな面々が、最後の最後で全部つながる。

これまで“しょぼい”“使いづらい”と見えていた力が、ここへ来て一つ残らず必要になる構成がかなり鮮やかだった。10話の核心は、強いヒーローが世界を救う話ではなく、コンプレックスだらけの7人が、自分の欠けた部分ごとつながった時にだけ地球を救えたという結末にある。ヒーローものの最終回なのに、派手さより「やっとこの人たちは仲間になれた」という実感のほうが大きく残る回だった。

ここからは、10話で起きたことを順番に追っていく。

小天体衝突を止めるため、7人は天文台へ急行する

物語の始まりから、状況はかなり切迫している。ナガレたちは小天体の地球衝突を阻止するため、車を飛ばして天文台へ向かっている。

ここにはもう会議室の密室感はなく、ようやく外へ出た予備自が、現実の危機へ真正面から走り出しているという解放感も少しある。けれどその解放感はすぐに焦りへ変わる。タイムリミットは迫り、誰かが迷っても立ち止まってもいいような余白はほとんど残っていない。

10話の冒頭が良いのは、これまで散々グダグダしていた7人が、もう“行くしかない”場所まで追い込まれた状態から始まることで、最終回らしい加速が最初の数分で一気に出るところだった。この時点で、会話劇として積み上げてきたドラマが本当に最後の実戦へ入ったのだと分かる。

しかも相手は、悪の組織でも怪獣でもなく、小天体という逃げ場のない自然の脅威だ。7人がこれまで向き合ってきたのは、自分の能力へのコンプレックスや、予備自という中途半端な立場に対するいら立ちだった。けれど最終話では、そうした内向きの悩みが一気に外の世界へ押し出される。

自分のコンプレックスを抱えたままでも、いま目の前にある危機へ何かしなければいけないという強制力が働く。だから10話の最初の走り出しは、地球を救いに行くというより、7人がもう自分の悩みだけを見ている段階を終えたことを示すスタートにもなっていたその意味で、この急行シーンはかなり大事だったと思う。

スピード違反で警察官に止められ、ナガレは驚きの行動に出る

天文台を目指して急ぐ車は、しかし途中でスピード違反を理由に警察官へ止められてしまう。

世界の終わりに向かって走っているのに、目の前にあるのはあまりにも現実的な「速度違反」という日常のルール違反で、ここはいかにもこのドラマらしいズレ方だった。ナガレたちの危機は宇宙規模なのに、止める側の理屈はあくまで普通の交通取り締まりのまま進む。

そのギャップが、最終話でもまだこの作品のコメディ感を残している。小天体衝突直前なのに警察に止められるという間の悪さが、このドラマの“密室会話劇っぽさ”を最後まで失わせず、緊迫と脱力のバランスを保っていた。ただ、ここでのナガレはもう笑ってやり過ごすだけの男ではない。

ナガレはこの場面で、車のドアを開けて警察官を突き飛ばし、そのまま逃走する。嘘をつけないから恋愛も就職も失敗してきた男が、最後に取る行動がこんなにも強引なのはかなり意外だ。

でも、だからこそ私はここでナガレの成長を感じた。ルールを守って正しくいることと、目の前の命を救うことがぶつかった時、彼は初めて“正しさの形”を変えることを選んだのだと思う。嘘がつけずにまっすぐすぎたナガレが、最終話では正論の人ではなく、守るためなら泥をかぶる人になっていたのが、この一瞬だけでもはっきり分かった。この突き飛ばしは乱暴なのに、ヒーローになる覚悟として妙に納得感があった。

なんとか天文台へ着いた時には、残り時間はほとんどなかった

警察を振り切って天文台へたどり着いたものの、その時点でタイムリミットまでは残り数分しかなかった。

ギリギリ間に合ったという安堵より、ここから失敗したらもう終わりだという緊張のほうがずっと強い。会議室の中で何度も議論してきた彼らが、ついに能力を現実のミッションへ使うその瞬間が目の前に来ている。

にもかかわらず、ここで最初に出るのはヒーローらしい雄叫びではなく、チュータの「やっぱり嫌だ」という本音だ。10話がうまいのは、最終決戦の入り口で“やるぞ”ではなく“やっぱり嫌だ”を置くことで、この物語が最後まで立派なヒーローの話にはならないと示したところだった。コンプレックスを抱えた人間が主役のドラマとして、ものすごく筋が通っていたと思う。

チュータの能力は小天体を動かせる可能性を持っているが、それを発動するには命に関わるほどの激しい痛みを伴う。もともと恵まれたお坊ちゃんとして育ち、痛みや挫折から遠い場所にいたチュータにとって、それは能力の使用ではなく、ほとんど自傷に近い恐怖だ。

だから彼が土壇場で拒否するのは、逃げでも裏切りでもなく、ごく普通の人間の反応として見える。私はここで、チュータが最後まで“怖いものを怖いと言える人”として描かれたのがよかったし、その弱さがあるからこそナガレの次の決断も強く見えたのだと思う。立派に覚悟を決めるチュータより、怯えて言い淀むチュータのほうがずっとリアルだった。

ナガレは「俺が身代わりになる」と言い切る

チュータが能力使用を拒否した時、ナガレは迷わず「俺がチュータの身代わりになる」と言い出す。

しかもそれは、根性で我慢するという話ではなく、サエの能力でチュータが受けるはずの痛みを自分へ移せという提案だ。ナガレは、怖がっているチュータを責めもせず、説得もしないまま、痛みのほうを引き取る側へ立とうとする。

ヒーローらしい自己犠牲に見えて、実際にはもっと泥臭く、相手の弱さを丸ごと認めたうえで自分が引き受ける形になっている。この場面のナガレがかっこいいのは、チュータに勇気を強要するのではなく、「怖がるならお前のぶんは俺が持つ」と決めたところにある。ナガレは最初から強かったわけではなく、最後にやっとこういう強さへ辿り着いたのだと分かる。

ナガレ自身もコンプレックスだらけで、母と引き離された過去や、嘘がつけないせいで社会からこぼれてきた人生を抱えている。だからこそ、この“他人の痛みを引き受ける”という選択に妙なリアリティがあった。

立派だからではなく、痛みを背負うことにどこか慣れてしまっている人の覚悟にも見えたからだ。私はこのシーンで、ナガレが主人公として一番強く見えたのは、地球を救う大義のためではなく、「目の前の仲間が嫌がっていること」を自分の問題として抱え込んだからだと思った。ヒーローらしさが急に生まれたのではなく、人間くささがそのままヒーロー性に変わった瞬間だった。

薙刀を構えた瞬間、追ってきた警察官に銃を突きつけられる

ナガレがチュータへ薙刀を向け、痛みを移すための準備をしようとしたその時、追ってきた警察官たちが到着し、彼らへ銃を突きつける。

命を懸けた能力発動の直前に、国家のルールそのものを体現したような存在に止められる構図がかなりいやらしい。予備自の7人は地球を守ろうとしているのに、世間から見ればただの逃走犯にしか見えていない。そのすれ違いが、このドラマの悲喜劇っぽさを最後にもう一度強くしていた。小天体の危機と警察の銃口が同時に迫ることで、7人は“ヒーローになろうとする人たち”ではなく“どこにも理解されないまま動くしかない人たち”として最終局面へ追い込まれる。そこがかなりしんどかった。

ここで一気に、能力の連携だけでなく、現場の混乱と即興性が必要になる。予備自の面々は計画通りのヒーロー活動なんて最初からできない人たちだったけれど、最後までその即席さは変わらない。

むしろ土壇場の混乱の中でしか能力を噛み合わせられない感じが、このチームらしい。10話の緊張感は、完璧な作戦遂行ではなく、“全員が不完全なまま瞬時に噛み合うしかない”ところから生まれていて、それが予備自という存在の本質に見えた。きれいなヒーロー隊ではなく、やっと同じ方向を向いた寄せ集めだからこその熱さがある。

ミズノの自在操糸が、最後の連携の口火を切る

残り時間が一分になり、もうどうしようもないように見えた瞬間、最初に動いたのがミズノだった。彼は自在操糸の能力で警察官たちの動きを封じ、場の主導権を一気に引き寄せる。

これまでプライドが高く、人を見下したり、自分の能力のせいで誤解されることに苛立ったりしていたミズノが、最後はその能力を真正面からチームのために使う。ミズノの糸が最終話で効いたのは、単に便利な能力だったからではなく、ずっと“気持ちよくは使えなかった力”が、ここで初めて迷いなく役立ってしまうからだ。それがものすごく気持ちよかった。

しかもこの自在操糸は、それ単体で世界を救うような派手な力ではない。あくまで相手を止め、次の人へつなぐ能力として機能する。だからこそ、このドラマの最終回にすごく合っていたと思う。

“決定打ではないけれど、これがないと何も始まらない能力”を最初に置いたことで、10話は最後まで誰か一人の無双ではなく、連携でしか成立しない決戦として流れを作っていた。その最初の一歩をミズノが担ったことにも意味があった。

サピピが銃を奪い、フジワラが引き金を引く混沌が始まる

ミズノが警察官たちの動きを封じたあと、今度はサピピが銃を奪い取る。

さらにフジワラがその引き金を引くという、とてもヒーローらしいとは言えない混沌とした展開が続く。きれいに悪を制圧するのではなく、老人もギャルも全員がその場の流れで無茶を重ねていく。そこにこの作品らしい雑さと勢いが詰まっていた。

私はここを見ていて、最終決戦なのに誰もスマートに戦わないところが本当に好きで、“この人たちにしかできない助かり方”という感じが最後まで崩れなかったのが嬉しかった。ヒーローの整ったフォーメーションより、人生で一度も噛み合わなかった人たちの即席連携のほうがずっと面白い。

サピピとフジワラは、年齢も価値観も普段の生活もまるで違う。けれどこの最終話では、その違いが笑いになるだけでなく、まっすぐ“役割の違い”として機能する。

サピピは咄嗟の判断力、フジワラは極端な身体能力で、場を前へ押し出していく。若さと老い、軽さと頑固さみたいな正反対のものが、最終決戦ではちゃんと同じ方向へ力を出すから、10話の連携には妙な感動がある。このドラマがずっとやってきた「バラバラな人間が同じ部屋に閉じ込められる」面白さが、最後に一番いい形で実を結んでいた。

チュータが撃たれ、サエは痛病置換を使うしかなくなる

銃をめぐる混乱の中で、チュータは撃たれてしまう。能力の使用そのものを怖がっていた彼が、結果として物理的な痛みまで負うことになる流れはかなり残酷だった。

ここでサエは、ためらう暇もなく自分の痛病置換を使い、チュータの痛みを別の誰かへ移す。ずっと人と関わらないようにしてきた能力が、最後に真正面から仲間を救うための力として使われるサエの能力がこの最終話で一番刺さるのは、呪いみたいだった力が、ここで初めて誰かを助けるための選択として使われたからだった。サエ自身の自己否定まで少しほどけたように見えた。

ただし、その痛みはサピピへ移ってしまう。つまりサエの能力は万能の救済ではなく、誰かを助けると必ず別の誰かにしわ寄せが行くという、最後まで面倒な力のままだ。その不完全さが私はすごく良かった。

10話のサエは、完全に問題を解決するのではなく、“誰かを救うために別の誰かへ痛みが渡る”という現実ごと引き受けて能力を使っていて、それがこのドラマの誠実さに見えた。都合よく奇跡にしないところが、この作品の良さだったと思う。

サピピの痛みを前に、ユタニは咄嗟に融合転生を選ぶ

サエの能力によってサピピへ痛みが移ったその瞬間、ユタニは咄嗟にサピピとの融合転生を行う

トラック運転手で筋肉ムキムキの中年男と、推し活命の高校生ギャルが一つになるという絵面の異様さは、このドラマのコメディ感を最後に最大まで押し上げていた。けれど笑えるだけではなく、ここにはユタニがサピピの痛みを見過ごせなかったという情の深さも入っている。融合転生が最後に効くのは、奇抜だからではなく、年齢も価値観も違いすぎる二人が“いまこの瞬間だけは完全に一つになる”という、最終話にふさわしい象徴になっていたからだ。この変な技が泣けるところまで行くのがすごい。

ユタニはずっと暑苦しくて筋肉で押し切るようなキャラクターに見えたが、その実、誰かを守る時に一番迷わない人でもあった。サピピもまた、ギャルっぽい軽さの裏で、かなり仲間思いで、場の空気を変える役を担ってきた。最終話でこの二人が一つになるのは、ただの必殺技ではなく、“軽く見えた人たちのやさしさ”が最後に一番大きく働いたという証明にも見えて、私はかなり好きだった。笑いと熱さを同時に成立させる、このドラマらしい見せ場だったと思う。

フジワラは最大跳躍で、最後の一手を担う

そしてフジワラは、自分の最大跳躍の能力を使って上空まで一気に飛び上がる。

86歳の無職で、気持ちが高揚すると50メートルほど跳んでしまうこの力は、これまでずっと制御しづらく、ただの厄介なクセとして扱われてきた。けれど最終話では、その制御不能な跳躍がむしろ必要なピースになる。おばあちゃんの無茶苦茶な一発が、地球規模の危機の最後の工程へつながるのだ。

フジワラのジャンプが効くのは、若くもなくスマートでもない人の“抑えきれない力”が、最後に誰よりも高く飛ぶという逆転の気持ちよさがあるからだった。このドラマの価値観が一番よく出ている場面の一つだと思う。

フジワラはもともと人を信用せず、口も悪いし、社会の側から見れば扱いづらい存在だった。それがここでは、体制の外側にいたからこそ持っている暴れ方で危機を突破する。若くて素直で優秀な人ではなく、頑固で扱いづらくて孤独だった老人が、最後に必要不可欠な戦力になるところに、このドラマの“コンプレックス肯定”がきれいに出ていた。最終話でフジワラがちゃんと飛ぶのを見て、ここまで見てきて良かったとかなり素直に思った。

小天体の衝突は阻止され、世界は救われる

こうして予備自の面々は、それぞれの能力を即興でつなぎながら、小天体の地球衝突を阻止することに成功する。

誰か一人が決定打を放って世界を救うのではなく、一人ひとりの欠点みたいに見えていた能力が噛み合った結果として、ようやくミッションが成立する。この結末は最初から最後まで、このドラマがどんな話だったかをそのまま示していた。世界を救ったのが“選ばれし才能”ではなく、“使いづらい能力を抱えたどん底の7人”だったという結末こそ、『こち予備』の最終回にいちばんふさわしかったと思う。ヒーローものとしても、群像劇としても、かなり気持ちのいい着地だった。

しかもその成功は、完璧な勝利というより、ギリギリの偶然と覚悟の積み重ねで勝ち取ったものに見える。だから変に遠い話にならず、7人の人間っぽさが最後まで残る。私はこの世界救済が好きで、正義の勝利というより、“コンプレックスを抱えたままでもやる時はやれる”という小さな肯定が、地球規模まで拡張されたような感じがした。それがこのドラマの終わり方として、とてもやさしかった。

ミッション後、予備自の7人は全員逮捕される

地球を救ったあと、予備自メンバーはあっさり警察に逮捕される。

ヒーローとして称賛されるのではなく、まず現実のルールの側で裁かれるというオチが、この作品の最後の最後まで“会議室ヒーロー×密室コメディー”の感覚を守っていて面白い。世界を救ったのだから全部免除、というふうにしないところが、いかにも『こち予備』だった。命懸けで地球を救っても普通に逮捕されるという終わり方は、ヒーロー神話を少しずらし続けてきたこのドラマが最後までブレなかった証拠みたいで、私はかなり好きだった。

この一度の逮捕によって、彼らのヒーロー活動は秘密裏のまま、でも確かに現実へ痕跡を残したものになる。大げさな表彰や記者会見が入らないぶん、彼らの功績はどこか“知る人だけが知っている”形で留まる。

最後に逮捕されるからこそ、予備自の7人は世界を救ったあとも突然神格化されず、あくまで地続きの普通じゃない人たちとして残り続けるのだと思う。それが続編の余白みたいにも見えて、いい終わり方だった。

その後は釈放され、予備自は同じ7人で続いていく

逮捕された予備自メンバーは、その後無事に釈放される。そして何より大きいのは、予備自というプロジェクト自体が無事に成立し、同じ7人で活動を続けていくと示されたことだった。

世界を救って解散でもなく、誰かが消えて終わるでもなく、この面倒でおかしな7人がそのまま続いていく。ここに私はかなり救われた。最終話のラストが一番良かったのは、地球を救った“その後”に、7人がまだ一緒にいる未来までちゃんと残してくれたところだった。ヒーローものなのに、勝利そのものより「この人たちまだ続くんだ」のほうがうれしい終わり方になっている。

視聴後には「みんな助かって本当に良かった」「この7人で予備自を続けられるのが最高」といった安堵の声も出ていた。最終決戦の派手さだけで終わらず、仲間として続いていく余韻が多くの人に刺さったのだと思う。

私はこの終わり方を見て、7人がやっと“地球を救うために集められた人たち”から“このメンバーで続けたいチーム”へ変わったのだと感じたし、それが最終回のいちばん大きなご褒美だった。こういう着地だから、最後までこのドラマらしかった。

こちら予備自衛英雄補?!(こち予備)10話の伏線

こちら予備自衛英雄補?!(こち予備)10話の伏線

最終話なので大きな謎はだいたい回収されるけれど、10話には“終わり方の意味”として残る伏線がかなり多かった。

私はこの回を見ていて、何かを先延ばしにするための仕掛けというより、このドラマが最後に何を大事にしたのかを示すための線がきれいに残された最終回だと感じた。とくに大きかったのは、ナガレの変化、サエの能力の意味の変化、そして7人が続いていくこと自体が、全部“コンプレックスが地球を救う”というタイトルの回収になっていたところだと思う。派手な謎解きは終わっても、余韻として残る問いはちゃんと置かれていた。

ここでは、その中でも特に終盤に効いていた五つの線を整理していく。

どれも最終話単体の見せ場に見えるけれど、前の話数からの積み上げを思い返すとかなり大きい。私は10話の伏線を見ながら、この作品が最後に回収したのは能力の強さではなく、“その能力を持った人が自分をどう見ていたか”のほうだったのだと強く感じた。その見方で整理すると、最終話がかなり深く読める。

ナガレの「正しさ」は、最終話で初めて形を変えた

ナガレは嘘をつけないせいで恋愛も就職も失敗続きだった男として始まった。浮かないように正直でいるしかなかった彼は、ずっと“自分が正しいままでいること”に縛られていたとも言える。ところが最終話では、スピード違反で止められた時、彼は警察官を突き飛ばしてでも前へ進くことを選ぶ。この行動は乱暴だけれど、ナガレが初めて「正しさを守ること」より「守るべきものに間に合わせること」を選んだ瞬間として、主人公の成長をかなり象徴していた。最終話のナガレは、正論の人ではなく、責任を引き受ける人へ変わっていた。

しかもそのあと、チュータの痛みを自分へ移せと言う展開まで含めると、ナガレの変化は一本の線でつながって見える。自分が傷つかない形の正義ではなく、ちゃんと痛い形の正義を選べるようになったのだと思う。私はこの最終話のナガレを見ていて、最初からヒーローだった人ではなく、コンプレックスだらけのまま“ヒーローになるしかない瞬間”を迎えた人だからこそ刺さるのだと感じた。この成長があったから、最終話全体にも芯が通った。

サエの痛病置換は、呪いから“選んで使う力”へ変わった

サエの能力はこれまでずっと、人と距離を置かせる呪いみたいなものとして描かれてきた。誰かの痛みや病を別の人へ移してしまうからこそ、近づきたくても近づけず、理屈で武装するしかなかった。ところが最終話でその力は、チュータを助けるために迷いなく使われる。もちろん誰かにしわ寄せが行く不完全な能力のままだが、逃げるためではなく救うために自分で選んで使った意味は大きい。この使い方の変化によって、サエの能力は初めて“彼女を孤立させる理由”から“仲間の中で役割を持てる力”へ意味を変えたのだと思う。そこがかなり熱かった。

私はこの線が、このドラマのコンプレックス観を一番よく表している気がする。能力そのものが急にきれいなものへ変わるのではなく、不完全で面倒なままでも、誰かのために選び取れば役割になる。サエの最終話は“コンプレックスを克服した”ではなく、“コンプレックスを持ったままでも仲間の中で使える”という答えになっていて、それがものすごく誠実だった。無理にポジティブ変換しないところが、このドラマらしかったと思う。

しょぼく見えた能力が、最後の一分で全部必要だった

ミズノの自在操糸、サピピの機転、ユタニの融合転生、フジワラの最大跳躍。どれも単体で見ればクセが強く、場合によっては笑いのネタにされてきた能力ばかりだった。

それが最後の一分では、一つ抜けても成立しない形でつながっていく。しかも決定打が誰か一人の超能力ではなく、リレーみたいに役割を渡し合うことで成立するのがとてもいい。最終話の連携は、能力の強弱ではなく「この能力を持っているのがこの人でよかった」と思わせる構成になっていて、だから見ていてすごく気持ちよかった。7人全員の存在理由を最後にまとめて肯定していた。

これは単なる“全員見せ場がある最終回”ではない。もっと重要なのは、それぞれの能力の欠点や持ち主のコンプレックスまで含めて役立つ形になっていることだ。私はここを見ていて、このドラマが最後に言いたかったのは「誰にでも役割がある」より、「役立たずに見えるものほど、つながった時にしか出せない力がある」なのだろうと感じた。予備自という名前のまま終わらず、この7人でなければ駄目だったと証明したラストだった。

逮捕と釈放を挟んで、7人が続く未来が残された意味

地球を救ったのに一度ちゃんと逮捕され、その後釈放される流れは、笑いのオチとしても機能していたけれど、私はそこにかなり大きな意味を感じた。世界を救ったからといって突然別世界のヒーローになるのではなく、彼らは最後まで現実の中で面倒なまま、社会から少しズレた人たちとして残る。けれどそのうえで、予備自として同じ7人が続いていく。この“逮捕されても終わらない”着地によって、予備自の物語は一回きりの奇跡ではなく、まだ続いていく日常の延長として残されたのだと思う。だから見終わったあとに妙な安心感がある。

視聴後にも「この7人で予備自を続けられるのが最高」という声が出ていたのは、その余韻がちゃんと届いたからだろう。世界を救うより、“この人たちまだ一緒にいるんだ”のほうがうれしい最終回って、かなり珍しい。私はこの終わり方を見て、こち予備は結局、能力者の物語というより“この7人がチームになるまで”の物語だったのだと腑に落ちたし、だからラストの釈放後の余韻が一番大事だったのだと思った。最終回の締め方としてかなり好きだった。

続きが見たくなる余白まで含めて、最終話らしかった

キャストのコメントでも「もうちょっとやりたかった」「シーズン2を楽しみにしたい」といった言葉が出ていて、現場そのものがまだ終わり切っていない熱を持っていたことがうかがえる。

もちろん続編が決まっているわけではないが、同じ7人で活動を続けるエンディングと重なると、物語の余白としてかなりきれいに感じられる。最終話で全部を閉じ切らず、「この人たちのやり取りをまだ見ていたい」と思わせる形で終わるのは、こち予備というドラマの人間的な魅力が最後に勝った証拠のように思えた。それはかなり幸福な終わり方だった。

私はこの余白があるからこそ、最終回の満足感が高かった。

何もかも説明されるより、世界を救ったあとも面倒な7人がまだ会議室に戻ってきそうな気配があるほうが、この作品らしい。終わったのに“また来週もありそう”な手触りを残したこと自体が、この最終回の最後の伏線みたいなものだったのかもしれない。それくらい、終わり方まで含めてよくできていた。

こちら予備自衛英雄補?!(こち予備)10話の感想&考察

こちら予備自衛英雄補?!(こち予備)10話の感想&考察

最終話を見終わって私に一番残ったのは、こんなにバカバカしくて変な設定のドラマだったのに、最後はちゃんと“この人たちが好きだ”で押し切られたことだった。ナガレもサエもチュータも、最初はとてもヒーローに見えなかったし、見せ方としても明らかにそう作られていたと思う。でも10話では、その“ヒーローらしくなさ”がそのまま最終回の魅力になっていて、私はそこがこの作品のいちばん強いところだったと感じた。誰一人きれいに完成しないまま終わるのに、ちゃんと胸が熱くなる。そこがかなり好きだった。

しかもこのドラマは、最後まで“強い奴が勝つ”とか“正しい奴が救う”みたいな単純な話にしなかった。会議室の中で延々もめていた人たちが、土壇場になってもやっぱり完璧にはなれない。けれど完璧じゃないからこそ、他人の弱さを責めずに済むし、自分が引き受けられるところまで引き受けようとする。私は10話を見ていて、こち予備が最後に描いたのはヒーローの誕生というより、“欠けた人たちが、欠けたまま並ぶことの強さ”だったのだと強く思った。そういう終わり方だから、ただのギャグドラマでは終わらなかった。

ナガレの主人公感は、かっこよさより“背負い方”に出ていた

ナガレって、いわゆる王道ヒーローみたいな絶対的カリスマとはかなり違う主人公だったと思う。嘘がつけないから不器用で、社会でも浮いて、明るいのにどこか痛々しい。それが最終話では、警察官を突き飛ばし、チュータの痛みを引き受けると決めることで、一気に主人公らしく見える。でもそのかっこよさは、スマートな強さではなく、かなり泥臭い。私はナガレの良さって、正義のために立つことより、“目の前で嫌がっている仲間のぶんまで背負おうとするところ”にあるのだと、この最終話で一番よく分かった。だから見ていて熱くなるのだと思う。

しかもナガレは、他人の弱さを叱咤して立たせるタイプではない。チュータが怖がるなら、そのぶんを自分へ移せと言うだけだ。この押しつけない強さが、私はすごく好きだった。いまの時代のヒーローとして刺さるのは、誰かを鼓舞して前へ出す人より、誰かの痛みを理解したうえで一緒に泥をかぶれる人なのかもしれないと、ナガレを見ていて思った。最初はダメ男に見えた人が、最後に一番“信じたくなる人”になっていたのが良かった。

サエが最後に能力を使う時の顔が、とてもよかった

サエはずっと、自分の能力のせいで誰かを傷つけてしまう可能性を抱え、人と距離を取ってきた人だった。だからこそ最終話で痛病置換を使う時、その能力が急に美しいものへ変わるのではなく、最後まで危険で面倒な力のままであるのが良かった。サエもたぶん、それを分かったうえで使っている。

この“危ないまま使う”という覚悟に、私はサエの成長をすごく感じたし、能力の使い方ひとつでここまでその人の変化が見える脚本はかなり丁寧だと思った。のんさんの演技も含めて、最終話でかなり好きな部分だった。

しかもサエの力は、誰かを完璧に救う奇跡ではなく、別の誰かへしわ寄せが行くという不完全さを残す。その不完全さを作品が最後まで隠さなかったのが、本当に良かった。

私はこのドラマが、コンプレックスを“実は最高の才能でした”みたいに気持ちよく回収し切らず、“面倒でも厄介でも、それでも使い道はある”と描いたことにかなり誠実さを感じたし、サエはその象徴だったと思う。痛みの扱いが雑じゃなかったのも、かなり好印象だった。

しょぼい能力の寄せ集めなのに、最後はちゃんと泣けた

最終話でみんなの能力がつながっていく流れは、正直かなり笑ってしまうところもある。ケツから糸を出して警察を封じるとか、ギャルとおじさんが融合するとか、86歳のおばあちゃんが飛び上がるとか、字面にするとむしろコントに近い。

それなのにちゃんと泣けるのは、それぞれの能力が“変な設定”としてあるだけじゃなく、その人の孤独や生きづらさと一体化して描かれてきたからだと思う。だから最後に役立つと、そのまま本人が報われたように見える。

私はここが、こち予備の一番すごいところだと感じた。設定だけならふざけているのに、積み上げがあるから最終話ではちゃんと感情が乗る。“能力の見せ場”というより“この人の人生の見せ場”として最後の連携が配置されているから、笑いながら見ていても、いつの間にか「頼む、みんな助かって」と本気で思わされている。コメディと熱さの両立がこんなにうまくいくのはかなり珍しい。

逮捕エンドなのに、こんなに後味がいいのはずるい

普通なら世界を救ったヒーローは拍手されて終わるのに、こち予備はまずちゃんと逮捕させる。そのひねくれ方が最後まで徹底していて、笑ってしまった。

でも、だからこそ“世界を救ったのにまだこの人たちは面倒だ”という感じが残って、それがすごくこのドラマらしかった。ヒーローの勝利を大仰に祝わず、釈放されてまた同じ7人で続いていくところまで見せるから、最終話がどこか日常へ戻ってくる感じになっていて、私はそこにすごく救われた。壮大なのに地に足がついている。

視聴後に「みんな助かって本当に良かった」「この7人で続くのが最高」という声が出ていたのも、本当にその通りだと思った。小天体阻止より、やっぱり7人で残ることのほうがうれしい。私はこのエンディングを見て、こち予備が最後にいちばん守ったのは“地球”というより“この7人の関係”だったのだろうと感じたし、それがすごくいい最終回の条件になっていたと思う。続きが見たくなるのも当然だった。

最終回まで見て、このドラマは“コンプレックス肯定”の話だったと思う

いろいろな見方ができる作品だけれど、私は最終回まで見て、こち予備は結局“しょぼい能力の人たちの逆転劇”ではなく、“コンプレックスを抱えた人が、その抱えたままで役割を持てるようになる話”だったのだと思った。

能力も過去も性格も、誰もきれいにはならない。でもきれいにならないままで、仲間の中に居場所ができる。それって今のドラマでかなり貴重な肯定の仕方で、無理に前向きにしないからこそ、見終わったあとに不思議と元気が残るのだと思う。私はそこがこの作品の一番好きなところだった。

最後までタイトルの言いづらさも含めて変なドラマだったし、加藤浩次さんが原作・脚本・監督を務めた異色作という外側の情報込みでもかなり挑戦的だったと思う。けれど挑戦的だからだけでは終わらず、ちゃんと最後に“この人たちに会えてよかった”で締められた。私はこの最終話を見て、こち予備はたぶん、ヒーロードラマの皮をかぶった“居場所の物語”だったのだと感じたし、その答えを最後の最後まで崩さなかったことにかなり好感を持った。変だけど、ちゃんといいドラマだった。

こちら予備自衛英雄補?!(こち予備)の関連記事

こち予備の全記事のネタバレはこちら↓

過去のお話についてはこちら↓

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

コメント

コメントする

CAPTCHA

目次