第1話で描かれた“親子のフリ”が、第2話では“仮の絆”に変わり、そして第3話では、〈仮の家族〉が初めて“生活”の匂いをまとい始める。

波多野玄一(及川光博)は朝におにぎりを握り、作田索(手越祐也)は教師としての線を守り、楠ほたる(白鳥玉季)は母の記憶を思い出す。
事件ではなく、手の動きと食卓で語られる優しさの連鎖。
家族になるとは、誰かのために手を動かし、“選ぶ”という日常を積み重ねることなのだと教えてくれる。『ぼくたちん家』第3話は、そんな当たり前の優しさを生活のリズムで描いた一話だった
ぼくたちん家3話のあらすじ&ネタバレ

仮の親子と、もう一人の同居人――索は“車中泊”からスタート
第3話(10月26日放送)は、〈仮の家族〉が“生活”という具体に触れたときの甘さと痛さを、やわらかいユーモアで包んだ回。
玄一・索・ほたるの三人は、それぞれの「選び方」を試される。公式あらすじの骨格(親子契約/3000万円/父・仁の出現)に、放送後の記事で明かされたディテール(おにぎり、玄一の告白、ほたるの独白)を重ね、出来事を時系列でたどる。
ほたるに頼まれて“父親のフリ”を引き受けた玄一は、卒業までの半年だけ親子契約を結ぶ。3000万円は「持っておいて」と託され、玄一は一時預かりに同意。
いっぽう、ほたるの担任・索は二人を“本当の親子”と思い込んだまま、玄一に誘われてアパートの隅で車中泊を始める。同棲を解消したばかりで部屋がない索は、「生徒と同じ屋根の下では暮らせない」と線を引きつつ、新居が見つかるまで車で寝泊まりすることに。こうして、奇妙な三者の“共同生活”が幕を開ける。
朝のおにぎり、空回る優しさ――それでも手は止めない
玄一は浮き立つ気持ちを抑えきれず、朝、おにぎりを握って二人にお裾分け。けれど索は「いつも食べないんで」と辞退し、ほたるも「親のフリは頼んだときだけで」と温度差をにじませる。
善意が空回りする“痛み”は、視聴後のコメントでも話題に。「世話焼きな玄一、みんなのお母さんみたい」「おにぎりにほっこり」といった声が並び、彼の不器用な愛情に寄り添う反応が多く寄せられた。
進路パンフレットと“トーヨコ”――選ばないと世界は狭い
ほたるは高校パンフレットとにらめっこ。何をどう選べばいいのかわからず、気づけばいつもの“トーヨコ”へ足が向く。選ぶための語彙が足りない子が、知っている場所に戻ってしまう現実がそこにある。
玄一は索の部屋探しに、自分の“顔の利く”不動産屋・岡部を紹介するが、これも“頼まれていないお節介”。三人の歩幅のずれが、可笑しくも切なく描かれる。
ロクデナシ父・仁、来訪――目的はただ一つ、3000万円
物語を揺らすのは、ほたるの実父・仁の出現。玄一たちのアパートに現れた仁の目的はただ一つ、母・ともえが残したとされる3000万円。
〈ロクデナシ父〉の来訪は、〈仮の家族〉に現実の圧を持ち込む装置として機能する。
金の匂いが漂うその存在が、これまでの“やさしい嘘”にひびを入れる。
“親のフリ”を信じる担任、線を引く担任
索は当初、玄一とほたるを“本当の親子”だと信じている。だが、仁の目的が“金だけ”だと気づくと、学校に押しかけた仁に対してはっきりと「もう来ないで」と門前払い。
教師としての境界線を引く索の姿は、彼が“恋人ではなく大人”であることの提示でもあった。
ほたるの独白――「お母さんの隠し味、みりんを買いたかった」
終盤、ほたるが母に向けて思いを吐き出す独白シーンが大きな反響を呼んだ。
「泣けた」「みりんを買いたかったんだね」というSNSの声が多く寄せられ、彼女が“待つ理由”に具体的な温度が宿る。
母の不在を埋めるのは言葉ではなく、台所の記憶――このドラマらしい繊細な一手だった。
柱にもたれて――玄一の「好きなんです」
そしてクライマックス。玄一は柱にもたれ、索に向けて小さく、しかし確かに「好きなんです」と告白する。
昭和の乙女のような“もじもじ告白”に「かわいい」「胸キュン」との声が相次いだ。
第4話の予告が〈告白〉を再び押し出していることからも、第3話ラストの空気は次回冒頭へと連続していく構造。恋が“事件化”せず、生活の地続きとして描かれるところに、この作品の魅力があった。
ぼくたちん家3話の感想&考察。

第3話のテーマは、一言でいえば「選択」。
誰のために何を選ぶか、その選択を“言葉”と“段取り”でどう支えるか。
〈仮の家族〉が“ほんもの”になるプロセスは、劇的な事件ではなく、日々の細部で積み上がる。
おにぎりは“ケアの言語”――空回りの痛みとやさしさの強度
玄一のおにぎりは、恋文のようなもの。
食べないと言われても、二度と握らないタイプではない。ケアは、結果より継続で強度が出る。
視聴者の「ほっこり」という受け取りは、彼の手つきが“相手の時間”を想像している証拠。恋が独りよがりに転ぶか、相手の都合に寄り添えるか――その差を、料理がいつも静かに教えてくれる。
索は“境界線の番人”――恋より先に、大人の役目
仁に対して「来ないで」と言い切る索は、恋の当事者である前に、子どもの安心を守る大人。
ここで索が“暴く/裁く”に走らず、まずは学校という公共圏を守ったのが良かった。
彼が生徒と同居しない(車中泊を選ぶ)判断も含め、ルールは愛の土台なのだと改めて感じる。
“ロクデナシ父”は物語の装置――金だけを見る大人の対照
仁は、親の役割を責任ではなく現金で測る大人。
だからこそ、玄一の“手を動かす”親らしさが際立つ。
物語上の彼は悪役というより試金石。彼の視線(3000万円)が入ってくることで、三人の関係が“本気の選択”へ押し出される。
「好きなんです」の設計――小さく言うことの真実味
柱にもたれる告白は、声量もジェスチャーも最小限。だから嘘がない。
SNSの「昭和の乙女みたい」という評は、彼の弱さを肯定する視線でもある。
恋は強がりより、弱さの共有で近づく。第4話の公式が再び“告白”を押し出しているのは、言ったあとの関係設計――受け止め方、距離の再調整――を描くための予告状だと思う。
“選ぶ”は“捨てる”より“引き受ける”に近い
ほたるは進路パンフレットに向き合えず、知っている街へ流れてしまう。
選べない痛みは、語彙が足りないときに起きる。だからこそ、大人の仕事は“語彙を貸すこと”。
玄一のおにぎり、索の線引き、大家のまなざし――三人の周囲が、ほたるに「自分の言葉」を持たせる準備をしている。
みりんの独白は、その最初の一歩だった。
作品がほどく“ステレオタイプ”――肩書きより、ふるまいで語る
本作は、“社会の隅っこ”の人々を記号ではなく行動で描く。
ゲイだからこう――ではなく、どう暮らし、どう守るかで人物が立つ。
第3話を受けた論考でも、「ステレオタイプを裏返す視点」が指摘された。視聴中にふっと楽になるのは、その誠実な視力があるからだ。
次回への橋――“恋の手当て”と“家族の危機管理”
公式の次話あらすじでは、ほたる宛の手紙と失踪、そして追走が示唆される。
第3話で芽吹いた“言えた気持ち(告白)”と“守る姿勢(線引き)”が、今度は行動として試される番。恋の手当て(どう寄り添うか)と家族の危機管理(どう守るか)が、同じテーブルに並ぶはずだ。
まとめ
この回でいちばん好きだったのは、玄一が“手を動かす人”だという当たり前。
おにぎり、部屋探し、朝の声かけ。大きな言葉より、今日の一個が人を救う。
“親のフリ”でも、救える瞬間はたくさんある。だから私は、玄一の「好きなんです」を“恋の宣言”としてだけでなく、“これからも手を動かす”という誓いのように受け取った。
次回、彼のその手が、ほたるの未来をどんなふうに支えるのか。日曜の夜に、もう一度その温度を確かめたい。
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