独居老人の死は、往々にして「事件ではない」と処理される。第5話「カウントダウン」は、その“処理されてしまう死”の奥に、どれほど深い理由が隠れているのかを描いた回だ。
寺西竹夫の死因は衰弱によるものに見え、誰かが刃物を振るったわけでも、金を奪ったわけでもない。それでも倉石義男は、遺体の状態だけで終わらせず、「なぜ、この人は死ななきゃならなかったのか」という問いを手放さない。
家族との距離、介護の現実、そして“生きる場所”を失う恐怖。飼い犬タロが残した痕跡を辿るうちに、寺西が選んだ最期は偶然ではなく、強い意思の結果だったことが浮かび上がっていく。この回は、殺意よりも孤独が人を死へ追い込む現実を、静かに、しかし重く突きつけてくる。
※この記事は、ドラマ「臨場 続章」第5話「カウントダウン(~タロが報せた死)」の結末までのネタバレを含みます。未視聴の方はご注意ください。
ドラマ「臨場 続章」5話のあらすじ&ネタバレ

第5話「カウントダウン(~タロが報せた死)」は、“事件かどうか”より先に、“なぜ死ななきゃならなかったのか”を突きつけてくる回だ。独居老人の死をきっかけに、家族、介護、そして「生きる場所」を巡る痛みが浮き彫りになっていく。ここでは物語の流れを追いながら、結末まで含めて整理していく。
捜査一課への異動話が、一ノ瀬の足元を揺らす
物語の冒頭、一ノ瀬和之に「捜査一課へ戻らないか」という打診が入る。鑑識課で検視官心得として現場を積み、倉石義男の背中を追いかけてきた一ノ瀬にとって、それは“栄転”というより“原点回帰”に近い。刑事として走る自分を望む声がある一方で、ここ2年で身につけた“見立て”を手放すような感覚もある。答えを出し切れないまま、彼の胸は小さくざわついたままだ。
この回は、そんな一ノ瀬の揺れを「卒業試験」という形で物語に組み込んでくる。検視の技術だけでなく、倉石がずっと口にしてきた“死人の声を聞く”という姿勢を、一ノ瀬が身につけたかどうか――そこが問われる。
独居老人・寺西竹夫の死体発見、所轄は「事件じゃない」と言う
臨場要請で向かった先は、独居老人・寺西竹夫の自宅。所轄(葛飾南署)の刑事・佐藤は最初から「事件性はない」と言い切り、現場を早く畳みたがる。検視依頼も“制服警官が騒ぎを大きくしてしまったから仕方なく”という空気で、現場の温度はかなり低い。
倉石、留美、一ノ瀬が現着し、検視が始まる。遺体は居間のソファ、いわゆる“指定席”で横になっていた。外傷は目立たず、極度の栄養不良と脱水が疑われる。駆けつけた娘の太田佐知子と江原春恵は、父に高血圧と糖尿の持病があり、右足も不自由だったと説明する。さらに週に一度、訪問介護のヘルパーが身の回りの世話に来ていたという。ここまで揃うと「衰弱死」「孤独死」と片付けたくなる材料が並ぶ。
なお、発見のきっかけには飼い犬タロの存在が絡む。“タロが報せた死”という副題が示す通り、この犬がいなければ寺西の死はもっと遅く、もっと違う形で扱われていたかもしれない。
一ノ瀬の見立ては“事件性なし”、だが倉石は問いを変える
倉石は今回、あえて一ノ瀬に主導を任せる。見立ては「衰弱による臓器不全」。事件性はなし。つまり“孤独死”として処理できる――一ノ瀬はそう結論づける。
しかし倉石は、死因の説明を聞いたうえで、別の質問を投げる。
「なぜ、死なきゃならなかったんだ?」
この問いの厄介さは、医学的な説明だけでは答えが閉じないところにある。持病があっても、衰弱しても、人は必ずしも死なない。誰かが助けられたかもしれない。あるいは本人が“助けられない形”を選んだのかもしれない。倉石の視線は、死体から“生きていた時間”へ伸びていく。
飼い犬タロが元気すぎる、餌と水が残された“出来すぎた状況”
倉石が最初に引っかかったのは、寺西の飼い犬・タロだった。発見が遅れたはずなのに、犬が衰弱していない。むしろ元気に動き回っている。
庭を見ると、水道の栓がひねられていて、バケツに水が溜まるようになっている。ドッグフードの袋も破れていて、中の餌が食べられる状態だ。一見すると「犬が自力で生き延びた」ように見える。だが倉石は破れ方を見て“それは犬の仕事じゃない”と断じる。水も餌も、あまりに都合よく残されている。つまり、誰かが“犬のために”環境を整えた”ように見える。
さらにタロは、娘たちには吠えるのに、ヘルパーの金森には懐いていたという。犬は言葉を話さないが、距離感は正直だ。タロの態度だけで、この家の人間関係が薄く透けて見えるのが怖い。
立原を呼ぶ倉石、所轄を巻き込むのは“違和感”のため
倉石は立原を呼べと命じる。所轄は「事件じゃない」と渋るが、倉石は一歩も引かない。犬のために残された水と餌。これは“善意”にも見えるが、同時に“準備”にも見える。倉石はその違和感を、捜査一課の捜査力で掘り起こす必要があると踏んだ。
一ノ瀬は内心、倉石の判断を“異動話への当てつけ”だと受け取って反発する。だがその甘さを、留美が真正面から叱りつける。「あなた、この2年間、倉石さんの何を見てたの?」という趣旨の言葉は刺さる。倉石は誰かを困らせたいわけじゃない。いつも同じ場所――死者の事情――を見ているだけだ。
倉石に否定され続ける一ノ瀬、思わず口にしてしまう「一課の話」
捜査一課が合流し、現場が慌ただしくなるほど、一ノ瀬の苛立ちは募っていく。自分の見立ては“間違い”とまでは言われないのに、倉石はいつも「俺のとは違う」とだけ言って先へ進む。教えてくれない、答えをくれない、なのに現場は待ってくれない。
ついには立原に対して、自分が一課に誘われていることを口にしてしまう。ここには「だから何だ」と言ってほしい気持ちと、「お前は一課に戻れ」と背中を押してほしい気持ちが混ざっている。だが倉石はそこにほとんど興味を示さない。倉石にとって重要なのは“一ノ瀬の進路”より“寺西の死の理由”だからだ。この温度差が、一ノ瀬をさらに追い込む。
遺言状で火がつく疑惑、貯金300万円はヘルパーへ
捜査一課が家の中を洗っていくと、状況を一気に燃やす“燃料”が見つかる。寺西の遺言状だ。内容は、娘たちに不動産や保険を分け与える一方で、貯金300万円だけは訪問介護のヘルパー・金森里美に渡す、というもの。
娘たちは当然納得しない。しかも彼女たちは生活に余裕がなく、金銭的に困っている様子も見える。だから300万円は、感情の面でも現実の面でも“刺さる額”だ。父の死を悼むより先に「なぜ他人に?」という怒りが爆発し、金森を疑う空気が濃くなっていく。
遺言は、寺西の感謝の形にも見えるし、金森が書かせた罠にも見える。どちらにも転べる曖昧さが、捜査一課を動かし、家族の感情を爆発させる。ここで“事件”は、死因の話から一気に人間関係の話へ移る。
娘たちは「電話だけ」の関係、介護の実態は金森が背負っていた
寺西の生活状況が掘られるにつれ、家族関係の実態も見えてくる。娘たちは10日に一度、電話で安否確認する程度。実質的に日常を支えていたのは、週に一度訪問する金森だった。
もちろん、娘たちにも事情がある。遠方に住んでいるのかもしれないし、家庭や仕事で手いっぱいなのかもしれない。ただ、“父の生活”を具体的に知っていたのが家族ではなくヘルパーだった、という構図は、遺言の300万円を単なる金銭問題にしない。寺西が誰に救われ、誰に置いていかれたのか。ここが、この回の痛みの芯になる。
さらにこの回では、娘たちが生活の事情から「家を売る」ことを口にしていたことが決定打になる。寺西にとって家は単なる資産ではなく、妻と暮らした時間、娘の成長、家族の匂いが染みついた“人生の置き場所”そのものだ。だからこそ「もうすぐ死ぬ身なんだから手放して」と言われた時、彼の中で何かが折れてしまう。病気の痛みより、居場所を奪われる痛みの方が人を殺す――この回が怖いのは、その現実を静かに突きつけてくる点だ。
所轄・佐藤の「割り切り」と立原の「線引き」、捜査の空気が変わる瞬間
所轄の佐藤にとって、独居老人の死は“日常の案件”に近い。事件性がなければ、これ以上のリソースを割けないという現実もある。一方、立原は捜査一課として「事件として立てるべき線」を引かなければならない。倉石が持ち込んだ違和感に乗る以上、形だけでも捜査は進める必要がある。
この温度差が、現場の会話の端々に出る。倉石は“死者の事情”を拾うためなら組織の都合を踏み越える。所轄は困る。捜査一課は面倒だが動く。結果として、寺西の死は「処理」ではなく「解く」方向へ転がっていく。第5話の前半は、この空気の変化がじわじわ効いてくる。
解剖で判明した末期の膵臓がん、死亡推定は約5日前
解剖結果が、寺西の死の輪郭をさらに明確にする。寺西の死亡推定は約5日前。さらに末期の膵臓がんで、余命は半年ほど。胃の内容物はほとんどなく、飲まず食わずに近い状態が続いた末の脱水・栄養失調で命を落とした可能性が高いと分かる。
ここで一ノ瀬は合理的な線を描く。病気で余命が短い。だから自ら“自然死に見える死”を選んだ――自殺の可能性。そして金森がそれを手助けした、あるいは止めなかった。遺言の300万円は、その対価かもしれない。
だが倉石は首を横に振る。「俺のとは違う」と言い、一ノ瀬が“根こそぎ拾えていない”ことを指摘する。死因は説明できても、寺西が“生きることに絶望した理由”が拾えていない。倉石が求めているのはそこだ。
目撃情報と消えた「介護メモ」、金森は“探しに戻った”のか
捜査が進むと、金森に関する目撃情報が上がる。寺西の死亡前後、彼女が寺西宅に出入りしていたというのだ。金森は一貫して「知らない」「何もしていない」と言い続けるが、状況証拠は彼女に不利に積み重なっていく。
さらに捜査一課は、金森が“失くした”と言う介護メモ(訪問記録)を追う。ここがポイントで、金森自身もまたメモ帳を必死で探していた節がある。関係先への聞き込みの結果、「金森はノートを探しに寺西宅へ向かった」といった情報も浮上し、彼女の行動はますます疑われる。
そして、そのメモ帳が見つかった時――記録が寺西の亡くなった日に途絶えていることが、逆に強い“証言”になる。言葉で否定しても、書かれた時間の切れ目が「その日に何かがあった」と告げてしまう。
遺言を巡る疑いは、金森を「金を狙った人」に見せる。けれど介護メモの空白と目撃情報は、彼女を「死の場にいたかもしれない人」へと押し出す。ここで捜査の質が変わる。誰が手を下したかではなく、誰が止められたのに止めなかったのか――“殺意”より“放置”の輪郭が濃くなるからだ。立原が金森を追い詰めるほど、逆に浮かび上がるのは寺西の意思であり、「助けられること」そのものを拒んだ可能性になる。疑う先が変わるたびに、寺西の孤独が深く見えていく構成が巧い。
タロの“隠す癖”が鍵、縁の下から見つかるメモ帳とガーゼ
倉石はタロを一時的に預かり、署内にも連れてくる。そこで、タロがウエットティッシュを隠していたことが判明する。犬に“隠し癖”がある――この小さな情報が、のちに捜査の突破口になる。
倉石は寺西宅の庭でタロと遊びながら、丸めた紙を投げる。タロはそれをくわえ、縁の下へ運んで隠す。倉石はそこで確信する。「探し物は、ここだ」。捜査一課が縁の下を調べると、金森のメモ帳が見つかる。さらにガーゼのような布切れも出てくる。
タロが“報せた”のは、飼い主の死だけじゃない。真相に繋がる物証そのものだった。しかもそれを、犬の癖という日常の延長で見抜いてしまう倉石が、やはりただ者じゃない。
倉石がタロを抱える理由、命を「処理」しないという選択
この回の倉石は、捜査だけでなくタロの行き先にも踏み込む。飼い主が亡くなれば、犬は簡単に“処理”の対象になる。だが倉石はそれを許さない。タロを連れ回し、面倒を見る。犬好きというだけでは片付かない、彼の一貫した価値観がここに出る。
タロが人の手の温度を知っているからこそ、寺西の死の「温度差」も浮かび上がる。娘には懐かないのに、金森には懐く。そして倉石にはすぐ馴染む。タロの行動が、寺西の最期に寄り添った人間が誰だったのかを暗に示しているようにも見える。
ガーゼの鑑識結果は「涙」、寺西は本当に“一人”で死んだのか
鑑識の結果、ガーゼから検出されたのは涙の成分。さらにガーゼには寺西の睫毛も付着していたという。つまり誰かが、死の直前の寺西の涙を拭っている。自然死の孤独死なら、こんな物証は出ない。寺西は本当に一人で死んだのか?
ここで事件は、単なる“孤独死”ではなくなる。誰かが来ていたのなら、救急車を呼べたのでは? 止められたのでは? それでも止めなかったなら、その沈黙は何を意味するのか。金森の「知らない」は、もはや通らない。
「爺さんの声を聞け」一ノ瀬が“指定席の景色”に立つ
一ノ瀬は、決定的な一歩が踏み出せずにいる。証拠は集まっている。だが“なぜ死ななきゃならなかったのか”の答えが繋がらない。倉石は一ノ瀬を寺西の家へ連れ出し、寺西が死ぬまで見ていた景色を見ろ、と言う。
一ノ瀬はソファの前に立ち、時には遺体があった場所に自分の体を重ねるようにして、被害者の目線を追いかける。見えるのは、亡くなった妻の遺影、家族写真、娘たちが小さい頃に柱に刻んだ身長の跡やシール、縁側――家族の記憶が詰まった風景だ。そこは“老人の家”ではなく、家族が積み上げた歴史そのものだった。
寺西の家には、“長く暮らした家”特有の重さがある。家族写真の色褪せ、柱に刻まれた背比べの線、何気なく貼られたシール。そういう細部が、持ち主がいなくなった瞬間に一気に遺品へ変わる。倉石が一ノ瀬に求めたのは、その変化の手触りを理解することでもある。死体を見れば死因は分かる。だが家を見れば、その人が何を守り、何を失い、何に絶望したのかが見えてくる――一ノ瀬が“景色”に立った場面は、そのことを丁寧に教えてくれる。
そして一ノ瀬は、寺西が置かれていた状況を知る。娘たちはこの家を売ろうとしていた。寺西にとって家を失うことは、財産を失う以上に“居場所を奪われる”ことだった。末期がんで余命が短い中で、その居場所まで失う恐怖は、ただの不安じゃない。“絶望”になり得る。倉石が言う「人が死ぬのは生きることに絶望した時だけだ」が、ここで一ノ瀬の中に落ちてくる。
告別式の前に「根こそぎ拾う」、倉石が立原に託した卒業試験
ガーゼが見つかり、真相に近づいた段階で、倉石は立原に宣言する。「告別式の前に、イチが根こそぎ拾う。あいつの卒業試験だ」。寺西の死は、葬儀という日常の儀式に飲み込まれていく。その前に、寺西が残したメッセージを言葉にしなければ、ただの「可哀想な孤独死」で終わってしまう。
一ノ瀬が拾うべきものは、物証だけじゃない。寺西が見ていた景色、絶望の理由、そしてそれを“言葉にできなかった人たち”の沈黙まで含めてだ。ここで初めて、一ノ瀬の見立てが「医学」から「人生」へ接続される。
告別式の日、金森が娘たちにぶつけた言葉
告別式の日、立原は金森を連れて寺西宅へ向かう。娘たちは金森を責める。遺言の300万円、当日の出入り、そして“見殺しにしたのか”という疑い。
そこで金森は、娘たちに問い返す。
「あなたたちは寺西さんの何を分かっていたんですか?」
金森が語ったのは、寺西の“本当の孤独”だ。家族と暮らした家、家族の歴史が刻まれた場所。それを売れと言われた寺西の喪失感。もうすぐ死ぬ身なのに、どうして待てないのか――寺西が抱えた怒りと悲しみを、金森は娘たちの目の前に差し出す。
娘たちはここで初めて、父が「寂しかった」というレベルを超えた、“居場所を失う絶望”を抱えていたことを知る。責める相手を探していた怒りが、自分たちの鈍さへ跳ね返ってくる瞬間だ。
金森がさらに告げるのは、介護の日ではないのに心配で家を訪ねたこと、その時、寺西がまだ生きていたことだ。衰弱しながらも意思は残っていて、彼は金森に「このまま死なせてくれ」と頼んだという。助けるべきか、望みを尊重すべきか――金森が迷った時間が、寺西の涙として残り、それを拭ったガーゼとして現場に残った。娘たちは、父がただ見捨てられたのではなく、“見捨てられた形で見つかる”ことを自分で選んだのだと知り、怒りの矛先を失う。
寺西が仕掛けた“孤独死の演出”、発見を遅らせる仕組みのロジック
真相はこうだ。寺西は孤独死に見せかけるため、あらかじめ細工をしていた。金森が帰ったその日、次に来るのが1週間後だと分かったうえで、タロが生き延びられるよう餌袋を破り、水道をひねって水を確保する。新聞受けを壊して新聞が溜まらないようにし、カーテンを開け、部屋の明かりもつけたままにする。周囲に「生活している気配」を作り、誰かが不審に思って家に入ってこないようにして、発見を遅らせるためだ。
寺西の細工を一つずつ見ると、狙いがはっきりしてくる。新聞受けを壊すのは「新聞が溜まって異変に気づかれる」ことを避けるため。カーテンを開けて灯りをつけるのは、近所の視線に“生活感”を見せて安心させるため。水と餌を残すのはタロを生かすためであり、同時に「犬が生きていれば、いずれ誰かが動く」という保険にもなる。発見を遅らせつつ、完全に消えない程度に“痕跡”は残す。寺西の計画は、感情の暴走というより、むしろ冷静な構築物に見える。
この“細工”は感情的な暴走じゃなく、かなり理詰めだ。寺西は、自分の死がすぐ見つかれば、娘たちは悲しむだけで終わると分かっていた。だから「孤独死として気づくまでの時間」を娘たちに味わわせるために、発見を遅らせる装置を作った。タロを生かす準備は、罪悪感ではなく計算に見える。そしてその計算が、逆に痛い。
寺西が望んだのは、娘たちに“孤独”を感じてもらうことだった。家を売られる恐怖に打ちのめされ、彼は自ら飲まず食わずの道を選ぶ。そして指定席で妻の遺影を眺め、振り子時計の音を聞きながら、死へのカウントダウンをたったひとりで聞き続けた。ここでタイトルが刺さってくる。誰かに看取られる死ではなく、“誰にも聞かれないカウントダウン”を選んだ老人の意志が、タイトルそのものになっている。
「事件じゃない」で終われない、寺西の死が残した“問い”が大きすぎる
ここまでの流れだけでも、寺西の死は“刑法の事件”ではなくなっていく。誰かが刃物を振るったわけでも、金を奪ったわけでもない。にもかかわらず、現場に残った違和感が消えないのは、寺西が自分の最期を「家族へのメッセージ」に変えてしまったからだ。だから所轄が言う「事件性なし」は正しいのに、倉石はそれで帰れない。理屈として正しくても、人として納得できない死がある――その境界線を、この回は容赦なく踏ませてくる。
娘たちは、生活の中で“現実的な選択”として家を売ることを考えていたのかもしれない。介護の手続きも、施設の費用も、病気の進行も、全部が重くのしかかる。だから「家を処分する」という発想自体は、必ずしも悪意ではない。ただ寺西にとって家は、人生の最後にしがみつける唯一の場所だった。両者の言い分がすれ違った結果として、寺西は“孤独死に見せかける”という過激な方法でしか、娘に自分の孤独を渡せなくなる。
そして金森もまた、善意だけでは語れない立場にいる。介護は、寄り添うほど相手の痛みが自分に移る仕事だ。寺西の「ここで終わりたい」という声を聞いた瞬間、金森は“正しい行動”より“目の前の人の意志”に引っ張られてしまう。誰かを救うことと、誰かの望みを尊重することが、こんなにも簡単にぶつかる。寺西の死は、その矛盾をむき出しにしたまま、関わった全員の胸に残る。
一ノ瀬にとっても、この現場は転機になる。解剖所見や遺言状だけを並べれば、筋の良い“推理”はいくらでも作れる。だが倉石が求めたのは、推理の美しさではなく、寺西が死ぬまで見ていた景色と同じ場所に立つことだった。ソファからの視界、家の匂い、時計の音、犬が残した痕跡――そういう生活の断片が繋がった時、初めて「死因」が「理由」になる。倉石の言う“根こそぎ”とは、物証の量ではなく、死の周囲に散らばった暮らしと感情まで拾い上げる行為なのだ。
そしてタロの存在も、最後まで象徴的だ。寺西の死を最初に“知っていた”のは犬で、真相に繋がる物を“隠していた”のも犬。家族が離れていくほど、犬だけが飼い主の生活圏に残り続ける。タロが報せたのは死そのものというより、「この家で何が起きていたか」を見ろという無言の訴えだったのかもしれない。
介護ヘルパー金森が抱えるもう一つの介護、だから「止められない」
もう一つ、金森の背景として匂わされるのが“彼女自身も介護を抱えている”ことだ。寺西の最期の場面で、彼女は自分の母親の介護のために家を出なければならない状況にあったとされる。だからこそ寺西の「ここで終わりたい」という意思を前に、正解を選べなかった。
介護は「助けたい」だけでは回らない。時間も体力も、感情も削られる。金森は寺西に寄り添いながら、自分の生活と母の介護も背負っている。その現実が、彼女を“善人”にも“悪人”にも固定しない。だからドラマの後半、彼女の言葉が視聴者の胸に残る。
介護ヘルパー金森が背負う「見て見ぬふり」、ガーゼが残したもの
金森は介護の日ではないのに寺西が気になり、家を訪ねていた。そこで衰弱しながらもまだ生きている寺西を見つける。しかし寺西は彼女に「このまま死なせてくれ。それが本当の介護だ」と訴えた――金森にはそう言われたような気がしたという。
金森は救急車を呼ばなかった。結果として寺西を助けなかった事実は消えない。罪に問われうる行為であり、だからこそ彼女は言葉を飲み込んできた。けれどガーゼが残ってしまった。寺西の涙を拭った、その最後の優しさが、逆に“そこにいた証拠”として彼女を追い詰める。
そして介護メモも、彼女が落としてしまった。寺西の死を「孤独死」に見せかけるための準備に、金森は加担したわけではない。だが寺西の意思を止めなかった以上、彼女もまた“共犯”のような形になってしまう。ここが、この回が甘い感動で終わらない理由だ。
「本当は娘に看取ってほしかった」倉石の一言が残す後味
真相が明らかになった後、娘たちは父の孤独を理解し、涙を流す。倉石は「寺西も後悔しているだろう」と語る。本当は娘に看取ってほしかったはずだから――その言葉は、誰かを断罪するためではなく、残った人間が“次に同じことをしないため”の釘のように響く。
葬儀の場面で、いつもは娘たちに吠えるタロが静かになる描写も効いている。犬は理屈ではなく空気で動く。父を思って泣く娘たちの気配を、タロが感じ取ったように見えるからだ。倉石の「分かるんだな」という呟きが、あの場の全員に向けられた赦しにも聞こえる。
一ノ瀬は捜査一課へ、縁側に戻った笑い声とタロの姿
事件が終わり、一ノ瀬は捜査一課へ戻る。倉石は立原に「頼む」と託し、一ノ瀬の背中を見送る。怒鳴ってばかりに見えて、実は一番弟子の行き先まで考えている。その不器用な優しさが、この回のラストを少し温める。
捜査一課に戻れば、求められるのはスピードと結果だ。だがこの現場で一ノ瀬が手に入れたのは、数字や物証だけでは説明しきれない“死の重さ”を抱えたまま捜査を進める覚悟だと思う。倉石のやり方を完全に真似することはできない。それでも倉石が投げ続けた問い――「なぜ死なきゃならなかった」――を頭の片隅に置いて現場へ立つことが、一ノ瀬にとっての卒業証書になる。
そして最後、寺西の家の縁側に、かつての団欒の気配が戻ったように描かれる。娘たち家族の笑い声が聞こえるような、そんな余韻。そこにタロの姿もある。家はいつか壊されるかもしれないが、居場所を守ろうとした寺西の願いは、ほんの少しだけ形になった――そう思わせる締め方だった。
縁側は、寺西が守りたかった“生活の舞台”そのものだ。あの場所にもう一度人の気配が戻るだけで、寺西のカウントダウンが無駄ではなかったと感じてしまう。けれど同時に、ここまでしないと家族に届かない孤独がある――その事実が、静かに後を引く。
タロが最後まで吠えずにそこにいること自体が、この家の“これから”を見守る無言の証人になっている。
寺西が残したのは財産ではなく、「気づいてほしい」という願いだったのだと思う。遺言の300万円も、孤独死の演出も、すべては家族に届かない声を形にするための手段だった。だから後味が優しくならない。誰かが少しでも早く振り向いていれば、寺西は別の終わり方を選べたかもしれない――そんな可能性まで見えてしまうからだ。
それでも、この回は「遅すぎる気づき」を残された人の次の時間へ繋げるための物語になっている。
ドラマ「臨場 続章」5話の伏線

第5話「カウントダウン」は、派手なトリックや凶器よりも、「違和感」をどう拾うかで勝負してくる回だ。独居老人・寺西竹夫が自宅で亡くなり、検視官心得の一ノ瀬和之は“事件性なし”と見立てる。ところが倉石義男は、死因の前に「なぜ死ななきゃならなかった?」と問いを投げる。この一言が、物語の視点を“医学”から“人間”へ切り替えるスイッチになっている。
タロが元気すぎる――「孤独死」の前提を崩す
まず最大の伏線は、寺西が飼っていた犬・タロの状態だ。発見が遅れた“孤独死”なら、家の中に取り残された犬は衰弱していてもおかしくない。なのにタロは元気で、水もあり、ドッグフードの袋も破れている。ここで一ノ瀬は「犬が自力で食べたんだろう」とまとめかけるが、倉石は袋の破れ方に注目し、「犬のツメで裂いた跡じゃない」と切り返す。
この時点で示されているのは、犯人探しのヒントというより「誰かが“犬が生き残る状況”を作った」という事実だ。つまり寺西の死は、偶然起きた孤独死ではなく、“段取り”がある死かもしれない――という疑念が芽生える。
倉石の問い「なぜ死なきゃならなかった?」が示す捜査の方向
倉石は死体を前にして、死因の説明を急がない。むしろ「なぜ」を繰り返す。ここが伏線として効くのは、視聴者に“病死か事件か”という二択を捨てさせるからだ。
医学的に自然死でも、人は「生きることに絶望」したとき自分で死を選ぶことがある――倉石の価値観が提示され、以降の手がかりは「寺西が何に絶望したのか」を指し示す形で配置されていく。
遺言状の“300万円”――家族と他人の距離が露呈する
次の伏線は遺言状。娘たちには不動産や保険を残しつつ、貯金300万円を介護ヘルパーの金森里美へ譲る――この一点で、家の空気が変わる。娘たちの反発は当然としても、視聴者の頭には「里美が書かせた?」「いや、里美だけが面倒を見ていた?」と複数の仮説が立ち上がる。
重要なのは金額そのものより、“家族が知らない誰か”に金を託すほど、寺西の生活が家族の手を離れていた事実だ。遺言状は、事件の動機ではなく「寺西の孤独の深さ」を示す証拠として後で回収される。
解剖所見:末期の膵臓がんと「5日間」の空白
解剖で寺西が末期の膵臓がんであること、死亡が約5日前で、飲まず食わずの末に脱水状態で亡くなったことが判明する。ここで“カウントダウン”の具体的な数字が出る。
「5日間」という時間は、外部からの暴力よりも“放置”や“意思”を連想させる。さらに、週1回しか来ないヘルパーの訪問サイクルと噛み合う。寺西が自分でカウントダウンを始めたのだとしたら、誰にも気づかれずに死ねる計算が成り立ってしまう――ここまでが、物語の中盤に仕込まれた大きな伏線だ。
一ノ瀬の“自殺ほう助”仮説――ミスリードとしての合理性
一ノ瀬は「自然死を選んだ自殺」という線を立て、さらに里美が協力した可能性を口にする。ここはミスリードだが、ミスリードとしてかなり筋がいい。遺言状、訪問介護、絶食、そして犬の“準備”――点が線になるからだ。
ただし倉石は「俺のとは違う」と言い切る。ここで視聴者は、里美=黒幕という短絡を一度保留する。伏線として巧いのは、“犯人っぽさ”を作りつつ、倉石の否定で次の階層(寺西本人の意思)へ誘導している点だ。
目撃情報と「探し物」――里美の行動が“善意”にも見える仕掛け
寺西の死後、里美が家に出入りしていたという目撃情報が出る。普通なら「証拠隠滅?」となるが、捜査が進むと里美は“手帳(介護メモ)を探しに来た”らしいことが浮かぶ。
この“探し物”の設定が効いていて、里美の動機が一気に二重化する。隠したいものがあるのか、残したいものがあるのか。彼女の沈黙は、悪意にも善意にも見える。視聴者の推理が揺れるよう、伏線が配置されている。
家を売るという言葉――「居場所」を奪う最大の引き金
寺西が絶望した理由として回収されるのが、「娘たちが家を売ろうとしていた」事実だ。家は単なる不動産ではなく、家族の歴史が詰まった“居場所”。そこを奪われる恐怖は、病気の苦しさとは別種の痛みになる。
この伏線の怖さは、誰も“殺して”いないのに、言葉だけで人を死に追い詰められる点だ。寺西の死が事件かどうかを超えて、家族の会話の残酷さが浮き彫りになる。
定位置のソファと振り子時計――タイトルを予告する“背景小道具”
寺西の家の描き方も、地味に伏線だ。彼の“定位置”は、亡き妻の遺影が視界に入る場所で、そこから家の中を眺めている。さらに耳に残る振り子時計の音。あれは演出としての情緒だけじゃなく、「残り時間を数えている」感覚を視聴者に先に植え付けている。
同じ“時間”でも、捜査側が扱うのは死亡推定時刻の5日。一方で寺西が聞いているのは、自分の人生の終わりへ向かう音。タイトルの「カウントダウン」が、数字と感情の両方を指す――この二重の意味が、後半の真相に効いてくる。
ガーゼに残った涙――「そこにいた誰か」を確定させる最後の鍵
終盤の決定打が、涙の成分が付いたガーゼ(脱脂綿)。これがあることで、寺西の最期に“誰かが立ち会っていた”可能性が現実味を帯びる。
里美が「介護の日でもないのに様子を見に来た」「このまま死なせてくれと言われた気がした」と語る流れへ、物証が橋をかける。泣いたのは寺西か、里美か。拭いたのは誰か。涙という最も人間的な証拠で、物語は“事件”から“感情の真相”へ着地していく。
「卒業試験」という言葉――イチの異動を物語に織り込む伏線
もう一つ、物語の外側に効く伏線が「イチの卒業試験」という扱いだ。倉石は通夜の前に「根こそぎ拾う」ことをイチに課し、立原真澄には「一ノ瀬を頼む」と託す。
事件の解決と同時に、人物の移動(鑑識→警視庁捜査一課)が自然に回収される。第5話は、寺西の“カウントダウン”と並行して、一ノ瀬の“次の現場”へのカウントダウンでもあったわけだ。
こうして伏線を並べると、第5話は“犯人当て”というより、寺西の心の内を逆算していく構造だと分かる。タロ、水、遺言、5日間、手帳、家――どれも単体では小さいのに、全部そろった瞬間に「この死は、誰かに見せるための死だった」と輪郭が立ち上がる。その組み立ての丁寧さが、この回の肝だ。 そして最後に残るのは、検視の技術よりも“孤独を拾う目”だった。そこが刺さる。本当に。本当に。
ドラマ「臨場 続章」5話の感想&考察

第5話を見終えて残るのは、「事件が解決した」というスッキリ感よりも、「じゃあ、どうすればよかったんだ」という置き場のない感情だ。寺西の死は、法医学の分類で言えば“衰弱死”で片付く。だけど倉石がしつこく追ったのは、死因じゃなく死の理由だった。そしてその理由が、病気よりも“家族との距離”だったところに、この回の苦さがある。
「孤独死」を装った自殺――誰にも見つけられないことが目的になる怖さ
寺西は末期の膵臓がんで、余命が見えていた。だからこそ「もう十分生きた」と思っても不思議じゃない。でもこの回が怖いのは、寺西が選んだ死に方が“静かに消える”ことだった点だ。飲まず食わずで衰弱し、発見が遅れるように仕向ける。しかも犬が生きられるように水と餌を整える。
ここまで準備しても、寺西が本当に欲しかったのは「死」そのものじゃなくて、娘たちに“本当の孤独”を体験させることだったんだと思う。自分がいなくなった後の罪悪感で、ようやく家族が立ち止まる。そう考えると、あの家の中で鳴っていた振り子時計は、寺西の命のカウントダウンであると同時に、家族が気づくまでのカウントダウンでもあった。
娘たちが「悪い」で終わらせない――生活の事情と、言葉の刃
娘たちが家を売ろうとしていた事実は、物語上は“絶望の引き金”として描かれる。けれど現実の話に置き換えると、娘側にも生活がある。お金に困っていた雰囲気も出ていたし、介護の手が回らない距離感もある。だから「娘たちが薄情でした」で切るのは簡単だけど、それだとこの回の痛みが浅くなる。
個人的に刺さったのは、家を売る提案そのものより、“それを父の前で言えてしまう関係”だ。家は不動産、父は資産の管理者。そういう見方が一度入り込むと、相手を人として扱う回路がどんどん細くなる。寺西の絶望は、病気の進行より先に、会話の中で進行していたんじゃないか。
介護ヘルパー・里美の沈黙――「助けない」ことは介護なのか
終盤、里美が介護の日ではないのに家を訪ね、まだ生きている寺西を見つけたことが明かされる。そこで寺西は「このまま死なせてくれ」と訴えた(ように感じた)。里美は涙を拭い、救急車も呼ばず、結果的に“見届けた”。
ここが一番割り切れない。ドラマとしては、人を救う正義よりも、本人の意思を尊重する哀しさを描いている。でも現実なら、介護者が取れる選択肢はもっと重い。本人の尊厳を守りたい気持ちと、命を守る責務。その間で揺れる里美の沈黙は、悪意じゃなく、たぶん“介護者としての限界”だった。
しかも里美は、遺言状によって一気に疑われる立場に立たされる。善意で関わった人ほど、最後に誤解されやすい。その構図が、この回の後味をさらに苦くしている。
遺言状は“金の話”じゃなく、寺西の最終メッセージだった
遺言状って、どうしても「誰にいくら残すか」の話になりがちだ。でも第5話の遺言状は、金額よりも配分の“温度差”が意味を持つ。娘たちには不動産と生命保険。里美には貯金300万円。つまり寺西は、娘たちを完全に切り捨てたわけではない。むしろ“家族としての線”は残しつつ、自分の生活を支えた人にも報いた。
ここが大事で、寺西は娘を憎んで復讐したいんじゃなく、「自分が何を大事にして生きてきたか」を分かってほしかったんだと思う。家を売ると言われた瞬間に絶望したのは、家そのもの以上に、“家族の歴史が軽く扱われた”と感じたからじゃないか。遺言状はその裏返しで、寺西が最後に残せる唯一の「言葉」だった。
ガーゼに残った涙――科学が感情を拾う瞬間のゾクッとする感じ
終盤のガーゼ(脱脂綿)のくだりは、個人的にこの回の象徴だと思っている。涙なんて、普通は痕跡として扱われない。だけどこの作品は、それを“証拠”として拾い上げる。涙の成分が検出されたことで、「誰かが最期の寺西に触れた」ことが現実になる。
面白いのは、ここで科学が暴くのが犯人の指紋じゃなく、“人間関係の事実”だという点だ。犯行手口を暴くよりも、感情の真相に手が届く。法医学が、冷たくて硬い学問じゃなく、むしろ人の弱さを照らすライトになっている。このシリーズがヒューマン寄りに振れるとき、いちばん光るのはこういう場面だと思う。
「救わない優しさ」は成立するのか――尊厳と責任のグレーゾーン
里美の選択を“正しい”と断言するのは難しい。命が目の前にある以上、救命を優先するのが社会のルールだからだ。けれど寺西が、自分の家、自分の定位置で、妻の遺影を見ながら終わりたいと願ったとしたら。そこに手を出すことが、本当に「優しさ」なのかは揺らぐ。
この回がえぐいのは、里美が“何もしなかった”わけじゃなく、涙を拭いているところだ。つまり彼女は見捨てたんじゃない。見届けた。その差は、感情としては大きい。でも法律や制度は、その差を簡単に受け止めてくれない。だからこそ彼女は、手帳を探しに戻り、口を閉ざし、結果的に疑われる。
「助ける=善」「助けない=悪」と割り切れない現場のグレーが、ドラマの中でちゃんと残されているのが良かった。
倉石のやり方は乱暴か、それとも愛情か――「答え」を言わない教育
一ノ瀬が苛立つのも分かる。倉石は、見立てが違うなら最初から教えればいいのに、あえて言わない。遺族の前でもぶつかる。正直、現場の空気としては危うい。
それでも倉石が一貫しているのは、「死体だけを見ても真相には届かない」という姿勢だ。だからイチに必要なのは、鑑識の知識じゃなく“人間を見る目”。倉石が突きつける「根こそぎ拾え」は、証拠だけじゃなく、被害者の人生を拾えという意味に聞こえる。
この回で倉石がやったのは、事件の解決というより、イチに“耳の使い方”を教えることだった。被害者の声を聞け、という無茶振りは、想像力を働かせろという命令でもある。
タロは「かわいい」だけじゃない――唯一の同居者としての証言
タロの存在も、感情面で効いている。犬は嘘をつけない。寺西が孤独死を演出するために、タロが生き残るように手を打ったのなら、タロは“最期まで守られた家族”でもある。
だからこそ、タロがその場にいるだけで、家の中の温度が変わる感じがする。人間の事情は理解できなくても、空気を受け止める存在として効いていた。タロは事件の鍵であり、被害者の感情の受け皿でもあった。
「カウントダウン」の二重構造――数字の推理と、感情の推理
この回の面白さは、推理が二層に分かれているところだと思う。
一層目は数字の推理。死亡は約5日前、絶食、週1回の訪問介護、犬の生存。条件を並べると“計画”が見えてくる。
二層目は感情の推理。なぜ家を売られることがそこまで怖かったのか。なぜ遺言で里美に金を残したのか。なぜ娘に直接ぶつけず、死で伝えようとしたのか。ここは証拠だけでは埋まらない。だから倉石は、寺西が見ていた景色をイチに見せ、同じ場所で呼吸させる。
“時間”と“居場所”が同時に奪われる恐怖――それが、寺西のカウントダウンの正体だったんじゃないか。
一ノ瀬の異動が示すもの――「卒業」って、こういうことか
そして最後に、一ノ瀬の捜査一課への異動。第1話で試されていた彼が、第5話で再び試され、合格して出ていく。綺麗な円環だ。
鑑識で鍛えられたのは、死体を見る目だけじゃない。寺西の家で、イチが“被害者の心”に触れた瞬間があったからこそ、異動が単なる人事じゃなく成長の結果に見える。
倉石が立原に「頼む」と託したのも、突き放しているようでいて、ちゃんと背中を押している。口は悪いが、やっていることは案外まっすぐだ。
この回を見て思うのは、このシリーズが一貫して描いているのは“死”じゃなく“生”だということ。死体の周りに残るのは、いつも生きている人間の都合と後悔で、その後悔を「根こそぎ」拾うのが倉石の仕事なんだろう。重いけど、だから目が離せない。
あと、忘れちゃいけないのは「カウントダウン」が寺西だけのものじゃないってことだ。娘たちも、里美も、そして一ノ瀬も、それぞれの時間を迫られている。間に合うはずだった言葉が間に合わないとき、人は極端な手段で“伝達”しようとする。第5話は、その危うさを静かに突きつけてきた。見終わった直後に、身近な人へ一言でもいいから声をかけたくなる。そんな後味の残し方が、強く残りやすい。たぶん、それが狙いだ。怖いくらいに。効いてる。
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