第5話で“銀行という制度”を崩した浩一(草彅剛)は、ついに復讐の矢を二科家の中枢——興三(市村正親)へと向ける。

第6話では、隆(藤木直人)との頭脳戦が本格化。
浩一は“偽の千葉陽一”を仕立てて推理を覆し、興三の信頼を揺さぶりながら家族の核心へ迫っていく。
楓(山本美月)との婚約を利用した“監視の共存”、隆の綴りミスから生じる論理戦、そして興三の告白——
「守るべき家のために、他人の家を壊した」という罪の輪郭が浮かぶ。
だがその直後、興三は倒れ、浩一は“地獄を長らえさせるため”に命を救う決断をする。
嘘と真実、復讐と赦しが交錯した第6話は、シリーズの倫理が最も深く問われる回となった。
2017年2月14日(火)夜9時スタートの新ドラマ「嘘の戦争」6話のあらすじ(ネタバレ)と感想を紹介していきます。
※以後ネタバレ注意
ドラマ「嘘の戦争」6話のあらすじ&ネタバレ

第6話のキーワードは「首謀者と激突…暴かれる正体」。
浩一(草彅剛)が二科興三(市村正親)と正面対峙し、隆(藤木直人)との頭脳戦が本格化します。
さらに“偽の千葉陽一”を用意して推理をひっくり返す一方、ラストでは興三が急性発作で倒れるという大転換で幕を閉じます。
以下、時系列で整理しながら、罠の「配置」を可視化します。
昼食会──“顔合わせ”は互いの過去を試す場
浩一は楓(山本美月)の“婚約者”として二科家の食事会に出席。
興三と隆は、浩一の家族の来歴や過去の傷を執拗に掘り下げますが、浩一は「旅先の事故で家族を失った」と完璧な経歴で応戦します。
逆に「二科家に迫る脅威とは?」と探りを入れると、興三は「千葉親子はヒドい嘘つきだが、処理済み」と言い切る。
そして「怒らず追従する人間は嫌いだ」と試しの芝居を打ちながら、婚約を容認。その真意は、“近くに置いて監視する”という冷徹な判断でした。
隆の違和感──“ウーボ/クーボ”の綴りミス
帰り際、浩一が語ったアボリジニの言い伝えの小話に、隆が違和感を抱く。
浩一が口にした少年の名の綴り(「ウーボー」)が、ブログに記された誤記と一致していたのです。
隆は偽装ブログの書き手=浩一だと確信し、浩一も即座に“やられた”と悟ります。そこで彼が取ったのは、“もっと大きな嘘”で上書きする決断でした。
“偽の千葉陽一”──養護施設での正面衝突を回避
隆は児童養護施設の三瓶守(大杉漣)を訪ね、「千葉陽一に会わせてください」と迫ります。そこに現れたのは“千葉陽一”と名乗る別人。
彼は浩一がタイ時代に仕込んだ元詐欺師で、パスポートも用意済み。
隆は本人確認まで取らされ、推理が空転します。
帰り際、三瓶が「二科家には関わるな」と口を滑らせ、浩一は三瓶と二科の接点を嗅ぎ取り、新たな警戒点に置きます。
ハルカと楓──恋と嘘の境界線
その頃、ハルカ(水原希子)は尾行を察知しつつカフェで楓と対話。
「私、嘘は嫌い」と明言する楓に、ハルカは「何があっても信じられる?」と揺さぶる。
楓は「彼の抱える何かを、少しでも楽にしたい」と返し、ケアの倫理で浩一を見守る姿勢を示す。恋と復讐の温度差が、物語の感情コストを静かに高めていきます。
興三の“監視”宣言と六車の影
興三は隆に「危険だからこそ近くに置いて監視する。いざとなれば“六車”を差し向ける」と告げます。
直接排除ではなく、受け入れて見極める統治戦略。初めて“六車”という排除装置の名が具体的に登場し、緊張が一段高まります。
工場予定地での対峙──“生い立ちの村”と急性発作
翌日、興三は浩一を工場建設予定地へ連れ出します。
「昔、ここに村があった。私が生まれ育った土地だ」と自身の貧しい出自を語りつつ、「お前の狙いは何だ」と詰問。
興奮した興三は胸を押さえ倒れ、浩一はその場を去りながら「30年前の報いだ」と呟く。
しかしすぐに立ち止まり、「簡単すぎる。地獄はこれからだ」と引き返して心臓マッサージを施します。
助かったかどうかは次話へ続く——シリーズ中盤の最大転換でした。
まとめ──二重の嘘と二重の山場
(1)“ウーボ/クーボ”の綻びを“偽千葉”で上書き。
(2)興三との対峙から急性発作、そして蘇生。
詐術と倫理の二重構造で、物語の強度が一段と高まった回でした。
ドラマ「嘘の戦争」6話の感想&考察

第6話は「最後まで嘘をつき切った方が勝ち」という本作の信条を、攻守両面で実演してみせた回でした。
ピークは二つ。隆の推理を“偽の千葉”でひっくり返す知的快感と、興三の急変を“見殺しではなく蘇生”で返す倫理の反転です。
以下、主要な論点を三つの軸で掘り下げます。
推理と詐術のキャッチボール──小さな綻びを大きな嘘で上書き
綴りミスという微細な誤りから、隆はブログの書き手=浩一へ辿り着く。
ここまでは隆の勝ち。しかし浩一は“本人”を連れてくるという上位の嘘で、検証プロセスごと逆転させます。
真実よりも“確認の通過”が社会の信頼を生む——その逆説を体現する脚本の構成力が見事でした。
興三の“生い立ち”をこのタイミングで出す意味
「私の家は一番貧しかった」という興三の語りで、悪の動機が「会社」から“家”へと収束します。
5話で描かれた「晃(安田顕)が見張りだった」という告白の延長にあり、構造の悪(政治・銀行)から家族倫理の崩壊へと主題が移行。
“守るべき家”のために他人の家を壊した——その罪を人間的に描くことで、興三の悪はより深く、重く響きます。
蘇生の選択──赦しではなく“地獄を長らえる”倫理
興三を見殺しにするのは最短の復讐。
けれど浩一は「簡単すぎる」と踵を返し、命を繋ぐ選択を取ります。
それは赦しではなく、“生かして地獄を見せる”という冷徹な選択。
復讐の温度を保ちながら、倫理の高さを更新する——この反転がシリーズ中盤の最大の見どころでした。
隆の統治センス──“排除より観察”の理性
興三は「近くに置いて監視する」、隆は「受け入れて見極める」。
即排除に走らず、観察と検証を優先する理性が、最も怖い支配の形として描かれています。この冷静さが、復讐者・浩一にとって最も厄介な“敵の知性”として立ちはだかります。
三瓶守の“口滑り”が示すもの──恩と負債のねじれ
「二科家には…」と三瓶が漏らした一言は、恩人が構造の一部に組み込まれているサイン。
浩一の復讐は、個人の悪だけでなく“恩義”の網も傷つけていく。
そこにハルカや楓といった感情線が交差すると、嘘の副作用はより痛みを帯びていくでしょう。
演出の妙──二重の山場と呼吸の設計
第6話は「理詰めの山」と「情の山」を同居させた回でした。
偽千葉の本人確認を丁寧に描き、観客にも納得を与える一方、終盤では静寂・風音・遠景を使い“見捨てる”緩慢な残酷を作り出す。
その後の反転(蘇生)でカタルシスを生む呼吸の制御が圧巻でした。
総括
“推理の正しさ”よりも“検証の通過”が勝敗を分ける——その冷酷な現実を“偽千葉”で描いた構成が秀逸。
構造の悪から家族の罪へと座標を縮め、興三の罪をより人間的に、だからこそ重くした。そして“見殺しではなく蘇生”を選ぶ復讐者の倫理が、物語の高さを一段押し上げた。
六車という排除装置の影が濃くなり、観察から排除への転換が迫る。
次回、第7話では蘇生の結果、六車の実体、晃線の深化が同時に動き出す。
「嘘は量ではなく配置」——その作法がどこまで通用するのか。シリーズはいよいよ核心へと突入します。
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