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ドラマ「救命病棟24時(シーズン5)」第1話のネタバレ&感想考察。小島楓、生と死の決断と夏目衛の登場

ドラマ「救命病棟24時(シーズン5)」第1話のネタバレ&感想考察。小島楓、生と死の決断と夏目衛の登場

『救命病棟24時』第5シリーズの第1話「史上最悪の事件!小島楓、生と死の決断」は、救命医として数々の修羅場を経験してきた小島楓が、今度は「医局長」という立場から命と向き合う物語の始まりです。

しかし、国立湊大学附属病院救命救急センターに集まっているのは、それぞれ腕は立つものの連携する意識の薄い医師たち。さらに楓には、救命だけでなく脳死下での臓器提供という難しい課題まで突きつけられます。

そんな状況で発生する、多数の負傷者を出す刺傷事件と爆発事故。個人の技術だけでは乗り切れない現場を前に、楓は「優秀な医師」と「人を率いる医局長」がまったく違う役割であることを思い知らされていきます。

この記事では、ドラマ『救命病棟24時』第5シリーズ第1話のあらすじ&ネタバレ、伏線、感想と考察について詳しく紹介します。

目次

ドラマ「救命病棟24時」第1話のあらすじ&ネタバレ

ドラマ「救命病棟24時」第1話のあらすじ&ネタバレ

第5シリーズの第1話は、小島楓が国立湊大学附属病院救命救急センターの医局長として働き始めてから1か月ほどが経ったところから始まります。楓は救命医として高い能力を持っていますが、個性の強い医師たちを一つにまとめることには苦戦していました。

そこへ臓器提供という新たな課題が持ち込まれ、さらに都内で多数の傷病者を出す事件と爆発事故まで発生します。第1話で突きつけられるのは、「目の前の患者を自分で救える医師」と「多くの人間を動かして救命現場全体を機能させられるリーダー」は別物だという現実です。

小島楓が救命センターの医局長として直面する孤独

第1話の楓は、新しい病院へやって来たばかりの医師ではありません。医局長として働き始めてすでに1か月ほどが経っています。

それでも救命センターには一体感が生まれておらず、楓と医局員たちの間には埋まらない距離が残っていました。

救命医として優秀でも医局長としては手応えをつかめない楓

国立湊大学附属病院救命救急センターは、最新の設備と腕の立つ医療スタッフをそろえた大規模な救命現場です。その中心に立つ医局長が小島楓でした。

これまで数々の過酷な現場を経験してきた楓は、患者を診て判断し、自分の技術で命を救うことについては迷いの少ない医師です。

ところが医局長になると、自分一人が正しい判断を下せば済むわけではありません。誰に何を任せるのか、異なる考えを持つ医師たちをどう動かすのか、チーム全体を見ながら優先順位を決めなければならない立場になっています。

楓は仕事そのものは淡々と正確にこなします。しかし、その隙のなさがかえって周囲との距離を生んでいました。

自分が動いた方が早く、自分が判断した方が確実だと考えてしまう優秀さは、救命医としては強みでも、医局長としては周囲を入り込ませにくくする要因にもなっています。

第1話の楓は「能力が足りない」のではなく、「自分以外の力をどう使えばいいのか分からない」というところから始まっています。

本庄雅晴を中心に「腕は立つがまとまらない」医師たち

楓が率いる救命センターには、本庄雅晴をはじめ、広瀬斎、奈良さやか、片岡仁志、安藤直利らがいます。決して技術の低い医師が集められているわけではありません。

むしろ、それぞれが自分の専門性や経験に自負を持っているからこそ、一つの指示系統に従うことが難しくなっています。

特に本庄は、自分の経験と判断を重視する救命医です。楓が医局長だからという理由だけで無条件に従うような人物ではなく、「患者を救う」という目的が同じでも、そこへ至る方法については楓と食い違います。

広瀬や奈良ら若い医師たちも含め、現場にはそれぞれの考え方があります。そのため普段の診療で大きな問題が起きていない時には成り立っていても、全員が同時に一つの方向を向かなければならない状況になれば弱点が表面化する状態でした。

つまり第1話冒頭の湊大救命センターは、「優秀な個人の集まり」ではあっても、「一つの救命チーム」にはなっていません。楓が医局長として向き合わなければならない最初の患者は、ある意味、この救命センターそのものだと見ることもできます。

最上透が楓を医局長にした理由もまだ見えない

楓自身にも、なぜ院長の最上透が自分を医局長に選んだのか、完全には理解できていません。救命医としての技量を評価されたのであれば納得できますが、医局長に必要なのは技術だけではありません。

人間関係を調整し、病院組織とも交渉しながら現場を成立させる必要があります。

しかも楓は、自分から積極的に人との距離を縮めるタイプではありません。淡々と正しいことを積み上げようとする一方、周囲から見ると何を考えているのか分かりにくいところがあります。

そのため最上の人選には、第1話の時点から一つの疑問が残ります。単に一流の救命医が欲しかったのであれば、必ずしも楓を医局長にする必要はないからです。

この「なぜ楓なのか」という問いは、救命センターを一つのチームへ変えていけるのかという第5シリーズの大きな縦軸につながる、最初の違和感として置かれています。

臓器提供ゼロの救命センターに夏目衛が招かれる

楓がチーム作りに苦戦する中、病院側からはさらに重い課題が突きつけられます。湊大学附属病院では、臓器移植法の改正後も脳死下での臓器提供実績がありませんでした。

病院経営や社会的評価を考える側にとって、それは無視できない問題になっています。

家族の反対で中止された臓器提供が突きつける現実

楓が最上から呼び出されるきっかけの一つとなるのが、脳死判定を受けた患者をめぐる臓器提供でした。臓器提供へ向けた準備が進んでいたものの、患者家族の反対によって最終的には取りやめになります。

病院側から見れば、また臓器提供の実績を作ることができなかった一件です。しかし楓は、単純に「説明が足りなかったから失敗した」とは受け止めません。

患者や家族に対するスタッフの対応に大きな問題があったとは考えていないからです。

ここには早くも、病院組織と楓の間にある考え方の違いが表れています。病院側が「臓器提供が成立したかどうか」という結果を見るのに対し、楓は「患者本人と家族がどう受け止めているか」を重く見ています。

臓器提供によって助かる患者がいることは事実です。それでも、家族が大切な人の死を受け止め切れていない状況で、医療者が成果を求めて決断を急がせていいわけではありません。

この難しさが、第1話から真正面に置かれます。

「実績」を求める病院と患者本位で考える楓のズレ

最上は、臓器提供を病院として避けて通れない課題だと考えています。救命救急センターは助かる患者を救うだけでなく、どうしても救命できない患者と家族にどう向き合うのかまで問われる場所だからです。

ただし楓にとって引っかかるのは、それが「実績」という言葉に置き換えられてしまうことでした。臓器提供数だけを見れば、提供が成立するほど病院の成果は上がります。

しかし医療者にとって目の前にいるのは数字ではなく、一人の患者と、その死を受け止めなければならない家族です。

救命医の楓は、まず助けることを考えます。そのため「救えない」と判断した後に、患者をどのように見送るのかという仕事には、救命とは違う種類の難しさがあります。

第1話は、命を救うことと同じくらい、「救えなかった命をどう扱うのか」も救命医療の責任なのだという問いを楓に突きつけます。

「看取りの医療」を実践してきた夏目衛という存在

そこで最上が招くことを決めたのが、救命医・夏目衛でした。夏目は高い救命率を維持しながら、脳死下での臓器提供にも向き合ってきた医師です。

単に患者を救えなかったから臓器提供へ切り替えるのではなく、その患者と家族が死を迎える過程まで医療の一部として考える姿勢を持っています。

楓が得意としてきたのは、目の前の危機から患者を救い出すことです。一方の夏目は、どうしても救うことのできない命にも医師として向き合おうとします。

第1話の段階ではまだ二人の考え方が完全に対立するわけではありませんが、救命医療を見る角度が少し違うことは見えてきます。

病院側にとって夏目は、臓器提供実績を作るための切り札でもあります。しかし夏目本人が病院の数字だけを見ているのかどうかは、また別の問題です。

そして、その夏目が正式に新しい職場へ姿を現す前に、東京で大規模な緊急事態が発生します。楓が医局長として抱えていた問題は、考える時間を与えられないまま現実の救命現場で試されることになります。

刺傷事件と爆発事故でバラバラな救命センターが露呈

都内で複数の人が刺される事件が発生し、さらに爆発事故まで重なります。多数の傷病者が一斉に救命センターへ運ばれる中、楓は医局長として全体を動かそうとします。

しかし平時には隠れていたチームの弱点が、一気に表面化していきます。

多数の傷病者が次々と搬送され救命センターが一変する

事件と爆発事故によって、救命センターには次々と患者が搬送されてきます。一人の患者だけに集中できる普段の診療とは違い、重症度の異なる患者が同時に到着する状況では、限られた医師や設備をどこへ振り分けるかが重要になります。

目の前に苦しんでいる患者がいれば、医師としてはその人をすぐに治療したくなります。しかし大勢の患者がいる状況では、誰から治療するかを全体として決めなければ、結果的に救える命まで失う危険があります。

その判断を統括するのが医局長である楓です。楓は次々と状況を確認しながら指示を出していきますが、問題は指示そのものの正しさではありませんでした。

救命センターの医師たちは、これまでそれぞれの判断で動くことに慣れています。普段なら個々の能力で補えていたズレが、多数の患者が押し寄せたことで一気に大きくなっていきます。

楓の指示より自分の判断を優先する本庄たち

本庄をはじめとする医師たちは、患者を救おうとしていないわけではありません。むしろ自分の目の前にいる患者を助けたいという思いが強いからこそ、自分が正しいと思った治療を優先します。

しかし大量の傷病者を扱う場面では、その「一人ひとりが最善を尽くす」という姿勢だけでは全体が機能しません。楓は全体を見て治療の優先順位を整えようとしますが、それぞれが独自に動けば人員配置も崩れます。

本庄にも救命医としての経験と自負があります。楓の肩書だけを理由に判断を預けることはできず、現場では自分が正しいと思う方法を選びます。

その結果、楓の指示系統は十分に機能しません。

ここが第1話の重要なところで、本庄が単純な「反抗的な部下」として描かれているわけではありません。楓と本庄のどちらも患者を救おうとしているのに、信頼関係がないため行動がかみ合わない。

そのズレこそが救命センターを混乱させています。

正しい指示を出すだけでは人は動かないと知る楓

救命医として働いてきた楓には、「正しい判断をすれば患者を救える」という経験があります。だから医局長になっても、状況を正確に把握し、適切な指示を出せば現場は動くと考えていた部分があったはずです。

しかし実際には、人は命令だけでは動きません。本庄たちが楓の判断力を知らないわけではなくても、「医局長として楓に任せる」という信頼までは築かれていないからです。

楓が一人でどれほど優秀でも、一度に複数の患者を診ることはできません。誰かに任せ、その人の判断を信じ、同時に全体の責任を引き受ける必要があります。

その構造が、大量傷病者の発生によってはっきり見えてきます。

楓が第1話で突きつけられた最大の敗北は、患者を診断できなかったことではなく、自分の指示でチームを動かせなかったことだと考えられます。

救命医・夏目衛がまさかの患者として搬送される

混乱する救命センターへ、さらに意外な患者が運ばれてきます。最上から新たに迎えると聞かされていた夏目衛です。

本来なら救命医として着任するはずだった男が、背中を刺された負傷者として楓たちの前に現れます。

新しい救命医との初対面が「患者と医師」になる皮肉

楓にとって夏目は、臓器提供の問題に対応するため病院側が連れてくる救命医という認識でした。自分の医局へ加わる人物でありながら、その存在には病院側の意図も絡んでいるため、単純に歓迎できる相手ではありません。

ところが実際に夏目が救命センターへ現れた時、彼は白衣を着た新任医師ではなく、背中を刺された患者でした。大量傷病者への対応だけでも余裕がない中、これから一緒に働くはずの救命医まで治療する側に回らなければなりません。

この登場のさせ方によって、夏目の人物紹介は肩書や経歴だけではなくなります。楓たちは、医師として働く夏目より先に、「自分自身も傷ついている状況でどう振る舞う人物なのか」を見ることになります。

そして夏目は、負傷しているにもかかわらず自分の状態だけに意識を向ける人物ではありませんでした。

自分が負傷していても周囲の患者を見ている夏目

夏目は救命センターへ運ばれた患者でありながら、周囲で何が起きているのかを冷静に見ています。自分も治療を必要としているにもかかわらず、医師として身についた視点が消えていません。

楓たちにとって、これは夏目がどのような救命医なのかを理解する最初の材料になります。病院から「臓器提供に詳しい医師」と紹介されていた人物が、単に看取りだけを専門とする医師ではなく、救命現場そのものを瞬時に見る力を持っていることが分かってきます。

同時に夏目の落ち着きは、混乱している湊大救命センターとの対比にもなっています。センターにいる医師たちは健康な状態で患者を診ているのに、それぞれの判断がぶつかって全体を見失いかけています。

一方、夏目は自分が患者である状況でも周囲を見ています。

それは技術の差というより、「自分が何をしたいか」より「今この現場に何が必要なのか」を優先する視点の違いに見えます。

夏目の存在が楓に見せる別のリーダー像

夏目は、楓に代わって救命センターを仕切ろうとするわけではありません。しかし彼の振る舞いは、結果として楓に足りないものを浮かび上がらせます。

楓は全体をまとめようとするほど、自分が正しい判断を出さなければならないという責任を強く背負います。一方の夏目からは、状況を見ながら必要なところへ自然に意識を向ける柔らかさが感じられます。

どちらが優秀かという単純な比較ではありません。楓には楓の強さがあり、夏目にも別の強さがあります。

ただ、第1話の楓が医局長として孤立しているからこそ、夏目の存在は今までとは違う救命の考え方を持ち込む人物として印象に残ります。

二人がどのような関係を作るのかはまだ分かりません。それでも夏目の登場によって、楓が一人ですべてを背負う現在の形が、このままでいいのかという問いが生まれます。

脳死状態となった真田隆平と臓器提供を前に揺れる人々

大量傷病者への対応と並行して、第1話では交通事故で搬送された真田隆平の問題が描かれます。隆平は重い状態となり、やがて脳死が強く意識される状況へ進みます。

ここで序盤から提示されていた臓器提供の問題が、数字ではなく一人の人間と家族の問題として楓の前に現れます。

交通事故から脳死状態へ向かう真田隆平

真田隆平は交通事故によって救命センターへ運ばれます。医療者は当然、まず隆平自身を救うために治療へあたります。

しかし状態は厳しく、脳へのダメージが進み、家族や周囲の人々は「助かるかどうか」という段階から、さらに重い現実へ向き合わなければならなくなります。

ここで重要なのは、臓器提供の話が先にあるのではないことです。最初にいるのは助けなければならない一人の患者であり、医療者にとっても「提供できる臓器を持つ人」ではありません。

だからこそ、脳死の可能性が現実味を帯びた時、楓は簡単に頭を切り替えることができません。病院側からは臓器提供の実績を求められているとしても、その目標と隆平の命を同じ線上で考えることには慎重になります。

救命から看取りへ、さらに臓器提供へ。その境界には明確なスイッチがあるわけではなく、家族にとっては昨日まで生きていた大切な人を失う過程そのものです。

あかねと兄・孝平に突きつけられる突然の選択

隆平の周囲には、幼なじみのあかねと兄の真田孝平がいます。彼らにとって、隆平が病院へ運ばれてから起きていることはあまりにも急です。

医療者は検査結果や医学的な状態を説明できます。しかし、その説明を理解したからといって、大切な人の死を気持ちの上ですぐ受け入れられるわけではありません。

さらに臓器提供となれば、隆平の身体の一部を別の誰かへ渡す決断まで求められます。

臓器を待っている患者の側から見れば、一人の提供者によって複数の命が救われる可能性があります。それは医療的には非常に大きな意味を持ちます。

それでも、隆平のそばにいる人たちにとって最も大きいのは、「隆平がもう戻ってこないかもしれない」という一点です。

あかねが臓器提供に簡単には踏み切れないことも、誰かの命を軽んじているからではありません。突然の喪失を前にした人間として、受け止める時間が必要なのだと見えてきます。

臓器を待つ誰かより「目の前の家族」を見る楓

ここで楓は、病院が求める臓器提供実績を作る絶好の機会だとは考えません。もちろん臓器提供によって救われる患者がいることは理解しています。

それでも楓が今向き合うべき相手は、目の前で隆平を失おうとしている人々です。

臓器提供には正しい答えが一つだけあるわけではありません。提供を決めれば正しく、断れば間違いという話ではなく、患者本人の意思と家族の思いが尊重されなければ意味がありません。

楓はそこで、病院側の期待を優先して家族の背中を押すのではなく、家族が自分たちの意思で決断できることを重視します。結果として臓器提供へ進まないとしても、それを医療の失敗と捉えることはしません。

楓が守ろうとしたのは臓器提供の「数」ではなく、患者と家族が自分たちの命について決める権利でした。

小島楓が選ぶ「救えない命にも向き合う医療」

第1話終盤では、救命医としての楓がこれまで慣れ親しんできた「助ける」という仕事だけでは解決できない問題が残ります。患者を救えないことと、医療者として何もできないことは同じなのか。

その問いが夏目の存在と臓器提供問題を通して形になっていきます。

臓器提供を成立させることだけが正解ではない

病院側から臓器提供実績を求められている状況だけを考えれば、提供が成立すれば一つの成果になります。しかし楓は、家族の気持ちが追いついていない状態で制度や医学的合理性を押しつけることを選びません。

これは臓器提供そのものを否定しているわけではありません。提供によって救われる命があることも、患者本人が生前に意思を示しているケースがあることも含めて、臓器移植医療には大きな意味があります。

ただ、第1話が強調しているのは「誰のための決断なのか」という部分です。病院のためでも、医師の達成感のためでもなく、患者本人と家族が中心に置かれなければなりません。

最上の考えにも病院全体を背負う立場としての理由があります。それでも楓は現場の医師として、数字に変換できない家族の迷いを切り捨てません。

この姿勢が第5シリーズにおける楓の倫理観を最初にはっきり示しています。

夏目が持ち込む「看取り」という救命医療

一方で夏目の存在によって、楓自身にも新しい問いが生まれます。救命医は患者を助けるためにいる。

しかし、どうしても助けられない患者がいる以上、「助けられなかったらそこで医療は終わり」と考えるだけでは足りません。

夏目が重視する「看取りの医療」は、死をあきらめとして扱うものではなく、救命治療を尽くしたその先にも医師の役割があるという考え方です。患者の最期をどう迎えるのか、家族がその死をどう受け止めるのかまで含めて医療として向き合います。

楓にとって、これは簡単に受け入れられるほど軽いテーマではありません。救命医として「助けられなかった」という感覚を抱えやすいからこそ、看取りを医療の一部として捉えるには、自分の価値観そのものを見直す必要があります。

第1話ではまだ答えは出ません。むしろ夏目という人物が現れたことで、「救う」と「見送る」の間をどう考えるのかという問題がようやく始まった段階です。

救命センターはまとまらないまま次の患者を迎える

第1話の最後まで、楓が救命センターを完全に一つにまとめることはできません。大量傷病者への対応を経験しても、本庄らとの間に突然強い信頼関係が生まれるわけではなく、楓自身も医局長としての答えをつかんでいません。

さらに救命センターには、警察官に付き添われた薬物中毒の患者まで運ばれてきます。その人物がなぜ警察とともにいるのか、第1話の段階ではまだ十分に説明されず、事件の混乱が完全には終わっていないことだけが伝わります。

夏目が負傷した理由についても、まだすべてが整理されたわけではありません。楓は臓器提供という問題だけでなく、大量傷病者対応で露呈したチームの弱さ、夏目との関係、本庄らとの対立という複数の課題を同時に抱えることになります。

第1話の結末は楓が何かを解決した場面ではなく、「一人ではこの救命センターを率いられない」という現実が見え始めたところにあります。

ドラマ「救命病棟24時」第1話の伏線

ドラマ「救命病棟24時」第1話の伏線

第1話では、事件や患者の処置だけでなく、第5シリーズ全体を動かしていきそうな複数の違和感が提示されています。特に重要なのは、楓がなぜ医局長に選ばれたのか、夏目を呼んだ意味、そしてバラバラな救命センターが本当に一つのチームになれるのかという点です。

小島楓の「医局長としての未完成さ」が最大の伏線

救命医として経験豊富な楓を、あえてチームを率いる立場に置いたところから物語は始まっています。第1話の失敗や孤立は単なる初回のトラブルではなく、楓自身が変わらなければならないことを示す出発点に見えます。

最上はなぜ楓を医局長に選んだのか

第1話では、最上が楓を医局長に据えた本当の狙いは明確になっていません。楓が優秀な救命医であることは疑いありませんが、人間関係を調整して部下を動かす能力については、現時点で完成しているとは言いにくい状態です。

それでも最上が楓を選んだのであれば、単なる救命技術以外の部分を見ている可能性があります。患者本位で考える姿勢や、組織の都合だけに流されない倫理観を評価しているとも考えられます。

一方で最上自身は、臓器提供実績など病院全体の立場も背負っています。その最上が、病院の論理に簡単には従わない楓をなぜ責任者にしたのか。

この矛盾は第1話で答えが出ないからこそ、今後の関係を見るうえで気になるポイントです。

楓はなぜ人に任せることができないのか

楓の問題は、他の医師を能力不足だと見下していることではありません。むしろ責任感が強く、患者の命に関わることだからこそ、自分で確認し、自分で判断し、自分で責任を負おうとします。

しかし医局長がすべての患者を自分で診ることは不可能です。誰かに任せるという行為には、その医師を信じることと、その結果まで責任者として引き受けることの両方が必要になります。

大量傷病者への対応で混乱したのは、楓の判断力が不足していたからだけではなく、普段からチーム内に「任せる・任される」という関係を作れていなかったからとも考えられます。この課題を楓がどう乗り越えるのかが、第1話時点で大きな伏線になっています。

本庄と楓は協力できるのか

本庄と楓の対立も、単なる性格の不一致ではありません。二人とも患者を救う能力と意欲を持っているからこそ、自分の判断に自信があり、簡単には譲れません。

第1話では楓の指示に本庄が素直に従わず、それが大量傷病者対応の混乱につながります。しかし逆に言えば、本庄ほど経験のある医師を楓が本当の意味で信頼できるようになれば、救命センターにとって大きな力になるはずです。

今の二人には「誰が正しいか」という争いが先にあります。そこから「どうすれば患者を最も救えるか」という共通目的へ視点を移せるのかが、今後のチーム形成を左右しそうです。

夏目衛の登場が残した複数の違和感

夏目は「臓器提供に詳しい医師」という説明だけでは捉えきれない人物として登場しました。負傷者として運ばれてきても周囲を見続ける姿から、楓とは異なる救命観と現場感覚を持っていることが伝わります。

最上が夏目を呼んだ目的は臓器提供実績だけなのか

病院側が夏目を必要とする直接的な理由は、湊大救命センターに脳死下での臓器提供実績がないことです。そのため表面的には「臓器提供のスペシャリストを招いた」という構図になります。

ただ、夏目は救命そのものでも高い能力を持つ医師です。さらに、自分が負傷している状況でも現場全体を見る姿からは、単に臓器提供の説明役として呼ばれた人物ではないことが分かります。

最上が夏目に何を期待しているのか。そして夏目自身が湊大救命センターで何をしようとしているのか。

楓の医局長としての未完成さと夏目の存在が並べて描かれている以上、二つには何らかの意味があるように見えます。

夏目と楓の救命観は対立するのか

楓は「まず目の前の命を救う」ことを強く意識する救命医です。一方の夏目は、救命率を高く保ちながら、助けられない患者に対する看取りや臓器提供まで医療として考えています。

この二人は、救命を重視する医師と死を受け入れる医師という単純な対立ではありません。夏目も救命を諦める人物ではなく、楓も臓器提供を否定しているわけではないからです。

違うのは、医療の責任をどこまで見るかという範囲に見えます。楓が「救うこと」に強く責任を感じるのに対し、夏目は「救えなかったその後」まで責任として見ている。

この違いが二人の関係にどう影響するのかが気になります。

夏目が刺された事件はまだ終わっていない

夏目は背中を刺された状態で救命センターへ運ばれてきます。しかし第1話の最後まで、事件に関するすべてが整理されるわけではありません。

さらに終盤には、警察官に付き添われた薬物中毒の患者が運ばれてきます。なぜ警察が同行しているのか、夏目が巻き込まれた事件とどのような関係があるのか、第1話だけでは完全には明かされません。

多数の被害者を生んだ事件は医療現場に患者を運び込んだだけでなく、救命センター内部にも新たな問題を残しています。医師が目の前の患者をどのような人物であっても同じように診ることができるのかという問いにもつながりそうな、不穏な引きです。

臓器提供と「看取りの医療」が残す作品全体の問い

第1話で最も大きく提示されたテーマは、救命できなかった患者に医師はどう向き合うべきかという問題です。臓器提供はその答えではなく、むしろ患者本人、家族、医療者それぞれの価値観がぶつかる場所として描かれています。

臓器提供数と患者本位の医療は両立できるのか

臓器提供によって助かる患者がいる以上、提供件数を増やす取り組みには社会的な意味があります。しかし病院が「実績」を意識し始めた瞬間、患者家族に対する説明が数字を達成するためのものへ変わる危険もあります。

第1話の楓は、その境界に敏感です。家族が納得して臓器提供を選ぶことと、病院側が提供してほしいという空気の中で決断することは同じではありません。

今後も臓器提供を扱うのであれば、単純に「提供によって別の命が救われてよかった」という話だけでは終われないはずです。誰が決めるのか、その意思を医療者がどう守るのかという部分が重要になりそうです。

救えない患者は医師にとって「失敗」なのか

楓のように高い救命能力を持つ医師ほど、患者の死を自分の敗北として背負いやすいように見えます。もちろん救命医は命を救うために全力を尽くしますが、どれほど優秀でもすべての患者を救えるわけではありません。

その現実に対して、夏目は「看取り」という別の医療の形を示します。救命できなかった時に医師としての仕事がゼロになるのではなく、患者の尊厳と家族の時間を守る役割が残っているという考えです。

楓がこの考え方をどう受け止めるのかは、第1話時点ではまだ分かりません。ただし、救えなかった命をすべて自分の失敗として抱え続けるなら、医師自身もいつか壊れてしまいます。

その意味でも重要な問いです。

「命を見送る責任」が楓自身に何をもたらすのか

第1話では、楓は患者と家族の意思を尊重する判断をしています。しかし、それで気持ちよく問題が解決したわけではありません。

臓器提供を勧めなかったことで、別の誰かを救う可能性が失われたと考えることもできます。反対に、家族に決断を迫っていたら、その家族に長く後悔を残したかもしれません。

どちらを選んでも完全な正解にならないところが、この問題の重さです。

第1話が残したのは「救命医は死をなくせるのか」ではなく、「なくせない死とどう向き合えば医療になるのか」という問いだと受け取れます。

ドラマ「救命病棟24時」第1話を見終わった後の感想&考察

ドラマ「救命病棟24時」第1話を見終わった後の感想&考察

第1話を見て最も印象に残るのは、大事件そのものよりも、楓ほど優秀な医師でもリーダーになった瞬間に壁へぶつかるところでした。第5シリーズは最初から「すごい医師が患者を救う物語」ではなく、人に任せられない医師がどうチームを作るのかというドラマとして始まっています。

有能な医師と有能なリーダーはまったく違う

これまでの経験を考えれば、楓は決して未熟な救命医ではありません。だからこそ、第1話でチームを動かせない姿が効いています。

技術や知識があることと、人を信頼して働かせることは別の能力だからです。

楓の強さそのものが弱点になっているのが面白い

楓は一人でかなりのことができます。患者を見れば状況を判断でき、必要なら自分で処置に入れる。

その能力がこれまで多くの患者を救ってきたことは間違いありません。

しかし責任者になると、「自分でできる」ことが必ずしも長所だけではなくなります。自分がやれば確実だと思えば思うほど他人へ任せにくくなり、周囲も「どうせ楓が決める」と距離を取るようになってしまいます。

大量傷病者への対応では、その弱点が最悪の形で出ました。一人の医師が一人の患者を救うなら楓の能力で解決できても、十人、二十人の患者を同時に救うには、周囲の力を使うしかありません。

第5シリーズが楓をさらに成長させるなら、技術を高める方向ではなく、人を信じる方向になるのだろうと感じさせる第1話でした。

本庄が単なる嫌な医師ではないから対立が成立する

本庄が面白いのは、楓に反発するだけの人物ではないところです。本庄にも救命医としての経験があり、自分なりに患者を救おうとしています。

だから楓の指示に従わないことにも、本庄側の理屈があります。もし本庄が能力のない医師なら楓が正しく命令すれば終わる話ですが、実力があるからこそ「誰の判断を優先するのか」という問題になります。

これはチーム医療を描くうえで非常に重要です。全員が従順ならチーム作りは簡単ですが、実際には専門家ほど自分の考えを持っています。

必要なのは意見を消すことではなく、異なる判断を持った人間が同じ目的へ動ける関係を作ることです。

楓と本庄の衝突は、まさにその難しさを見せる関係になっています。

楓が変えるべきなのは周囲だけではない

第1話を見る限り、楓は「まとまりのない救命センターをどう変えるか」を考えています。しかし実際には、変わらなければならないのは医局員だけではありません。

楓自身も、人に任せることや弱さを見せること、相手の判断を受け入れることを覚える必要がありそうです。自分が責任者だからすべて背負わなければならないという発想を続ければ、結果的に周囲との距離はさらに広がります。

第1話の救命センターがバラバラなのは、問題のある部下が多いからではなく、楓を含めて誰もまだ互いを信頼していないからです。

臓器提供を「美談」にしなかった第1話が重い

臓器提供を扱う作品では、「亡くなった人の命が別の人へ受け継がれる」という希望が描かれやすくなります。しかし第1話では、その前段階にある家族の迷いや医療者の責任を丁寧に置いていました。

臓器提供を断る家族にも守られるべき意思がある

臓器提供によって助かる人がいることを知れば、「提供した方がいい」と考えたくなります。しかし、それを外側にいる人間が簡単に言うことはできません。

家族にとっては、まず大切な人が死ぬかもしれないという現実があります。その直後に別の患者の命まで背負うよう求められれば、冷静に判断できないのは当然です。

楓が家族の意思を尊重する姿には、患者中心の医療とは何かがよく出ていたと思います。医療者が正解を決めるのではなく、家族が後から「あの時、自分たちで決めた」と思えることも大切です。

臓器提供をしない判断も含めて尊重するからこそ、臓器提供を選ぶ意思にも本当の意味が生まれるのだと思います。

最上の考えも完全な悪ではない

一方で、最上が臓器提供実績を求めることを単純な病院の保身とだけ考えるのも違うように感じます。救命センターが脳死患者を受け入れる以上、臓器提供へ適切に対応できる体制を持つ必要があります。

提供を希望する患者や家族が現れた時、病院側に経験や仕組みがなければ、その意思を実現できない可能性もあります。そう考えれば、臓器提供実績を作ろうとすること自体が悪いわけではありません。

問題は、実績を作るという組織側の目的と、一人ひとりの患者の意思をどう両立させるかです。

楓と最上の間にあるズレは、善人と悪人の対立ではなく、現場で患者を見る医師と病院全体を見る経営者の視点の違いとして読む方が面白いと思います。

夏目がいることで「死を受け入れる=諦める」ではなくなる

夏目の「看取りの医療」という考え方も興味深いです。救命ドラマである以上、どうしても患者を助けることに価値が置かれます。

しかし現実には、助けることのできない患者もいます。

その時に医療者が「もう治療できないから終わり」と離れてしまえば、患者家族だけが死を背負うことになります。夏目が示しているのは、救命できなくても医師としてできることは残っているという考え方なのでしょう。

これは楓にとって簡単ではないはずです。全力で助けようとする人ほど、死を受け入れる行為を「あきらめ」と感じてしまいやすいからです。

だからこそ、夏目が楓と同じチームに入る意味はかなり大きいように見えます。

第1話は「完成したチーム」ではなく失敗から始めた物語

初回から大事件を扱っていますが、物語として最も重要なのは事件を乗り越えた爽快感ではありません。むしろ大量傷病者への対応によって、救命センターがチームとして未完成であることがはっきりした点にあります。

大量傷病者の事件は楓の弱点を見せるために必要だった

普段の救急患者だけであれば、バラバラな救命センターでも何とか回っていたのでしょう。それぞれが優秀なら、一人ずつ患者を担当して結果を出すことはできます。

しかし患者が一斉に押し寄せる状況では、個人プレーの限界が出ます。誰かが全体を見なければならず、その指示を全員が共有しなければなりません。

だから第1話で大規模な事件が起きたことには、単に初回を派手にする以上の意味があります。楓たちが普段は見ないふりをできていた「チームではない」という問題を、隠せなくするための出来事です。

事件がセンターを壊したのではなく、もともとあった亀裂を見えるようにしたと考えると分かりやすいです。

楓と夏目の対比がシリーズの軸になりそう

楓は責任を自分へ集めるタイプで、夏目は周囲を見ながら必要なものを判断するタイプに見えます。第1話だけでも、この二人の救命医としての立ち位置には違いがあります。

ただし、どちらか一方が正しいという描き方にはなっていません。楓の強い責任感が患者を救う場面もあるでしょうし、夏目の考え方だけでは決断できない場面も出てくるはずです。

大事なのは、お互いに持っていないものをどう補うのかです。楓が夏目を受け入れるのか、それとも病院側が送り込んできた人物として警戒するのか。

夏目も楓をどのような医局長として見ているのか、まだ見えません。

第1話では、その二人が「同僚」としてではなく「医師と患者」として出会う形になったところも印象的でした。

次回へ残った最大の不安は「どんな患者でも救えるのか」

第1話のラストには、警察官に付き添われた薬物中毒患者が運ばれてきます。多数の人が傷ついた事件が起きた直後だけに、その人物の背景には不穏な空気が残ります。

救命医にとって、運ばれてきた患者が善人か悪人かは本来治療の優先順位を決める条件ではありません。しかしもし医師自身や身近な人を傷つけた人物が患者として来たら、本当に同じように治療できるのか。

第1話で扱った臓器提供もそうですが、第5シリーズは「医学的に何が正しいか」だけでは答えられない状況を医師たちへ突きつけていく作品に見えます。

第1話を見終えて残るのは、楓がどれだけ多くの命を救えるかではなく、迷いや感情を抱えた人間たちを一つのチームにできるのかという興味でした。

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