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ドラマ「ラムネモンキー」7話のネタバレ&伏線&感想考察。白狼会と消えたNo.12、4人目部員が鍵になる

ドラマ「ラムネモンキー」7話のネタバレ&伏線&感想考察。白狼会と消えたNo.12、4人目部員が鍵になる

第7話は、ランボー襲撃の実行犯が竿竹屋の鳥飼久雄だと判明し、37年前の事件に白狼会の影がはっきり差し込むところから加速します

さらに1988年のクリスマス前後の記憶が深掘りされ、望月学=“トレンディさん”と消えたビデオテープNo.12が盤面の中心へ。

望月の妻の日記でマチルダ像が一度は暗転しつつ、美紀子の電話で反転する構造が気持ち悪くも気持ちいい回でした。ラストは“4人目の映画研究部員”という決定的な空白が見つかり、次回へ一直線につながります。

※この記事は、ドラマ「ラムネモンキー」第7話のネタバレを含みます。未視聴の方はご注意ください。

目次

ドラマ「ラムネモンキー」7話のあらすじ&ネタバレ

ドラマ「ラムネモンキー」7話のあらすじ&ネタバレ

第7話は、ランボー襲撃の実行犯が竿竹屋の鳥飼久雄だと判明し、37年前の事件に白狼会の影がはっきり差し込むところから動き出す。

同時に、1988年のクリスマス前後の記憶が一段深く掘り返され、望月学=“トレンディさん”と消えたビデオテープNo.12が盤面の中心に出てくる。さらに、望月の妻が残した日記が手がかりになり、マチルダ像が『悪女か、被害者か』で揺れる。ラストでは“4人目の映画研究部員”という決定的な空白が見つかり、次回へ一直線に繋がった。

ここから先は、7話で起きた出来事を現在と過去を行き来しながら時系列で整理する。この回は、証言が増えるほど一度は疑いが強まり、直後に別の情報で反転する構造が多い。だからこそ「誰の言葉で、何が“記憶”で、何が“記録”か」を分けて読むと、ネタバレがスッと頭に入る。最後に伏線の整理と、見終わった後の考察もまとめる。

冒頭:ランボー襲撃の実行犯が判明、白狼会が一気に現実になる

雄太たちは、マチルダ失踪直前に重傷を負った“ランボー”二瓶清吉の件を、鶴見巡査の追加調査で改めて突き合わせる。鶴見が突き止めたのは、暴行の実行犯が竿竹屋の鳥飼久雄で、しかも地元の暴力団『白狼会』の構成員だったという事実だ。

これで『不審者に殴られた』という曖昧な線が、金と暴力の線に変わり、37年前の空気が急に湿ってくる。そして、ランボーはマチルダにつきまとっていたのではなく、父の戦友として守ろうとしていたという前提もここで固まる。

鳥飼の名前が出たことで、三人の頭には『マチルダの失踪に白狼会が絡んだのか』という疑いが現実的に置かれる。ただし、鳥飼の動機や当日の動きはまだ見えず、ここからは“当時を知る人物”に当たって輪郭を作る段階に入る。過去の記憶だけでは事件は進まないと、三人自身が痛感するスタート地点でもある。鶴見もまた、愚痴を言いながらも調べて持ってくる側に回り、四人のチーム感が強まっていく。

この回の面白さは、青春のノスタルジーを保ったまま、事件の“現実味”を一段足してくるところにある。白狼会という具体名が出た瞬間、証言者が黙る理由や、資料が残りにくい理由まで腑に落ちる。

つまり7話は、記憶の旅が“捜査”としての重さを持ち始める回でもある。ここから三人は、過去の部室へ戻る形でクリスマスの記憶を掘り返していく。

整体師・阿部の証言:鳥飼は“金で何でもする”男だった

鶴見の繋ぎで、雄太たちは当時の鳥飼を知る整体師の阿部に会いに行く。阿部の口から語られる鳥飼は、表向きは竿竹屋として町を回る一方、裏では危ない仕事を受けていたという人物像だ。『金のためなら何でもする』という評価がまず出てきて、三人の中で鳥飼が“実行役”として立ち上がるさらに踏み込む雄太たちが『殺しもか』と問うと、阿部はそれくらい平然とやる、と冷たく返す。

ここで阿部が投げ込むのが、少し角度の違う言葉だ。『女はうぶな顔をして恐ろしいことを平気でする』という、妙に生々しい忠告が続く。

鳥飼という暴力の線に、“女が操る”という可能性が混ざった瞬間、三人はマチルダを見る目を一瞬だけ揺らしてしまう。阿部が具体的に誰を指しているのかはぼかされるが、疑いの矢が簡単に恩師へ向く構図が作られる。

ただ、ここはドラマの意地悪さというより、『証言は証言者のフィルターを通る』という提示に見える。37年という時間がある以上、当時の噂も偏見も、今聞けばそのまま“事実っぽく”聞こえてしまう。第7話はこの阿部の一言で、マチルダ悪女説をわざと成立させ、後半で反転させるレールを敷いている。だから阿部の証言は、鳥飼の危険性を示すと同時に、三人の判断が揺れやすいことも露わにする。

1988年クリスマス前夜:部室の編集作業と“トレンディさん”の来訪

白馬に『クリスマスの頃、何してたの』と問われた三人は、翌月の上映会に向けて部室で映画の編集をしていたことを思い出す。

当時の彼らは、カンフー映画を撮ることが生活の中心で、年末の浮かれた空気さえ“制作スケジュール”に吸い込まれていた。この『クリスマス=部室で編集』という事実が、のちのNo.12テープの空白に直結する。映研の部室は狭いのに熱量だけは高く、喧嘩も笑いも全部そこに詰まっていた。

そこへやって来たのが、彼らが“トレンディさん”と呼ぶ男・望月学だった。望月は彼女を連れていて、差し入れとしてレアチーズケーキを持ち込み、部室の温度を一段上げる。

三人にとって望月は、年上で大人の世界を知っている“憧れの先輩枠”で、だからこそ記憶に残りやすい。バブルの話題や『赤プリでシャンパン』みたいな言葉が飛び交い、少年たちが背伸びする空気も漂う。

この時点では、望月はただの“気のいい大人”に見える。けれど、後から考えれば、彼がクリスマス前夜に部室へ来たこと自体が不自然にも映ってくる。差し入れの甘さと一緒に、何かを探している視線が同じ場に混じっていたのではないか、という疑いが後半で生まれる。第7話は、この明るい回想を置いてから、紀介の別のフラッシュバックへ繋げていく。

紀介のフラッシュバック:マチルダに「三人の男が告白した」記憶

編集の記憶に続いて、紀介の中にもう一つの場面が蘇る。クリスマスの日、マチルダの前に三人の男が現れ、愛の告白をしたという記憶だ。マチルダはそれを相手にせず、冷たく立ち去っていった。紀介は『あの日のマチルダは、いつもと違って見えた』という感触まで抱えてしまう。

この“告白”が本当に起きていたとして、動機は単純だ。フラれた逆恨みは、青春ドラマの定番であり、同時に犯罪の定番でもある。だから紀介は『彼女が拒んだ男が復讐したのでは』という線を一度強く疑う。ただし、ここで重要なのは、この記憶がこれまでのように“ズレている可能性”を作中がずっと示してきたことだ。

第7話でも、紀介の記憶はそのまま確定情報として扱われない。むしろ、曖昧なフラッシュバックが引き金になって、別の人物像が浮かび上がってくる。つまり紀介の“記憶違い”はミスではなく、事件のドアノブとして機能する。この告白の記憶が、望月学という名前に繋がっていくのが、この回のミステリー的な気持ちよさだ。

白馬が掘り当てた大学時代の写真:マチルダの“別の顔”が見える

一方の白馬は、現在の情報網で動く。SNSで見つけた1980年頃の大学生たちの写真に、マチルダの姿が写っていたのだ白馬が投稿者の高校生に連絡すると、写真に写っていた祖父母を紹介してもらえる流れになる三人の“記憶”だけでは届かなかった場所へ、白馬がルートを開けていく。

祖母の美紀子は、マチルダと同じ“推し”がいたこともあり、当時からすぐ打ち解けたと懐かしそうに話す。ところが祖父の証言は少し刺々しい。

マチルダが女子大生時代にキャバクラのような場所で働いていて、退学寸前だったが、周囲が署名を集めて助けたのだという。聞いている側の空気が、ふっと冷えるのが分かる。

この情報は、阿部の『女は怖い』という言葉と簡単に噛み合ってしまう。三人の中に『マチルダは本当は利用する側だったのか』という疑いが芽を出し、紀介の表情が沈んでいく。第7話の中盤は、マチルダ像が一気に暗転する“疑いのピーク”として配置されているただ、ここで確定するのは『そういう話があった』という事実だけで、真相はまだ別のところに隠れている。

現在のクリスマスもほろ苦い:3人の“居場所”がズレる

過去のクリスマスを掘り返す一方で、現在の三人もまたクリスマスを迎えている。けれど彼らの現在は、バブルの華やかさとは真逆のほろ苦さで塗られている。雄太は家に帰っても居場所がなく、肇は元カノに縋ろうとして拒まれ、紀介は“楽しい家族時間”の前提が崩れていく。過去の謎を追うことでしか、自分の人生の穴を埋められないようにも見える。

肇が元カノに会いに行く場面は、格好をつけたいのに格好がつかない中年の痛さが出る。雄太の家庭もまた、彼が思う『家族』と実際の『家庭内の空気』がズレていて、帰宅が安堵にならない。紀介は介護士との距離感に救いを求めた瞬間、別の男性介護士が現れて自分の想像がズレていたことを突きつけられる。誰も悪くないのに、寂しさだけが確実に残る描写が上手い。

台詞として何度も出てくる『赤プリでシャンパン』は、彼らが結局“バブルの恩恵”を経験できなかった象徴になっている。赤坂プリンスホテルがもう別の建物になっているという事実まで重ねられて、時間の残酷さがじわっと効く。

過去の事件を追う行為が“青春回収”であると同時に、失った時間を数える行為でもあると示すのが第7話の肝だ。だからこの回のクリスマスは、浮かれるためのイベントではなく、現実と向き合うための鏡として置かれている。

「もうやめたい」紀介の限界と、雄太が言い切った“線引き”

大学時代の証言と阿部の言葉が重なったことで、紀介は精神的に追い詰められていく。

恩師を疑うこと自体が苦しい上に、疑いが“それっぽい”形で積み上がってしまったからだ。紀介は『これ以上調べるのがつらい』と口にして、いったん手を引こうとする。ここまで来ると、事件そのものよりも、三人の心の耐久値が試されている。

そこで雄太が、珍しく強い正義感を見せる。彼は『どんな一面があったとしても、殺されていい理由にはならない』と紀介を止める。さらに『俺たちしか調べてやれない』という言葉で、真実を放置すること自体を“加担”に近いものとして線引きする。この説得は、きれいごとではなく、三人が積み重ねてきた“罪悪感”の裏返しにも聞こえる。

紀介はすぐに完全に立ち直るわけではない。ただ、雄太の線引きによって『嫌な真実でも見届ける』という共通目的が再設定される。第7話の中盤でこのやり取りを置いたことで、後半の“反転”が単なるどんでん返しではなく、感情の救済として機能する。ここから三人は、阿部がまだ何か握っていると踏んで、再び会いに行く。

再度の聞き込み:望月学という名前に辿りつく

雄太たちは、整体師の阿部がもっと情報を持っているはずだと考え、改めて話を聞きに行く。鳥飼が何者で、誰と繋がっていたのかを辿るには、町の“当時を知る人”の層をもう一段掘るしかない。

そこで阿部の口から出てきたのが、コンサル業をしていた望月学という名前だった三人が“トレンディさん”と呼んでいた人物と、現在の聞き込み情報が一本に繋がる瞬間だ。

回想の望月は、部室に差し入れを持ってきた“陽の大人”だった。けれど現代の阿部の語りでは、望月は町の裏側にも顔が利きそうな匂いを帯びる。

同じ人物でも、見る角度が変わるだけで“善意”にも“策略”にも見えるのが怖い。ここで三人は、望月を『当時の空気を知るキーマン』として追う優先順位を上げる。

ただし、望月という名前が出た時点では、まだ決定打はない。分かるのは『望月がこの事件の周辺にいた』という位置情報だけだ。だから雄太たちは、鶴見に“公的な調べ”を頼み、亡くなった人間の足跡を資料から拾う作業に移る。この“記憶から資料へ”の切り替えが、7話後半のテンポを一気に上げる。

鶴見巡査が持ち帰った現実:望月も鳥飼も“もういない”

鶴見が調べた結果、望月も妻もすでに亡くなっていることが分かる。

さらに鳥飼もまた死んでいて、直接話を聞ける相手がどんどん消えていく。追うべき“生身の証人”がいなくなった瞬間、三人の捜査は途方に暮れる。37年という時間は、真相を隠すために誰かが動かなくても、勝手に証拠を風化させてしまう。

それでも鶴見は、ここで終わらせない。望月の子どもに当たり、『どうせ捨てるから』と渡された遺品の中から、望月の妻がつけていた日記を持ち帰ってくる。“人がいない”なら“記録”に当たるしかないという判断が、鶴見を名脇役から相棒枠に押し上げる。三人はカフェで白馬も交えて日記を開き、1988年12月の具体的なログを読み始める。

この日記は、彼らの曖昧な記憶と違って、日付と感情がセットで残っている。もちろん書き手の主観は混じるが、少なくとも『その日、その家の中で何が起きていたか』の輪郭は掴める。

第7話はここで、ミステリーとしての武器を“記憶”から“文章”へ持ち替える。そして、その文章が一度はマチルダを“黒い存在”に見せてくる。

望月の妻の日記が示す1988年12月:脅迫と火事と失踪の気配

日記には、1988年の12月中旬あたりから望月の様子が変わっていく過程が細かく残っている。家の中で落ち着きがなくなり、誰かに怯えるような記述が増えていく。読んでいる側が『望月は脅迫されていたのでは』と感じるだけの、生々しい不審さがある。この時点で、三人は“望月=被害者”の可能性を一度置く。

さらに日記には、火事が起きたことや、町の空気がざわついたことも書かれている。そして決定的に、マチルダがいなくなったことが記され、日付が現実の事件に重なる。文面だけ追うと、望月がマチルダに脅され、追い詰められていたようにも読めてしまう。阿部の『女は恐ろしい』が頭をよぎり、三人の中の疑いが再び燃える。

ただ、この段階で雄太たちは“断定”に走らない。日記が示すのは、望月の妻が見た望月の挙動であって、脅していた相手の正体ではないからだ。第7話は、情報を積むほど疑いが強まるのに、同時に「確定はできない」という慎重さも描く。そして、その慎重さをひっくり返す電話が、ちょうど良いタイミングで鳴る。

美紀子からの電話で反転:マチルダは“身代わり”を背負っていた

日記の内容に沈んでいるところへ、美紀子から連絡が入る。夫が話していた『マチルダがキャバクラでバイトしていた』という件に、どうしても訂正したいことがあるという真相は、働いていたのは美紀子自身で、マチルダは結婚が決まっていた美紀子をかばって名乗り出たのだ。さっきまで“黒い影”に見えた部分が、一気に“優しさの代償”に塗り替わる。

美紀子の声は、懐かしさよりも悔いを含んでいる。マチルダが受けた非難や危うさを、自分が背負うべきだったという気持ちが透ける。三人が勝手に作りかけた“悪女像”が、当事者の一言で崩れる瞬間があまりに痛い。この反転によって、阿部の言葉や日記の読み方もまた、別の角度で見直す必要が出てくる。

同時に、雄太たちの中にも反省が走る。疑いは捜査に必要だが、疑い方を間違えれば“二次加害”になると突きつけられる。だからこの回の反転は、事件の手掛かりというより、三人の人間性を立て直すための反転でもある。マチルダが悪い人間ではないと再認識した三人は、改めて“消えたテープ”の話へ戻る。

ラスト:No.12のテープと「黒江の婆さんの孫」が次回の鍵になる

美紀子の電話で視界が晴れたところで、肇が“トレンディさん”望月の行動を思い出す。望月が部室に来たのは、単なる差し入れではなく、何かを探していたからではないかという線だ具体的に浮上するのが、映画のビデオテープNo.12が消えていたという事実である。望月はそのテープを探して、クリスマスイブの前日に部室へ顔を出していたのだと繋がる。

そして三人は、No.12に何が写っていたかまで思い出していく。それは『黒江の婆さん』の家で撮った決闘シーンで、撮影場所そのものが手掛かりになる。

黒江の婆さんには孫がいて、その孫が映画研究部の部員だったという記憶が、ここでようやく表に出る。つまりテープの消失は、“部外者”ではなく“部内”の誰かと直結する可能性が高い。

ここで三人は衝撃の空白に気づく。映画研究部は三人だけではなく、もう一人いたのだ。その4人目の部員が黒江恵子で、マチルダ失踪の大きな鍵を握る存在として次回へ繋がる。

第7話は、白狼会の線とNo.12テープの線を一本にしつつ、“最後の証人”へバトンを渡して終わる。

ドラマ「ラムネモンキー」7話の伏線

ドラマ「ラムネモンキー」7話の伏線

第7話で一番大きいのは、事件の“推測”が増えたのではなく、“記録”が出てきたことだ。証言や回想はどうしてもズレるが、日記とビデオテープはズレた記憶を矯正する物証になり得る。特にNo.12テープは、マチルダ失踪の直前に何が撮れてしまったのかを示す“本丸のログ”として機能する。

また、この回はマチルダ悪女説を一度成立させてから反転させ、視聴者の“決めつけ”そのものも揺さぶってきた。だから伏線整理では、事実として出た描写と、そこから導ける推測を分けるのが大事になる。以下では、7話で増えた手掛かりを“どこに刺さる伏線か”で整理し、次回で回収されそうな順に並べる。なお、まだ確定できない部分は条件つきで書く。

No.12のビデオテープ:記憶ではなく物証

第7話のラストで浮上したNo.12テープは、これまでの“口頭証言”とは質が違う。三人の回想は楽しいが、都合よく上書きされても気づきにくい。だから“撮れてしまった映像”が存在するなら、それは誰の記憶より強い証拠になる。望月が部室に来た理由が“テープ探し”に繋がった以上、No.12は事件と直結している。

しかも、No.12の撮影場所が『黒江の婆さん』の家だったと特定される。場所が特定できると、関係者の名簿も一気に絞れる。次回で黒江恵子に辿りつければ、テープに何が写っていたのか、誰が持ち出したのかが同時に回収される可能性が高い。

逆に言えば、テープが消えた時点で、誰かが“写ってはいけないもの”があると理解していたとも読める。それがマチルダを守るための隠蔽なのか、誰かを守るための隠蔽なのかで、物語の色が変わる。ここは次回以降、テープの行方と一緒に“誰が得をしたか”で見たいポイントだ。

望月の妻の日記:第三者ログが“記憶改竄”を補正する

望月の妻の日記は、三人の記憶と違って日付が付いている。記憶の旅が進むほど『いつの話だっけ』が増える作品なので、日付ログの価値は高い。日記が入ったことで、1988年12月の出来事が“点”ではなく“連続した線”として見えるようになった。特に望月の挙動不審が中旬から積み上がる書き方は、脅迫や圧力の存在を匂わせる。

ただし日記は“望月の妻の視点”で、書き手の不安や疑いも混じる。だから一読目で『マチルダが脅した』と決めるのは危険だ。むしろ日記は、マチルダが悪女かどうかではなく、望月が何を恐れていたのかを追うための伏線だと捉えたい。

日記に出る火事の記述も重要で、物理的に証拠を消せる出来事だからだ。火事が偶然なのか、脅迫の延長なのかで、黒幕像が変わる。次回は恵子の証言と日記の記述が噛み合うかを見比べると、情報の精度が上がるはずだ。

マチルダ悪女説は“誘導”だった:阿部の言葉と大学時代の誤解

第7話は視聴者の感情を揺らすために、マチルダ悪女説を一度強く立てにいった。整体師・阿部の『女はうぶな顔をして恐ろしいことを平気でする』がまず効く。その言葉の直後に、大学時代の“水商売疑惑”が出てくる配置が、疑いを加速させる設計になっていた。ここで紀介が耐え切れず『もうやめたい』と言い出すのも、感情のリアリティとして納得できる。

しかし終盤、美紀子の電話で“働いていたのは自分で、マチルダが身代わりになった”と反転する。つまり、悪女説の材料は“事実の取り違え”だった。この反転は、事件の真相以上に『人は都合よく他人を裁く』というテーマを伏線として残す。

今後も同じ構造で、誰かの一言や記録が“いかにも”に見える場面が出てくるはずだ。そのときは、証言者の利害と視点を先に確認したい。マチルダを疑った経験そのものが、次回以降の見方を矯正するための伏線になっている。

鳥飼と白狼会:金で動く暴力が“証人消失”を生む

鳥飼が白狼会の構成員だと判明したことで、事件の現実味が増した。白狼会のような組織が絡むと、実行役は複数いてもおかしくないし、指示役も見えにくい。そして何より怖いのは、鳥飼も望月もすでに亡くなっていて、直接聞ける相手が消えていることだ。真相が“誰かの胸の中”で終わる危険が、作中でも現実でも出てくる。

阿部の『金さえもらえば殺しもする』という証言は、鳥飼が“依頼型”だったことを示す。では誰が依頼したのか、何のために依頼したのかが次の焦点になる。この線は、望月の脅迫疑惑や火事の記述と繋がる可能性があり、複数の伏線を束ねる接着剤になる。

鳥飼がマチルダを狙ったのか、ランボーを狙ったのか、あるいは“見せしめ”だったのかで話が変わる。現時点では、鳥飼は実行役、望月は情報を持つ中間点という配置に見える。次回の恵子の話が、白狼会の線を“過去の事件”から“現在の事件”へ繋げるかも注目だ。

4人目の映画研究部員・黒江恵子:最後の空白を埋めるピース

第7話のラストで最大のサプライズが、映画研究部にもう一人部員がいたという事実だ。三人が忘れていたというより、忘れたかったのか、都合よく抜け落ちたのかが気になる。黒江恵子は『黒江の婆さんの孫』としてテープNo.12と撮影場所に直結し、事件の中心へ最短距離で入れる存在になる。ここまでの情報が“外側”からの聞き込みだったのに対し、恵子は“内部”の記憶を持つ可能性が高い。

恵子が部員なら、テープの管理や編集作業の手順も知っている。つまり『誰がいつテープを抜けたか』を具体的に語れる立場だ。逆に恵子が黙っていた、あるいは黙らされたなら、それ自体が事件の強い証拠になる。

第7話で“4人目”を最後に出したのは、次回が回収回になる合図でもある。ここで一気に真相へ向かうのか、それとも新しい闇が出てくるのかで、作品の着地が決まる。僕はまず、No.12テープの行方と恵子の記憶が一致するかを最優先で追いたい。

ドラマ「ラムネモンキー」7話の感想&考察

ドラマ「ラムネモンキー」7話の感想&考察

第7話を見終わってまず残ったのは、『疑いは簡単に正義の顔をする』という後味だった。阿部の一言と大学時代の証言だけで、マチルダ悪女説は一度それらしく成立してしまう。でも最後に“身代わり”が出てきた瞬間、視聴者のこちら側にも刺が返ってくる構造になっていた。この反転が、単なるミステリーのギミックではなく、三人の人生のやり直しと繋がっているのが上手い。

そして、日記とNo.12テープという“ログ”が出てきたことで、物語のエンジンが一段変わった。ここからは『誰が何を覚えているか』だけでなく、『何が残っているか』の戦いになる。つまり第8話以降は、感傷的な青春回収が、より具体的な証拠戦へ寄っていくはずだ。以下では、僕なりに気になったポイントを論理寄りに整理していく。

第7話は“疑う→反転”をわざと踏ませる回だった

この回は、視聴者に一度だけマチルダを疑わせるための材料が丁寧に並べられていた。鳥飼=白狼会、阿部の『女は怖い』、大学時代の水商売疑惑、望月妻の日記の“脅迫”っぽさ。どれも単体では決定打にならないのに、積み上げると『マチルダが黒い』に見えてしまう。その“見えてしまう”瞬間を、紀介の『もうやめたい』に重ねたのが巧いと思う。

そこから美紀子の電話で反転し、疑いが“誤解”だったと分かる。この反転があるから、前半の材料も全部“嘘”にはならず、むしろ『情報の読み方』のレッスンになる。つまり第7話は、真相の前に「決めつける自分」を一度壊す回だった。

僕らはドラマを見ていると、つい“気持ちいい犯人”を探してしまう。でもこの作品は、犯人探しより先に、三人の心の欠損と向き合わせてくる。だから疑いの反転は、事件の整理と同じくらい、三人の再起動に必要な工程なんだと思う。

現在パートのクリスマスが刺さる:居場所のなさが一番リアル

個人的に、7話の現在パートは笑えるのに痛かった。雄太は家に帰っても落ち着けず、肇は元カノに寄りかかろうとして折られ、紀介は自分の期待だけが空回りする。誰かが悪いわけじゃないのに、人生の棚卸しだけが進む感じが、年を重ねたクリスマスのリアルだった。ここに『赤プリでシャンパン』という過去の幻想が重なるから、余計に苦い。

若い頃は、イベントの夜は何かが起きると信じられた。でも現実は、何も起きないまま、ただ翌日が来る。その空白を埋めるために三人が過去を掘る、という構図がここで強く見えた。

だから“事件の真相”は、単に過去の整理ではなく、今の自分に居場所を作る作業にも見える。マチルダのことを調べるほど、三人は自分の人生の言い訳を削られていく。この痛さをコメディで包んでいるからこそ、見ていられるし、逆に刺さる。

日記というログが出た瞬間、物語は“証拠戦”になる

これまでのシリーズは、回想の楽しさと、記憶の曖昧さが両輪だった。でも7話で望月の妻の日記が出たことで、物語の質感が変わった。日記は、記憶の“都合の良さ”を容赦なく突き破る。三人が『そんなはずじゃない』と言っても、日付と感情が残っている以上、ゼロには戻せない。

ここから先は、映像(No.12テープ)と文章(日記)と証言(恵子)がどう重なるかの勝負になるはずだ。これはミステリーで言う“ログ戦”の形で、解けるときは一気に解ける。逆にログが揃わない限り、いくら思い出しても真相は確定しないという厳しさも出る。

日記が“マチルダ脅迫説”に見えたのも、ログの一部だけを読んだからだ。ログは強いが、読み方を間違えると凶器にもなる。7話はその危うさまで描いていて、単なる懐かしドラマにしない覚悟を感じた。

望月学は黒幕か被害者か:動機/機会/後処理で整理してみる

ここで一番気になるのが、望月学の立ち位置だ。回想では気のいい“トレンディさん”なのに、現代の聞き込みではきな臭さが漂う。僕は一度、動機/機会/後処理の3点で“黒幕っぽさ”を分解して見たい。まず動機は、マチルダと望月の間に金や弱みがあったのか、あるいは白狼会との利害があったのかが焦点になる。

次に機会は、望月が部室に来られる距離にいたこと、テープNo.12を探す理由があったことが材料になる。そして後処理は、火事という出来事と、テープの消失が同じラインに乗るかどうかだ。ここが繋がった瞬間、望月は“事件に巻き込まれた人”から“事件を動かした人”へ一気に傾く。

ただ現時点では、日記は妻の視点で、阿部の証言も主観が混じる。だから望月が黒幕だと断定するより、『望月は何かを恐れていた』までを確定ラインに置くのが安全だと思う。次回、恵子がNo.12テープの扱いをどう覚えているかで、望月の輪郭はかなり固まるはずだ。

次回への期待:黒江恵子が握るのは“撮れてしまった真実”かもしれない

第7話のラストで一番ゾクッとしたのは、映画研究部に4人目がいたという事実だ。三人が忘れていたこと自体が、事件の闇を感じさせる。黒江恵子は、No.12テープと撮影場所に直結し、言い訳できない“事実”を持っている可能性が高い。もし恵子が当時の編集やテープ管理を担っていたなら、消失のタイミングも語れる。

そしてこの作品の怖いところは、真実が必ずしも“救い”にならないところだ。撮れてしまった映像が、誰かの人生を壊す可能性もある。だから次回は、真実を明かすことで三人が何を取り戻し、何を失うのかまで見届けたい。

7話で雄太が言った『俺たちしか調べてやれない』という言葉は、次回さらに重くなると思う。恵子の記憶が出た瞬間、三人は“他人の人生”だけでなく“自分の罪”も引き受けることになるかもしれない。それでも前を向くために、まずNo.12テープの行方がどう回収されるのかを追いたい。

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