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真田広之!古畑任三郎(シーズン3)2話のネタバレ&感想考察。「忙しすぎる殺人者」

真田広之!古畑任三郎(シーズン3)2話のネタバレ&感想考察。「忙しすぎる殺人者」

『古畑任三郎(第3シリーズ)』第2話「忙しすぎる殺人者」は、犯人の強みである情報処理能力が、そのまま弱点になっていく回です。第1話では才能への劣等感が完全犯罪を生みましたが、第2話では、電話、記録、企画、メモといった“情報”を操れるという過信が事件の中心に置かれます。

メディアプランナー・由良一夫は、都議会議員・岩田大介の死を自殺に見せかけ、自分は別の場所にいたという形を整えようとします。けれど古畑任三郎は、きれいに作られたアリバイそのものではなく、そこに残された「知りすぎている情報」に目を向けていきます。

この第2話は、完全犯罪を支えていたはずの忙しさと情報量が、犯人自身を追い詰めていく皮肉が面白い一話です。この記事では、ドラマ『古畑任三郎(第3シリーズ)』第2話のあらすじ&ネタバレ、伏線、感想と考察について詳しく紹介します。

目次

シーズン3の第2話のゲストは真田広之!多忙なメディアプランナー・由良一夫の保身

『古畑任三郎(第3シリーズ)』第2話のゲストは、真田広之さんです。演じるのは、売れっ子メディアプランナーの由良一夫。ホテルに宿泊していた都議会議員・岩田大介の死に関わる人物であり、情報、電話、時間を使って自分の不在を作り上げようとする知能犯です。

真田広之が演じる“忙しさを武器にする男”

由良一夫は、肉体的な力で押す犯人ではありません。人を動かし、情報を操り、予定を詰め込み、分刻みの忙しさを自分の盾にする人物です。真田広之さんのシャープで硬質な雰囲気は、由良の有能さと緊張感によく合っています。

由良にとって、多忙であることは単なる仕事の状態ではありません。それは「自分は事件を起こす時間などなかった」と見せるための物語でもあります。電話、録音、スケジュール、ホテルという空間を組み合わせ、彼は自分の存在を犯行現場から遠ざけようとします。

由良の完全犯罪は、忙しさそのものをアリバイに変えようとしたところに特徴があります。

古畑との対決は“多忙だから無理”という物語の崩壊

由良は、自分が多忙であることを武器にします。会う人が多い、電話も多い、予定も詰まっている。だからこそ、犯行を行う余地がないように見えるのです。しかし古畑は、その忙しさの中に残った不自然さを拾っていきます。

普通なら「忙しいから犯行は無理」と考えるところを、古畑は逆に「忙しさを演出しすぎていないか」と疑います。由良の弱点は、自分の有能さと多忙さを見せすぎたことです。完璧にスケジュールを操っているように見えるほど、そこには作為がにじみます。

このゲスト紹介では、真田広之さんの知的で鋭い印象を生かしながら、由良の感情テーマを成功への執着、保身、コントロール欲、虚栄として整理すると、本編の考察につながります。由良はただ頭がいい犯人ではなく、自分の社会的な顔を守るために、忙しさという現代的な仮面を使った人物です。

ドラマ『古畑任三郎(第3シリーズ)』第2話のあらすじ&ネタバレ

古畑任三郎(シーズン3) 2話 あらすじ画像

第2話「忙しすぎる殺人者」は、ホテルで起きた都議会議員・岩田大介の死から始まります。状況だけを見ると、スキャンダルに追い詰められた人物の自殺にも見える事件です。

しかし古畑任三郎は、現場の空気や死亡前後の流れに、すぐに不自然さを感じ取ります。

この回の犯人として浮かび上がるのが、同じホテルに滞在していたメディアプランナー・由良一夫です。由良は仕事、電話、アイデア、会話を同時に動かすタイプの人物で、事件後も感情を乱さず、まるで自分の周囲の情報をすべて管理しているように振る舞います。

ただ、古畑が見ているのはトリックの手順だけではありません。由良がなぜ岩田を消す必要があったのか、なぜ電話によるアリバイに自信を持ったのか、そしてなぜその自信がかえって綻びになるのか。

第2話は、倒叙ミステリーとしての謎解きと、犯人の過信が崩れる心理劇が重なっています。

ホテルで起きた都議会議員・岩田の死

物語は、ホテルで都議会議員・岩田大介が死亡するところから動き出します。世間的な注目を浴びる立場にいる岩田の死は、最初から政治的なスキャンダルや絶望の空気をまとっていました。

前話の才能型犯罪から、情報操作型の事件へ移る

第1話では、犯人の内側にあった才能への劣等感が事件の引き金になっていました。自分よりも評価される相手、自分の弱さを見透かす相手を消すことで、自分の立場を守ろうとする犯罪です。

そこでは、完全犯罪は「負けたくない」という感情の防衛線として作られていました。

第2話で描かれるのは、そこから少し違うタイプの犯罪です。由良一夫は、感情をむき出しにして突発的に動く人物ではなく、仕事を組み立てるように状況を配置し、電話や記録を使って自分に都合のいい物語を作ろうとします。

つまり、今回の完全犯罪は感情の爆発というより、情報を管理できるという自信から生まれています。

ただし、その根にはやはり弱さがあります。岩田との関係、出資の問題、自分の企画が止まることへの焦り。

由良は冷静に見えますが、守ろうとしているものは決して小さくありません。だからこそ、事件は単なる知能犯のゲームではなく、計算で感情を隠そうとする人間の話として見えてきます。

岩田の死は、自殺に見える形で発見される

岩田大介の死は、状況だけを見れば自殺として処理されてもおかしくない形をしています。都議会議員という公的な立場にありながら、不倫問題の渦中にいる。

釈明や世間の目にさらされる夜に命を絶ったように見えるため、周囲の空気は自然と「追い詰められていたのではないか」という方向へ流れていきます。

この“自殺に見えすぎる”構図が、第2話の最初の大きな仕掛けです。由良は岩田の置かれた社会的状況を利用し、死の理由をあらかじめ世間が納得しやすい形に整えようとしたと考えられます。

スキャンダル、会見、絶望。そこに死が重なれば、人は出来事を一つの筋書きとして理解してしまうからです。

けれど古畑は、そのわかりやすさに乗りません。古畑の推理は、現場の派手な証拠よりも、作られた物語の滑らかさに引っかかるところから始まります。

自殺として見れば整っている。しかし、整いすぎているからこそ、誰かがそう見せた可能性が出てくるのです。

古畑は死亡前後の流れに小さな不自然さを見る

古畑がこの事件を他殺として見始める理由は、岩田の死そのものだけではありません。部屋の状況、死亡推定時間の前後に岩田がどう動いたのか、岩田が本当に自殺へ向かう流れだったのか。

そうした細かな点をつなぎながら、古畑は事件の表面に貼られた「自殺」というラベルを疑っていきます。

古畑の面白さは、最初から大声で結論を言わないところです。彼は違和感を持っても、すぐに犯人を追い詰めるのではなく、相手の言葉や周囲の説明を聞きながら、わざと余白を残して会話を進めます。

だから由良のような知能犯は、自分がまだ安全圏にいると思い込むことになります。

この段階で重要なのは、岩田の死が「絶望による自殺」に見える一方で、古畑だけはそこに人為的な流れを感じている点です。第2話はここから、死体の謎ではなく、死に意味を与えた人物の謎へと進んでいきます。

自殺の空気が、由良の存在をかえって浮かび上がらせる

岩田がなぜ死んだのかを考えるとき、周囲はまずスキャンダルの影響を見ます。政治家としての名誉、世間の批判、釈明会見の重圧。

こうした要素は、岩田が自ら死を選んだ理由として、あまりにも説明しやすいものです。

しかし古畑は、その説明の裏側にある利害関係へ目を向けます。岩田がただ一人で追い詰められていたのか、それとも岩田の死によって都合がよくなる人物がいたのか。

そこで浮かび上がるのが、メディアプランナー・由良一夫です。

由良は岩田の周辺にいる人物でありながら、事件後の振る舞いに大きな乱れを見せません。むしろ、状況を把握し、自分の立場をきれいに保とうとしているように見える。

古畑はその冷静さを、単なる落ち着きとしては受け取りません。自殺に見える事件であるほど、その筋書きに乗りすぎている人物が目立ってくるのです。

メディアプランナー・由良一夫の冷静すぎる立ち回り

由良一夫は、事件の中心にいながら、感情的な揺れを表に出しにくい人物です。彼の怖さは、乱暴さではなく、仕事の延長のように人間関係や情報を整理してしまうところにあります。

由良は“見せ方”を操る仕事の人間として登場する

由良はメディアプランナーです。人や企画や情報をどう見せるかを考え、相手が受け取る印象を設計する側の人間です。

だからこそ、今回の事件では、彼の職業そのものがトリックの考え方と深く結びついています。

岩田の死を自殺に見せることも、由良にとっては一種の演出だったと見ることができます。スキャンダルに揺れる都議会議員、釈明会見の夜、銃を手にした死。

出来事の並べ方だけを見れば、世間が納得しやすい物語になる。由良はその“納得されやすさ”を利用しようとしたのです。

ただ、ここに由良の危うさがあります。彼は人が情報をどう読むかを知っているからこそ、人間の感情や行動まで自分の計算通りに見せられると思っている。

古畑が崩していくのは、まさにこの過信です。情報を操れる人間ほど、自分もまた情報の中で見られていることを忘れてしまうのです。

岩田との出資関係が、事件の動機を形作る

由良と岩田の関係には、仕事上の利害がありました。岩田は由良が企画するレストランに出資する予定でしたが、その出資を渋っていたことが見えてきます。

由良にとって岩田は、単なるクライアントや知人ではなく、自分の企画を左右する重要な相手だったわけです。

ここで大事なのは、由良の動機を「金のため」だけに単純化しないことです。もちろん出資が止まることは大きな問題ですが、由良にとっては、自分の企画、自分の構想、自分の才覚が否定されることでもあります。

情報を動かし、企画を組み、他人を巻き込むことで自分の価値を作ってきた人物にとって、岩田の態度は現実的な損失以上の意味を持っていたはずです。

由良が岩田を排除しようとした背景には、焦りと怒りが重なっていたと考えられます。彼は自分の計画が止まることを受け入れられず、岩田のスキャンダルを利用する方向へ動く。

つまり、岩田の弱みを“事件の理由”として使いながら、自分の弱みは隠そうとしたのです。

事件後の由良は、冷静さで自分を守ろうとする

由良は事件後も、必要以上に取り乱しません。自分の仕事を抱え、会話をこなし、相手に余裕を見せるように振る舞います。

その態度は、周囲から見れば有能な人物の落ち着きにも見えるでしょう。

けれど古畑の前では、その冷静さが少しずつ別の意味を帯びます。事件に近い位置にいる人物が、あまりにも状況を整理しすぎている。

聞かれたことに対して説明できる材料を持ちすぎている。自分のアリバイを支える情報が、まるで最初から用意されているように見える。

由良にとって冷静さは、自分を守るための鎧です。しかし古畑にとっては、その鎧の作りが見えること自体が違和感になります。

第2話の追及は、由良の感情を無理に暴くのではなく、由良が感情を隠すために作った説明の過剰さを少しずつ崩していく形で進みます。

今泉と西園寺の存在が、古畑の観察を立体化する

第3シリーズでは、西園寺守の加入によって、古畑、今泉、西園寺のバランスも見どころになります。今泉は感情で反応し、どこか空回りしながらも事件の空気に巻き込まれていく存在です。

一方の西園寺は、古畑のそばで理性的に状況を見ようとする補佐として動きます。

第2話でも、由良のような情報型の犯人に対して、古畑だけが一気に答えへ飛ぶのではなく、今泉や西園寺の反応が捜査の温度差を作っています。今泉のズレは事件の緊張を少し緩めますが、そのズレがあるからこそ、古畑の違和感への集中が際立つ。

西園寺の冷静さは、古畑の推理が単なる勘ではなく、観察の積み重ねであることを支えます。

由良は情報を支配する側の人間ですが、古畑たちはそれぞれ違う角度からその情報を見ています。感情的に反応する今泉、理性的に補佐する西園寺、そして言葉の奥にある矛盾を拾う古畑。

この三者のズレが、由良の作った物語を一方向からではなく、複数の角度から照らしていきます。

電話で作られた死亡時刻のアリバイ

由良の完全犯罪の核になるのは、電話を使ったアリバイです。犯行時間に自室から秘書へ電話していたという記録が、由良を事件現場から遠ざける材料として置かれます。

由良は自室にいたように見せるため、電話を利用する

由良のアリバイは、非常に現代的でありながら、『古畑任三郎』らしい会話劇とも相性のいい仕掛けです。彼は電話を使い、自分がホテルの自室にいたように見せようとします。

秘書との通話が存在し、その通話が記録として残っていることが、由良の立場を守る壁になります。

電話の面白さは、声だけが相手に届く点です。相手は由良の声を聞いているため、「由良と話していた」という認識を持つ。

しかし、声が聞こえていることと、由良がどこにいたかは本来別の問題です。由良はその隙間を利用し、通話という事実を場所の証明に変えようとします。

ここで由良が信じているのは、人が記録を強く信用するということです。電話をしていた、通話が録音されている、仕事の話をしていた。

こうした要素がそろえば、捜査側は犯行時間の由良を自室に固定して考えるはずだと踏んでいる。由良の完全犯罪は、現場から逃げるのではなく、記録の中に自分の居場所を作る犯罪なのです。

秘書との通話は、仕事の自然さをまとった偽装になる

由良が秘書と通話しているという状況は、彼の人物像と矛盾しません。忙しいメディアプランナーであれば、ホテルにいても仕事の連絡を続けていることは自然に見えます。

むしろ、電話をしている姿こそが、由良という人物を説明する材料になります。

だからこそ、このアリバイは強いのです。無理に作られた不自然な言い訳ではなく、由良の日常の延長に見える。

仕事が忙しい、連絡が多い、アイデアを話している。周囲がそう受け取れば、通話は疑うべき要素ではなく、由良の潔白を裏付ける要素に変わります。

しかし古畑は、その自然さの中にこそ危うさを見ます。由良が忙しいことは本当でしょう。

けれど、忙しさが本当だからといって、その時間にどこにいたかまで本当になるわけではありません。仕事の会話が自然であればあるほど、そこに紛れ込んだ不自然な情報は逆に目立つことになります。

録音された通話が、由良の自信をさらに強める

由良にとって、通話が録音されていることは大きな保険です。単に「電話していた」と言うだけなら、相手の記憶や証言に頼る部分が大きい。

しかし録音が残っていれば、そこには由良の声と会話の内容が保存されます。彼はそれを、自分のアリバイを客観的に支える証拠として利用しようとします。

ここで由良の過信がはっきりします。彼は記録を味方につけたつもりでいる。

通話内容が残っていれば、自分がその時間に仕事をしていたことを示せる。仕事をしていたなら、岩田を殺しているはずがない。

そんなふうに、記録から結論へ一直線に結びつけさせようとしているのです。

けれど古畑の推理は、記録があることをそのまま信じるものではありません。むしろ、残された記録の中身に注目します。

何が語られ、何が混ざり、どの情報がどこから来たのか。由良が完璧だと思った録音は、古畑にとっては犯人の思考がそのまま残った資料になっていきます。

電話アリバイは、場所ではなく“情報の出どころ”を問われる

この回のトリックで重要なのは、「由良はどこにいたのか」という問いだけではありません。古畑が最終的に見るのは、「由良はなぜその情報を知っていたのか」という点です。

場所のアリバイを崩す入口が、情報の出どころにあるところが第2話のうまさです。

由良は電話によって、自室にいる人物として自分を演出しました。けれど通話記録に残された企画アイデアの中に、犯人でなければ知りえない状況が含まれていたことで、その演出は崩れ始めます。

自室にいたなら気づけないはずのことを、由良はアイデアとして語ってしまった。そこに古畑が引っかかるのです。

由良のアリバイは、声が届いたことではなく、余計な情報まで届いてしまったことで崩れていきます。電話は由良を守る道具でしたが、同時に由良が何を見て、何を知り、何を思いついたのかを残す道具にもなっていました。

古畑が引っかかった通話記録と企画アイデア

古畑が由良を追い詰める入口になるのは、通話記録に残されたドラマの企画アイデアです。仕事の会話として流されそうな内容の中に、由良が自室にいたのなら出てこないはずの情報が含まれていました。

仕事のアイデアが、犯人の視界を示してしまう

由良にとって、企画アイデアを話すことは日常の一部です。メディアプランナーとして、何かを見聞きし、それをすぐ企画に変える。

そうした反射神経は、彼の才能であり、仕事人としての強みでもあります。だから秘書との通話中にアイデアを語ること自体は、由良らしい行動に見えます。

しかし、そのアイデアの中に、犯人でなければ知りえない状況が含まれていたことが問題になります。由良が本当に自室にいたのなら、その状況を目にすることはできなかった。

つまり、仕事のアイデアとして残った言葉が、由良の実際の視界を示してしまうのです。

ここが第2話のいちばん面白いところです。由良は自分の頭の回転の速さを武器にしている人物ですが、その速さゆえに、見たものをすぐ言葉へ変えてしまう。

事件の最中でも仕事の脳が動き続けた結果、犯人としての視界とプランナーとしての言葉が混ざってしまったと受け取れます。

古畑は“話した内容”より“なぜ話せたのか”を疑う

普通なら、通話記録はアリバイの確認材料になります。何時に誰と話したのか、どんな会話があったのか、相手はその声を確認しているのか。

捜査側がそこに注目するのは自然です。由良もその前提を利用しようとしていました。

しかし古畑は、通話があったことだけで満足しません。むしろ、会話の中身を細かく見て、その情報がどこから来たのかを考えます。

由良がその時間に自室にいたなら、その発想は成立するのか。岩田の部屋や事件現場の状況に触れていなければ、そのアイデアは出てくるのか。

古畑は、言葉の内容ではなく、言葉が生まれた条件を疑っているのです。

由良の誤算は、記録が“存在証明”にしか使われないと思ったことです。けれど記録は、聞き方を変えれば“矛盾の保存場所”になります。

古畑は通話記録を、由良が自室にいた証拠としてではなく、由良が自室にいなかった可能性を示す材料として読み替えていきます。

由良は説明で逃げようとするが、説明がまた自分を縛る

由良は追及されると、すぐに崩れるタイプの犯人ではありません。彼は説明できる人間です。

仕事柄、相手を納得させる言葉を持っていて、質問に対しても理屈を組み立てようとします。そのため、古畑との会話は単純な尋問ではなく、言葉と言葉の攻防になります。

ただし、説明できることは必ずしも強さではありません。説明を重ねるほど、由良は自分の立場を固定していくことになります。

自室にいた、仕事をしていた、通話していた、企画を話していた。そう言えば言うほど、古畑は「では、なぜその情報が出てきたのか」と問いを絞り込めるようになります。

由良は情報を増やすことで逃げようとしますが、古畑はその情報を整理していく。ここに二人の対照があります。

由良は情報を操作して相手の目を散らす人物で、古畑は情報の中から不要なものを落とし、核心だけを残す人物です。だから会話が進むほど、忙しく動いている由良のほうが追い詰められていきます。

今泉のズレと西園寺の観察が、由良の焦りを浮かせる

古畑の追及は一人で完結しているように見えて、周囲の反応によってさらに立体的になります。今泉はいつものように、事件の本質から少しズレたところで反応しがちです。

けれど、そのズレがあるからこそ、由良の冷静さや古畑の集中がくっきりします。

西園寺は、古畑のそばで情報を整理しようとする存在です。由良の言葉、通話記録、アリバイの構造を理性的に見つめることで、古畑の推理が単なるひらめきではなく、積み上げられた観察であることを補強します。

第3シリーズで西園寺が加わった意味は、こうした情報型の事件で特に出やすいと感じます。

由良は古畑だけを相手にしているつもりでも、実際には今泉の感情的なズレ、西園寺の冷静な視線、古畑の言葉の圧力に囲まれています。情報を支配していたはずの由良が、少しずつ観察される側へ回っていく。

その反転が中盤以降の緊張を生んでいます。

忙しすぎた犯人が残した決定的な綻び

第2話のタイトル「忙しすぎる殺人者」は、由良の人物像をそのまま表しているだけではありません。忙しさによって完全犯罪を成立させようとした男が、忙しさのせいで矛盾を残してしまうという皮肉を含んでいます。

由良の強みだった同時処理能力が、事件では弱点になる

由良は複数の情報を同時に扱える人物です。仕事の電話をしながら、次の企画を考え、人との関係を調整し、状況を自分に有利な方向へ動かそうとする。

彼の頭の中では、常にいくつもの案件が並行して走っているように見えます。

その能力は、仕事では間違いなく強みです。けれど殺人という一点においては、その忙しさが致命的な綻びになります。

完全犯罪に必要なのは、余計なものを残さないことです。ところが由良は、犯行の最中にも仕事の会話を続け、アイデアを口にし、記録を残してしまう。

本来なら、犯罪は日常から切り離して隠すべきものです。しかし由良は、犯罪を自分の日常の中に組み込もうとしました。

そこに彼の過信があります。仕事の忙しさに紛れ込ませれば、殺人さえも自分のスケジュールの一部として処理できる。

そう考えたことが、逆に事件を隠しきれないものにしてしまいます。

情報を操る人物ほど、記録の怖さを見落とす

由良は情報を扱うプロです。だからこそ、通話記録や録音が自分を守ると考えたのでしょう。

記録があれば、自分の言い分は強くなる。記録があれば、捜査側も簡単には崩せない。

そうした発想は、情報の価値を知っている人物らしいものです。

しかし、記録は味方にもなれば敵にもなります。人の記憶なら曖昧にできる部分も、記録に残れば後から何度でも検証されます。

由良がいつ、誰と、何を話したのか。さらに、なぜその内容を話せたのか。

通話記録は由良のアリバイを支えると同時に、由良の矛盾を保存する箱にもなっていました。

第2話の怖さは、犯人が証拠を消し忘れたのではなく、証拠になるものを自分から残してしまったところにあります。由良は記録を支配しているつもりでしたが、古畑の前では記録そのものが由良を語り始めるのです。

“自室にいた”という物語は、知りすぎた言葉で崩れる

由良のアリバイは、犯行時間に自室にいたという前提で成り立っています。秘書との通話も、その通話の録音も、すべてはこの前提を支えるために配置されています。

由良は自分の声を自室に結びつけることで、自分の身体を事件現場から切り離そうとしたのです。

しかし、古畑は声ではなく言葉の中身に注目します。由良が話した企画アイデアには、自室にいたなら気づけないはずの状況が含まれていた。

つまり、声は自室にいる人物を演じていても、言葉の中には事件現場を見た人物の痕跡が残っていたわけです。

ここで、由良の作った物語は大きく崩れます。自室にいたなら知りえない。

知っていたなら、自室にはいなかった可能性が高い。古畑はこの一点を見逃さず、由良のアリバイの中心を突いていきます。

派手な証拠ではなく、言葉の出どころだけで犯人の居場所を揺さぶるのが、いかにも古畑らしい追い込みです。

追い詰められた由良は、情報を増やせなくなる

由良が余裕を保てていたのは、自分が情報を出す側にいたからです。聞かれれば説明し、疑われれば別の材料を出し、相手の視線を誘導する。

メディアプランナーとしての技術が、そのまま自己防衛の技術になっていました。

けれど古畑が核心を絞ると、由良はもう情報を増やして逃げることができなくなります。問題は通話があったかどうかではなく、その通話の中に含まれた情報の由来です。

そこを問われると、由良がどれだけ話術を持っていても、根本的な矛盾からは逃げられません。

忙しく動き続ける人間が、最後に一つの問いの前で止められる。この構図が第2話のラストへ向かう大きな流れです。

由良が作ったアリバイは複雑に見えますが、古畑が見つめている核心はシンプルです。彼はどこにいたのか。

そして、なぜ知るはずのないことを知っていたのか。その問いが由良を追い詰めます。

由良一夫の完全犯罪が失敗した理由

由良の完全犯罪は、電話、録音、通話記録、企画アイデアという複数の情報を使って作られていました。しかし、その複雑さこそが、古畑にとっては事件の構造を読み解く手がかりになります。

由良は岩田の死に“もっともらしい意味”を与えた

由良が岩田を自殺に見せかけようとした理由は、岩田の置かれた状況にあります。岩田はスキャンダルの中にいて、世間からの視線や釈明の重圧を背負っていました。

そのため、岩田が死んだとき、周囲は自然と「追い詰められた末の自殺」という意味を読み取りやすくなります。

由良はそこを利用しました。死の形を作るだけでなく、その死が社会的にどう解釈されるかまで計算した。

これはメディアプランナーらしい犯罪です。事実そのものより、事実がどう受け取られるかを設計しているからです。

しかし、古畑は意味づけのうまさにだまされません。むしろ、あまりにも納得しやすい死だからこそ、誰かがそう見せようとした可能性を考える。

由良が作った“もっともらしさ”は、古畑にとって疑いの入口になります。

電話アリバイは、由良の居場所を隠すための舞台装置だった

由良は犯行時間に秘書と電話していたという状況を作り、自分が自室にいたように見せようとしました。通話が録音されていることもあり、表面上は強いアリバイです。

忙しい仕事人がホテルの部屋で電話をしていた。その自然な絵が、由良を事件現場から遠ざけます。

ただ、このアリバイは「声が聞こえた」という事実に大きく依存しています。電話は相手の姿や場所を保証しません。

由良はその性質を利用した一方で、通話内容が検証されることの怖さを軽く見ていました。

古畑は、由良の声があったことよりも、由良の言葉が何を示しているのかを見ます。すると、由良が自室にいたという前提と、通話中に出てきた企画アイデアの中身がぶつかる。

アリバイは、存在するだけでは十分ではありません。中身まで矛盾なく成立して、初めて人を守るものになるのです。

企画アイデアの矛盾が、犯人しか知りえない情報を露出させる

由良の失敗は、犯罪中にも“仕事の自分”を止められなかったことです。彼は見たもの、感じたもの、思いついたものを、いつものように企画の言葉へ変えてしまう。

そこに、犯人しか知りえない状況が混ざったことで、通話記録は一気に危険な証拠へ変わりました。

この綻びは、うっかりミスというより、由良の本質から出たものです。彼は情報を材料として見てしまう人間です。

事件現場の状況さえも、どこかで企画の素材に変換してしまった。だからこそ、殺人の瞬間と仕事の会話が完全には分離できなかったのだと考えられます。

古畑は、そこを見抜きます。由良が言ったことの面白さではなく、由良がそれを言えた理由を問う。

犯人の言葉が犯人自身を裏切る。この回の解決は、まさに『古畑任三郎』らしい会話のミステリーになっています。

ラストで崩れるのは、アリバイだけではなく由良の自己像

第2話の結末では、自殺に見えた岩田の死が、由良の偽装として崩れていきます。電話を使ったアリバイも、通話記録に残された情報の矛盾によって支えを失います。

由良が組み立てた完全犯罪は、彼自身の忙しさと過信によって壊れていくのです。

ここで崩れるのは、単なるトリックだけではありません。由良は、自分なら情報を支配できると思っていました。

人がどう受け取るかを計算し、記録を味方につけ、言葉で状況を処理できると思っていた。しかし古畑は、その言葉の中から由良の本当の位置を取り出します。

由良が守ろうとしたのはアリバイではなく、情報を操れる自分自身への信頼だったのかもしれません。だからこそ、その信頼が崩れるラストには、知能犯が負ける爽快感だけでなく、自分の能力に足をすくわれる苦さも残ります。

第2話の結末と、次回へ残る不安や違和感

第2話は一話完結型として、岩田の死の真相と由良の偽装が明らかになります。ただ、シリーズ全体の流れで見ると、犯人の弱さがどのように完全犯罪の形を変えるのかを示す重要な回でもあります。

岩田の死は、自殺ではなく由良の偽装として整理される

岩田の死は、最初は自殺に見える形で提示されました。スキャンダルを抱えた都議会議員が、釈明の重圧の中で命を絶ったように見える。

由良はその流れを利用し、事件を社会的に納得しやすいものへ変えようとしました。

しかし、古畑が拾った違和感によって、その構図は崩れます。岩田の死は絶望の結果ではなく、由良が自分の企画や利害を守るために作った偽装だった。

自殺に見えた空気は、犯人が用意した物語だったわけです。

この結末によって、視聴者は第2話のタイトルを改めて受け取ることになります。忙しすぎる犯人は、あまりにも多くのことを同時に処理しようとした。

その結果、自分の作った物語の中に、自分を示す情報を置き忘れてしまったのです。

古畑はトリックではなく、由良の物語を崩した

古畑が第2話で崩したものは、電話を使ったアリバイだけではありません。由良が作った「岩田は自殺した」「自分は自室で仕事をしていた」「通話記録は自分の潔白を示す」という物語そのものです。

古畑は、それぞれの要素を別々に見るのではなく、一つの流れとして読み直していきます。

由良にとって、情報は相手を納得させるための道具でした。しかし古畑にとって、情報は真実へ戻るための糸です。

同じ記録を見ても、由良は隠すために使い、古畑は暴くために使う。この対比が、第2話の会話劇を支えています。

古畑の倫理は、真実を曖昧にしないところにあります。自殺に見える、アリバイがある、通話記録がある。

そうした“それっぽい説明”で済ませず、そこに残る矛盾を最後まで追う。だから由良のように言葉を操る犯人ほど、古畑の前では逃げ場を失うのです。

第1話とは違う犯人像が、シリーズの広がりを作る

第1話の犯人は、才能への劣等感や評価への執着が強く出ていました。そこでは、完全犯罪は自分の弱さを隠すための鎧でした。

第2話の由良は、それとは違い、自分の知性や情報処理能力への自信を武器にしています。

けれど、根の部分はつながっています。どちらの犯人も、自分の弱さを見せないために完全犯罪を必要とした人物です。

第1話では才能の不足を隠すため、第2話では計画が崩れる焦りや、情報を支配できるという自己像を守るため。完全犯罪の形は違っても、感情の綻びが弱点になる構造は共通しています。

この違いによって、第3シリーズの面白さも広がります。犯人は毎回別の顔をしていますが、古畑が見ているのはいつも、トリックの裏にある人間の弱さです。

第2話は、知能犯のスマートな犯罪に見えて、実は「自分は管理できる」と思い込んだ人間の焦燥が露出する回だったと言えます。

次回へ残るのは、事件の直接的な引きよりも“古畑の見方”への期待

第2話は、次回に大きな謎を引っ張るタイプの終わり方ではありません。岩田の死の真相はこの回の中で整理され、由良の完全犯罪も崩れます。

一話完結型の『古畑任三郎』らしく、事件そのものはきれいに閉じられます。

ただ、視聴後に残るものはあります。それは、古畑が次にどんな“作られた物語”を崩すのかという期待です。

第1話では才能、第2話では情報。犯人が守ろうとするものが違えば、完全犯罪の形も違ってくる。

では次は、どんな弱さが事件を生むのか。

第2話は、古畑が証拠だけでなく、犯人が自分を守るために作った説明を崩していく刑事であることを改めて印象づける回です。だから事件が終わっても、次の犯人が何を隠し、どこで綻ぶのかが気になってくるのです。

ドラマ『古畑任三郎(第3シリーズ)』第2話の伏線

古畑任三郎(シーズン3) 2話 伏線画像

第2話の伏線は、派手な小道具よりも、由良の職業、通話記録、企画アイデア、忙しさの描写に集中しています。どれも事件の中では自然に見えますが、後から振り返ると、由良が自分で自分の居場所を示していたことがわかります。

この回の伏線の面白さは、犯人の能力がそのまま伏線になっている点です。由良が有能で、忙しく、言葉や情報を素早く扱える人物だからこそ、通話中に残した言葉が不自然な重みを持つ。

以下では、第2話時点で見える違和感を整理していきます。

岩田の死が自殺に見えすぎる違和感

岩田の死は、スキャンダルと釈明会見の流れの中で自殺に見えます。しかし、あまりにも説明しやすい死は、逆に誰かが用意した筋書きにも見えてきます。

スキャンダルが死の理由として用意されている

岩田は都議会議員であり、不倫問題の渦中にいます。この状況だけを見ると、彼が世間の視線に耐えられず自殺したという説明は成立しやすい。

由良にとっても、その社会的な空気は事件を隠すための大きな材料になります。

ただ、伏線として見るなら、この“成立しやすさ”が気になります。人はわかりやすい理由があると、それ以上の背景を探さなくなりがちです。

由良はその心理を利用し、岩田の死に最初から意味を与えようとしたように見えます。

古畑が疑うのは、まさにこの点です。死そのものより、死の解釈が早すぎる。

岩田は本当に自分で死を選んだのか。それとも、そう見えるように誰かが状況を整えたのか。

第2話の伏線は、ここから始まっています。

古畑が現場の空気にすぐ乗らない

周囲が自殺の可能性を見ている中で、古畑はすぐにその空気へ乗りません。これは古畑らしい反応ですが、第2話では特に重要です。

古畑は、事件を人々の印象で判断せず、死亡前後の行動や現場の状況を細かく見ています。

この姿勢自体が伏線になっています。由良の犯罪は、人がどう受け取るかを計算した犯罪です。

つまり、第一印象に乗ってしまうと負ける。古畑が最初から印象ではなく違和感を追っていることが、後の通話記録の読み解きにつながります。

古畑にとって、事件現場は答えを出す場所ではなく、問いを立てる場所です。岩田の死が自殺に見えるからこそ、「なぜ自殺に見えるのか」を考える。

その反転した見方が、由良の偽装を崩す土台になります。

由良一夫の職業と振る舞いに残る伏線

由良がメディアプランナーであることは、単なる肩書きではありません。情報の見せ方を扱う人物だからこそ、事件の作り方も“見せ方”に寄っています。

メディアプランナーという肩書きが事件の構造を示す

由良の職業は、事件の伏線として非常にわかりやすい位置にあります。彼は情報を並べ、人に印象を与え、企画を作る側の人間です。

岩田の死を自殺に見せることも、言い換えれば一つの“見せ方”の設計です。

この肩書きを知った時点で、由良が単に暴力で問題を解決する人物ではないことが見えてきます。彼は現実をそのまま動かすのではなく、現実がどう見えるかを操作しようとする。

だから電話や録音、通話記録のような情報の道具が、事件の中心に置かれます。

伏線として重要なのは、由良の仕事の能力が犯行能力にも見える一方で、同じ能力が失敗の原因にもなる点です。情報を扱える人間だから情報を残してしまう。

この二面性が、第2話全体の仕掛けになっています。

冷静すぎる由良の態度が、余裕ではなく計算に見える

由良は、事件後も感情を大きく乱しません。表面上は仕事のできる男の冷静さに見えますが、古畑の前ではその落ち着きが少しずつ不自然に見えてきます。

事件に近い人物でありながら、自分の説明やアリバイをきれいに整えすぎているからです。

伏線として見ると、由良の冷静さは「何も知らない人の落ち着き」ではなく、「自分の作った筋書きを信じている人の落ち着き」に近い。彼は不安がないのではなく、不安を情報で押さえ込んでいるように見えます。

この態度は、後半で古畑に追い詰められるほど意味を変えます。最初は余裕に見えたものが、次第に過信に見えてくる。

伏線の面白さは、同じ表情や態度が、真相を知った後で違う意味を持つところにあります。

電話と通話記録に仕込まれた伏線

由良の電話アリバイは、事件の中心となる仕掛けです。通話があったという事実だけでなく、通話内容が何を示しているかが重要になります。

電話は居場所を証明するようで、実は証明しきれない

電話によるアリバイは、一見すると強力です。犯行時間に秘書と話していたなら、由良は仕事をしていたように見える。

さらに通話が記録されていれば、単なる口約束よりも客観的な証拠に近づきます。

しかし、電話が証明するのは「声が届いたこと」であって、「その人物がどこにいたか」ではありません。ここが第2話の伏線です。

由良はこの性質を利用して自分を守ろうとしましたが、古畑は同じ性質からアリバイの穴を見つけます。

視聴者にとっても、電話は便利な道具として見えます。だからこそ、最初は疑いにくい。

しかし後から振り返ると、電話が場所を曖昧にする道具であること自体が、最初から提示されていた伏線だったとわかります。

録音された会話は、由良の安全装置ではなく検証材料になる

通話が録音されていることは、由良にとってアリバイの補強材料でした。会話が残っていれば、秘書と話していた事実は疑いにくくなる。

由良は、その記録が自分を守ると考えていたはずです。

けれど録音は、話した内容をそのまま保存します。つまり、由良がその時間に何を考え、何を知り、どんな言葉を残したのかが後から検証できる。

記録が残っているほど、嘘は細かく調べられることになります。

ここに、情報操作型の犯人ならではの伏線があります。由良は記録を味方にしたつもりでしたが、古畑は記録の中身を読む。

証拠は、置き方ではなく読み方によって意味が変わる。そのことを見せる伏線になっています。

企画アイデアに残った犯人の視界

通話記録に残されたドラマの企画アイデアは、由良の仕事人としての顔を示す一方で、犯人としての視界も露出させます。

アイデアの自然さが、逆に由良の危うさを隠す

由良が通話中に企画アイデアを話すことは、彼の人物像からすると不自然ではありません。忙しいメディアプランナーが、移動中やホテル滞在中にも仕事の話をする。

そう考えると、会話の内容そのものは日常の一部に見えます。

しかし、その自然さが伏線を隠しています。仕事の話だからこそ、視聴者も捜査側も最初は流してしまいやすい。

けれど古畑は、そこに含まれた情報の由来を見逃しません。何気ないアイデアの中に、由良がどこで何を見たのかが滲んでいたのです。

この伏線はかなり巧妙です。犯人が余計なことを口走ったというより、犯人の“いつもの仕事の仕方”がそのまま証拠になる。

由良の個性が強ければ強いほど、真相に近づく材料も自然に残る構造になっています。

犯人しか知りえない情報が、言葉の中に混ざっている

第2話で古畑が見抜く核心は、通話記録に残された企画アイデアの中に、由良が自室にいたのでは気づけない情報が含まれていた点です。これは単なる言い間違いではありません。

由良が事件現場に近い位置にいたことを、言葉が示してしまっています。

伏線として見ると、ここには「情報の出どころ」という問題があります。何を知っているかだけでなく、どうやって知ったのか。

ミステリーではよくある視点ですが、第2話ではそれが電話アリバイと結びついています。

由良の言葉は、由良のアリバイを支えるために残されたはずなのに、最後には由良の居場所を暴く伏線になります。この反転が、第2話のトリックを印象的なものにしています。

“忙しすぎる”というタイトルに隠された伏線

タイトルの「忙しすぎる殺人者」は、単に由良が多忙な人物であることを指しているだけではありません。忙しさそのものが事件の弱点になることを、最初から示しています。

忙しさはアリバイの自然さを作る

由良が忙しい人物であることは、電話アリバイを自然に見せるために重要です。仕事の連絡をしている、秘書と話している、企画を考えている。

そうした行動が日常として成立するからこそ、由良の通話は疑われにくくなります。

普通の人物なら、犯行時間に長く仕事の電話をしていること自体が不自然に見えるかもしれません。しかし由良なら、それが自然に見える。

タイトルが示す忙しさは、由良を守るための人物設定として機能しています。

ただ、その自然さは後半で裏返ります。忙しいから電話をしていてもおかしくない。

忙しいから企画アイデアを話してもおかしくない。そう見えていた要素が、最後には「忙しすぎたから余計な情報を残した」という意味に変わります。

忙しさは、犯罪と仕事の境界を曖昧にする

由良の問題は、犯罪を仕事から切り離せなかったことです。彼は殺人を隠すために、いつもの仕事の流れを利用しました。

けれど、そのせいで事件の中に仕事の言葉が混ざり、仕事の中に犯人の視界が混ざってしまいます。

これは、タイトル回収として非常に皮肉です。忙しいことは、由良にとって能力の証だったはずです。

どんな状況でも頭を回し、情報を処理し、次の企画を生み出せる。しかし殺人という極限の場面では、その能力が余計なノイズを生みました。

第2話の伏線は、忙しさを「すごい人の特徴」として見せながら、同時に「集中できない犯人の弱点」としても機能させている点にあります。由良は何もかも同時に支配しようとして、結局は一つの矛盾を見落としました。

ドラマ『古畑任三郎(第3シリーズ)』第2話を見終わった後の感想&考察

古畑任三郎(シーズン3) 2話 感想・考察画像

第2話「忙しすぎる殺人者」は、派手な心理の爆発よりも、犯人の知性がじわじわと裏目に出る面白さが強い回です。由良一夫は、感情的に取り乱す犯人ではありません。

むしろ最後まで、自分は状況を管理できると思っているように見えます。

だからこそ、古畑が通話記録や企画アイデアの矛盾を拾っていく過程が気持ちいい。大きな証拠で一気にひっくり返すのではなく、犯人が自分で残した言葉を、別の角度から読み直していく。

ここに『古畑任三郎』らしい会話の強さがあります。

由良一夫はなぜ情報操作に自信を持ちすぎたのか

由良の犯罪は、単に電話を使ったアリバイ作りではありません。人がどう受け取るか、どの記録を信じるかまで計算した、情報操作の犯罪です。

由良は人の印象を動かせる仕事をしていた

由良がメディアプランナーであることは、やはり大きいです。彼は普段から、事実そのものよりも、事実がどう見えるかを考える立場にいます。

企画を通すにも、人を説得するにも、相手が納得する見せ方を作る必要がある。そうした仕事の経験が、事件でもそのまま使われています。

岩田の死を自殺に見せかける発想も、ある意味では“世間が納得する物語”の設計です。スキャンダルを抱えた政治家が、釈明会見の夜に死ぬ。

そこに銃や部屋の状況が重なれば、周囲は自殺という結論に流れやすい。由良は、その流れを読んでいたのだと思います。

ただ、ここに彼の限界もあります。人の印象を動かせるからといって、真実そのものを消せるわけではありません。

古畑は印象ではなく矛盾を見る刑事です。由良の仕事の強みは、古畑の前では逆に“作為の匂い”として立ち上がってしまいます。

過信の正体は、記録を味方につけたという思い込み

由良が特に自信を持っていたのは、通話記録や録音の存在でしょう。人の証言だけでなく、記録がある。

だから自分のアリバイは強い。そう考えるのは自然ですし、普通の捜査ならかなり厄介な材料になるはずです。

でも、記録は嘘を補強する道具であると同時に、嘘を固定してしまう道具でもあります。後から内容を変えられない。

言い逃れしようとしても、そこに残った言葉が動かない。由良は記録の強さを知っていたのに、記録の怖さまでは見切れていませんでした。

このあたりが、由良の“忙しすぎる”人物像とつながっています。彼は目の前の状況を処理するのが速い。

そのぶん、自分が残した情報を、古畑のような人物がどう読み返すかまでは考えきれなかった。頭が良いのに、頭の良さの使い方で負ける犯人だと思います。

「忙しすぎる」というタイトルの意味

このタイトルは、見終わった後にかなり効いてきます。由良は忙しいからアリバイを作れたのではなく、忙しすぎたから完全犯罪を崩したとも言えるからです。

忙しさは由良の能力であり、同時に盲点だった

由良の忙しさは、最初は有能さの表れとして見えます。仕事の電話をこなし、秘書とやり取りし、企画アイデアを走らせる。

いかにも頭が切れる人物ですし、事件の中でもそのスピード感が彼の余裕を支えています。

けれど、犯罪においては忙しすぎることが危険になります。完全犯罪は、情報を増やせば増やすほど安全になるわけではありません。

むしろ、余計な行動、余計な言葉、余計な記録が増えるほど、どこかに矛盾が生まれます。

由良は多くの情報を扱える人物だったからこそ、扱いきれない情報まで事件に持ち込んでしまいました。この皮肉が、タイトルの本当の意味だと感じます。

犯罪を仕事の延長で処理しようとした怖さ

個人的に第2話で怖いのは、由良が殺人を特別なものとして切り離していないように見えるところです。もちろん内面を断定することはできませんが、少なくとも彼の行動は、仕事の連絡や企画の流れの中に犯行を組み込もうとしているように映ります。

これがかなり不気味です。普通なら、殺人は日常を壊す出来事です。

しかし由良は、その非日常を日常の忙しさに紛れ込ませようとする。電話をしながら、仕事をしながら、計画を進める。

その冷たさが、第2話の犯人像を印象づけています。

ただ、古畑はその“日常化された犯罪”を許しません。忙しいから仕方ない、仕事中だから自然だ、という見せ方を一つずつ剥がしていく。

殺人をスケジュールの一部のように扱った由良に対して、古畑は真実を曖昧にしない態度で向き合います。

古畑が拾った違和感の面白さ

古畑の推理は、今回も派手な動きではなく、言葉の中に残った矛盾を拾う形で進みます。通話記録の読み方が、そのまま古畑の刑事としての個性を示しています。

古畑は“証拠がある”で止まらない

普通なら、録音された通話や通話記録は、かなり強いアリバイに見えます。実際、由良もそこに自信を持っていました。

けれど古畑は、証拠があるという事実だけで判断しません。その証拠が何を語っているのか、何を語りすぎているのかを見ます。

この見方がすごく古畑らしいです。証拠は犯人を守るために置かれることもあります。

だから古畑は、証拠の存在そのものより、その証拠を置いた人物の意図を読む。由良が通話記録をどう見せたかったのかを考え、そのうえで、記録の中に本人が意図しなかった情報を探すわけです。

第2話の解決は、物理的なトリックの説明だけで終わりません。由良が作ったアリバイを、古畑が言葉のレベルで読み替えるところに快感があります。

記録は安全装置ではなく、犯人の心理と行動を映す鏡だったのです。

会話の中で犯人の自己欺瞞が崩れていく

由良は、自分の説明で逃げられると思っていたはずです。情報を扱う人間として、相手を納得させる話し方には自信がある。

けれど古畑との会話では、説明するほど逃げ道が狭くなっていきます。

これは、『古畑任三郎』の大きな魅力です。古畑は犯人を怒鳴りつけるのではなく、相手の言葉を受け止め、少し角度を変えて返す。

その繰り返しの中で、犯人が自分を守るために作った物語が崩れていく。由良の場合、その物語は「自分は情報を支配している」という自己像でした。

だから第2話のラストには、単に犯人が捕まったという以上の余韻があります。由良が信じていた自分の能力が、古畑の前で通用しなかった。

完全犯罪の失敗は、由良の自己欺瞞の失敗でもあったのです。

第1話の犯人との違いから見える第3シリーズの面白さ

第1話と第2話を並べると、第3シリーズが犯人のタイプをかなり意識的に変えていることがわかります。才能の劣等感から、情報操作の過信へ。

弱さの形が違うから、事件の形も変わります。

第1話は劣等感、第2話は過信が綻びになる

第1話の犯人は、自分の才能や評価に関する痛みを抱えていました。自分が負けている、見下されている、認められていない。

そうした感情が、完全犯罪の土台になっていました。つまり、第1話の犯罪は“足りなさ”を隠す犯罪です。

一方、第2話の由良は、自分の能力を信じています。情報を扱える、印象を操作できる、記録を味方につけられる。

彼の犯罪は、自分の強さを信じすぎたところから生まれています。つまり、第2話の犯罪は“できるはず”という過信の犯罪です。

ただし、どちらも共通しているのは、完全犯罪が犯人の弱さを隠すために作られている点です。第1話では劣等感、第2話では焦りと支配欲。

古畑は毎回、トリックを解くだけでなく、その弱さの隠し方を崩していきます。

西園寺の加入で、古畑の推理がより見えやすくなる

第3シリーズの特徴として、西園寺の存在もやはり大きいです。今泉だけだと、古畑との関係は感情的なズレやコメディの色が強く出ます。

そこに西園寺が加わることで、捜査の整理役が生まれ、古畑の推理がより見えやすくなっています。

第2話のように情報量が多い回では、西園寺の理性的な立ち位置が効いています。通話記録やアリバイ、由良の説明を整理するうえで、古畑の違和感がどこに向かっているのかを受け止める存在がいる。

これによって、視聴者も推理の流れを追いやすくなります。

もちろん、今泉の空回りも必要です。今泉の反応があることで、事件が理屈だけで固まりすぎず、人間味のあるリズムが生まれる。

第2話は、由良という情報型の犯人に対して、古畑チームのバランスがうまく機能している回でもあります。

第2話が作品全体に残した問い

第2話は一話完結ですが、作品全体のテーマで見るとかなり重要です。完全犯罪は、犯人が守りたいものを隠すために作られる。

しかし、その守りたいものこそが弱点になる。その構造がはっきり見える回だからです。

完全犯罪は、完璧な人間には作れない

『古畑任三郎』を見ていると、完全犯罪を企む犯人ほど、どこかに人間的な偏りを抱えています。由良の場合、それは情報を支配できるという自信です。

頭が切れるからこそ、記録も人の印象も動かせると思っている。けれど、その自信があるからこそ、通話中に余計な情報を残してしまう。

完全犯罪は、完璧な人間が作るものではありません。むしろ、自分の弱さを隠したい人間が、完璧に見える形を作ろうとするものです。

由良もまた、自分の企画や立場が揺らぐことへの焦りを、スマートな犯罪で覆い隠そうとしました。

でも古畑は、その覆いを剥がします。犯人が守ろうとしたものほど、事件の弱点になる。

第2話は、そのテーマをとてもわかりやすく見せてくれる一話でした。

次回に向けて気になるのは、次の犯人が何を隠すのか

第2話は事件としては完結しますが、シリーズの見方としては次への期待を残します。第1話では才能、第2話では情報。

では次の犯人は、何を守ろうとして完全犯罪を選ぶのか。そこが気になります。

古畑の面白さは、犯人が最初からわかっている倒叙ミステリーでありながら、最後まで「この人は何を隠しているのか」を見せ続けるところです。犯行手順だけではなく、犯人が自分についた嘘がどこで破れるのかを見ていく作品なんですよね。

第2話は、情報を支配する犯人が、情報そのものに裏切られる回でした。次回以降も、犯人が守ろうとするものと、そこから生まれる綻びに注目して見たくなる一話です。

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